Feuilleton for Serious Music

 

ラフマニノフのチェロソナタ

ラフマニノフの個性が作品に反映されるようになったのは、28歳のときのこの作品とピアノ協奏曲第2番からだろう。それ以前に作曲された作品(例えば、交響曲第1番、歌劇「アレコ」)を聴くと、まだ他の作曲家から明確に自分を区別する美点を見出せないでいるようである。

この曲には、ピアノ協奏曲第2番やピアノソナタ第2番で聴かせる「ラフマニノフ節」が随所に現れ、それがとりわけ美しい。また、ピアノとチェロの2台が奏でる交響曲とでも呼びたいくらい構成がしっかりしている。特に、第1楽章、第2楽章は非のうちどころがないほどの見事な出来映えだ。

この曲がラフマニノフの最高にして最後の室内楽作品となったというのはもったいないような気がするが、よく考えてみると、時代が20世紀へと転じた時期に、聴衆を納得させることができる室内楽を19世紀的手法で書くという行為としては、この作品くらいが限界だったのではないか?という結論になった。「ラフマニノフ節」の明確な個性は、シューマン、ショパン風の発想・和声のうえに成り立っているわけで、これ以上、室内楽を書き続けていったとしてもブラームスの亜流となってしまった可能性がある。もちろん、シェーンベルク、バルトーク風の室内楽作品を書いて「革新性」を強調することもできたわけだが、他の作曲家の作風をなぞることは、ラフマニノフのプライドが許さなかったことであろう。その点、管弦楽作品、協奏曲、ピアノ独奏曲に関しては、彼が米国に亡命した後であっても、「保守的」ながら、明確な「個性」を盛り込むことが可能だった。

  (02年8月24日)

このチェロソナタの、第4楽章・第2主題に、八神純子の、ある持ち歌のメロディーがよく似ていた。

(02年11月4日)

 

フィビヒ「交響曲1、2、3番」のCD

スメタナ、ドヴォルジャークに隠れて目立たないが、チェコ国民楽派のしっかりした音楽を作曲したのがフィビヒ(チェコ語読みでは、フィビフ)。その作風はドヴォルジャークの中期の交響曲を思わせ、ブラームス、シューマン、ワーグナー風、さらにベートーヴェン風の旋律も出てきます。番号付きの交響曲は3曲書いており、専門家の間では「第3番」が最高傑作とされていますが、小生には甲乙つけがたいといった気がします。惜しむらくは、各交響曲ともに、ある楽章が傑出していても、その楽章と他の楽章を結合する緊密な連関が感じられず、散漫な印象を聴衆に与えてしまうことです。

この3曲を2枚のCDとし、CD1枚分の価格で出ているのが、ヤルヴィ:デトロイト響のコンビによる演奏であります(CHAN 9682(2))。この演奏も素晴らしいが、このCDのジャケットの絵がまた素晴らしい。Gustave Dore (1832-1883)の「Snow Capped Mountains at Night」という作品だそうで、ドイツ・ロマン派のフリードリヒの作風に似て、「のどか」というよりもむしろ「神秘的な」光景が展開します。「CHANDOS」のCDは、ジャッケットデザインが非常に洗練されている。ヤルヴィ=シカゴ響の「フランツ・シュミット:交響曲第2番」のベックリン作品(天才的!)も良かった!!(ルノワール、モネ、ゴッホ一辺倒の日本の絵画趣味はおかしい!)  (01年11月17日)

フィビヒの交響曲は聴けば聴くほど味わいがある。

これら3曲の交響曲の中で、特に2番の第4楽章、3番の第3楽章の出来が素晴らしいと思う。2番の第4楽章は、吹奏楽に編曲して、吹奏楽コンクールの自由曲として華麗な演奏が期待できそうだ(ヤルヴィ&デトロイトのCDでは、管弦楽の演奏なのに、テナーサックスの音のように聞こえる箇所すらある)。小生、「マクドナルド交響曲」なる曲をライフワークとして創作してみたいという野望をもっているが、このマクドナルドのメインテーマは、「フィビヒの主題による」(2番の第4楽章の第1主題)としたい。最近、このことを決断した。  (02年11月4日)

 

マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」(間奏曲)の和声は!

サミュエル・バーバーの「交響曲第1番」第1部(第1楽章ではない)の美しい和声(弦の可憐かつセクシーなさざめき)を聴いてから、この和声法は、バーバーがイタリアの教師に徹底的にたたきこまれて学んだものであるからして、そのルーツであるイタリア音楽を(小生も)もっと学ばねば!と、痛感するようになった。

もちろん、ヴェルディでもプッチーニでも良いのだが、今、マスカーニの有名な歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲に、とりわけ興味をもち、分析を進めてみたいという気持ちになっている。 

この曲は2つの部分に分かれ、多くの音楽愛好家にとっては、後半の優雅な主題に魅惑されるといったところだろうけれども、今、僕が特に興味をもっているのは、前半の単純にして豊穣な和声である。

ヴェルディに関しては、歌劇「シモン・ボッカネグラ」の舞台美術に、造型的な見地から興味を抱いている。  (01年8月17日)

 

 

フランツ・シュミット:歌劇「ノートルダム」

で世界初録音であるCD(クリストフ・ペリック指揮、ベルリン放送響、歌手陣は、ギネス・ジョーンズ、他)を買い、本日の午後、全2幕を聴き通しました。

(1)作曲は、1904年〜1906年。フランツ・シュミットが、マーラーの指揮のもと、ウィーン宮廷歌劇場&フィルハーモニーのチェロ奏者(第2奏者の給料で、首席奏者の仕事をさせられた)をしていた時の作品。シュミットの第1交響曲(1899)と、第2交響曲(1911〜1913)の中間の時期で、これら2つの交響曲に登場する旋法・主題が、「ノートルダム」の中に含まれている。 

(2)台本は、(ユーゴーの有名な「ノートルダムのせむし男」に基づき)シュミットとウィルク(Leopold Wilk。本職は化学者)の合作であり、台本の弱さなどを、ホーフマンスタールなどに指摘されながらも、シュミットの卓越した音楽語法が補って余りある作品に仕上がっている。 

この歌劇では、せむし男「Quasimodo」は脇役に転じ、ジプシー女「エスメラルダ」が主役を受け持っている。この歌劇は、作曲主導、台本2の次で作られていった形跡があり、歌劇全体の完成の前に、有名な「間奏曲。カーニバルの場」が、管弦楽作品として発表されている(1903年)。間奏曲の流麗な旋律は、エスメラルダのライト・モティーフであり、この動機が何度も繰り返してこの歌劇の中に現れる際の、楽器法の巧みさは秀逸。 

