新1000年紀(新1000回紀)

2004/ 3/ 3 23:05

メッセージ: 1002 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

どうもありがとう。

しばらく出張で留守にします。

 

最近、フランツ・シュミットの「7つの封印の書」(アーノンクール指揮のCD)を聴いて、第1曲の単純な音形が終曲で再現されるのを聞いて、ひょっとすると、シュミットは、「敬虔なクリスチャン」ではなく、「超宗教」的な思想の持ち主だったのでは?と感じました。

 

最後の審判のあとの復活>人類の蘇生>堕落>最後の審判 が輪廻のように何度も繰り返されるのではないのかと?

後は後日・・・

これは jumeautriste さんの 1001 に対する返信です

 

R・シュトラウス <影のない女>

2004/ 3/ 7 0:18

メッセージ: 1003 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

今日はトピ主さんもお留守のようなので、

独り言を・・・

 

<影のない女>

これは目下のところ一番好きなオペラで、

中でもベーム指揮の演奏が好きで、1955年と1977年ウィーン国立歌劇場、

1974年ザルツブルク・ライヴを聴いてますが、

最近、1975年ザルツブルク・ライヴの録音(CDーR)を買ったのですが、これがちょっと問題が・・・

 

個人的には、このオペラの中で聴き所としている

1幕1場、皇帝の皇后への愛を高らかに歌う場面、

 

2幕2場の森の中の狩小屋の外、(私にはここが最大の聴き場なのです)

<鷹の動機>から、孤独と悲しみを現すチェロの独奏、序奏に続く皇帝の長いモノローグ

 

そしてもうひとつの聴き所、

3幕のバラクの妻のアリア、バラック、バラック、と呼ぶ声、バラクの”私にゆだねられて”に始まる2重唱、

美しさにおいてはこのオペラの中でも1番だと思います。

”ワーグナー以来の最も美しい2重唱”と形容されているようですが、シュトラウスの美しさはワーグナーとも違う類の美しさのように思いますが・・・

 

そしてラスト、黄金の滝のある風景の場、二組の夫婦の4重唱・・・

 

前置きが長くなりましたが、そんな訳で、皇帝の歌唱、バラクとバラクの妻の歌唱は私にとってはとても気になるところなのですが、

この録音、肝心の”バラクの妻”を誰が歌っているか判らないものなのです。

ケースにクレジットされてなかったのでおかしいな、とは思ったのですが・・・

判らないまま聴いてますが、余裕のある高音、強靭な声で何となく心あたりもあるのですが・・・

ニルソン、ルートヴィヒと比べると歌唱が大味な感じがします。

 

皇帝のジェイムズ・キング、皇后のレオニー・リザネク、バラクのワルター・ベリー、乳母のルース・ヘッセ、

他の歌手は絶好調ですので、この録音は大満足してますが、

やはり気にはなります。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

R・シュトラウス <ばらの騎士>

2004/ 3/ 7 11:55

メッセージ: 1004 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

先日CD店に行きまして、いつものようにオペラ、R・シュトラウス・コーナーを見ていたら、

 

セル指揮ウィーン・フィル<ばらの騎士>1949年ライヴ

 

が、信じられないような廉価(3CDで1500円まで)で売られてました。

この演奏、違うレーベルで、ヘーガーの短縮版と2種類収録されて相当な高価だったと思います。

 

以前に買ったものとしては複雑な思いですが、

こんないい演奏が手に入りやすくなるということは、いいことなんでしょうね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

R・シュトラウス <アリアドネ>

2004/ 3/ 9 0:18

メッセージ: 1005 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

オペラ・トピに書き込むような独り言ですが・・・

 

<ナクソス島のアリアドネ>

クレメンス・クラウス指揮 1935年ベルリン・ライヴ

 

この古い録音で聴きたかったのは、

 

SP時代の名歌手 テノールのヘルゲ・ロスヴェンゲ

 

古い時代の”フロレスタン歌い”で、<フィデリオ>の全曲録音があれば一番聴きたいのですが、あるのかどうか・・・

このバッカスも素晴らしいであろう、と思ってましたが、

湧き出るような声量、小節線など取っ払ったような、リエゾンしまくりの縦横無尽の歌唱で、一癖も二癖もある押しの強い歌いまわしですが、素晴らしいです。

 

バッカス=ディオニソスということで、正に”正調 バッカス節”はこのヘルゲ・ロスヴェンゲと

ベーム盤のマックス・ロレンツではないかと、個人的には思ってます。

その流れはルドルフ・ショック、ジェイムズ・キングと受け継がれているように思いますが、現在のバッカスはかなりアポロ的ではないかと思います。

 

まぁ、昔の歌手の歌を聴いて感動しているのも・・・周りから見れば理解出来ないようです。

 

ツェルビネッタ役のエルナ・ベルガーの歌唱の素晴らしさは言うまでもなくですが、

アリアドネ役のViorica Ursuleac 聴いた事が無いソプラノですが、透明で芯のある美しい声で、個人的には理想のアリアドネです。

 

C・クラウスの指揮はテンポよく音楽を進めていますが、引っ張るところは思い切り流麗に、

歌わせる所は歌手の”間”でたっぷりと、と細かくテンポを変化させ、

”きわめて生き生きと陽気に”そして”せりあがるような高揚感”のある演奏です。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

プフィッツナーの楽譜

2004/ 3/11 11:15

メッセージ: 1006 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

1月の終わり頃にプフィッツナーの楽譜を注文したのですが、

チェロ・ソナタは2週間ほどであっけなく手に入りましたが、

ピアノ曲は普段取引していない小さい出版社なので、2ヶ月位かかると言われて、

もう忘れていたのですが、手に入りました。

 

そのピアノ曲の楽譜、ベルリンの出版社のですが、見た目もアンティーク、

紙は朽ちてないか心配なほど茶色く変色して、かなりの年月が経っているように思われます。

 

中表紙には1行目に

 

”Walter Gieseking zu eigen”と書かれ、(初演は違うピアニストだったと思います)

 

続いて、1曲ごとの作品名、出版社名、

最後の行に、1941年の写譜者名も書いてます。

 

こうして手元で楽譜を眺めていると、ようやく、プフィッツナーが近くにいるようです・・・

 

この出版社からは、弦楽四重奏曲 Op.50、6つのエチュード Op.51 6重奏曲 Op.55

など。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

R・シュトラウスの指揮

2004/ 3/12 21:05

メッセージ: 1007 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

どうも、書きこみありがとうございます。

 

昨晩、海外出張から戻りました。

旅先のホテルのTVでは、今世紀の名指揮者の実写画像を編集した番組を流していまして、R・シュトラウスは、例の左手不動の指揮で、「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を指揮していました。

 

オットー・クレンペラーは、ベートーヴェンの第9交響曲を座りながら指揮。若き頃の長身で立った姿勢での指揮ぶりも画像が残っていたら、ぜひ見てみたいものですね。

これは jumeautriste さんの 1005 に対する返信です

 

R・シュトラウスの指揮(2)

2004/ 3/12 21:40

メッセージ: 1008 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

「今世紀の名指揮者」を「20世紀の名指揮者」に訂正いたします。

 

ワルターは指揮ぶりの実写画像(ブラームス:交響曲2番の練習風景)のみならず、他の指揮者に対するコメントのコーナーにも登場していました。

これは bernardsstar さんの 1007 に対する返信です

 

>R・シュトラウスの指揮

2004/ 3/13 15:03

メッセージ: 1009 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

お疲れさまでした。

 

音楽旅行でないので、

土産話しをお願いすることも出来ず・・・

 

 

指揮者R・シュトラウスはハンス・フォン・ビューローにチャンスを与えられ、認められた、というのを読んだ事があります。

 

いい演奏を聴くと、その指揮者、または演奏者の姿が見たくなり、声が聞きたくなり、

そして心の中をのぞきたくなる・・・です。

これは bernardsstar さんの 1007 に対する返信です

 

はじめまして

2004/ 3/13 15:42

メッセージ: 1010 / 1477

投稿者: xfdrvw (男性/鳥取県)

