楽譜

2004/ 5/15 14:35

メッセージ: 1063 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

楽譜ですが、

いたって簡単というか、自分では何もしていないです(笑)

 

プフィッツナーの楽譜に限らず、店頭に置いていない楽譜、アマゾンでも買えない楽譜、

ドーヴァー社にないR・シュトラウスのオペラとかは全て楽譜専門店にお願いしています。

 

私の場合、大阪の昔からある楽譜やさんですが、

作品名、作品番号を言えば、出版社も調べてくれてオーダーしてくれます。

 

プフィッツナーはまだ全然ですが、

 

・チェロ・ソナタ Op.1は 

  Breitkopf & Haerter という出版社で、

 これはいつも取り引きしている所とかで、2週間ほどで取り寄せてくれました。

 

・ピアノの5つの小品 Op.47

Johannes Oerter Berlin-Grunewald

こちらはいつも取り引きしていない小さな出版社ということで、

2〜3ヶ月くらいかかると云われて、実際は2ヶ月ほどで手に入りました。

ここの出版社では、Op.40〜50代の作品、ピアノのエチュード、弦楽四重奏曲、

六重奏曲、2つの男声合唱曲、チェロ協奏曲なども出版されているようです。

在庫がある、無しは分かりませんが・・

 

 

>チェロ協奏曲

 

cpoレーベルのでしたら店頭で見かけましたがまだ入手はしていません。

考えれば、交響曲、協奏曲は未聴です。

 

今まで聴いたのは、

・弦楽四重奏曲 4曲

・ピアノ・トリオ 2曲

・ヴァイオリン・ソナタ

・チェロ・ソナタ

・ピアノ小品とエチュード

 

・歌曲集 オルフェオ・レーベルでF=ディースカウ

 

・オペラ<パレストリーナ>

・オペラ<クリスチャンになった妖精> 現在少しづつ

・カンタータ<ドイツ精神について>

・前奏曲集

 

これから聴いてみたいのが、ピアノ協奏曲 Op.31

(1922年作 初演がギーゼキング、指揮フリッツ・ブッシュ)です

 

>プフィッツナーに傾倒して・・・

 そんな大そうなことではなく、少し傾いている程度・・だと思います^^

 

プフィッツナーのPf協奏曲

2004/ 5/16 9:16

メッセージ: 1064 / 1477

投稿者: xfdrvw (男性/鳥取県)

 

おはようございます。

 

この曲はCPOから出ていますね。約38分の大曲。演奏者は、

フォルカー・バンフィールト(Pf)

ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮ミュンヘンpo

です。

 

持ってはいるのですが、まだよく聴きこんでいません。協奏曲ではヴァイオリン協奏曲の方を愛聴しています。2楽章は管弦楽だけでソロはお休みという変わった構成です。

これは jumeautriste さんの 1063 に対する返信です

 

>プフィッツナーのPf協奏曲

2004/ 5/16 12:47

メッセージ: 1065 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

こんにちは

 

情報、有難うございます。

 

ギーゼキングが述べていることに

”このピアノとオーケストラのための協奏曲は、

ベートーヴェンやシューマン、ブラームスに続く、偉大なドイツのピアノ協奏曲の一群に含まれる”

 

この文句を読んで聴きたくなっていたのですが(笑)

作曲家プフィッツナーにとってはこうした評価はいいのか、悪いのか、とも思いますけれど・・

これは xfdrvw さんの 1064 に対する返信です

 

<影のない女> いろいろ

2004/ 5/16 15:10

メッセージ: 1066 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

bernardsstarさん

 

ご出張だったのですね。

お元気でらっしゃいますか?

 

 

<影のない女>2幕2場

 

今日は貸していて戻ってきたサヴァリッシュ盤とベーム盤で聴いてます。

 

この作品はどこを聴いても聴き所があり、隅々まで感じ入り、

以前、どなたかも仰ってましたが、私個人もR・シュトラウスの最高傑作だと思っています。

 

曲のほぼ真ん中にあたる2幕2場、

いろいろなモティーフ、”鷹の声””皇帝の愛の動機””獲物の動機””石化の動機”を

巧みに扱った見事なオーケストレーションといい、

序奏、鷹の声(フルート)が聞こえ、チェロ・ソロの哀愁を帯びた旋律に続いて、

皇帝の鷹に語りかけるアリアがオーケストラの響きを突き抜けるように聴こえる、

皇帝の激情と苦悩が表されている長いモノローグ、

いつ聴いても見事さに圧倒されます。

 

漂う孤独感・・・R・シュトラウスも心の中にこのような云いようのない寂しさ、

孤独感を持っていたのであろうか・・と思いながら聴いています。

でも、その中に一抹の光りが見えるところが、R・シュトラウスの良さなのですね。

 

この間ビデオの整理をしていたら、サヴァリッシュ&バイエルン、猿之助演出の映像が出てきました。

なんか滑稽なしぐさということは憶えていますが・・・

1960年代のMET初演時(キング、リザネク、ルートヴィヒなど)の

フィナーレほかの写真を見ると大掛かりな舞台のように見受けられます。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク

2004/ 5/18 17:57

メッセージ: 1067 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

・シェーンベルク:

 弦楽四重奏曲 Op.10 fis-moll

・ウェーベルン:

 弦楽四重奏のための6つのバガテル Op.9

・ベルク:

 弦楽四重奏曲 Op.3

 

10年近く前、シャルプラッテンの記念シリーズで発売された中の1枚で、

ゲヴァントハウス弦楽四重奏団

ソプラノ:Sibylle Suske

 

解説無しのCDだったので、

曲の概要だけ調べてきたものを見ながら聴いたりしましたが、

それで分かるような曲ではありませんし・・ただ持っているだけでした。

 

そういうことで感想は述べられませんが、

調べたことを簡単に書きますと・・

 

シェーンベルク:

