第2章 殺戮

 

 一週間経った。街では何もかにもが日増しに物騒になっていった。学校では上の教育委員会が文部省との連絡がとられないまま、無期休校が言い渡された。駅には一本の列車も着かず、国鉄本社に電話をかけても連絡がつかなかった。とにかく隣りの街との連絡だけでもつけようと出発した市役所の自動車は三日たってもとうとう帰ってこなかった。郊外には恐るべき食虫植物が繁茂しているのかもしれなかった。その中で全く自給能力のないこの町、せいぜい排気ガスと排泄物を吐き出すのが関の山のこの町がいったいどうして生きながらえていられようか。当然のこととして、三日もすると店頭から商品が消え始め、五日目には、成行きを心配した店主が僅かに残った商品をも一切がっさい奥に引っ込めてしまった。そしてまた、消費者が押しかけるのを恐れて、それらを誰も知らない山奥か、地下か、倉庫かに隠してしまったのだ。家庭の食料など三日もすれば、皆、底を尽く。それゆえに食料をめぐって問題の起こるのは必至の情勢だった。そしてまた、その問題を解決すべき警察や市当局も、職員や警官の勤労意欲の低下により、すっかり無力化してしまっていたのだ。私の住む地域では、当初、町内会が団結してあちこちのマーケット、商店を訪ねて食料の供給を要求しようとしたが、ほとんどそれらは失敗したため、かねてからの町内会長のI氏と、元小学校長M氏との対立がここで表面化した。そして、十月三日、食料不足が限界に達したこともあいまって、この対立がついに流血事件を生んだのだ。事の発端はこうだった。M氏はかねてからI氏の行動に疑問を抱き続けてきたが、十月一日、あるうわさを、それをとくに確認せずに、人々に流布した。そのうわさとは、I氏が実は商店主と結託していて、他の人々に食料を渡すまいとしているという内容だった。これを聞きつけた人々は、事の真偽を確かめなければ何も言えないという穏健派も中にはいたのだが、多くは過激分子の扇動によってI氏邸襲撃を真剣に考えるようになってしまった。I氏を殺そうという気はこれっぽっちもないが、ただ食料を少しばかり分けてはもらえまいかと考えた一家の主人や主婦たちは、鍋・釜をもってI氏邸に集合しようと相談し合った。しかしその集合が結局襲撃となり、さらに流血に発展したのだ。なぜなら、自分を中傷するうわさが流れている事を知ったI氏は、いち早く、自分の家のまわりを固め、日頃信奉の厚い五、六人の者を集めて自衛手段をとることにしたからだ。I氏は商店主と結託していた訳ではなかったが、自分の家の地下室には一年分以上の食料の貯えがあった。自然食主義のI氏は、実家でとれた無農薬栽培の米や豆や麦や野菜などを日頃から貯えておいたのだ。飢えに苦しむ民衆は暴徒と化す。そんな輩に説明は無用だと彼は考えた。そこで、五、六人の者に、自分の家の防衛をすることを条件に、食料の供給を約束した。そして、自分の家族の安全を考えたかれらは自宅を引き払って、家族をI氏の家に住まわせた。一方、I氏が防衛に乗り出していることを知った人々は、I氏が本当に商店主と結託していたという自信を深め、ただ行って交渉しただけではどうにもならない。圧倒的に人数の多いこちら側の人海戦術を駆使して武力にうったえねばならぬと考えるまでになってしまった。