 

ずいぶん難しいお話が多いですね。このワルターの「主題と変奏」はかなり前に買って読みましたが、読みづらいという記憶が残っています。ワルターが好きで彼の考えが知りたかったのですが。また読み返してみたいと思います。その中でプフィッツナー名を知りました。たしかフルトヴェングラーの著書にも彼の名は出ていたと記憶してます。巨匠たちが名を挙げているので、どんな曲を書いたか興味を持った次第です。「パレストリーナ」3つの前奏曲が初めて聞いた彼の作品でした。フルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルのライヴ録音で1949年6月の演奏とあります。プフィッツナーの追悼の意味があったようです。また、いろいろ教えて下さい。

これは jumeautriste さんの 996 に対する返信です

 

R.シュトラウスの指揮

2004/ 3/14 1:15

メッセージ: 1011 / 1477

投稿者: thalberg

 

R.シュトラウスって、自作以外にも録音を残しているのですよね。

最近、78回転SPレコードでモーツァルトの40番の交響曲の中から1面だけ未発売テークが市場に出ましたけど、どんな演奏なんだろう…。

どうして、シュトラウスは発売を許可しなかったんだろうか?と、興味津々です。

そういえば、ティル…も、未発売テークが市場に出てました。

こちらは、ほとんど聞いたことがないので、未発売テークを聞いても、私には猫に小判です。

これは bernardsstar さんの 1007 に対する返信です

 

御礼

2004/ 3/14 22:23

メッセージ: 1012 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

xfdrvwさん、thalbergさん、ご投稿ありがとうございます。

 

第1次世界大戦(Great War)をはさんだこの時期って、存在じたいの持つ悲劇性というものが、今非常に懐かしく魅力的に見えるようで、小生の出張中にも、ディスカバリーチャネルで、「第1次世界大戦」特集をやっていました。

 

今後、このトピをさらに歴史とからませてやっていきたいのですが、じっくりと充電をしながら、続けていきたいと思っています。

 

R・シュトラウスの秘蔵録音が結構出てきているとのことですね。情報どうもありがとうございます。

これは thalberg さんの 1011 に対する返信です

 

パレストリーナ

2004/ 3/16 22:00

メッセージ: 1015 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

プフィッツナーのことを知るうえにおいて、時代と風土、幾人かの人物、

その中でワルターも欠かせない一人である、ということなので、私も頑張って読んでいます。

 

オペラ<パレストリーナ>の初演が1917年6月12日 

ミュンヘン プリンツレーゲント劇場で、指揮をしたのが、ブルーノ・ワルター

 

前奏曲の録音は、

1988年、サヴァリッシュ、バイエルンRSO

1996年、ティーレマン、ベルリン・ドイツ・オペラと新しいものがありますが、

オペラ全曲となると、対訳付のクーベリック盤も廃盤ですし、新しい録音が出て欲しいです。

これは xfdrvw さんの 1010 に対する返信です

 

プフィッツナーなどのオペラ研究本

2004/ 3/20 12:46

メッセージ: 1016 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

The Artist-Operas of Pfitzner, Krenek and Hindemith

 

という興味深い本が近日発刊されます。

商業目的と誤解されたくないので、敢えてリンクは作りませんが、

例えばGoogleに、「ashgate(スペース)krenek(スペース)pfitzner」というキーワードを入れて検索してみてください。

 

話は変わりますが、クシェネクについては、マーラーの娘と短期間結婚していたことに加え、交響曲「パラス・アテナ」の主題となった女神、パラスアテナがゼウス(ジュピター。木星の象徴)から飛び出した戦闘的な女神であることから興味をもっています。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

オペラ <パレストリーナ>

2004/ 3/21 14:25

メッセージ: 1017 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

初めて聴いたのが、ちょうど1年前です。

それからプフィッツナーのオペラ以外の作品を聴いてきたのと、

”トーマス・マンとオペラ<パレストリーナ>をめぐって”を読んだ記憶の新しいうちに、

いまもう一度聴き込もうと、対訳を見ながら聴きはじめてます。

 

このオペラは1幕にクライマックスがあって、そして面白いと思ってましたが、

トーマス・マンが最も心を動かされ、”誰がなんと言おうと面白い、さまざまな人間の描写、理念の鮮明さ”と批評した2幕をしっかり聴いてみよう、と思っています。

2幕は政治に対する、さまざまに趣向を凝らされた風刺以外のなにものでもない、といってます。

 

トーマス・マンが、ワルターが絶賛を惜しまなかったという、この作品は音楽以外にもドイツ人の共感を得るものがあるのでしょう。

 

聴いているのは、1964年のウィーンのライヴで、

2幕のトレント会議のシーンが評判を得たハンス・ホッター演出のです。

パレストリーナ役が、ホッターの強力な説得で引き受けたヴンダーリヒで、

あとイギーノ役がユリナッチ、シッラ役がルートヴィヒ、法王がフリック、モローネがベリーという歌手陣です。

 

あと<クリスチャンになった妖精>のCDも買っているのですが、これは何の手掛かりもないので未聴のままです。

ご紹介のオペラ研究の本、飛びつきたいところですが、言葉が・・・でも、有難うございました。

これは bernardsstar さんの 1016 に対する返信です

 

追加です

2004/ 3/21 14:37

メッセージ: 1018 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

先ほどの投稿の中の、ライヴ録音の指揮者名ですが、

プフィッツナーの古い友人であり、同僚でもあった、

 

ローベルト・ヘーガーです。

これは jumeautriste さんの 1017 に対する返信です

 

マーラー

2004/ 3/27 15:02

メッセージ: 1019 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

先日、お彼岸のうちですが、

お参りの参道で本を広げて売っていまして、

古本ではなくて、倒産品で未読の本ということで、真偽はわかりませんが、

見ていたらワーグナー、フルトヴェングラーなどありましたが、目新しいものでも無く、

その中で「マーラーとヒトラー 生の歌 死の歌」が目に付き、

手にとって見てみたら最初のページにアルマ・ロゼーという女性のヴァイオリンを手にした写真があり、気を引かれて買ってきました。

アウシュビッツで亡くなったマーラーの姪なのですね。

 

マーラーは主要作品は一応聴き、実演ではそれなり感動もしますが、

最近は、今日は聴けるかな?と思ったりで、あまり相性は良くないので読んでみるのもいいかと思いまして・・200円か300円だったのです。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

マーラー家とロゼー家

2004/ 3/28 7:43

メッセージ: 1020 / 1477

アバターとは?

投稿者: bernardsstar

 

マーラーは、首席Vn奏者のロゼーのファミリーと密接な関係をもっていて、その解説のために

下記のWebsiteにリンクさせていただきました。(花の章のところをお読みください)

 

http://www.kanzaki.com/norrington/mahler2001.html

 

首席Vc奏者だったフランツ・シュミットとは(作曲の商売でcompetitorだったという背景もあるのでしょう)、確執があったことは有名ですね。

これは jumeautriste さんの 1019 に対する返信です

 

 

   

アリアドネ

2004/ 3/29 10:58

メッセージ: 1021 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

少し前に”独り言”として投稿した<アリアドネ>の歌手のことで・・・

 

>アリアドネ役のViorica Ursuleac 聴いた事が無いソプラノですが、

透明で芯のある美しい声で、個人的には理想のアリアドネです。

 

Viorica Ursuleac  C・クラウスの夫人でした。

クラウス指揮の1932年、33年の<影のない女>の皇后、

1944年ザルツブルク音楽祭が戦争で中止になって、

C・クラウス指揮で公開ゲネプロだけ行われた<ダナエの愛>のダナエも歌っていました。

 

その時のユピテルが、ハンス・ホッターだったのですが、

その後の1952年ザルツブルクで同じくC・クラウス指揮で上演された時には、

ダナエがアンネリース・クッパー、ユピテルがパウル・シェッフラーになり、ミダス役のテナーも変わっています。

これは jumeautriste さんの 1005 に対する返信です

 