1908年12月、ロゼー四重奏団とソプラノのマリー・グレートハイル=ショーで初演

3,4楽章は弦楽四重奏と歌曲を合わせた試みで

3楽章の歌曲はゲオルゲの詩「連祷 Litanei」

4楽章は同じくゲオルゲの「忘我 Entrueckung」

 

詩の意味も分からないし、この歌曲部分が受け入れ難いです。

2楽章には聞き覚えのある<可愛いオーガスティン>のメロディーが奏でられているとということで、聴こえてきます。

 

ウェーベルン:

初演1924年7月、アマール四重奏団(ヒンデミットがビオラ奏者)

6曲合わせて4分あまりで、1曲が8小節とか13小節とかのようです。

 

ベルク:

初演が1911年4月

この作品に関しては参考になるようなことが書いてなかったのか・・書き写しがないのです。

 

シェーンベルクの1、2楽章とベルクは不可解なりに独特の鋭角的な美感も感じられます。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シェーンベルクの室内楽について

2004/ 5/19 2:49

メッセージ: 1069 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

jumeautristeさん

 

シェーンベルクの弦楽四重奏曲については、やはり晦渋なイメージがありますね。 以前私が別のHNを使用していた時にこのトピに書き込みをしたことがあります。以下です。

弦楽四重奏曲第2番関連 Message 173, 174, 175, 176, 177, 207, 208

弦楽四重奏曲第3番関連 Message 215,

弦楽四重奏曲第4番関連 Message 222

実は、一昨年の秋にベルリンに行きました際に、サイモン・ラトル指揮のベルリンフィルのコンサートで、前半はシェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番(弦楽合奏での演奏)、後半がブルックナーの第9交響曲を聴く事ができ、それをレポートしようかなと考えたまま、やれずにいました。前半のシェーンベルクは大変な名演でしたが、後半のブルックナーは全然ダメでした。私は、こういう点において、ラトルという指揮者の特質がよく現れていると同時に、シェーンベルクというのは本質的にどういう作曲家なのか(つまり、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどと異なり、実はある点においてブラームスに近いのではないか?)、ということを解く鍵があると考えています。つまり、何故ラトルはブルックナーではダメなのか(シェーンベルクでは素晴らしいのか?)、という理由がおぼろげながらわかったつもりでいます。

 

アルバン・ベルクについては、Message 724, 725で触れておきました。あらためて他のベルク作品についても、時間をみつけて自分の感想を交えて書き込みをしたいと考えています。(最近、時間があまりとれません。)

これは jumeautriste さんの 1067 に対する返信です

 

>>新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲

2004/ 5/19 10:56

メッセージ: 1070 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

mono_mi_yuさん

 

詳しいお話し、ありがとうございます

 

昨日の夕方、思い立ったままCDケースに一緒に入れていたメモ書きを見ながら書いた

雑な投稿でお恥ずかしいです。

 

楽曲について、もう少し細かいことも書き写していましたが、

なにしろ私が楽譜も見たことがなく理解不足なので、あまり深く書けませんでした。

 

仰られるように、四楽章から無調技法があらわれるということですね。

調性から開放された部分にゲオルゲの詩”私はほかの惑星からの大気を感じる”が当てられているということです。

そのあと、ピアノ組曲から12音技法が取り入れられるのでしたね、確か・・

 

作品の背景にある夫婦の事情など、興味深く読ませて頂きました。

少しづつ事情こそ違いますが、

シェーンベルク、ベルク、ヤナーチェクといろいろありますね。

 

ベルクの作品3に関してはメモったものが無かったのですが、

<抒情組曲>は声楽部分を復活させたクロノス・クァルテットの演奏を聴いています。

1977年にベルク研究家のジョージ・パールが、

ベルクが注釈を書き込みハンナ(恋愛相手)に送ったスコアを発見したこと等、

スコアの中には一般聴衆に分かってもらうことを意図としない私的なものが織り込まれている等、いろいろ解説には書かれていました。

 

終楽章の歌詞、”深き淵より私は叫ぶ”

ボードレールの「悪の華」より

フランス語原詩をシュテファン・ゲオルゲがドイツ語に訳したものとなっています。

 

>シェーンベルクの室内楽について

2004/ 5/19 13:18

メッセージ: 1071 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

la_vera_storiaさん

 

過去の投稿番号知らせて下さって有難うございます。

 

今少しだけ読ませて頂きましたが、

la_vera_storiaさんの投稿は気合を入れて読まないといけないので、

残りは後ほど、帰って来てからと思ってます。

 

シェーンベルクは全般難しいです。

まず、感性がついていかない、体感出来るリズムも無い、

耳を素通りしていく、などなどです。

楽譜を手掛かりに聴いていけばいいのだと思いますが、

そこまでする気力もなし、必要にも迫られていないし・・ということだったのです。

ブラームスもあまり好きではないですね。

 

昨日、ちょっと聴いてみようと思いたったのですが、

稚拙な投稿しなければ良かったかな、と思ってます。

こちらのトピに投稿するのは恥を覚悟でしないといけないです(笑)

これは la_vera_storia さんの 1069 に対する返信です

 

シェーンベルクとブラームス

2004/ 5/19 19:42

メッセージ: 1073 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

mala_punicaさん

 

いろいろご教示ありがとうございます。

 

私の文章が悪かったみたいで、

シェーンベルク、ブラームス・ファンには不快な書き方だったのでしょうか・・

 

 

>とにかくたくさん色々きいてみて、一つでも二つでもいいから

>「嫌いではない」「面白そうな」曲を見つけて、

>そこを自分の入り口にすればいいと思います。

>まず、シェーンベルクについては、こんなところから入ってみてください。

 

ご提案は有難いですが、

もう入り口は通過したと思います(笑)

シェーンベルクもブラームスも全くの聴かず嫌いで言っているのではありません。

それぞれのファンの方からすれば大した聴き方ではないかもしれないですが、

主な作品はひと通り聴いております。

 

そのうえで、今ひとつ理解出来ないもの、それほど好みではないものがある、

と理解して頂ければと思います。

 