(3)ユーゴーの小説を基盤としながらも、作曲者の本当の意図は、エスメラルダと4人の男のSEX SCANDALにあるものと思われ、この点は、アルバン・ベルクのルルと共通する点(世紀末ウィーン的)。ただ、人間描写がエスメラルダと個々の男との関係に限定され、男どうしの軋轢にまで達していないことが、台本に対する低い評価となっているようだ。 

痴情のもつれによる殺人(未遂?)、そして投獄により、終幕が「牢獄」からスタートするところは、プッチーニの「マノン・レスコー」や、ショスタコーヴィチの「マクベス夫人」に似ているが、第3・4の男が、(エスメラルダに対する)欲望に駆られて、彼女をいったん救出しようとするところが、この歌劇全体のテーマに直結するところ。 

(4)このCDの解説書には、シュミットの生涯、一族や弟子について、第2次大戦後のシュミット復興運動についても書かれています。なお、シュミットは純粋ゲルマン系ではなく、ハンガリー民族の血も受け継いでいます。 

なお、本日午前中は、シュミットの第2交響曲を、楽譜の一部(第1楽章冒頭)のコピーを見ながらCD(ヤルヴィ:シカゴ響)を聴きました。この入念に書きこまれた楽譜が生みだす崇高な音楽を聴くと、求道者シュミットの存在の大きさに感慨無量になったことを告白しておきます。 (01年7月1日)

 

「東京国際ブックフェア」で買った本

4月21日に、「ビッグサイト」で開催された「東京国際ブックフェア」:洋書バーゲンセールで購入した本、3冊の紹介です。

 

(1)OPERA V PRAZE (プラハの歌劇) (PANTON)

チェコ語、英語、ドイツ語、ロシア語で書かれ、貴重な資料・写真で溢れています。たとえば、スメタナのProvadana Nevesta(「売られた花嫁」。Provadanaの最後のaの上には「’」、Nevestaの2つめのeの上には「v」がつく)の初演時の広告。この歌劇で最初にマジェンカを演じた、エーレンベルクのエレオノーラ・ガイェロヴァーの写真。

プラハの国民劇場の炎上をうつした写真。

プラハで「ヴォツェック」が初演された際の舞台イメージ。マリーを演じたマリエ・ヴェセラーの写真。この初演、指揮者はオタカル・オストゥルチルであり、1回めの上演(1926年11月11日)の際に、聴衆の猛烈な抗議を受け、16日に予定されていた2回めは、上演できなくなり、その後の再演もしばらく禁止されたとのことです。

 

(2)JOHANNES BRAHMS UND SEINE ZEIT (Christian Martin Schmidt著。LAABER-VERLAG)

 

(3)MASTER MUSICIANS RICHARD STRAUSS (Michael Kennedy著。Oxford University Press)

リヒャルト・シュトラウスの伝記ですが、シュトラウスとの親交の深かったエルガーについてもかなり記載されています。また、69ページには、

「1920年5月に、シュトラウスとシャルクはウィーン芸術祭の指揮者に就任し、以下のような歌劇を指揮。「コシ・ファン・トゥッテ」、「サロメ」「エレクトラ」、「パレストリーナ」(プフィッツナー)、「烙印を押された者」(シュレーカー)、「死の都」(コルンゴルト)、「Die Kohlhaymerin」(ビットナー)、「Fredigundis」(フランツ・シュミット)、「Der Zwerg(侏儒)」(ツェムリンスキー)、「マイスター・アンドレアと村の学校」(ワインガルトナー)。

また、107ページには、第2次大戦終戦直後の、ウィーンの歌劇場の再建にあたり、シュトラウスはカール・べームに書簡を送り、以下の歌劇を上演するアイデアを提示しています(このうち、実際にどれが上演されたかは定かではありません)。

「リエンチ」から「神々の黄昏」までの全ワーグナー作品。グルックの5作品。モーツァルトの5作品。「カルメン」「フィデリオ」。ウェーバーの3作品。ベルリオーズの2作品。ヴェルディの3作品。シャブリエ、スメタナ、グノー、コルンゴルト、プフィッツナー、アウバー、ロルツィング、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスの作品。   (01年4月22日)

 

鉄道と作曲家

RAILWAYS IN MUSIC という面白いサイトを見つけました。

http://musicweb.vavo.com/railways_in_music.htm

http://musicweb.vavo.com/railways_in_music2.htm

 

筆者(Phillip Scowcroft氏)は、英国人と思われ、特に、英国の作曲家と鉄道との関わりが大変詳しく記載されています。エルガーは、鉄道に関係する作品は残さなかったものの、大変な鉄道旅行好きだったとのこと。サリヴァンの「ミカド」にも、鉄道車両の緩衝器に関する台詞が出てきます。

アガサ・クリスティー原作の映画「オリエント急行殺人事件」の音楽を担当したのはベネット。「チップス先生さようなら(1939年版)」の映画音楽を担当したのはアディンセルとのことですが、アディンセルは確か、「ワルシャワ協奏曲」を作曲した人?

 

とにかく、いろんな作曲家の話が出てきます(ドヴォルジャーク、オネゲルは有名)。ただ、残念なのは、「イタリアより」のリヒャルト・シュトラウスの話がなかったこと。 (01年3月25日)

 

コルンゴルド:交響曲 嬰ヘ調

下記のサイトに、コルンゴルドの生涯と、彼の「交響曲嬰ヘ調」(1952)に関する記載があります。

http://www.musicalheritage.com/CLASSICAL/digsinfo.sp?RECORD_NUMBER=4429&CATEGORY=Liner%20notes

コルンゴルドは、わずか13歳の時に、「雪だるま」で衝撃的なデビューを果たしますが、それには彼自身の才能もさることながら、(ウィーンの音楽評論界で、ハンスリックの後継者であった)父、ユリウス・コルンゴルドの尽力もあったと書かれています。

ユダヤ人であったため、ナチスの台頭の際には米国に渡って「ロビンフッドの冒険」の映画音楽を作曲したことや、彼の作品の再演にはギル・シャハム、アンドレ・プレヴィンが貢献していること(ヴァイオリン協奏曲 作品35 など)などが、小生にとって、興味深い記載でした。