>マーラー家とロゼー家

2004/ 3/30 17:45

メッセージ: 1022 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

アルマ・ロゼーは、

マーラーがアルマと結婚式を挙げた日と同じ日にアーノルト・ロゼーと結婚した、

妹ユスティーネの娘だったのですね。

 

1905年に生まれ、

1943年にアウシュビッツに送られ、1944年に第2収容所で死を迎えた・・、

 

あの熱狂する、43年のバイロイト録音の二つの<マイスタージンガー>と同じ頃の悲劇ですね。

これは bernardsstar さんの 1020 に対する返信です

 

プフィッツナーの伝記

2004/ 3/30 22:51

メッセージ: 1023 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

ヴァルター・アーベントロートは、プフィッツナーの長大な伝記を書き、

トーマス・マンとプフィッツナーとの間の往復書簡は有名と、

 

長木誠司著 「第三帝国と音楽家たち」に書いていましたね。これらの原本を読む機会があったら、追って内容梗概を紹介いたします。

これは jumeautriste さんの 1017 に対する返信です

 

>プフィッツナーの伝記

2004/ 4/ 3 12:24

メッセージ: 1024 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

>これらの原本を読む機会があったら、

>追って内容梗概を紹介いたします。

 

 お読みになられましたら、その時は是非お願いします。

 

 

私もオペラに関する本だけでも読みたいと思うのですが、

今は対訳の付いてない輸入盤のあらすじ、歌詞を読むだけで、

精一杯で・・(言い訳っぽい^^)

 

もっと気を長くもって、何年もかけて、聴いたり読んだりすればいいのですけれどね・・

 

このところ、落ち着いた時間がある時、「パレストリーナ」を聴くようにしていたのですが、このオペラはどこかしら魅力があります。

甘さのかけらも無い、とっつきの悪い音楽ですが、それでもじっくり探るように聴いていると、

曲全体の、”ほの暗さ”の中に、煌くところ、圧倒的なところなど、見つけることができます。

それと押し付けがましさが無いのがいいです。

 

今聴いている録音は、声はよく聴こえ、その技量の素晴らしさは充分伝わってきますが、オケの音は乾燥したような響きで、

いまひとつ作品の持っている瑞々しい響きが伝わってこないのが残念です。

これは bernardsstar さんの 1023 に対する返信です

 

アルマ・マリア・ロゼーの最期

2004/ 4/ 4 13:48

メッセージ: 1025 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

アウシュヴィッツ(オシフェンチム)に近いビルケナウの絶滅収容所に送られ、女性オーケストラの指揮者として活躍させられた(オーケストラの目的は主にナチス親衛隊員に対する娯楽の提供)、アルマ・マリア・ロゼーの絶滅収容所における活動については、先に紹介した「第三帝国と音楽家たち」の186〜188ページに書かれていました。

 

彼女の死因は、ガス室でのガス中毒死ではなく、服毒死(自殺)らしいとのことです。

これは jumeautriste さんの 1022 に対する返信です

 

 

   

マーラー 「復活」

2004/ 4/ 6 19:16

メッセージ: 1026 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

家でマーラーを聴くのは久しぶりなのですが、

聴いてみようと思いたち、

 

2003年、5月のライヴ録音

大植英次、大阪フィルハーモニー・デビュー演奏会のCDを聴きました。

 

約1年前の演奏会ですが、

デビュー指揮というので、興味津々、会場全体熱気がありました。

これは bernardsstar さんの 1025 に対する返信です

 

トーマス・マンの「パレストリーナ」評

2004/ 4/ 7 22:44

メッセージ: 1027 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

新潮社から出ているトーマス・マン全集の第12巻が書簡集で、この中には、プフィッツナーに直接宛てた書簡や、「パレストリーナ」の感想を述べた書簡があります。トーマス・マンは「パレストリーナ」を激賞しています。例えば、「これで次の上演まで6週間も待たなければならないと思うと、本当に辛いのです。」と、ワルター宛ての書簡に書いていました。

 

トーマス・マンというと教養主義の典型みたいな人物で、それが鼻につくといえなくもないと思っています。小生、「魔の山」を読み通すことはできませんでした。また、この書簡集の中に、トルストイの「戦争と平和」を読了して感激したことの記載があり、トルストイの素晴らしさにうたれて、ロシア人とドイツ人は共感しあえるといった感想を書いていました。トルストイは最高レベルのロシア人であって、ロシア人全体がトルストイのように素晴らしい人物であるわけがないと小生には思われるのですが、そういったところに、トーマス・マンの青臭さを感じてしまうのは事実。ただ、その文章量・達筆ぶりには圧倒されましたね。

これは jumeautriste さんの 1024 に対する返信です

 

>トーマス・マンの「パレストリーナ」評

2004/ 4/ 9 23:20

メッセージ: 1028 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

>新潮社から出ているトーマス・マン全集の第12巻が書簡集で、

>この中には、プフィッツナーに直接宛てた書簡や、

>「パレストリーナ」の感想を述べた書簡があります。

 

私は全集、持っていないので読んでいませんが、

”トーマス・マンとオペラ<パレストリーナをめぐって”でも

新潮社 トーマス・マン全集からの引用、

 

全集第11巻から:

327、329ページ、336〜337ページ、341ページ

全集第12巻から:

162ページなどが載っていました。

 

”特別初演を聴いたとき、すぐさま私を襲った異様な感動、あっという間に私の心に共鳴と理解をもたらしたその速さは・・・”などです。

 

「魔の山」の最後に載っているトーマス・マンの年譜を見ました。

1938年(63歳)に移住を決意してアメリカに渡って、

1952年(77歳)まで14年間アメリカに住んでいたのですね。

これは bernardsstar さんの 1027 に対する返信です

 

プフィッツナーの弦楽四重奏曲

2004/ 4/11 12:35

メッセージ: 1029 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

弦楽四重奏曲 OP.36 嬰ハ短調 (1925年作曲)

 

プフィッツナーは調性音楽で、反前衛主義だと云われていますが、これはいくぶん前衛的な雰囲気の作品だと思います。

 

聴いて思い浮かんだのが、ベルクの<抒情組曲><ある天使の思い出のために>

ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲のOP.135ですが、

<抒情組曲>は作が1926年です。

 

ベートーヴェンの影響については、具体的にOP.131の第Zの出だし、

OP.135、スケルツォの、第1Vn以外の3旋律が同じ動きをするところ、と説明がありました。

こういう作風が懐古的ロマン主義とか、後ろ向きと言われるところなのかと思います。

 

もうひとつ作品番号のないニ短調の曲が収録されていますが、

19歳のころの作ですが、哀愁を帯びた耳に残りやすい旋律で、ロシア的な雰囲気の曲で、

3楽章はきわめて美しいメロディですが、ベートーヴェンが感じられます。

 

この2作品は、他の作品で感じられるような暗さはないです。

私が暗さに慣れてしまったのか・・

嬰ハ短調はとっても気に入っています。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:プフィッツナーの弦楽四重奏曲

2004/ 4/14 22:24

メッセージ: 1030 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

プフィッツナーは、(作品番号付きでは) 作品13 ニ長調(1903)、作品36 嬰ハ短調(1925)、作品50 ハ短調(1942)の3曲の弦楽四重奏曲を残していますね。

フランツ・シューベルト弦楽四重奏団のCDには、このうち作品13と作品50が収録されていて、全部で8楽章(4楽章×2曲)の中では、作品13の第1楽章が、冒頭が鮮烈な印象を残す、叙情的な楽章で、小生の好みでした。

2曲とも、枯れた禁欲的な響きがして、特に、作品50のほうが保守的な作風に思えました。

 

CD 解説書によると、作品36が最も完成度の高い作品のようで、プフィッツナーの表現力が高まった1920年代(カンタータ「ドイツ精神について」(1921)で始まり、レクイエム「Das dunkle Reich」(1929-1930)で終了)を代表する曲とのことでした。

これは jumeautriste さんの 1029 に対する返信です

 

いつもプフィッツナーのことでは・・

2004/ 4/15 22:42

メッセージ: 1031 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

bernardsstarさん

 

いつも、はぐらかしたりせず、きちんとお付き合い下さり、

本当に有難うございます。

 

私ひとりで話題を狭めているみたいで、申し訳ないと思っているのですが、

書かせていただける場があることが嬉しくて、ついつい・・

 

独り言を云っていると思って、適当にあしらっておいて下さい。

 

 

もうひとつのご趣味のほう、お進みですか?