ご紹介下さった、シェーンベルクの作品は勿論聴いておりますが、

<グレの歌>は14〜5年前ですが、実演に接する機会があって、

ブーレーズの「シェーンベルク選集」など揃え、

かなり聴き込んだこともありましたが、それでもあまり愛着は覚えなかったですね。

この頃に、他の作品も<グレ>ほど聞き込んではいませんが、聴いております。

そのうえで、私にとっては難しい作曲家だという印象を深くしました。

 

ブラームスはあまり好きではない、と言っても

実演では一番接しているように思います。

そういう意味においては親しみはあるはずなのですが・・嫌いとまでは言わないですが、

このまま一生聴けなくても不自由しないし・・

人それぞれ、いろんなことを思うものです^^

 

まあ、多々ある作曲家の中に数人の苦手があっても致しかたないか、

と開き直っている次第で、

好きな作品を聴き、このうえない幸せを感じ、楽しんでいます。

 

なんかまた不快なことを書いてしまったかもしれません。

Re:シェーンベルクとブラームス

2004/ 5/23 2:25

メッセージ: 1076 / 1477

投稿者: xfdrvw (男性/鳥取県)

 

こんばんは。

 

この組み合わせは、ブラームスのピアノ四重奏曲による管弦楽曲を思い起こします。シェーンベルクはいろいろな作曲家の作品を編曲していますが、これはその一つ。1978年頃、新日フィルの演奏会で初めて聴きました。最初はブラームス風ですが、楽章が進むに連れて、「本性」が出てくるといった趣で、面白かったです。当時のプログラムの解説には珍しいと書いてありました。その直後には、N響も取り上げていて、掘り起こしのブームだったのでしょうか。この作品のレコードは当時殆どありませんでした。

これは jumeautriste さんの 1073 に対する返信です

 

昨日帰国しました

2004/ 5/23 17:06

メッセージ: 1077 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

出張先では、ホテルのビジネスセンターからしかアクセスできず、日本語は読めるものの、日本語入力できない環境でした。

 

プフィッナー、R・シュトラウス、さらに世紀末芸術一般に関する皆様のご投稿を拝見しまして、大変に有りがたく思っています。

 

小生も、ウィーン(オーストリア)音楽は、欧州各国の音楽からそれぞれ影響を受けていると思っています。それから、歴史・他の芸術・文化との絡み合いといった視点で、研究・調査をしていくのがとても面白い領域ですね。

 

ユダヤ人芸術家に大変興味をもっていて、個人的に研究を進めているのですが、今日のユダヤ人国家は、もうこれ以上、世界に嫌われるようなことをするのはやめてほしいというのが、最近の率直な実感です。

 

明日からの日本の職場復帰への準備に忙しく、すみませんが、このへんで失礼します。

これは jumeautriste さんの 1066 に対する返信です

 

ルートヴィヒの歌う Ruhe,meine Seele

2004/ 5/23 22:56

メッセージ: 1078 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

を聴きながら・・・

 

 

トピ主さま

 

まずは

お疲れが出ませんように

 

 

いまは、Morgen!

これは bernardsstar さんの 1077 に対する返信です

 

シェーンベルク モノドラマ「期待」を観て

2004/ 5/25 2:59

メッセージ: 1079 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

*今夜(正確には24日夜)、シェーンベルクのモノドラマ「期待」の上演を観ましたので、御報告いたしておきます。プーランクの「声」との抱き合わせ上演でしたので、一緒に感想を入れておきます。

***************************************************************************

パリ・シャトレ座プロジェクトI

(S.)ジェシー・ノーマン(Jessye Norman)

アルトゥーロ・タマヨ(Arturo Tamayo)指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

演出 アンドレ・へラー(Andre' Heller)

(曲目) 

シェーンベルク モノドラマ 「期待」(Erwartung)

プーランク   叙情悲劇  「声」 (La Voix humaine)

 

今夜はジェシー・ノーマン独演のモノオペラを2作品観た。全て彼女一人が演じたのだが、圧倒的な印象と存在感があり、今更ながらノーマンという歌手の幅の広さ(肉体的だけではない!)に驚かざるをえなかった。舞台上装置は簡素なものではあったが(特に「声」)、これはあるとないでは大違いだ。舞台上演を経験してしまうと、単なる演奏会形式などでは物足りなくなる。やはり演出は非常に難しいと思われる。登場人物が一人であるという点で、仮に人物の動きが多すぎると落ち着かない。少なすぎると、そもそもこれらの2作品を舞台上演したのは奇抜な舞台装置を見せるためだけだったとなってしまう。

 

今夜の上演で言えば、「期待」の舞台は、いわゆる表現主義といったものとは比較的縁が薄い(少なくとも)装置・美筒(色彩)でなされていた。 「表現主義」はあくまでも歌手、オーケストラに振り分けられた要素であり、舞台装置や美術がその雰囲気を先導するものではない、というようなpolicyだろうか? いや、シェーンベルクの絵画、表現主義的作品において背後に存在している「森」というものに表現主義の象徴・根源を見出すのではなく、あくまでもあれは「女」の神経症的な意識を表現した装置、色彩なのだろう。 「声」のほうは非常に簡素ではあったものの、さりげなく主役を引き立てる形でなされていた。「声」の最終場面においては、舞台背景は赤の原色となるが、ここにある種の意味付けがあることには違いないにしても、こういうアクセントの付け方が正しいかどうか?