なお、「交響曲嬰ヘ調」は、01年1月に新日フィル(井上道義 指揮)が演奏しましたが、この機会は聴きのがしております。

(01年3月18日)

ブルックナーとシュティフター

リンツ出身といっていい、この偉大な2人に接点がなかったか、検索しているのですが、「リンツでの出会い」は、今のところ発見できず。

ただ、チェコの

http://www.piscia.comp.cz/crs_jc/obce/frymb_an.htm

という英語で書かれたサイトに、

南ボヘミアのフリンブルク(フリートベルク)という小都市に、

ゼヒター(ウィーンのコンセルバトワールで、ブラームス、ブルックナー、ベラを教える)が滞在し、また、シュティフターがしばしば訪れていたことが書かれてありました。 (01年2月25日)

 

葬送の音楽 

クラシック音楽には、「死」や「葬送」をテーマにした作品は数多く存在します。ですが、最近になって、僕はその多くが、「死」の情景を外面的にしか捉えていない。「死」というものを、作曲家自らの「美学」の枠内でのみ捉えている、といった印象をもつようになってきました。例えば、マーラーの交響曲第9番は、その世紀末的美学に関しては大いに賞賛されるべきものとしても、「死」の描写には審美的なものを感じます。

一方、R. シュトラウス:交響詩「死と浄化(変容)」(ジョージ・セル指揮クリーブランド管のCDで聴きました)、ブルックナー:交響曲第7番の第2楽章結尾(ワーグナーの死を悼む葬送行進曲)(カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーンフィルのCDで聴きました)の2曲は、真実の「死」の情景、「あの世」へ行ってしまった人に寄せる想いが、直接的に表現されていると思います。この「IDEE(観念)」は日常感覚をはるかに超えるもの。「死と浄化(変容)」のコーダにおける高まりは、逝ったばかりの親しき者のデスマスクに寄せる哀歌であり、その神々しき姿の観照であります。

それにしても、セルにびしびしと鍛えぬかれたクリーブランド管の一瞬の隙もない演奏はすさまじい!今じゃとても想像もつかない演奏です。セルもミトロプーロスも、晩年は米国で活躍したが、もともとはウィーンゆかりの指揮者。小職、現状では彼らとウィーンとについて語るべき資料をもちあわせておりませんが、今後、重点的に取り上げるべきテーマと考えております。

 (02年2月11日)

 

クラシック歌曲のテキスト(作曲家・詩人 別)を網羅したサイト 

これはこれは貴重なサイトだと思います。これで、我輩の独仏+チェコ詩の研究もすすみます(ブッセの「山のあなた」に、ベルクがメロディーをつけていたとは!)。これで、ドイツ詩・フランス詩の輸入本の販売が減ったらごめんなさい。

http://www.recmusic.org/lieder/

 (01年1月14日)

 

ルトスワフスキ・交響曲第2番 

現代音楽の最高傑作とでも称すべき曲です。サロネン指揮ロスアンジェルス・フィルの演奏で聴きました(SRCR 1671)。

CD解説書の中でサロネンが「私が尊敬する作曲家は、明晰に、正確に考え、音楽形式を有機的に作り上げることができ、完璧な技術を持ち、私たちを驚かせ感動させることができる、そんな作曲家だ。」と語り、

ルトスワフスキを(バッハにも比肩しうる)20世紀最高の作曲家と称えていましたが、まさにその通りです。音素をここまで精密に分析して音楽を作り上げる能力、まさに天才そのものです。

この作曲家は、若い頃、一時、数学者を目指していたそうですが、もしその道を進んでいたならば、フィールズ賞を獲得していたことでしょう。

聴いている側としては、(演奏さえ良ければ)大きな満足を得られますが、演奏者・指揮者にとっては超難曲でしょう。

また、ルトスワフスキ以後、作曲コンクールに提出される多くの作品がルトスワフスキの影響を受けているといって過言ではありませんが、

「本家本元のこの曲は絶品。でも亜流は、必ずしも良い作品ではない」ということは考えられうることです。  (00年11月12日)

 

バルトーク・弦楽四重奏曲全集(全6曲) 

ドイツ・グラモフォンの1960年代の名録音をCD復刻した一連のシリーズの中にある、バルトーク弦楽四重奏曲全集(POCG-30115/6。ハンガリー弦楽四重奏団。1961年の録音)を持っています。きょう、第2、4、6番を聴き返してみました。

バルトークの弦楽四重奏作品は、彼の管弦楽作品と比較して晦渋であり、一般向きではないと言えるかも知れません。その一方で、各作品は、オリジナリティに満ちた独自の現代的色合いに満ちているともいえ、これらの作品の最良の部分を、後世の作曲家がつまみ食いしていることは間違いありません。これらの弦楽四重奏曲のスコアをもっていれば、コマーシャル音楽(例えば、高級乗用車の宣伝のバック音楽)くらい簡単に作曲(盗曲?)できそうです。

確かにバルトークになじんでいない聴衆が全6曲を聴き通すのは、辛いことに違いありません。でも、第2番・第1楽章Moderatoや、第4番・第5楽章Allegro Moltoを聴く時、一種の懐かしさをもって音楽が迫ってきます。彼の弦楽四重奏曲に登場する現代的な和声は、何度も繰り返しますが、様々な作曲家に真似されています。バルトークが「管弦楽のための協奏曲」の中で、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」の一部を茶化したのは、作風を真似られたことに対する抗議だったのかも知れません。(00年9月17日)

 

マルティヌー、スークを聴き返す 

この敬老の日の有り難い休日に、マルティヌーの交響曲第6番と、スークの交響詩「夏の物語」をCDで聴き返しました。

「夏の物語」は第3楽章「間奏曲 ― 盲目の楽士たち」(オーボエとコールアングレーが、物寂しく美しくからみあう部分)によって、前半と後半に区切られている。第1楽章「生と慰めの声」と第2楽章「真昼」は、マーラーの影響が色濃い、中欧の世紀末音楽といった感触。一方、第4楽章「幻想にとりつかれて」、第5楽章「夜」は、マーラーの間接的な影響からは逃れられないとしても、直接的な影響はもうなく、まさに(ニールセンの交響曲第5番とともに)20世紀の交響作品の世界を切り開いている、パイオニアだ。