街の香り・・・そろそろ”ジャスミン”が香ってくる頃だと思うのですが、

もう少し先なのでしょうか・・

これは bernardsstar さんの 1030 に対する返信です

 

プフィッツナー「ドイツ精神について」

2004/ 4/17 8:52

メッセージ: 1032 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

もうひとつの趣味のほうは、さらに他のもう2つの趣味で忙しくて停滞してます (^^!)。

 

プフィッツナーの、アイヒェンドルフの詩に基づくカンタータ、「ドイツ精神について」について投稿します。

 

これは、ドイツの自然、ドイツ人の心情の表現といった点で優れた作品だと思います。ウェーバー、ワーグナー(初期)のような、いかにもドイツ歌曲的なベースと、マーラーの「不思議な角笛」「1000人の交響曲」的な部分、それに、(1920年代がプフィッツナーが最もモダニズムに走った時期であることを象徴するかのような)シンコペーションをあわせもつ、ヒンデミット的な部分もありますね。 

 

Wir wandern nun schon viel hundert Jahr

Und kommen doch nicht zur Stelle

という詩が曲中にあり、「さまよえるドイツ人」というべきか、ドイツ人の永遠の彷徨をうたっています。しかし、この点は、ドイツ人だけでなく、ユダヤ人、日本人、・・・どの民族についても言えることではないか?と思ったりしました。

アイヒェンドルフは、ナポレオンに攻め込まれてドイツが被害者だった頃の人で、この時の「愛国主義」を第1次・第2次世界大戦の戦間期に持ち出すことには、「リスクあり」ですね。

 

作品全体については、特にナチスに迎合しているといった感じはしないものの、

終曲の結びの詩、

Aufgerollt hat Gottes Hand

Diese Wogen zum Befahren

Und die Sterne, dich zu wahren

(神や星々が(ドイツ人を)護り、波が(ドイツ人を)導く。) に関しては、

ワーグナー「ニュルンベルグのマイスターシンガー」の大団円で歌われる「神聖ローマ帝国・・・」と似通った「ヤバさ」を感じますね。

 

なお、曲のタイトル「Von deutscher Seele」は、今日でもなお、「悪いイメージ」を呼び起こす(CD解説より)とのこと。また、プフィッツナーは、当初、「Aus deutscher Seele」という題名にしていて、これは、ドイツ・ユダヤ混血の詩人、ルートヴィヒ・ヤコボフスキが1899年に出した詩集と同じ題名で、そのAusの部分をVonに改めたとのことでした。

これは jumeautriste さんの 1031 に対する返信です

 

>プフィッツナー「ドイツ精神について」

2004/ 4/17 22:01

メッセージ: 1033 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

この作品はアルテ・ノヴァの輸入盤で、通して2回、1枚目だけ2回ほど聴いていましたが、それも解説も詩もわかっていない、いい加減な聴き方をしていました。

 

1部、Mensch und Natur では、

オーケストラだけのT0d als Postillon とAbendーNacht と、

たえず緩やかにうねっているオーケストラ伴奏の響きと、楽器の音が繊細に聴こえてきたのが印象に残ります。

歌は主に独唱と重唱で、合唱はささやかですね。(1部の感想)

 

2部、Leben und Singen

3部、Liederteil はもう少し丁寧に聴いてみます。

 

詩の付いている作品でありながら、詩の意味も解らず聴いているのですから・・横着です。

 

オペラを聴き、そして弦楽四重奏、その他小品を聴いて思ったことで、

今日もこの1部を聴いていて感じたことなのですが、

プフィッツナーは台本、詩という文学的プログラムが先にあり、

それに基づいて出来た作品のほうが良いのでは、ということを思いました。

これは bernardsstar さんの 1032 に対する返信です

 

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ

2004/ 4/19 14:54

メッセージ: 1034 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

アイヒェンドルフの何かないかと、家にある本を探してみたら、

文学全集の中の「ドイツ・ロマン派集」に

 

「のらくら者 原題 Aus dem Leben eines Taugenichts 」がありました。

 

詩が挿入された散文ですが、参考に読んでみました。

 

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788〜1857)

貴族の出で、ロマン主義で素朴な調子で民衆の心をとらえた。

あこがれ、旅の喜び、望郷、自然な景観などが、平易なことばで抒情詩に歌われている。

その底にはカトリック信仰に養われた敬虔な心がある。

<のらくら者>はもっとも民衆的なロマン主義の散文作品として、中に挿入された多数のリートと共に忘れ難いものである。

解説より引用:

 

 

<のらくら者>の中の詩です。

 

遠い他国へ行くものは

恋人をつれて旅をせよ

楽しくくらす人々も

旅のものにはしらぬ顔

 

暗いこずえが知るものか

はるかな日々のたのしさを

ああ ふるさとはそびえ立つ

山のかなたになお遠く

 

彼女とあったあの夜の

星をまた見るうれしさよ

ナイチンゲールの歌きけば

彼女の家を思い出す

 

朝こそぼくのよろこびだ

しずかな朝によじのぼる

高い山から挨拶を

ドイツよ きみにおくるのだ

 

えらくストレートだけれど、素朴な心情ですね。

これは bernardsstar さんの 1032 に対する返信です

 

Re:アイヒェンドルフ

2004/ 4/19 22:57

メッセージ: 1035 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

プロイセン国の官吏として活躍、晩年の生活は平穏だったとのこと。

ほぼ同時期のビュヒナー(Georg Buchner(1813-1837))とは、作風にしろ、境遇にしろ。えらい違いですね。

これは jumeautriste さんの 1034 に対する返信です

 

R・シュトラウスの歌曲集

2004/ 4/22 16:27

メッセージ: 1036 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

サイモン・キーンリーサイド(バリトン)

マルコム・マルティヌー(ピアノ)

1995年録音

 

今日は気分を変えて、R・シュトラウスの歌曲を聴いてますが、

シュトラウスの歌曲を22曲、約1時間、

いかに男声の美声が好きな私でも全曲聴くのはしんどいもので、適当に間引きしながら聴いています。

詩の内容から男声で聴きたい曲、

<夜の散歩 Nachtgang><ときはなたれた心 Befreit>などと、他にも歌詞が解らないのでもいい曲があって、うっとり聴いてます^^

 

いまジャスミンが咲いていますが、

<たそがれの夢 Traum durch die Daemmerung>の歌詞にジャスミンのしげみの奥へ、というのがありますが、

ほのかに匂ってくるにはほんとにいい香りですけれど、近づくと甘い濃厚な香りに、酔いそうになります。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ブーレーズ指揮のマーラー6番を聴いて..