 

ノーマンも一段と表現力に磨きがかかったように思う。「期待」では不安、慄きが見事に表現されていた。かつてほどの声量ではないにしても、声に安定感があってコントロールが巧みだった。ドロリとした声の質感も見事。 「声」についても、小回りのきく緻密な表現力があった。(少しだけ役に感情移入し過ぎたような気もしたが。) 「声」という作品の「女」は、本来は今夜のノーマンのように「耐える女」とはちょっと違い、もっともっとヒステリーを内に秘めた神経質な女のように思うが。

 

「期待」「声」どちらをとっても圧倒的存在感を感じさせたノーマンとは異なり、オーケストラには失望した。特に「期待」だが、まるでためらってでもいるかのように、音の立ち上がり方が悪い。ようやくスコアをなぞっているようなたどたどしさは、作品が作品だからいたしかたないかもしれない。

会場は盛大な拍手が続いた。

(2004年5月24日 於 上野 東京文化会館)

 

*bernardsstarさま

御出張、大変ご苦労さまでした。何かご旅行中に音楽ネタありましたら、ご紹介下さい。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ノーマン 「期待」 「声

2004/ 5/26 11:51

メッセージ: 1080 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

bernardsstarさん宛てのところへ

横から失礼します。

 

la_vera_storiaさんのご覧になられたシェーンベルク「期待」、プーランク「声」について

梶本音楽事務所のHP(Hot news)で見ました。

 

・ノーマン「期待」と「声」をめぐるシンポジウム・レポートとして、座談会の一部内容

 

・あらすじは知られていると思いますが、対訳全文も読めました。(有難いです)

これは la_vera_storia さんの 1079 に対する返信です

 

音楽ネタ

2004/ 5/26 21:49

メッセージ: 1081 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

>何かご旅行中に音楽ネタありましたら、ご紹介下さい。

 

出張先は、クラシック音楽には縁遠いところでして・・・

 

航空機内のサービスでも、このトピで紹介するようなジャンルのものは、流していませんでした。

本屋ではカフカ本はありましたね。カフカの人気は全世界的なんでしょうかね?

 

Novakのチェコ語発音を日本語表記するには、「ノヴァーク」または「ノバーク」でいいと思います。

これは la_vera_storia さんの 1079 に対する返信です

 

ゲルギエフ指揮のマーラー交響曲9番

2004/ 5/27 2:41

メッセージ: 1082 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possident...)

 

ワレリー・ゲルギエフ指揮

ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団(Rotterdams Philharmonisch Orkest)

(曲目) マーラー 交響曲第9番 ニ長調

 

ロッテルダムフィルハーモニーを聴くのは何年ぶりか? オランダがらみの仕事でアムステルダムにしばしば行った時には、ロッテルダムにもよく聴きに行ったものだった。その時の主席指揮者はジェフリー・テイトだった。その時代に一度、確かゲルギエフの指揮でも聴いた記憶があるが、曲目は残念ながらまったく覚えていない。 今回は今飛ぶ鳥を落とす勢いのゲルギエフの指揮のもとで、どのような響きと音楽をやるのかに期待を持っていた。結論としては、とにかく圧倒されたということに尽きる。そしてもう一言、まったく感動しなかったということである。

 

ロッテルダムフィルの音の変わりようには驚いた。かつてのバランスのよい、そして緻密なオケから、少なくとも今夜のゲルギエフの指揮で聴く限り、まるでロシアのオケのように荒々しいオケに変身していた。しかし思うに、これはやはりゲルギエフの音の作り方その他がこのオケに浸透しているのが理由のように感じた。というのも、昨年秋に彼がマリインスキー劇場管弦楽団を指揮してマーラーの3番を演奏したときの音とやや近いものがあるからだ。

 

こういうゲルギエフの指揮で聴くマーラーは、まずオーケストラが極彩色に近い色で鳴る。今夜は特に、ホルンの強奏が目立っていた。爆発するフォルテの凄まじさと、そしてすべてに強い表情で演奏される各パート、これらを束ねているゲルギエフの統率力の優秀さはよくわかる。音楽は決して弛緩せず、最初から最後まで非常に張り詰めた音楽であった。とにかぐ全曲を通して「押しの一手」の連続。しかしこうなると、押すばかりではなく引いてみろと言いたくなる。音楽をまったく弛緩させずに、「押したり」「引いたり」しないと、マーラーの音楽は生きないと思う。一例を挙げれば、第3楽章のRondo-Burlesqueだが、FugatoVの箇所のあとのEpisodeにあたる部分のヴァイオリンのcantilenaなどは、もっと感性豊かに(そして脱力感を伴って)演奏されるべきだと思うし、第4楽章のAdagioの最後のersterbendという箇所に至っても、消え入るような音量になりつつも、やはり表現としてはひたすら強く押し捲っているだけの感がするのだ。 最後の音の消え去ったあと、約30秒ほどだったか、会場は完全に物音ひとつしない沈黙、そして拍手。この点はなかなかよかった。

 

今夜のゲルギエフは指揮台なしで指揮したが、こういう指揮者というのはアルノンクール、ブロムシュテット、ロジェストヴェンスキーなどくらいだろう。もっとも、このほうが楽かもしれないが。それから、今夜のサントリーホールは第2楽章終了まで、場内に聴こえる高周波音に悩まされた。第2楽章の終わったところでたまりかねてステージの脇から、(あれは主催者の人か?)聴衆に向けて、電子機器のスイッチを止めるようにとの要請があった。サントリーホールでこういうことがあったのは珍しいのではないか? 一昨年のポリーニプロジェクトでも紀尾井ホールで同様のケースがあり、確かあの時は全員とりあえず会場の外に出た記憶がある。

 

ゲルギエフの統率力には敬意を表するし、なかなか濃厚なマーラーだったと言う点でかえって新鮮にも感じさせてくれたものの、逆にもっと清澄なものがないと、本当に感動させてはくれないと思った。会場は熱狂的な拍手だった。

(2004年5月26日 於 サントリーホール)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ゲルギエフ

2004/ 5/27 21:44

メッセージ: 1083 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

連日のレポート、どうもありがとうございます。

 

小生はウィークデーは、連日残業で、コンサートに行けるのは週末か、あとはCDですね。

 

ゲルギエフの演奏の本質の表現について、同感です。バルトークの「中国の不思議な役人(宦官)」を指揮したときは、すさまじいばかりの威力・破壊力でしたが、そのあとのブラームスはがっかりでしたね。

これは la_vera_storia さんの 1082 に対する返信です

 