20世紀後半の映画音楽(特にSF映画の音楽)は、この第5楽章「夜」や、ヴォーン・ウィリアムズの後期の交響曲の影響を色濃く受けている。ヴォーン・ウィリアムズは、スークよりも後の世代の作曲家だから、ヴォーン・ウィリアムズはラヴェルとともにスークの作風を真似していたことになる。今、新作の映画が発表されて、その音楽に第5楽章「夜」が採用されているとしても決して違和感を感じさせない、そういったスークの天才性・独創性を大いに感じさせる曲なのである。

マルティヌーはスークの弟子だが、後に米国に渡り、チェコ音楽の特質を維持しながらも、米国音楽の影響を強く受けた。交響曲第6番の冒頭は、新進作曲家がよくやりそうなモザイク模様の不安げな色彩感をもった部分だが、その後の展開は西洋的合理主義で処理されていて、おおむね飽きさせない。同様な感触の冒頭をもった矢代秋雄の「交響曲」が、その後の展開に説得力がなく、失敗作に終わったことを考えると、シンフォニズムの世界における西洋・東洋の力量の差を、大いに感じさせるのである。

最後に作曲家の独創力について、幾つか。ショスタコーヴィッチは、その交響曲「第5番」が超有名曲となったために、日本でも全15曲の交響曲が比較的よく聴かれ、演奏されますが(第2、第3は別として)、ニールセンやスークはそうではありません。ですが、ニールセンやスークを聴きこんでいくと、ショスタコーヴィッチの独創性だと考えられていた部分が、ニールセンやスークに由来しているところが数多くあります。ショスタコーヴィッチの第10交響曲の第4楽章で木管が細かく動くパッセージは、ニールセンの交響曲第5番のある部分に非常に良く似ています。これまで、ショスタコーヴィッチ批判と言えば、スターリンのために「森の歌」を作曲したことだとか、社会主義リアリズム音楽に対して(ショーンバーグ氏など)の批判が主であり、他の作風を真似たことに関しては言われてこなかったと思われますが、今後、この点に関する解明が進むものと思われます。 

(話は変わりますが)さらについでながら言うと、レナード・バーンスタインの作品の中における真似は、以前、ブラームスのチェロ・ソナタに関してこのHPで指摘しましたが、ファリャ「三角帽子」(キャンディード序曲)や、ラヴェル「スペイン狂詩曲」(ウェストサイド物語)のある一瞬を真似したところもあります。  (00年9月15日)

  

ニールセンの交響曲第4番「不滅」・第5番 

図書館からCD(WPCS-6304)を借りて聴いた。演奏は、ユッカ=ペッカ・サラステ指揮、フィンランド放送交響楽団である。

CDの解説によれば、マーラーの交響曲10番を補筆完成させたクックは、この第5番を「今世紀の最も偉大な交響曲」と評価したそうだ。この表現には、幾分のJOKEも含まれているとは思うが、この5番の第2楽章 第3部や「不滅」の第3部が、ショスタコーヴィチの中期以降の作風(例えば、交響曲第7番「レニングラード」の第3楽章)にダイレクトに及ぼした影響を考えると、なるほどと思わせる表現ではあると思う。

第5番の第1楽章の後半、叙情的で伸びやかな部分は、輝かしい明るさをもち、20世紀後半のアメリカの吹奏楽作品などにもその片鱗がしばしば見うけられるような気がする。そう言った意味で、ニールセンは天才(改革者であり、真の独創性を持ち、先頭に立った人)ということができよう。ただ、「交響曲」というものに求められる「展開力、巧みな構成」と言った点では、不満なところが残ると言って過言ではない。かつて日本人の音楽評論家のどなたかが「胆汁的」と評していたアクの強さに関しては、何度も聴くことによって克服できるとしても、「不滅」の第1楽章はブラームスの影響が色濃いことがかえって音楽をつまらなくし、第4楽章の終結が「不滅(消しがたきもの)」だと言われても、釈然としないものだ。第5番の第2楽章も、導入部の盛り上がりはさすがだが、終結部がやはり釈然としない。

ブラームスは、やはり19世紀において輝いた作曲家だったと思われ、20世紀においては彼の音楽を模倣することは音楽をつまらなくさせるようだ(エルガーの交響曲第1番は数少ない成功例だろう)。ただ、ニールセンが5番で見せた、ブラームス・交響曲3番 フィナーレのコラージュは、ベリオ「シンフォニア」の様々なコラージュを思い起こさせ、興味深いものだった。  (00年8月5日)

(補足)ニールセンの第5番を聴いた時の印象は何かに似ているなと、よく考えてみたら、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の読後感に似ている。「兄弟の葛藤」「神と悪魔との対立」など、深遠なテーマに引きずり込まれていったあとに、突然現れてくる最終章(「兄弟の葛藤」はどこかに飛んでいってしまっている。そこは、生前とは関係のない来世の話であるかのように。)の拍子抜けしたところが、この交響曲の第2楽章冒頭でもたらされる印象とよく似ているのだ。  (00年8月12日)

 

チェコの20世紀作品2題 

昨日の午後、CDを2枚買った。

(1)POCL-1913(DECCA/ユニバーサル・ミュージック) ヨゼフ・スーク:交響詩「夏の物語」(「真夏の御伽噺」とも訳される)作品29  同:幻想的スケルツォ 作品25

サー・チャールズ・マッケラス指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(2)CHAN8897(CHANDOS) レオシュ・ヤナーチェク:シンフォニエッタ  ボフスラフ・マルティヌー:交響曲第6番「交響的幻想曲」 スーク:幻想的スケルツォ 作品25

イルジー・ビェロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1)の「夏の物語」(1909) は、以前、ミヒャエル・ギーレン指揮のオーケストラ(南西ドイツ放送響?)で、FMで聴いた時に感銘を受けた曲。スークの義父のドヴォルジャークとの間の、大きな音楽語法の隔たりを感じさせる、現代的で壮大・複雑な曲。ショスタコーヴィッチの管弦楽法も、この曲から影響を受けたのでは、と感じさせるほど。もっと評価されるべき曲であり作曲家である。

(2)ヤナーチェク(モラビア出身)の「シンフォニエッタ」は有名な曲だが、中間楽章の喜遊的な部分を、いかに音楽を破綻させずに処理するかが、指揮者の腕の見せどころ。ビェロフラーヴェクは、その点、非常にうまく処理している。(NHK交響楽団をビェロフラーヴェク氏が指揮した、ショスタコーヴィッチ「交響曲第1番」の演奏をテレビで見たことがあるが、非常に的確な演奏指示を与える指揮ぶりで、タクトの技法も正統的。)