2004/ 4/25 1:31

メッセージ: 1037 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez)指揮

グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラ(Gustav Mahler Jugendorchester)

(曲目) ベルク     管弦楽のための3つの小品 op.6

ヴェーベルン  管弦楽のための6つの小品 op.6

マーラー    交響曲第6番イ短調 「悲劇的」

 

昨年秋に引き続いてまたブーレーズと再会ということになるが、今夜の曲目は最高の組み合わせとも言ってよく、またまた大いに期待されるところだ。ただし、グスタフ・マーラーユーゲントオーケストラ(GMJO)の出来が演奏の印象を大きく左右するかもしれないと予想していたことは、結果としては当たってもおり、当たらなかったとも言える。

 

まずベルクとヴェーベルンだが、昨年秋にLSOとのヴェーベルンの同じ曲の演奏を聴いたときと比較すると、表情がきつくて全体的に激しい演奏だった。特にヴェーベルン作品の第4曲目のクレッシェンドなど激情的に聴こえたのには圧倒された。これは最初のベルク作品についても同じで、感情の爆発といった要素が強調されていたように聴こえた。こういう演奏の激しさというのは、やはりこのGMJOというオケが荒削りなところの多いオケなのと関係しているのかもしれない。そういうこのオケの響きが如実に出たのがマーラーの第6交響曲だったと思う。

 

このマーラーの6番は弦、木管、金管、打楽器とすべてに響きの多彩さ、多様さが要求される曲だと思うが、このGMJOというオケ(全員がヨーロッパ人の、20歳前半くらいの若いプレイヤー)は、響きの練り上げとが、艶というものが不足しているために、油絵ではなくてエッチングでも見ているような印象すら感じるところがあった。特に木管楽器は冴えない。金管楽器はやや荒いし、弦楽器は一応はそろってはいるものの、今ひとつの艶に欠けている。第1楽章の後半から第2楽章にかけては、アンサンブルがややギクシャクしていたようのも感じられたが、これはこの曲に対するブーレーズの指揮の、テンポの速い進行に慣れていなかったのかもしれず、またひょっとしてブーレーズの側の問題かもしれないが。 しかしやはりなんといっても、ブーレーズの指揮は見事だった! 全体に速めのテンポで粘らずに進行させるが、時として部分的な強調もあり、思わずハッとさせられる瞬間もあった。去年の秋のLSOとの第5番の演奏でもそうだったのだが、ブーレーズのマーラーの演奏を聴くと、これはまさに叙事詩の世界だ。まるで「怪物」のような終楽章、これはブーレーズの指揮で非常に見通しのよいものとなるのだが、同時にその演奏の力強さにも圧倒されるのだ。ここに音楽を通しての作曲家マーラーの肖像画が描かれているかのような演奏だった、といえば大袈裟だろうか?  この終楽章を、細部にこだわって入念に芝居を組み上げようとする指揮者(たとえばマゼールやシノーポリ)の指揮では、得体の知れないモンスターのような楽章に聴こえ、それはそれでおもしろいが、今夜のブーレーズのように、第3楽章をまるで「間奏曲」のようにあっさり演奏したあとの終楽章で、端正さを追及してさらにそれを突き抜けた迫力を曲から引き出す力には驚嘆してしまう。マーラーに対してこういう姿勢で取り組んだ指揮のもとでは、オケの荒削りなところなどは今夜のコンサートではマイナーな部分だったのかもしれない。

 

会場に天皇・皇后両陛下が臨席されていた。オケメンバーが退場し、拍手のなかブーレーズのみがステージに現れた時まで、非常に熱心に拍手されていた。御満足の御様子。

 

(2003年4月21日 於 赤坂 サントリーホール)

これは bernardsstar さんの 877 に対する返信です

 

バレンボイム指揮のマーラー9番を聴いて..

2004/ 4/25 1:35

メッセージ: 1038 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim)指揮

シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)

(曲目) マーラー 交響曲第第9番ニ長調

 

CSOを最近最後に聴いたのは4年ほど前に本拠地のシカゴのOrchestra Hallで聴いた時。このオケがバレンボイムのもとで、さらにどのように変化しているのかにも興味はあるが、しかし一番の興味はマーラーの9番をバレンボイムがどのように指揮するかにあった。

 

一口でいえば、オーケストラの能力を最大に発揮させて濃厚な密度の音楽を構築させていたにもかかわらず、結果として表現されていたのは「非感傷的」なマーラーの音楽だったといえる。この点、やはり賛否が分かれる気もするが。 個々のプレイヤーの能力の高さをいやというほど見せ付けられたのは、木管でも金管でもまったくといっていいほどミスのないことであった。この曲は、独立して動く各声部の演奏にかなりの技巧が要求され、そして全体としてからみあっていく要素が強いが、個々の部分に全体の歯車には留まらない音楽性が要求されているように思う。こういう点でも今夜のCSOの演奏(それは本当に緻密だった!)には、オーケストラとしてのレベルの高さを実感させるに十分だった。

 

第1楽章の冒頭からバレンボイムはゆったりと、そして濃厚な味付けをしていく。それでいて音楽の気位の高さを失わない。 いままで「純音楽的演奏」といえば、端正で誇張のない演奏が前提となっていたかもしれないが、今夜のバレンボイムとCSOは、濃厚な味付けをしていながら、「純音楽的」といえるものだった。終結部あたりのところも、これほどしんみりさせない、そして回顧的にならないこの曲の演奏の体験は初めてかもしれない。(ドホナーニとクリーブランド管弦楽団の演奏ですら、この第1楽章の後半の演奏からは詠嘆を感じさせたという記憶があるが。) 金管楽器の安定性のためか、非常に腰の据わった演奏に感じさせる。第2楽章はユーモアや皮肉といった要素が排除されていたのもかかわらず、物足りないとは感じない。第3楽章も爆発はするものの過度な熱狂はない。終楽章の開始も、バレンボイムはたっぶりとした表情を付ける。弦楽器の音色の統一性も見事なものだ。あの絶妙なコーダも、弦楽器の音色がそろっているせいか、実に聴き応え十分。しかし不思議なことにメソメソしたような脆弱さは皆無だった。CSO、そして聴衆の集中力も見事であり、音楽の消えていくところ(「死に絶えていくように」)の静寂そのものが深い感銘を与えたようにも感じる。

 

こうしてみると、バレンボイムとCSOも、マーラーでそれなりの新しい境地を開いたといっていいのかもしれない。濃厚な表情と高密度の音楽で表現される非感傷的な音楽......。

物足りないとの意見が多く出ることも予想されるが、個人的には大変好感をもって聞くことが出来た。 CSOもショルティ時代のマーラーとは異なるマーラー像に見事に対応しているといってよさそうだ。響き自体もやや軽くなったような印象を受けたが、柔軟性は増しているといっていいだろう。

 

今夜は開始が30分遅れた。オケのメンバーがステージにそろっていたのだが、一人のプレイヤーの気分が悪くなったそうで、バレンボイムはそのプレイヤーの回復を待ってから完全な演奏をしたい、という希望だったそうだ。NBSの佐々木氏がマイクでステージから聴衆に説明したのも、なかなかタイミングが良かったとは思うが、やはり聴衆の側としては、集中力を維持するのが難しくなった。

 

(2003年10月24日  於 上野 東京文化会館)

これは bernardsstar さんの 877 に対する返信です

 

コンサートの楽しみ ー お久し振りです!

2004/ 4/25 1:39

メッセージ: 1039 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

bernardsstarさま、皆様、お久し振りです!

 

最近ちょっと気分が変わってきましたので、ひょっこりと気分転換に顔を出した次第です。とはいっても、何かを調べてまとまって書き込みをするなどという余裕もなくなってしまい、仕事に忙殺される日々が続いていることには変わりはありません。しかし国の内外でせっせとコンサートにだけは通っている状況は変わらず、最近では終われば自宅で印象記は残すということにはしています。

 

たまたま皆様の過去の書き込みを拝見いたしておりましたところ、私が実際に会場で聴くことができたコンサートについて書かれたものがあり、遅ればせながら私の印象記を書き込むことにいたしたいと存じます。(ただし、すべてにアルコールの影響が極めて顕著であり、同じ事を繰り返して何度も書いていることもありますので、御容赦下さい。)bernardsstarさんが昨年Message877で書かれていらっしゃるブーレーズ指揮のマーラーの第6交響曲、及びバレンボイム指揮の第9交響曲の私の実演を聴いた印象記です。

 

私はコンサートホールで音楽を聴くことは、すべて単なる「快楽」「楽しみ」であると考えておりますので、人生をかけてどうのこうのなどと思ったことはありません。また、スコアにはこう書かれているので、その通り演奏されているか否かを鵜の耳・鷹の耳で注意深く聴きとろうなどという聴き方をしたこともほとんどありません。しかも会場で聴いている最中は、音楽以外のことを考えている場合も多く、気がついたら曲が終わっていたなどということも稀ではありません。「書を捨てて街に出よう(だったかな?)」ならぬ「CDを捨ててコンサートに行こう」ということも言えるかもしれません。 しかし日本では「有名」な演奏家のコンサートでは、自称「音楽エリート」達、自称「批評家」達、自称「音楽学者」達の一種の「狂気」が会場を支配しています。今演奏されている曲がどこで終わるのかについて自分は良く知っているのだ、ということを他人に知らせようという行動をとる者すら後をたちません。まことに居心地の悪い場合もあります。もっとリラックスして楽しめないものかな、などといつも思いますが......。