プフィッツナー ピアノ・トリオ OP.8

2004/ 5/30 18:21

メッセージ: 1084 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

ピアノ・トリオOp.8 ヘ長調(1896)

 

久しぶりのプフィッツナー

そろそろ交響曲、協奏曲にと思いながら、聴くのは室内楽になってしまいます。

 

ブリリアントな曲です。

2楽章の感傷的、浪漫的なメロディは濃厚すぎるほど効いてますが、美しいです。

 

当時の評価は分かれていたようで、

好意的なものは

”見事な巨匠ぶりと、曲の構成に大胆さを備えている”

一方、

”全く形の整っていないひどいもの”

というようなことが本に書かれていました。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

プフィッツナー:VnとPfのためのソナタ

2004/ 6/ 1 22:50

メッセージ: 1085 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

小生からもプフィッツナーの室内楽を紹介いたします。

この作品27(1918)は、際立った独創性は感じられないものの、

流れていく音楽の豊饒に身をまかせるといった趣の曲ですね。

CDもさることながら、実演に接してみたいという気がします。

 

なおCD(CPO)でヴァイオリンを演奏しているUlf Wallinは、Hochshule fur Musik Hanns Eislerで教授の地位にあるとのこと。この学校、ならびに作曲者についても調べてみました。

 

http://www.hfm-berlin.de/deutsch/gesch.php

 

http://eislermusic.com/life.htm

これは jumeautriste さんの 1084 に対する返信です

 

実演に接してみたい曲

2004/ 6/ 3 13:15

メッセージ: 1086 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

プフィッツナーで実演に接してみたい曲は

 

・チェロとピアノのためのソナタ Op.1

・弦楽四重奏曲 Op.36

 

<チェロとピアノのためのソナタ>は聴き栄えする曲のように思いますし、

生の音として楽しみたいのと、ピアノ、チェロの演奏する様子も見たいと思います。

二人とも男性奏者がいいと思います・・深い意味はありませんが、

ピアノは男性の弾く音で・・そう思われません・・?

 

 

それからプフィッツナーではないのですが、

聴いてみたいのが、

・ハルトマン:<葬送>

・ベルク:<ある天使の思い出に>

この交響的なコンツェルトは、CDで聴けば聴くほど実演で聴きたくなります。

張りつめた緊張感、

ピーンと糸を引くような、貫けるように美しいヴァイオリンの高音・・

これは bernardsstar さんの 1085 に対する返信です

 

・ベルク:<ある天使の思い出に>

2004/ 6/ 3 22:25

メッセージ: 1087 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

N響(か、都響)の定演でかなり以前にこの曲を聞いたとき、Vnがピーンと張りつめて、

 

弦はなんとか切れなかったが、弓がボロボロになっていたのを記憶しています(温度・湿度の影響もあるでしょうけれども)

 

この曲の結尾が「バッハ的」な偉大さをもっていると、なんかの本で読んだので、聴き直してみたいと思っていますが、

最近は聞いていませんでした。

これは jumeautriste さんの 1086 に対する返信です

 

M・レーガー <ヒラー変奏曲とフーガ>

2004/ 6/ 6 21:06

メッセージ: 1088 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

短いテーマはヨハン・アダム・ヒラー(1728-1804)の歌劇 Der Aerndtekranz からです。

 

11変奏は、1シーンごとに場面が変わるように "騒と麗”巧みに変奏させて、面白く聴いてます。

麗しいところはうっとりするようなのびやかさですが、

所々、金管がけたたましく、うるさいと思うところもあります(笑)

 

演奏はコンヴィチュニー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

 

 

マックス・レーガーの変奏曲で思い出すのが、

”世界最古のオーケストラ”というタイトルだったと思うのですが、

シュターツカペレ・ドレスデンのことを扱った番組の中で、ブロムシュテットが語っていた、

”スェーデンでの子供のころ、ラジオから聴こえてきた美しい音楽があり、

それはレーガーのモーツァルト・バリエーションで、指揮はKarl Boehm! ”とベームを強調して言っていたブロムシュテットの顔を思い出します。

4ー5年前でしたか、シノーポリの追悼番組でだったか・・そのへんは憶えてないのですが・・

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

プフィッツナー Vnソナタ

2004/ 6/10 22:58

メッセージ: 1089 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

>際立った独創性は感じられないものの、

>流れていく音楽の豊饒に身をまかせるといった趣

 

後をひくというような個性的な曲ではないですね。

フランス的(感覚的に)とも思える洗練された感じの流れるような曲でした。

 

ヴァイオリンの響きも、

発散する感じの明るい音色より、暗いめで集まった感じの音が好きなので、

このヴァイオリンの音色も好みでした。

 

 

エラートから出ている<名器の響き ヴァイオリンの歴史的名器>で

ニコロ・アマティ、ストラディヴァリ、ガルネリの各名器で演奏された曲集の中で、

ストラディヴァリ<プロヴィニ 1716年製>でバッハの無伴奏パルティータより

ガルネリ・デス・ジェスでこちらは無伴奏ソナタ1番よりの演奏を比較して聴きましたが、

明のストラディヴァリウス、暗のガルネリとよく分かりました。

 

私はバッハの無伴奏にはガルネリがいいと思いましたが、

音色は好みですし、ストラディヴァリでも一様の音ではありませんし・・

 

スターン、コーガンはガルネリと聞いています。

オイストラフはストラディヴァリの凡器だという事です。これは”弘法は筆を選ばず”ですね。

これは bernardsstar さんの 1085 に対する返信です

 

レーガー:VnとPfのためのソナタ第9番

2004/ 6/11 8:01

メッセージ: 1090 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

レーガーの曲について小生からも・・

レーガーは、1873年生まれ、1916年死去なので夭折と言えるでしょうね。たぶん、あの肥満が主因だと思われます(かつて、このトピで紹介した作曲家の病状に関する本を読み進めてみようと思っております。)

この長くはない生涯の中で、非常に多くの作品を残していて(紹介されているのは一握り)、この最後のヴァイオリンソナタ9番(1915)ハ短調、作品139は最晩年の作品。マイニンゲンのオーケストラの音楽監督の座からも追放された不遇の時期。