マルティヌーの作品はどちらかというと大味で、ファゴットの登場する協奏曲など、作品としての魅力に乏しいと思ってきた。おそらく昨年のことだったと思うが、NHKのFMで、海外の演奏会からの録音として、交響曲第6番を流していて、これが、第2次大戦後の荒廃を暗示させるかのような暗い曲調ながら、力強さがあり、いつかCDを買って聴いてみたいという願望を引き起こしていた。このCDで聴いてみて、マルティヌーの恩師であるルーセルと同様、「素晴らしい管弦楽法の才能をもちながらも、曲の展開が単調」という印象はやはり拭えなかったものの、ウォルター・ピストン、コープランド、ヒンデミット(米国時代)の作品と共通する北米的な乾いた曲調や(マルティヌーは第2次大戦中に米国に亡命し、2度とチェコに戻らなかった)、オネゲルの交響曲第5番「3つのレ」との親近感を感じさせるダイアトニック(全音階的)な語法が魅力的である。  (00年7月23日)

ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」の第4楽章「allegretto」のトランペットの出だしによく似た吹奏楽曲があったなあと思い返してみた。たぶん、ネリベルの作品だ。

マルティヌーの交響曲第6番の米国的(北米大陸的?)な箇所(第1楽章)について: 以前、コープランドの「ロデオ」をレナード・スラトキン指揮 セントルイス交響楽団の実演で聴いた時に、そのお家芸的なノリに感心し、「この曲は、日本のオーケストラじゃ、重たくてとても聴けないね。」と思った。だが、コープランドではあまりに軽すぎると思っている人にとっては、マルティヌーの作風(欧州的な暗さ・重々しさと米国的明るさのMIX)が程よく思われよう。ただ、こういう感想を持てるのも第2楽章までで、第3楽章(終楽章)は長いだけで、創意に欠ける。  (7月29日)

 

マーラーの交響曲第10番・第9番 

暑い日の午後には、マーラーを聴く(ディーリアスでもいいかも知れない)。第10番を先にした表題にしたのは、単にその順にCDを聴いたというだけの理由。いずれにせよ、1日にこの2曲を続けて聴くのは初めてのことだ。第10番(クック補筆の完成版)は、インバル指揮フランクフルト放送響(COCO 75129)、第9番は、バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管(F66G 20061/2)の演奏である。

結論から言えば、やはり9番のほうが10番よりよく出来た曲だ。ただし、こう言えるのも、バーンスタインの天才的な指揮による(ライブでこの仕上がりとは、まさに神がかり)ものだろう。先日、FM放送で、アバド指揮ベルリンフィルで9番のライブ演奏の録音を流していたが、この曲のもつ欠点のほうが目に付く演奏だった。この感慨(バーンスタインでないと聴けない)は、このCDを買った時、また、十数年前にバーンスタイン指揮イスラエルフィルのライブ(NHKホール)を聴いた時から、ずっと抱き続けてきたものだ。ただ、情報技術が発達して、このようにしてHPに記述できるようになっただけの話である。この曲をとうとうと流れる曲想は、19世紀末〜20世紀初頭の市民の胸に去来したであろうエトスを代弁しているとともに、20世紀末のCITIZENにとっても全く共通の不滅のものである。

10番に眼を転じると、冒頭や曲のあちらこちらに背中にゾクゾクと来る箇所があるものの(9番と10番の冒頭は資生堂のCM音楽に使われた)、そこをつなぐ箇所の音楽に弱さが露呈してしまう(聴衆を終始飽きさせないないという点では、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ラフマニノフのほうが上かも知れない)。結末の大団円に至る直前の、ドラマを回顧するような箇所は、三流映画の音楽に使われそうだ。ただ、(初めてこの曲を聴く者にとっては最も印象的な箇所と思われる)不協和音の咆哮や、第5楽章冒頭の不気味な太鼓の響き(ニューヨークでの消防夫の死・葬式にインスピレーションを受けたと言われる)、終結部の(SF映画でのUFO来襲シーンを思わせる)弦のグリッサンドなど、マーラーがまだまだ作曲家として生きて自分の独創性が死んでいないことを立証したかったためではないかと思われるこれらの魅惑的な箇所が、この曲をして彼の名作のひとつになさしめている。  (00年7月15日)

演歌の「こぶし」のような独特の節回しも、マーラーの作品が日本人に親しさを感じさせる要因のひとつだろう。第9番の冒頭にも、そのような聴きどころがある。一方、マーラーの第2交響曲「復活」の第3楽章「聖アントニウスの誘惑」を下敷きにした、ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)は、スマートで繊細・淡白な西欧風の作品であり、素晴らしく美しい作品ではあるが、マーラーほどの人気は勝ち得ないかもしれない。   (00年7月23日)

 

イーストマン・ウインド・アンサンブル 

6月9日、東京オペラシティで。指揮:ドナルド・ハンスバーガー。ピアノ:小曽根 真。

この(パリのギャルドと並び称せられる)世界最高峰の吹奏楽団の実演を聴くのは、学生時代以来、約20年ぶり。ハンスバーガー氏の指揮ぶりは、老いを感じさせない精力的なものだ。曲目は、V・ウィリアムズ:イギリス民謡組曲、バーナード・ランズ:セレモニアル、ガーシュイン:ピアノとウインドアンサンブルのための「第2のラプソディ」、ジョン・ウィリアムズ(ハンスバーガー編):スター・ウォーズ組曲、クルト・ヴァイル(ハンスバーガー編):Starway to the Stars。「星条旗よ永遠なれ」を含む、アンコール曲が3曲あった。

「吹奏楽の表現の幅を広げるための様々な試みが成功している。」というのが第一印象。クルト・ヴァイルに関して言えば、昨秋、私はこのHPの中で、あまり興味のわかない作曲家として取り上げていたと思うが、「クルト・ヴァイル・フェスティバルで高く評価された、ハンスバーガーの演奏」というのも、うなずけるところがあった。決して、第一級の作曲家とは思わないが、オーケストラ作品を含む、あらゆるクラシック音楽の創作が行き詰まっている中で、「こういったジャンルをこういった形態で再現するというのも、ひとつの独創性なんだろうな。」と考えた。この演奏中に午後9時を過ぎたが、途中で退場する聴衆はいなかった。男女カップルの歌手のソロ、重唱つき。