 

稀ではありますが、今後も時々顔を出すかもしれませんので、その節は何卒御寛容をお願いいたす次第です。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

la_vera_storiaさま

2004/ 4/25 6:22

メッセージ: 1040 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

お久しぶりです。

小生、いったん幕引きしようと思いましたが、まだ続いているのも、皆様のおかげと思っています。

 

>全員がヨーロッパ人の、20歳前半くらいの若いプレイヤー)は、響きの練り上げとが、艶というものが不足しているために、

 

小生も年をとり、(世界第1級のユース・オーケストラに対しても)こういった評価を投げかけたい気持ちになっています。「枯れた」とか「艶」とかいった要素は、往年のVPOの演奏の記録などで追体験できますが、生演奏では、中々難しくなってきましたね。

 

CSOとバレンボイムの蜜月は終わったような気がしますし、CSOの力はかなり落ちたという気がします(03秋のブルックナーSym8)。昨年の海外オケの日本公演では、ラハティ響の評判が良かったとのことですが、小生は行っていません。

近年の海外オケの日本公演で小生が聴きに行ったものの中では、ブロムシュテット指揮、ゲヴァントハウスのブルックナーSym5が最も素晴らしい演奏と思えました。

 

陛下のご臨席はまだ経験なし。(鉄道ファンの立場からは、開業直後の新幹線・品川駅に停車した「お召し列車」の中にいらっしゃるのをお見受けしたことがあります。

 

ソニーのVIPの方を、バレンボイム指揮CSOの来日公演で見たことがあります。また、メータ指揮VPOの「ブルックナーSym8」の演奏会で、まだ首相になる前の小泉氏を見たことがあります。

これは la_vera_storia さんの 1039 に対する返信です

 

Re: R・シュトラウスの歌曲集

2004/ 4/26 21:29

メッセージ: 1041 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

R・シュトラウスの歌曲は、

「4つの最後の歌」しか、まだ聴いたことがなく、この「4つの最後の歌」は大変な傑作だと思っています。亡きシノーポリがフィルハーモニア管を振った演奏を生で聴きました。

 

他の歌曲についても、機会があったら、聴いてみます。

これは jumeautriste さんの 1036 に対する返信です

 

R・シュトラウスの歌曲 2

2004/ 4/27 17:37

メッセージ: 1042 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

またR・シュトラウスの歌曲ですが、

まだまだ語れるほど聴いていないので今日だけ・・・です。

 

今日のは、オペラ<ダフネ>全曲のボーナス・トラックに収録されている

オーケストラ伴奏とピアノ伴奏の13曲です。

1938年から1942年の古い録音です。

 

ペーター・アンダース(テノール)

 

・1曲〜4曲 フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル

・5曲〜8曲 ワルター・ルッツェ指揮 ベルリン・フィル

・9曲<Morgen> アルトゥール・ローター指揮 ベルリンRSO

・10曲〜13曲 ピアノ伴奏

 

ペーター・アンダースは、

言葉がよく聞き取れ、語るようで、直情的な歌唱ではないので、1曲1曲それぞれの味があります。

かといって、練れすぎた歌い回しではないので、耳につく事もなく聴けます。

 

ビーアバウムの詩による3つの歌曲 Op.29

<たそがれの夢><高鳴る胸><夜の散歩>は歌詞から男声で歌うほうがいい曲だと思いますが、

ビーアバウムの詩は美しくあって、放胆に過ぎるということです。

<夜の散歩>は歌詞も深いものではないかもしれないですが、

曲は半音階的な移ろいが多く、<ときはなれた心>のような昂揚感は無いですが、いい曲だと思います。

シュトラウスのリートのかけがえのない性格のひとつである、官能的な香りを示しているということです。

 

女声で聴く場合、私はシュワルツコップのような”枯れた”というか、

老長けた(ほめ言葉として使ってます)歌唱より、

クリスタ・ルートヴィヒの語りながらも、高まりのある、充分声も出していて歌としても聴き応えのある歌唱が好きです。

 

それと<4つの最後の歌>以外は、ピアノ伴奏で聴くのが好きで、

<Morgen!>もオケ伴のヴァイオリン・ソロと歌のからみもいいですが、ピアノの音が寄り添うような伴奏のほうが好きです。

 

解説に書いていることですが、

”歌曲の夕べ”などで歌われる曲には通俗的ともとれるものもありますが、

シュトラウスは”わかりやすいものは程度が低い”などといった虚栄心などは毛頭持っていなくて、旋律を重視する姿勢を生涯持ち続けた、と書いています。

 

歌曲はオペラのことを思えば、ほとんど聴かないので、

このペーター・アンダースの<冬の旅>も買ったままで、未聴です。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

もう、1年経って・・

2004/ 5/ 2 0:58

メッセージ: 1043 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

昨年の4月、

ベルク、ウェーベルン、マーラー・プログラムの公演を聴いてから、

もう1年が過ぎ、情けないですが演奏内容も忘れてしまっていましたが、

ブーレーズの指揮姿は印象に残っています。

 

大阪ではなかなか聴く事が出来なかったので、楽しみに行き、

いつもの事ながら上等の席でない所から聴きましたが、ステージに近い2階のバルコニーで、

ブーレーズの手の動き、表情もよく見えるところだったので、目で合図のようなこと、

指示、怒っているような表情などがよく分かりました。

大阪が最初の公演だったですが、アンサンブル、その他団員の動作などにもぎくしゃくしたものがありましたが、

一度、ブーレーズの指揮を見たかったものには満足の演奏会でした。

満席になるほど人は入っていなかったですが、演奏後は、団員が引き上げたステージでのブーレーズに大拍手と歓声でした。

これは la_vera_storia さんの 1037 に対する返信です

 

エッシェンバッハ指揮のマーラーを聴いて

2004/ 5/ 2 1:04

メッセージ: 1044 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

昨年のコンサート印象記より。

 

*******************************************************************

 

クリストフ・エッシェンバッハ (Christoph Eschenbach) 指揮 

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団 (NDR-Sinfonieorchester Hamburg)

Vn. ギドン・クレーメル (Gidon Kremer)

(曲目) ベルク ヴァイオリン協奏曲

マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調

 

エッシェンバッハの指揮を聴くのはもう何年振りになるか。 以前聴いたときの印象が良くなかったので今回も久し振りとはいえあまり期待していなかった。果たせるかなこうやって聴いてみて、非常によくわからない点が残った演奏会となった。 一聴して彼の「個性的」ともいえる演奏は、それが本当に彼が目指している表現のあり方なのか、それとも指揮者としての能力のどこかが不足している結果なのか、ということである。

 

マーラーの5番の演奏なのだが、まずエッシェンバッハの指揮で聴くと、表現の核心部分はすべて「テンポの頻繁な動き」という要素に還元されてしまっており、音色の混ぜ合わせとか、各パートの遠近感だとか、そういうものにはあまり注意が払われていないように感じるのだ。 細部細部にくどいほどのテンポの揺れ動かしが聴こえ、煩わしささえ感じるところが少なくない。第2楽章の最後に近いところで聴かれる金管のコラールなども、確かに強調して鳴らされているのは当然としても、そこに至るまでの部分のテンポの動きが大きいために、そういう一連の音楽的展開のなかに埋没してしまっている。終楽章なども、階段を上っていくような徐々に頂点に達するというより、音楽展開の部分部分が、いやに強調されて聴こえてくるのだ。 テンポの変化以外の要素、たとえば楽器間の微妙なバランスなどはあまり意識していないのか(あるいはそれができないのか)、全体に意外に単調あるいは単彩な音楽に聴こえてしまうのが皮肉なことだ。あれだけ深刻そうな表情で弦を弾かせてみるわりには、本当に痛切には聴こえてこないのだ。腕の振りの大きなエッシェンバッハがオケを一段と駆り立てた終楽章のクライマックスは、オケの鳴り方も実にダイナミックではあるが、そこにカタルシスは感じさせてくれない。 「テンポの頻繁な動き」、「曇りのある深刻な表情」などは、それだけとれば、なかなか板についた表現のように感じたが、全体を通したパースペクティヴのなかでの表現になっていないためか、より高度な次元の音楽として評価すれば、意外に単調な指揮だったように感じた。 