(レーガーはなぜか、ロシアで人気を博したようで、死の直後、交戦中のロシアのペテルブルグでレーガーの作品の追悼コンサートが開催されたそうな・・・)

 

曲想は、「ブラームスの亜流」といった決め付けができないところがあります。コード進行に対する制約が緩められていった時期において、「ドイツ」の枠外にも目を向けた自由な作風を追求していた・・と言えるのではないか?また、ロシア的な和声も感じられました。バッハ的なフーガにしても単なる懐古趣味ではなく、自由な作風追求のための一手段のように思えます。ヒンデミットはレーガーを高く評価していたそうですが、ヒンデミットがジャズ風のシンコペーションで「自由化」を推進していったのに対し、レーガーにはそういった兆候は見えていません。

 

この曲を聴いたCDでピアノを弾いているペンティネンは、先に紹介したプフィッツナーのVnソナタのCDでもピアノを担当。彼自身、著名な作曲家ですが、19世紀末・20世紀初頭の音楽作品の発掘・紹介にもかなり貢献していますね。

 

なお余談ですが、このCD(CPO)のジャケットの絵はキリコの作品で、アラブ風建築、蒸気機関車、ギリシャ風彫刻の3テーマで構成されたもの。小生の好みに完全に合致していました。

これは jumeautriste さんの 1088 に対する返信です

 

スクリャービン

2004/ 6/13 19:51

メッセージ: 1091 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

時代はずれていないのですが、

ロシアの作曲家って言うのがイエローかもしれません・・

 

スクリャービン:(1872〜1915)別に1871年12月生まれという説もあります。

 

<神聖な詩><法悦の詩>

ミハイル・プレトニョフ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団

 

<神聖な詩>は始めて聴きます。

プレトニョフもしばらく2足のわらじでいって、そのうち指揮者専業になるのでしょうね。

 

1楽章が闘争、2楽章が喜び、3楽章が神聖な遊び、と精神の三つの段階を描いているらしいです。

 

この作品でいちばん大切な主題は、序奏に出る自己主張の主題ということですが、確かに印象的です。

私は1楽章の弾むような付点のリズムの舞踏を思わせるところの音楽が印象に残り、好きです。

 

もともとは澄み切った音楽だと思いますが、

演奏次第では濃厚にもなり得るような気もしますが、

プレトニョフはすっきりと清潔で繊細な感じの演奏です。

 

最近はこういう音楽を聴いていないので、たまには新鮮でいいです。

 

スクリャービンの病気もなにか解ることがありましたら、お願いします。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re: スクリャービン

2004/ 6/14 22:50

メッセージ: 1092 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

スクリャービンの死因は、くちびるにできたガンでした。彼の容貌は写真によって異なりますが、小生には東洋系(タタール)の血が強いのではないか? と思います。

 

「法悦の詩」を初めて聴いたときの衝撃・感動には忘れ難いものがあります。しかし、同時代の作品をいろいろと聴いていくと、彼の作品の多くが外面的な華麗さを取り繕っているような気がしてきます(初期の交響曲など)。外面的な派手さにやがて飽きてくるという現象は、マーラーの一部の作品についても言えることだと思います。

 

ということで・・・

これは jumeautriste さんの 1091 に対する返信です

 

R・シュトラウス <Daphne> T

2004/ 6/18 15:04

メッセージ: 1093 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

1幕の牧歌的悲劇<ダフネ>

 

寸暇を見つけ、手元にあるライナーノーツの解説、楽曲解説だけで少しまとめてみました。

<影のない女><ダフネ>

この二つの性質の違う作品はシュトラウスのオペラの中でも特に気に入っている作品です。

それも私の場合は”聴くオペラ”としてですが・・

できる事なら、一度は実際の舞台も観てみたいと思いながらままならないでいます。

 

 

<ダフネ>

題材はギリシャ神話から、

かつて河の神であったペナイオス、大地の女神であったゲーアの子、ダフネが

アポロに愛(恋)され、アポロの願いによって月桂樹にされてしまう物語りを

ヨゼフ・グレゴール(1888〜1960 文化史家、演劇学者)が台本を書いています。

 

音楽もパストラーレ風な物語にそった耳に心地よい響き、美しい音楽です。

「ダフネは聴くということでは楽しめるオペラだが、

観るという点ではいささか退屈である」(引用:ウィリアム・マン)と云われています。

 

ギリシャ神話のダフネは、オペラが誕生する前1589年、

ルーカ・マレンツィオによって<ダフネ>と称するパストラーレ田園風物語が作られ、

メディチ家の婚礼のインテルメッツォとして上演されたという事です。

史上最初のオペラがやはり<ダフネ>で

マレンツィオのパストラーレを基にリヌチーヌが作詞し、ヤコポ・ペリが作曲し、

1594年にフィレンツェで初演されています。

 

ドイツではハインリヒ・シュッツが作曲していて

台詞がドイツ語であるのでドイツ・オペラ最初の作品とされていて、

1627年にトルシュタインのお城で上演されましたが、原稿は焼失、紛失で今では聴くことが出来ません。

 

その他では

モンテヴェルディの弟子、フランチェスコ・カヴァルリのオペラ<アポロとダフネの愛>は1640年作曲、

ジョヴァンニ・アンドレア・ポンテンピ作曲のオペラ<ダフネ>は1672年にドレスデンで初演、

アレッサンドロ・スカルラッティの<ダフニ>は1700年初演、

ヘンデルは1707年頃にカンタータ<アポロとダフネ>を作曲

 

19世紀に入ってからは

フェルナンド・ルポルンの<ダフネ>が1885年に上演、

20世紀ではG・ミュレの3幕オペラ、1928年ローマ初演などがあります。

 

 