 私の両親は穏健な人ではあったが、日々に内容の悪くなる食事は、自分自身と家族に対する憂慮を募らせ、遂に「襲撃」に加担するとなるに至った。そのときの、食事の様子はこんな具合だった。米はまだ少し残っていたから、おにぎりは出た。一人あたり茶碗半杯程度で、あとその他に沢庵が二、三切れ、梅干しが一個くらい。しかも、これらは朝晩だけで、昼間は水を飲むだけで済ませるか、もしくはそこらの野菜を実験的に食べてみるしかなかった。私は、正午の日ざしのもとで、多くの飢えた子供達が、ペンペン草などにくらいついていた、しかし、誰も「ドクシダ」には近寄らない様子を、今でもありありと覚えている。さて、水のことになるが、あの日以来、水源地がどうかしたのか、水道管からは一滴の水も出てこなかった。川の水は洗剤や汚水や、そしてドクシダの胞子などで汚れて、魚という魚が、目が飛び出たり、はらわたを抉り返されたりしたような形状で、緑や紫の混然とした模様を不気味に輝かせて浮き上がっているといった様子の為、とてもその水を飲むわけにはいかなかった。そればかりか、川の水に指先を触れさせただけで、そこからシダの新芽が生え始め、気持ち悪くなってそれを思い切って引き抜くと、青いぬるぬるとした「血液」がとくとくと傷口からしたたり落ちて、なかなか止まらなかったのだ。そこで水を得るために、どうしたかというと、各家庭では主人やその他の男たちが井戸掘りを始めた。(私も首尾よく手伝わせられた。)これは、一回で成功して、あまり良い水ではないが、飲料水を得たところもあったが、多くは毒シダ胞子の侵入に遭って失敗した。そこで人々は数少ない健全な井戸を頼ることになり、この問題も新たな人間関係上の不均衡を作り上げてしまったようだ。

 さて、話を襲撃のことに戻そう。I氏は自分の信奉者たちに、まず自分の家のまわりにトタン板を何枚も打ち付けさせた。これは一階ばかりでなく、投石に備えて二階にも白銀に輝く見事なトタン板が窓を防備してあった。そして、その二階の一隅に30センチメートル四方くらいの小さな覗き窓が設置されてあり、そこから見張りをする様子だった。当日私は午前九時頃、散歩がてらにこの家の横を通り過ぎたが、立派な玄関から通して見るその威容は、まさに巨大な戦車といった感だった。私が黙ってそれを見ていると、突然、覗き窓から雷のような罵声が飛んできた。

 「この横着者。偵察する気にはさせんぞ。帰れガキ。」

 私は、逃げ去った。

 午後十二時、M氏を先頭に主人や主婦達がI氏宅に向かって行進して行った。口々に、不満と悲嘆をほのめかしながら。その数は約五十人。I氏の味方との比では、ずっと勝っていた。中には小学生から老人もいたし、女の幼稚園児すら一人まじっていた。私は一人息子のためか、家の留守を命ぜられたが、両親が出てゆくと、こっそりと家を抜け出し、隊のあとを追ってそのゆくえを見届けることにした。

 十分後、隊がI氏宅の前に着いた途端、メガホンの唸りが炸裂して来た。

 「私はあなたがたと会うつもりは全く無い。すぐに帰りなさい。」

 「それはどういう事か。」

 M氏も精一杯のどすをきかせて、メガホンでやり返した。そして、まわりの者達から一斉にわめき声が上がった。

 「何も言う事はない。帰れ。それだけだ。」

 I氏のものらしい、こういう言葉もかき消されるほどだった。そして、五、六人の気の早い連中が、まわりの者の静止も聞かずに飛び出すと、それにつられて全員がI氏宅を取り囲んだ。そしてかれらは釘抜きなどを使って次々にトタン板をはずし始めたのだ。こういう真似をされるとI氏側でもだまっていない。一階の上の小窓から、何と熱湯を浴びせかけた。耳をつんざくような悲鳴が上がった。そうしてしばらくは、怒号と号泣とがこだました。

 こういった打撃は、却って大衆の奮起を引き起こす結果となる。男たちは湯にもめげずトタン板を徹底的に破壊し、さらに雨戸を突き破ることに成功した。穴のあいたガラス窓からは、棍棒が突き出された。しかし男たちはその怪力で雨戸をなぎ倒し、敵の前衛の子供を蹴り飛ばして中に押し入った。もともと戦闘意欲に欠ける、一階を守る信奉者とその家族はすぐ散りぢりになった。人々に、唾を吐きかけられながら。

 さて、問題は二階に籠るI氏とその家族だった。一、二階を繋ぐ階段は、既に破壊してあり、通ずる穴には厳重に蓋をしてあった。男たちはよく考えた末、一階に油を撒いて、二階にいるI氏を脅迫することにした。そしてすぐさま主婦達の手によって油が運びこまれ、撒かれた。やがて、外ではM氏の朗々とした声が響き渡った。

 「I君。もう君に勝ち目はない。我々は一階に油を撒いたのだ。我々は今すぐ火をつけて君と君の家族を家もろとも燃やしてしまうことが出来る。でも、それはやらない。なぜなら、君が今すぐおとなしく出てきて、我々に不正を謝り、罪の償いをすることを信じているからだ。なあI君。君と僕とは長年の友人だったじゃないか。すぐに出てきてくれ。」