 

ベルクのヴァイオリン協奏曲を弾いたギドン・クレーメルはさすがに見事だと思った。前半は心理的な要素に深く切り込みながら、後半ではむしろ淡々としたような抑制が効いていた点や自分自身の音を外から冷静に聴いているような、非常に考えられた表現のように思った。先月の諏訪内晶子の演奏と比較すると、この曲に関する限りはクレーメルの圧勝といったところ。エッシェンバッハの指揮も後半のマーラーと比較すると抑制が効いていたように感じられた点がよかった。クレーメルの引き立て役としては、とりたてて文句はないと思った。

 

NDRのオケは、弦楽器がとても透明な音を出していたのには感心したし、金管の音の響きは、練り上げられたような完成度の高いもの。 実に優秀なオケだった。

(2003年5月20日 於 サントリーホール)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

jumeautriste さまへ

2004/ 5/ 2 2:23

メッセージ: 1045 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

jumeautristeさま

 

そうですか、大阪でお聴きになられましたか!  ブーレーズのマーラーも賛否が分かれるのはよくわかります。あまりにあっさりしすぎているという人の意見もよくわかります。 バーンスタインやマゼールやテンシュテットなどとは正反対に近いですし、アッバードやメータなどとも違いますね。 ブーレーズ指揮のマーラーだったら、声楽の入らない曲のほうがいいような気がします。

 

jumeautristeさんはシュトラウスのオペラがお好きなようですね。私もシュトラウスのオペラは非常に好きです。欧州でいろいろな上演を体験できた幸運もあるのですが、シュトラウスは、その素晴らしさがわかると、やみつきになりますね。

 

それからjumeautristeさんもお書きになっていらっしゃるアルマ・ロゼーのことですが、私はこのトピで一度まとめて彼女に関連した話題を書こうと計画していたことがあります。前に「リンツから来た男」というような書き込みを何回かにわけて本トピに投稿したのですが、ウィーンでの若きアドルフ・ヒトラーとグスタフ・マーラーとの運命的遭遇、そしてヒトラーの音楽(特にワーグナー)に対する嗜好というのがテーマであり、この「リンツから来た男」は実はアルマ・ロゼー関連の話題を出すための露払いが目的でした。このトピのMessage601

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=MU&action=m&board=1834581&tid=a5a6a5a3a1bca5 sa31a39c0a45aakva1a2a32a30c0a45aabdifaca4n2bb3z&sid=1834581&mid=601

で「ちょうどその頃、どんよりとしたウィーンの同じ空の下、やっと歩くか歩かないかの年齢の少女が、隣の部屋で父親の引くヴァイオリンの音に耳をすませていた........。」

と最後の一文でさりげなく書いたのは、実はアルマ・ロゼーのことです。また、ロゼー家の墓はウィーンのグリンツィンク墓地のマーラーの墓に近い場所にあります。(Message548にてリンクさせた以下で場所が確認できます)

http://www.gustav-mahler.org/deutsch/gedenkstaetten/grabmal.htm#hinweis

 

このアルマ・ロゼーを伏線にして、時代の波(特にホロコースト)に翻弄され、散ってしまったウィーン世紀末の人物像とその残像という大がかりな投稿案を練っていましたが、事情があって掲示板を離れることとなってしまいました。 また余裕でも出てきたら、なにか新鮮な話題を考えようとも思っています。

 

今夜はこれまでにします。またいろいろな感想をお聞かせ下さい。

これは jumeautriste さんの 1043 に対する返信です

 

はじめまして

2004/ 5/ 2 14:46

メッセージ: 1046 / 1477

投稿者: mono_mi_yu

 

初めまして。いつも楽しく眺めて(読んで)いるだけだったのですが、ちょっと口出ししてみたくなりましたので、お許しください。

 

プフィッツナーについての紹介がいろいろ続いていましたが、前に大学図書館で、「プフィッツナーとナチス」とかいう題名のドイツ語の本を見つけたことがあります。連休が明けたら、詳しいデータをお知らせしたいと思います。

 

まずは忘れてしまわないうちに、予告編でご勘弁を。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

リンツから来た男

2004/ 5/ 3 12:49

メッセージ: 1047 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

la_vera_storiaさん

 

bernardsstarさんのところでの「リンツから来た男」その他の投稿、siegmundさんのところでの投稿はいつも読ませて頂いていました。

 

アルマ・ロゼーに絡めたお話しも是非お書き頂けたらと思います。

 

R・シュトラウスのオペラは、私の場合、”聴くオペラ”として楽しんでいるだけでして、

la_vera_storiaさんのように実際の素晴らしい舞台を体験された方から見れば、まだまだシュトラウスの真価、醍醐味というものは理解していない、と思われることと思います。

 

今はシュトラウスのオペラの音楽は、歌唱部分だけに耳を傾けて名唱を楽しむ、

巧妙な管弦楽部分の面白さを楽しむ、両者の絡み合いを楽しむと、その魅力はどのオペラにも代え難いものと思ってますが、

それでも今のところ、隅から隅まで好きで、納得して聴いているのは数作品です。

 

トピの主旨に沿った範囲の中で、いろいろ教えて頂きたく、お話しも楽しみにしています。

これは la_vera_storia さんの 1045 に対する返信です

 

プフィッツナー弦楽四重奏曲 作品13、50

2004/ 5/ 3 14:21

メッセージ: 1048 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

bernardsstarさん

 

弦楽四重奏曲、作品13、50を聴きました。

 

番号なしを最初に聴き、つぎに作品36、そしてこの13、50という順番に聴きましたが、

今回聴いたうちでは、Op.13が良いと思い、

その中でも、bernardsstarさんが仰られるように第1楽章は叙情的で、第3楽章はプフィッツナーという雰囲気がありました。

私は第3楽章、フーガ風でわけの判らない感じが良くて、

(4楽章×2曲)の中でも一番好みかな・・と思います。

第2楽章は短いからいいものの、取って付けたような、もっさりしたというか、ちょっと違和感を感じます。

 

Op.50、第1楽章は思索的な雰囲気、枯れた感じで、このような曲調も好きです。

 

4曲中ではOp.36 が惹き付ける力が一番強いように思いますし、

4楽章間のつながりにも必然性、こうあるべきというものが感じられます。

これは bernardsstar さんの 1030 に対する返信です

 

「プフィッツナーとナチス」

2004/ 5/ 3 15:09

メッセージ: 1049 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

「プフィッツナーとナチス」の、ご投稿をお待ちしております。どうぞよろしく、お願いいたします。

 

小生、GW明け後、2週間ほど海外出張予定です。出張先を示すと本人が特定されるかも?ということで申し上げませんが、ウィーンからは遠いところです。

 

小生、ウィーン世紀末音楽だけでなく最近は、トゥビンやグルジェフにも興味をもってしまいまして、プラハ・ウィーン〜グルジアの経度の地域での、19世紀末、20世紀初頭の音楽・歴史に、無謀にも研究対象を広げつつあります。

これは mono_mi_yu さんの 1046 に対する返信です

 

ヴィースバーデン・ライヴ

2004/ 5/ 4 12:52

メッセージ: 1050 / 1477

投稿者: xfdrvw (男性/鳥取県)

 