イーストマンの高度のテクニックをまざまざと見せ付けたのは、「スター・ウォーズ」。特に、パーカッションセクションの多様かつ、技巧を極めた表現力には感心した。演奏会全体を見渡して、フルートセクションが伴奏に回った時の和声が、謙虚かつ透明な美しさを持ち、また、バスーンのソロの音色に艶があるということが印象的。クラリネット演奏者の人数を押さえた、小規模編成の演奏ではあるが、吹奏楽の中でのクラリネットの位置付けは、オーケストラの中のバイオリンの位置付けとは異なるのだから・・・。「イーストマンだからこそ、このような少人数でこれだけの表現をできる。」というのが、今回の私の結言になる。(6月10日)

 

新星日響のドヴォルザーク:交響曲8番・ト長調

4月29日の午後、友人から突然電話がかかってきて、「本日の新星日響、ザ・ベスト・クラシックス(サントリー・ホール)のチケットが1枚余っているので。」ということなので、行ってきた。指揮は、スロヴァキア出身のオンドレイ・レナルト。フルートとハープの独奏は、日本人の女性奏者 だった。

客の入りは9割方。演奏のほうも、そんなに期待していなかっただけに、満足のいくものだった。2曲めの、モーツァルト:「フルートとハープのための協奏曲(K.229)は典型的なお嬢さん演奏で胸に迫るものはなかったが、1曲めのJ.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」序曲、3曲めのドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調は良かった。特に、3曲めは、アンコールで演奏された「スラブ舞曲」とともに、輝かしい演奏だった。

オーケストラの音色には濁りが感じられた。しかし、指揮者のオーケストラを常に最良の状況に保とうとして、様々な指示を与えていた。日本人演奏家にとって、ドイツ音楽よりもチェコ音楽のほうが、より一体化しやすいジャンルであり、なおかつ、実際に現地に行って、日本人が本場の音楽に触れる機会が増加したことによって、日本的なドヴォルザークではなく、まさにチェコ的なドヴォルザークを再現することが可能になってきたこと・・・のおかげだろう。

新星日響(来年、東フィルと合併予定)を聴いたのは、実に約20年ぶりの2回め。1回めは、山田一雄指揮、ヴァイオリン:前橋汀子で、団伊玖磨:「日本からの手紙」、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ:交響曲第1番 ヘ短調 を東京文化会館で聴いた学生の日々のことである。そのときの観客数は非常に少なかったことを記憶している。また、今は亡き山田氏の踊るような指揮ぶり(氏は、R・シュトラウスとショスタコーヴィチは得意技にしていたが、この日の演奏は、私自信もこのショスタコの交響曲が未消化だっただけに、納得のいく演奏ではなかった)も瞼に焼き付いている。

とにかく、レナルト氏とのコンビならば、新星日響を安心して聴けるというのが、正直な印象だ。がっかりさせられた2月の読売日響の演奏会よりもずっと良かった、ということを付記しておきたい。ただし、読売日響のほうがサウンドに濁りが少ないというのも事実だ。(日本のオーケストラは、特にトランペット・パートにハラハラさせられるが、2月の読売日響は肝心かなめの部分でcrush。今回の新星日響はなんとか無事通過した。) (00年4月30日) 

 

古関裕而とベルリオーズ

古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」。1964年の東京オリンピック開会式のために作曲された有名な曲だ。私はこの曲自体は独創的な作品だと思っているし、海外の吹奏楽団によってもしばしば演奏されていると聞いている。最近、NHKで戦後の通俗曲のメドレーを流す番組があり、そのときのこの曲のサウンドが頭に焼き付いてしまった。

電車で帰宅した時に、ふと、ターミナル駅で思いついた。このマーチの主旋律は、ベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」の最終楽章で、勝利(凱旋)をイメージさせる行進曲のテーマとよく似ている(互いに対旋律となり得る。三連符の多用)のではないかと。古関の作品がベルリオーズの真似をしたわけではないのだろうが、少なくとも影響は受けているのではないかと。「オリンピックマーチ」は、スーザのようなアメリカ風のマーチではなく、ドイツ風でもなく、ましてやロシア風でもない、フランス風のマーチではないか?(ラモー、クープラン、ゴセックを聴きこんでいないので、フランス音楽について語るには、まだ役不足ですが)。そう考えてみると、確かに「オリンピックマーチ」は、その導入部も、「幻想交響曲」の第5楽章「ワルプルギスの夜」の中の、ある断片によく似ているように思えた。

クラシックの名曲によく似た箇所は、日本の通俗曲によく存在している。「覚えているなら、思い出そう」という歌詞の曲(ダークダックス:「すばらしい明日」。宮川泰作曲)は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」・第2楽章のオーボエの旋律に、薬師丸ひろ子のあるヒット曲(*)は、エルガーの交響曲1番、最終楽章の叙情的な大団円の旋律に似ている。(*:曲名を覚えていません。このHPをご覧の方で知っておられる方、どうか、ご教示ください。)

逆に日本のメロディーを思わせる欧州のクラシック曲もあります。ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第4番「ロンドン交響曲」には、(スコットランド民謡を題材にしたものと思われるが)日本民謡によく似た箇所があります。  (00年3月28日)

今ひとつ例を挙げれば、ペギー葉山の「学生時代」における、「草のからまるチャペルは」という箇所のメロディーは、ショスタコービッチ「交響曲第10番」の第4楽章、212小節めからファゴットによって奏でられる経過句に似ている。「紺碧の空」がシューベルトのハ長調交響曲(以前は第9番と呼んだ第8番)の第1楽章の冒頭テーマの真似という話は、柴田南雄氏が言ったことで、そんなに根拠がないということを聞いたことがある。

この曲があの曲に似ているということはimpoliteなことなのかもしれません。Joan Peyser著「バーンスタイン」(Ballantine Books 1988)の338ページに依れば、レナード・バーンスタインは、サミュエル・バーバーが作曲中のオーケストラ曲の楽想が「ダフニスとクロエ」と同じだと、バーバーに対して言い、彼をがっかりさせ、その曲の作曲を破棄させたとのこと。 (こうして、バーバーのやる気をくじいたバーンスタインも、ミュージカル「ウェストサイド物語」の「Tonight」の旋律は、ブラームスのチェロソナタに似ているような・・・。) (00年3月29日)

そのブラームスのセレナードは、ハイドンの交響曲「ロンドン」の終楽章に似ている。(00年7月8日)

 