 しばらく中からは何の物音も聞こえなかった。三分後、突然二階のトタン板が突き破られて、中から窓を乗り越えて、I氏とその家族(妻と、高校生の醜い娘と、小学生の男の子供)が出てきて、バルコニーの上に立った。そしてI氏が重々しく口をあけた。

 「よし、降参しよう。ただし条件がある。一つは、私と私の家族に対して何の危害も加えないこと。一つは、私の食糧を全部持ち去らないで、少なくとも我々家族の二か月分を残すこと。一つは、破壊した私の家をもとどおり修復することだ。いいか。」

 人々からは不満の声が上がった。自分や肉親に大やけどや打撲傷を負わせた大悪人の言葉か、といった不満だった。M氏はかれらをやっとのことでなだめて、I氏の提案を受け入れることにした。

 十分後、二階に梯子が掛けられた。そしてまず息子が恐る恐る降りてきた。彼はあたりをきょろきょろと見回して、一歩一歩慎重な足どりだった。だが地面に近づくと足どりも速まって、約七十センチメートルの高さから地面にすとんと飛び降り、にこりと笑った。すると突然、左右から狂気に満ちた子供達が口々に「人殺し」と叫んで、その子供に殴りかかった。全くもの凄い勢いで、親の静止も効果がなかった。子供の絶叫。それを聞くや、I氏は激怒して上から瓦を次々に投げつけた。

 「お前ら、何事だ。約束を破る気か。」

 たちまち下の人々は血まみれになった。そしてそこらの石を投げ返し出した。一方、I氏の妻と娘はI氏が瓦を投げるのをやめさせようとしたので、I氏は二人とも地面に突き落とした。二人の体は激しい音をたてて地面にたたきつけられ、二人とも激痛のため、もがき苦しんだ。だが、誰も助け起こそうとしなかった。

 石と瓦の投げ合いは五分ほど続いたが、その間に下側が一致協力して戦ったわけではなかった。裏側にまわって投げつけた石が表の者に当たり、当てられた者は裏側の者のところに行って、彼を突き倒し、彼の腹を足で小突いた。そして、辺りは所構わず人々の血みどろの抗争が繰り広げられた。さきほどから松の木陰で一部始終を見続けてきた私にとっては、この事態はドクシダよりも恐ろしいことだった。

 事の決着は、疲れたI氏が誤って地面に落ち、みんなが棍棒で突いて、彼を惨殺することによって達せられた。あとで見ると、彼の死体は、とても人間の体とは思えない程、突き崩されていた。両眼は飛び出し、頭蓋骨は陥没し、腹の大穴からは内臓の肉片が飛び出していた。あとから聞いた話だが、I氏は、残酷な棍棒の雨の中、死ぬ間際にこう言ったそうだ。「お前らもそのうち、俺みたいになって死ぬんだぞ。みんな死んでしまうんだ。」だが、誰もそれを聞こうとはしなかった。その予言通りの未来が残忍な毒牙をあけて、かれらを待ち構えていたのであったのに。

 さて、この流血による犠牲者は七人に及んだ。一人はI氏。その他にI氏の妻と娘(これは誰もかれらを看病しないで外に放置したので、翌日までに死んでしまったのだ。)残りの四人のうち、一人は全身に熱湯を浴びた為に大やけどで死んだ男、一人は瓦にあたって死んだ女、一人は同様にして死んだ女、一人は突き殺されたI氏の息子であった。不思議なことは、これほどの死者を出す大事件となっていながら、警察の動く気配が全くなかったということだろう。このことが意味することは一つ。警察の腐敗・無力化の他なかった。既に人心はすさび、このことが悲劇をさらに助長してゆくことは、たまらなく悲しく思われたように覚えている。またもう一つ、読者が私のこの回想を読んで疑いたくなる事があると思われるので、ここで言っておきたい。私の住む市は大異変に襲われた。だが、これは地球の異変を意味するのではなく、例えば、この市だけが遠いかなたの地獄に吹き飛ばされたのではないかとする疑問がそれである。だが私の経験はその仮説を覆さざるを得ない。なぜなら、私がよくスイッチをひねるラジオの短波放送からは、時折、聞くに堪えない雑音に混じって、世界各国の絶望的な惨状が伝えられてきたからであった。