1949年6月10日のフルトヴェングラーとBPOのライヴ録音があります。演目にプフィッツナーの「パレストリーナ」の3つの前奏曲が入っています。たぶん、この直前になくなったプフィッツナーを追悼しての意味があるのでしょう。ナチスと対立して、公職を追われ、財産を全て没収されたプフィッツナー。ナチスと波長が合うと思いきや、これが全く逆とは。戦後、乞食同然の彼をウィーン・フィルの関係者が見つけて、同楽団があとの面倒を見たのは有名な話ですね。やはり、ドイツ圏ではやはり大きな存在だったことを窺える話だと思いました。

これは bernardsstar さんの 1049 に対する返信です

 

プフィッツナーの晩年

2004/ 5/ 4 15:36

メッセージ: 1051 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

プフィッツナーの晩年は貧困だったようですね。

 

亡くなる1年前の1948年、ナチスの活動に加担したとして始められた裁判が、

・プフィッツナーが国家社会主義の敵として知られていたこと。

・しばしば作品演奏を禁止されたり、ゲッペルスによって、あらゆる音楽活動を妨害されたこと。

・1936年には年金が取り上げられたこと。

・70歳の誕生日の祝典も政府によって弾圧されたこと。

などが挙げられ、ナチスの一員でなかったことが明らかになって無罪になり、

翌、1949年、ウィーン・フィルがプフィッツナーを呼び寄せることを始めたということです。

 

1949年2月、ウィーンで視力は失っていましたが<パレストリーナ>に、接することが出来、(<パレストリーナ>の手書きスコアをウィーン・フィルに贈呈)

入院などのあと、ウィーン・フィルによってザルツブルクに住居を提供され、

5月5日、80歳を祝う祝典もザルツブルクとウィーンで行われましたが、

5月22日、肺炎のため、ザルツブルクで他界しました。

葬儀ではウィーン・フィルによってオペラ<愛の花園のばら>から葬送行進曲が演奏されて、

ウィーン中央墓地に埋葬されたと云うことです。

これは xfdrvw さんの 1050 に対する返信です

 

>「プフィッツナーとナチス」

2004/ 5/ 4 21:38

メッセージ: 1052 / 1477

投稿者: mono_mi_yu

 

トピ主様、投稿者の皆さま、こんにちは。

 

よく考えたら、ネット検索ができるので、そちらで情報提供をすればよかったんだと、今さらながらに気づきました。

 

★書名:Hans Pfitzner und der Nationalsozialismus

 

★執筆者:Sabine Busch

 

★出版:J.B. Metzler , 2001

 

比較的新しい論文のようですね。

 

内容については連休明けに調査しだい、報告します。

これは bernardsstar さんの 1049 に対する返信です

 

Hans Pfitzner und der Nationalsozialismu

2004/ 5/ 7 1:28

メッセージ: 1053 / 1477

投稿者: mono_mi_yu

 

図書館で現物をざっと見てきました。

全部で10章からなる大作で、400ページほどありました。

ソフトカバーの本で、日本国内でも6000円ほどで買えるようです。

(書店による書き込みが、うっすらと見えました)

 

単なる文化的保守主義者が、ワイマール文化期にナショナリズムにからめとられていくさまを時代を追って検証する内容で、有名なブゾーニとの論争や、第三帝国への接近、一転して弾圧される(すでに言及されていましたね)までを、事実によって語らせているようでした。

 

またこの本、補録の関連資料の充実がすさまじくて、ヒットラーと部下との往復書簡なんていうのもありました。長いけれども、ちゃんと引用してるんです。

 

補録には、プフィッツナー没後に、アルマ・マーラーやシェーンベルクが故人に寄せたコメントも掲載されていて、興味深いものがありました。

 

また、プフィッツナーは政治的な反ユダヤ思想に加担したことはないが、ワーグナーのように、伝統的・習慣的な意味でユダヤ人という言葉を(宗教的反感や嫌悪感といった偏見をこめて)使っていた、というような話もありました。

 

****

 

ここから先は、本から離れて自由連想。

 

プフィッツナーとすれば、進歩主義への疑念や直感的反発というものを、ブゾーニやベルクとの論争をとおして表明したつもりだったのでしょう。やや同情的に発言すれば、時局が悪すぎた、ということになるんでしょうか。それにしても、反時代的ポーズ=保守主義というのは、ブラームスの時代でとっくに終わったことのはず。進歩的であることや知性的であることをことごとく憎悪する、というのは、ワーグナーともブラームスとも相容れません(というか両方のマイナス部分を混ぜ合わせた、という印象です)。

 

彼個人としては保守主義者であっても、進歩的なものにも異文化にも寛容でいられたなら、もっとリバイバルも早かったのではないか、とそこが惜しまれてなりません。なまじ素晴らしいコンチェルトや内面的な歌曲など、みるべき業績を残してきたのですから、余計にです。

 

プフィッツナーって確か、シェーンベルクなどのユダヤ系文化人を「根無し草」よばわりしたんでしたっけ?(うろ覚えでごめんなさい。)

でも、自分の出生のことを思えば、他人のことをとやかく言う資格も彼にはなかったはずですよね。ロシア生まれなんだから。

 

ここで深読みすれば、外国生まれを負い目に感じたからこそ、人一倍の「愛国者」になろうとした、ということなんでしょうか。

これは mono_mi_yu さんの 1052 に対する返信です

 

自作自演

2004/ 5/ 8 1:03

メッセージ: 1054 / 1477

投稿者: xfdrvw (男性/鳥取県)

 

OTAKENとかいう怪しげなレーベルですが、プフィッツナーの自作自演のCDが出るようです。SP時代はむしろ指揮者としてわが国では知られていたようですね。ベートーヴェンの「田園」などがありますが、これはNSXOSで復刻されているようです。自作ものは日本に紹介されている可能性はないでしょうね。

これは mono_mi_yu さんの 1053 に対する返信です

 

   

プフィッツナーいろいろ

2004/ 5/10 20:09

メッセージ: 1055 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

MYTOヒストリカル2004年カタログに、

プフィッツナーのオペラ<哀れなハインリヒ Der arme Heinrich>

 H・アルトマン指揮、1948年 ミュンヘン

 

オペラは3作品<パレストリーナ><クリスティアンになった妖精><哀れなハインリヒ>が聴けることになりましたが、

これで「愛の花園のばら」が出てくればいいのですが・・

 

また、ある楽器店で、

歌曲集、1巻、2巻と立派な装丁の楽譜がありました。

一度楽譜は見てみたいのですが、両巻合わせて3万いくらかの高価なもので、

歌を歌われるかたなら手に入れられるでしょうけれど、

私のようにちょっと見てみたい程度のものにはもったいない立派な楽譜でした。

 

自作自演の録音、曲目を調べてみましたら、

オペラ<パレストリーナ>3つの前奏曲、<キリストになった妖精>序曲、

交響曲 Op.46、劇付随音楽<ハイルブロンのケートヒェン>より

ベルリン国立歌劇場、BPO、VPO

 

交響曲全集もでるようで、

<小交響曲 Op.44> アーベントロート指揮 ゲヴァントハウス管

<交響曲 Op.36a> S=イッセルシュテット指揮 ベルリン・ドイツオペラO

  これは弦楽四重奏曲を1933年にオーケストラに編曲したものだと思います。

<交響曲 op.46> ベーム指揮 ドレスデン国立歌劇場O

  CDーRのようです。

これは xfdrvw さんの 1054 に対する返信です

 

 

Re:プフィッツナーいろいろ

2004/ 5/10 21:04

メッセージ: 1057 / 1477

投稿者: xfdrvw (男性/鳥取県)

 

こんばんは。

歌劇「哀れなハインリヒ」は持っております。しかし、まだよく判っておりません。<カノッサの屈辱>を扱ったものでしょうか。

 

交響曲は36a以外でしたら、CPOからデジタル録音で出ています。オケはバンベルクsoでヴェルナー・アンドレアス・アルベルトの指揮。Op44,46それに「Das Fest auf Solhaug」という劇音楽の3つの前奏曲がついています。「ソールハーグの宴」とでも訳するのでしょうか。イプセンの戯曲のようです。

これは jumeautriste さんの 1055 に対する返信です