さらに付け加えれば、

デューク・エイセスが唄った、「京都(女ひとり)」という曲(作詞:永六輔、作曲:いずみたく)の、「京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり」の箇所は、ストラビンスキー作曲、舞踊音楽「火の鳥」の「子守歌」の叙情的なメロディーにそっくり。そして、この「子守歌」は、ボロディンの未完に終わった交響曲第3番イ短調(グラズノフがオーケストレーションを完成)の第2楽章スケルツォの中間部に似ている。このボロディン「交響曲第3番」は、今日ほとんど演奏されない曲であるが、ヴィクトル・エヴァルト(1860〜1935)の有名な金管5重奏曲は、発想のかなりの部分をこの交響曲から借用したふしがある。

ピンクレディーが歌って踊った、「ウォンテッド」という曲の「ある時謎の運転手 ある時アラブの大富豪 ある時ニヒルな渡り鳥 あいつはあいつは大変装」という早口で歌う箇所は、シューマン「マンフレッド序曲」の一節に似ている。 (00年4月8日)

このページに文章を書き加えるのは、実に久しぶり、その間に小生の嗜好もかなり変化した。書いたことに対して訂正を加える気持ちは(誤字・脱字を除いて)全くないけれども、このページに書かれていた方向性で音楽を聴き続けていこうという気持ちが多少薄れ、古代史とか、別の分野に貴重な余暇の時間をあてるようになってきた。音楽鑑賞としては、室内楽・ピアノが中心になってきた。特に、建て替えられた「杉並公会堂」のピアノの響きがすばらしいので、今後は、ここでコンサートを聞く機会が多いだろうと、思っている。オーケストラ演奏会への参加は稀になるだろう。昨年の今頃、サントリーホールで聞いた、コダーイ作曲:「飛べ孔雀の主題による変奏曲」の演奏がもたらすサウンドには大変に感銘を受けたが、その後、万難を排して聞いてみたくなるようなオーケストラコンサートがない。今後、聞きたいオーケストラ・コンサートは何か?といえば、(まだCDでしか聴いたことがない)エルガーの「交響曲第1番」だ。ただし、トロンボーン、チューバ、ホルンが首尾よく(適切なテンポ、タイミング、音量。がさつでなくまろやかな音色)、弦楽合奏をサポートし、盛り上げることが保証できる、演奏団体、指揮者の場合に限る。 さて、この項目になぜ新たに書き加えたのかについてであるが、最近、JRのいくつかの駅(少なくとも、新橋駅、中野駅は含まれる)で日頃聞いている構内放送(列車の出発を告げる)の音楽が、ショパンのピアノソナタ第3番の第3楽章のひとつのパッセージに似ていることに気がついたからだ。(07年1月28日)

 

詩と音楽

「プーランクは語る」の中に書いてありましたが、プーランクと親交のあった著名な詩人たちは、(クラシックを含む)音楽を、詩よりも低級な芸術として蔑視しておりました。フランス詩は巧妙な脚韻によって成り立っていることから、作詩には高度な技術を必要とするということは理解できますが、クラシックの作曲においても、和声法・対位法・楽器の使用法など、複雑きわまりない課題を解決できる技能を要し、私は、その詩人たちの言い分がよく理解できないでおりました。

きょう、川崎市・橘の稜線一帯をトボトボと散歩していて、ふと思い付きました。詩集はどんなに手垢に汚れても、その詩の本質は不変。いつでもどこでも、その詩に感じ入る読者がいる限り、その詩の価値は減じるものではありません。一方、クラシック音楽の作品は、たとえ、その曲自体が手のこんだ最高傑作であっても、良き演奏家・良き聴衆がいなければ、その真価を発露することはできません。(「ドビュッシーの「海」の演奏では、アンセルメを超えるものがない」などど言って、悦に入っているということは、好事家にとっての楽しみではありますが、音楽芸術の存在のはかなさを示す事柄であるとも言えます。批評するのは簡単ですが、演奏する側からすれば大変なのです。)

この私の中にひらめたIDEEと、プーランクの知人たちが本当に考えていたこととが一致するという保証はありません。でも、私には、かなり真実に近いことのように思われたのです。

今、ポーランドの雑誌「POLITYKA」(2月12日号。Aさんから頂きました)を読んでいます。「ポーランドの音楽市場は小さく純粋なクラシック音楽では食っていけない。グレツキの交響曲3番の大ヒットもイギリスのプロモーターが仕掛けたものだ。」ということを述べた記事がありました。また、別の記事では、「ポーランドの小説家も大変。権威ある文学賞を受賞した小説家の新作がわずか800部しか売れなかった。」といったことが書いてありました。

この事情は、ポーランドでも日本でも変わることのないことでしょう(「3大テノール」のような特殊な人達を除いて)。「生まれ生づる悩み」の頃と本質はそんなに変わっていないのかも知れません。また、平成のエステルハージー公が必要なのかも知れません。でも、音楽芸術という、(うつろいやすい人間の)刺激というものに依存し、保存可能なコンテンツ(効用をもたらすもの)にかかわって生きていこうとする時、創作する側、演奏する側、聴く側の間の乖離が、すべての関与者が、快適に経済を営んでいくことを妨げることになることは、否定できない現実なのであります。 (00年2月20日)

追記:プーランクと交流のあったフランスの詩人エリュアールは、シュル・レアリズムの中心的人物と考えられるが、彼はチェコのポエティズム(後に、チェコのシュル・レアリズムとなる。サイフェルト、ネズヴァル、ヴァンチュラなど)にも大きな影響を与えた。このことを、「チェコの魔術的芸術」(このHPのチェコのページに記載)の中で、赤塚若樹氏が解説している。もうひとつ追記すれば、上記の著名なフランス詩人が音楽を馬鹿にしたのは、100名で構成するオーケストラの楽員全員が同時に同じ高みに到達することの困難さを説いたものだとすれば、真意を理解することは比較的容易である。  (00年3月20日)

 

ウィーン音楽文化史

99年12月20日:

「ウィーン音楽文化史」の上巻も読み終えました。ベートーヴェンが作曲したディアベッリ変奏曲(作品120)で後世に名を残したディアベッリが、作曲家としては「うだつのあがらない」存在であり、彼は音楽出版者として、他の作曲家から安く買い叩いた楽譜を売って大儲けしたというくだり(222ページ)がもっとも興味深かった。

99年11月6日:

今、音楽之友社が刊行した、「ウィーン音楽文化史(下)」(渡辺護著)を読んでいます。この本の22ページに面白い記載がありました。北ドイツ出身のブラームスが、ウィーンの地を好んだ理由を自ら語ったところでは、「ウィーンでは独身だからといって、あれこれ説明する必要はありませんが、小さな街では、年をとった独身者は笑いの種です。」

この説明は、ウィーンだけでなく、中原そして東京圏全体についてもあてはまることではないでしょうか。(ちなみに、私には妻子がおります。)

この本には、さらに興味深い記述がありました。

(100ページ)  ”1900年3月2日、指揮者ハンス・リヒターは英国での地位を得るために、ウィーンを去ったのである。人々はマーラーが彼を追い出したのだと非難した。”  >  ハンス・リヒターは英国で、エルガーを励まし、彼の交響曲第1番の初演を成功させました。私は、このページの下の方でこの交響曲にも触れておりますが、この曲は、ウィーンにおける音楽世界の変転とも関係をもっていたわけです

(下記、サイトに、老ハープ奏者の回想:「エルガーの作品を世に知らしめたハンス・リヒター」が書いてあります。)

http://www.st-and.demon.co.uk/JBSoc/journal/jun_96/ref.html

(276ページ)  ”ウィーンでは芸術が愛好されていたにもかかわらず、(中略)芸術家はこうした公職に就かないかぎり、敬意を伴った取扱いをうけにくかった。19世紀においては、有名となった芸術家の多くが、芸術とは無関係の官職にとどまっていたのは、こういう事情と無関係ではあるまい。たとえば、グリルパルツァーは省参事官であり、劇作家ルートヴィッヒ・アンツェングルーバーは警視庁官吏であり、詩人アダルペルト・シュティフターは文部省視学官となり、(中略)これらの芸術家たちの業績は、もちろんディレッタントの領域を超えたものである。”  > 日本(東京)でもそうでしょうねえ。例えば、国会図書館あたりには、こんな方々がたくさんいそうです。

 

2人の作曲家とイタリア

このページで紹介する2曲(ラフマニノフのピアノソナタ第2番 変ロ短調[1913]、エルガーの交響曲第1番 変イ長調[1908])には共通点があった。2曲とも、イタリアで作曲の作業が行われ、作曲家が故国に帰郷して完成された点だ。だが、帰郷の理由は異なっていた。

ラフマニノフの場合は、2人の娘がチフスを発病し、イタリア人医師を信用できずにベルリンに行って治療を受けさせた。その後、ローマに戻り、チャイコフスキーも宿泊した「Piazza di Spagna」に逗留して作曲を続けた。合唱交響曲「鐘」(メンゲルベルグに献呈)の作曲も同時に取り組んだため、ピアノソナタの仕上げはロシアに帰ってからに持ち越されたようだ。(出所:RACHMANINOFF his life and times, by Robert Walker, 1980, MIDAS BOOKSなど)

エルガーは、1907年6月にヘレフォードの自宅で初の交響曲の作曲に着手した。避寒地として選んだイタリアでは、作曲ははかどらなかった。1908年5月に帰国してから集中的に書き進め、9月にオーケストレーションを完了した。昨日、私はこの曲を初めてCD(POCG-1521、シノーポリ指揮フィルハーモニア管)で聴いた。イタリアのことは、このCDの解説書に書かれていた情報である。  (99年9月5日)

 

ラフマニノフとアンドレ・プレヴィン 

ラフマニノフのピアノソナタ第2番作品36(1913年版)。ヴラディミル・アシュケナージが録音したCD(POCL-2218/9)を聴く。楽譜(BOOSEY & HAWKS社から出ていて、銀座の山野楽器で売っている)を見ると、よくもまあひとりの人間の両手で弾ききれるものだと関心するような高密度の音符が続いているが、彼は難なく弾ききっている(CDの解説書に拠れば、この見事な技巧は、天才性に加え、練習の鬼と化す努力家の魂の賜物である)。この曲の冒頭から大団円に至るまで寄せては返す独創的で美しいメロディーによって、この曲は有名なピアノ協奏曲や3つの交響曲と同じカテゴリーに属する曲とみなされているのだろうが、さらに、ロシア正教の大伽藍のアーチを思わせる骨太なメランコリズム(30小節以降の、ハ、変ト、変ロ、ヘ、変ロ、変ホ、ヘ、変ロ、変イ、ヘ、変イ、変ホ、変イ、変ニの進行)が独特の魅力をかもしだしている。第2楽章の、静かなまどろみのイメージをもたらす箇所(dolceと記譜された16小節以降の、ニ、ホ、ニ、1オクターブ上のニの進行)は、前世からの既視感とでも言うべき懐かしさを誘う。第3楽章は豪壮であり、また、20世紀初頭のロシア・ロマンティシズムを感じさせる(日本風に言えば、大正ロマンとでも言うべき感触。私にとっては、なぜか四ツ谷の歴史博物館で見た、角筈にあった市電車庫の展示からもたらされるイメージと重なるところがある)。もし、自分でモダン・ロマンティシズムに根ざした曲を書いてみようなどという野望にかられるとしたら、ドビュッシー、ラヴェルの曲と同様、この曲の影響からは逃れられなくなるであろう。

 

ブラームスのピアノ5重奏曲ヘ短調(作品34):ブラームスの室内楽の最高傑作はクラリネット5重奏曲であろうと思っていたのだが、今ではピアノ5重奏曲だという信念に揺らぎはない。(98年5月、紀尾井ホールの、「アンドレ・プレヴィンとN響の仲間たち」以来)。この曲はかめばかむほど味の出るような曲で、数多くの聴きどころがあるが、そのひとつを挙げれば、ボヘミア的?とでも言うべき暖かな情緒をかもしだす第2楽章(半音階進行が印象的)がある。これに近い音の進行は、ラフマニノフの交響曲第2番やマーラーの交響曲第9番にも見られるようだと思っているが確証はない。

 

若き日のプレヴィンは、どちらかというと、ショスタコーヴィッチやプロコフィエフといった派手な交響曲の指揮が得意という印象があったが、今や氏を世界的な巨匠(人類の宝)と呼ぶのに異論をはさむ人はいないであろう。リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲・家庭交響曲など、彼の演奏(シカゴ交響楽団、ウィーンフィル)がなかったら、私はその真価をいつまでも理解できないでいたであろう。N響を最初に指揮したラヴェルの「ダフニスとクロエ」は金字塔とでも言うべきものだった。

Bravo! Andre Previn !

(99年8月)