シュトラウスの<ダフネ>に戻りますと

ホフマンスタールが亡くなり、あとのシュテファン・ツヴァイクがユダヤ人であったため、

ヒトラーが政権をとった当時、協作出来なくなり、ツヴァイクの推薦でヨゼフ・グレゴールが台本を書くことになりました。

 

グレゴールはフランスの画家、テオドル・シャセリオー(1819〜58)の描いた

石版画「アポロとダフネ」に構想のヒントを得、

シュトラウスはイタリアの彫刻家、ジョヴァンニ・ベルニーニ(1598〜1680)の「アポロとダフネ」に魅せられていたと言うことです。

 

最初の草稿ではグレゴールは二人の神、

羊飼いの姿をしたアポロ、豚飼いの姿のツォイス(ゼウス)を登場させる構想を持っていましたが、

シュトラウスはゼウスを”不適当なヴォータン”として排除することを要求し、グレゴールもやむなく折れたと云うことです。

後の作品<ダナエの愛>ではゼウスはジュピターとして登場しています。

 

そしてグレゴールはアポロはバリトンが歌うと想定していましたが、シュトラウスはドラマティック・テナーを起用し、

アポロとロイキッポス、二人のテナーを起用しています。

テナー嫌いと云われているシュトラウスですが、

テナーの扱いは<影のない女>の皇帝、<ナクソス島のアリアドネ>のバッカス、

<ダフネ>のアポロ、<ダナエの愛>のミダスと、それぞれ素晴らしい音楽を与えていると思います。

 

3稿を受け取ったときにはシュトラウスは台本を熟知し、グレゴールが清書する1枚、1枚にどんどん作曲していったという事をベームが回想しています。

 

1937年のクリスマス・イヴに総譜は完成し、

シュトラウスの若き友人、カール・ベームに献呈されました。

初演はベームの指揮で1938年10月25日、ドレスデン国立歌劇場で行われました。

 

 

音楽については後日、書こうと思っています。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

R・シュトラウス <Daphne> U

2004/ 6/19 17:24

メッセージ: 1094 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

舞台はオリンポスの山の麓、夕日は沈みかけていて、

オリーブの樹が密集しているあたり、奥のほうには川があり羊飼い達が動いている・・

 

前奏曲、木管だけによるダフネの動機で始まり、のどかで牧歌的なこのオペラの性質が表現されています。

幕が上がると、羊の群れとともに羊飼いたちが現れ、

ペナイオスが人々を集めるホルンが聞こえます。

 

・羊飼い達の対話:

全ての自然物が結婚するというディオニソス祭について、羊飼い達の語り合いから始まり、

やがて合唱しながら準備のため去っていきます。

 

・ダフネのモノローグ:

羊飼い達が去った後、夕日の残照の中あどけない少女のようなダフネが登場し、

太陽が沈み行くことを嘆き、太陽神アポロを慕い、

太陽のもとに育まれる樹木、草花を一緒に育った兄弟姉妹と歌う長いアリア。

管楽器、弦楽器の独奏楽器が美しいオブリガートとして寄り添い、歌を際立たせています。

 

・ロイキッポスとダフネの2重唱:

ダフネの抱いた樹のかげから、ロイキッポスが現れて、フルートのオブリガートで子供の頃のことを語り、

愛を打ち明けますが、恋人としてダフネを愛するロイキッポスを拒否します。

ロイキッポスは若々しいリリック・テナーです。

 

・ダフネと母ゲーアの2重唱:

ロイキッポスが失望して去った後、

ゲーアが祭の晴れ着をもって現れ、着替えるようすすめるが、

ダフネは今のままがいいという、アルトとソプラノの美しい2重唱。

このゲーアと次に登場するペナイオス、

アルトとバス低い声で大きく動く旋律を朗々と歌うところは、かつて神であった威厳が感じられます。

 

・二人の乙女とロイキッポスの3重唱:

乙女達がロイキッポスをからかい戯れる軽快な2重唱は<パルシファル>の花の乙女を思い出します。

 

・ペナイオスの語りと合唱:

ペナイオスがゲーア、羊飼いを伴い、オリンポスの山から明かりが消えないのは太陽神アポロを始め、神々が人間界に降りてくるのだと歌います。

 

・アポロの登場:

騒然とした音楽となって、

人々が驚くなか牛飼いの姿をしたアポロが弓と矢をたずさえて晴れやかな音楽で登場します。

ここには暴れる牛を追って辿りつき、辿り着くまでの苦労話しを語ります。

この語りの音楽は堂々として凛々しく、太陽神アポロの登場には相応しい音楽です。

 

ゲーア、羊飼い達は現れたのが神でないことに落胆しますが、

ペナイオスは牛飼いを祭りに招待することにし、ダフネを呼ぶよう命じて人々は立ち去ります。

 

ここまでが前半のあらすじと音楽です。

叙述的な物語で音楽も劇的なものではありませんが、美しい旋律と歌に溢れています。

これは jumeautriste さんの 1093 に対する返信です

 

Re:<Daphne>

2004/ 6/19 22:56

メッセージ: 1095 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

紹介、ありがとうございます。後半、楽しみです。

 

残念ながら、小生は「ダフネ」は未聴。

R・シュトラウスの奥さんの一番のお気に入りだったオペラだそうですね。

 

下記リンクは、ピンカス・スタインバーグ指揮、ミュンヘン放響のものです。

 

http://www.gaponline.de/strauss/daphne/daphne.htm

これは jumeautriste さんの 1094 に対する返信です

 

Richard-Strauss-Tage 2004

2004/ 6/19 23:00

メッセージ: 1096 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

ガルミッシュの「リヒャルト・シュトラウス・ターゲ 2004」のホームページも紹介します。

 

http://www.gaponline.de/strauss/

これは bernardsstar さんの 1095 に対する返信です

 

R・シュトラウス <Daphne> V

2004/ 6/20 21:02

メッセージ: 1097 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

人々が去り、音楽も沈まり・・・

 

・ダフネとアポロの2重唱:

アポロがひとりもの憂げに歌い始め、

牛を追って来た、とあさましくも嘘をつき、自分こそが欲情した牛だ、と自分を責めています。

 

暗くなった風景を満月が照らし、

アポロは家から出てきたダフネの美しさに心打たれ、

音楽も神秘的な気分になり、

Was seh ich? Was schreitet dort?