 十月五日。Y子がとぼとぼと私の家を訪ねて来た。彼女は泣き伏し、そして告げた。自分の一家の食料をめぐる恐るべき抗争と流血を。私は彼女の身を哀れみ、そして母に彼女を私の家で養うよう懇請した。母はむっつりとしたまま承諾した。Y子は只食いは出来ないと、食料探しのために必死に努力したが、その姿が私の目には真に痛ましく映った。

 十月八日。我が家の中でも両親の対立が際立つようになった。食料の獲得のために、十月三日の流血は引き起こすべきであったか、そうでなかったかといった事から激しい口論となり、父と母はそれぞれ自分の役割を放棄した。また、それだけではない。両親のY子に対する風当たりが強くなり、そしてそれは私の身にも及ぶようになった。そして十月九日、Y子に対して食料を与えないことが言い渡され、彼女を私の家から追い払わない限り、私も食料にありつけないようになってしまった。彼女は絶望の余り言葉も出ず、私も彼女を慰める言葉一つさえ知らなかった。そしてそのとき彼女とともに家を抜け出すことを決心したのである。

 翌日、私とY子は、前の日に盗んだ米で作っておいた握り飯四個を持って、まだ辺りが白まないうちに家を出た。出たといっても行くあてはなかったし、Y子自身も死を覚悟していた様であった。荒廃した児童公園や幼稚園を、また昇ってくる不気味な太陽に照らされながら通った。私としては、誰もいない、しかも自然が少しは残されている所に行きたかった。そして手を繋ぐY子もそうらしかった。午前八時頃、通称黒森山という団地を見下ろす丘に着き、芝生の上に腰かけてすわった。そしてまもなく、Y子は、まるで白鳥がその優美な翼を休めるように、私の二本の膝の上に屈した。

 「御免なさいね。私の為にこんな事になってしまって。」

 私は、何も言う事が出来ず、ただ窶れきった彼女の眼を見守った。彼女は美しかった。だが、以前のような輝かしい美しさではなかった。彼女の皮膚や唇や指先から感じるものは、癌に冒された脆弱な肉体のもつような、とりとめのない不安な美だった。灰白い妖気が漂っている様だった。私はその頼り気のない手のひらで彼女の背中をさすり、彼女はそれに合わせて静かに呼吸した。

 午前九時頃、まどろんでいた私とY子は何者かに後ろから蹴り飛ばされた。振り返ると、そこには熊のような形相の男が五人、立ちつくしている。かれらは何か訳のわからない事を口走っては、我々に石を投げつけた。私はY子を手で庇って石を避けながら叫んだ。

 「お前ら何の用だ。」

 だが、化け物のような男達は何も理解できる言葉を返して来ない。彼らは完全に脳が冒されていたのだ。たぶんドクシダが頭蓋骨の中に侵入したのであろう。私は物を言うのを諦め、Y子をかかえて、ただ一目散に丘を駆け降りた。後ろからは、獰猛な狂人の追う音が聞こえて来る。そうでなくともあまり強くない私の心臓は恐怖と疲労のために、地獄の鐘の音のようにけたたましく脈打った。全身から血の気が引き、ほとんど何も見ずに走った、殺されたくない。ただこの一つこの事だけが私を駆けらせていた。

 何分走ったろう。男達の気配を感じなくなって、ほっと一安心して歩き始めた。家一つない森の中の道だった。あたりに目をやると、急にY子が私の名を呼ぶので、思い出したように、抱きかかえたままの彼女の方を見た。そして仰天した。今までよく見えなかった彼女の背部に槍が突き刺さり、真っ赤な鮮血が水のような勢いで流れ出ていた。

 「逃げている間に横に隠れていた男から刺されたの。」

 「何だって。そんな馬鹿な。せっかくここまで逃げてきたのに…..。いや大丈夫だ。こんな傷、大した事ないよ。すぐに治る。」

 「いや、もう駄目。言葉を言うのでさえ、もう苦しいの。」

 私は、Y子を地面の上に寝かせ、しきりに励ました。だが無駄だった。熱心なクリスチャンであった彼女は神の名を唱えながら、私に感謝しながら、そして苦しみに悶えながら死んでいった…….。