そして思わず、schwester! 妹よ!と呼びかけてしまいます。

アポロのうっとりとした歌に続き、

ダフネの憧れと戸惑い、アポロの恋心が絡みあう”恋の始まり”の2重唱が続きます。

 

ダフネは妹よ!という呼びかけに親しみを憶え、お兄さま!と応え、

次第に大きな喜びを感じ、アポロの歌も情熱を増します。

2重唱が最も高揚したところで歌声が途絶えます。

金管主体の管弦楽だけの美しい音楽、アポロとダフネの接吻の場面の音楽です。

 

この場面、パルシファルとクンドリーの接吻の場面を思い浮かべながら作曲したであろう、と書かれています。

シュトラウス自身もこの音楽には自信を持っていたとも書かれています。

 

月も隠れ、あたりは真っ暗になり、

遠くではディオニソスに祈る合唱が静かに聴こえます

ダフネはアポロの青いマントにくるまれ、次第に不安になり、訴えますが、

アポロは愛の祭りに連れて行こうとします。

ダフネとアポロの語らいの間に聞こえる合唱、

”復活したディオニソスよ、

 私達に与えよ、

 陶酔と、

 恋と、

 女神アフロディテを!”

が、効果的に響きます。

 

管弦楽の響きは薄く、不安な気持ちを訴えながらも甘いダフネの歌に、

情熱的なアポロの旋律がからみ、美しい2重唱です。

前の2重唱では、Schwesterと呼びかけていたのが、

この場面の2重唱では Geliebte に変わっています。

当然、音楽はより官能的な香りがします。

 

 

あちこちから松明を持った人々が現われ、

アポロも武具をつけ、

ペナイオスのディオニソス祭り開催の宣言で場面が転換します。

これは jumeautriste さんの 1094 に対する返信です

 

R・シュトラウス <Daphne> W

2004/ 6/21 16:56

メッセージ: 1098 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

ディオニソス祭りが始まり、

羊飼いの荒々しい踊り、乙女達の踊りの音楽、ディオニソス讃歌の合唱が続いています。

バッカスの杖を持った若い娘、酒の入った杯を持った若い娘、

ロイキッポスも女装して酒を勧めるふりをしてダフネに近づきます。

 

・アポロの怒り:

アポロが耐え切れず、”神を卑しめる気か”と叫びだし、

わの分からない羊飼い達はアポロを取り押さえようとします。音楽は騒々しく激しいものに急変します。

弓を空中で振り回し、遠くでは雷鳴がします。

ハープのアルペジォで表現され、3度目の雷鳴で人々は逃げ去り、

 

・ダフネ、アポロ、ロイキッポスの3重唱:

大きな山場で、音楽も劇的な迫力があり、声楽を伴った交響詩という風情です。

 

3人だけになり、ダフネを奪い合う激しいやりとりが始まり、

ロイキッポスが女装を脱ぎ捨て、名を名乗り、ダフネにも自分に従うように云い、

毅然と立ち向かい、アポロにも名乗るよう迫ります。

本当のことが知りたいというダフネの言葉に、アポロも名乗ります。

 

この名乗りの歌、台本には

”腕を広げてラプソディー風に歌う”という指示があります。

のびのびとした旋律を快げに朗々と唱います。

高揚感のある後奏はダフネの感動も表しているように思います。

 

ロイキッポスは名乗ったにもかかわらず、嘘だと罵り、アポロは弓を張って矢を放ちます。

雷鳴が轟き、ロイキッポスは雷光にうたれて倒れます。

弱々しい言葉のあと、死を知らせる音楽に続いて、

 

・ロイキッポスの死を悲しむダフネのアリア:

ダフネは死に追いやったのは自分の罪だと悟り、

自分の全てを犠牲にして死を待とう、と歌う長い感動的なアリアです。

 

繊細な表現と芯の通った力強い表現と、

高度な歌唱力、表現力が必要とされるアリアだと思います。

 

・アポロの後悔:

ダフネのアリアを受け、

自分の行いを悔い、弟ディオニソスにはロイキッポスを神の国に連れて行ってくれるよう、

ツォイスには人間界を乱したことを詫び、

ダフネを自分に与えてくれるよう乞いますが、

それは永遠の緑、神の樹月桂樹として与えてくれるよう願うアリアです。

 

弱々しく静かに歌い始め、次第に荘重に切々と力強く懇願し、最後は祈るように歌い終わります。

 

・ダフネの変容:

アポロが去った後、音楽は満たされた感じになり、

あたりは暗くなり、激しいシンバルの音とともにダフネの足は地につき、立ちすくみます。

”来ました、緑なる兄弟よ、

 大地の甘美な液体が

 私のからだを流れていく、

 清らかな光りよ、葉や枝々に包まれ、

 あなたのところに行きます!”

と気持ち良さそうに歌い、月の光りの中、月桂樹に変容します。

管弦楽の美しい後奏のあと、

ダフネのヴォカリーズが木々のざわめきの間から聞こえ、

・・やがて消えていきます・・・ 完 

 

 

最後の変容の場面、シュトラウスが考えていた奇跡に対し感嘆の思いを合唱で表すという構想は

管弦楽だけで最後にダフネのヴォカリーズを入れるというC・クラウスのアイデアに変わり、

合唱の部分は<ダフネの樹によせて>という合唱曲として1943年に発表されました。

これは jumeautriste さんの 1097 に対する返信です

 

R・シュトラウス <Daphne> X

2004/ 6/21 20:34

メッセージ: 1099 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

客観、主観が入り混じってしまいましたが、

非文学的で箇条書きのような文章なので、

あらすじくらいは分かっていただけたでしょうか・・

 

1幕オペラで1時間30分余りと短いですし、

筋運びも分かりやすいし、歌が多く音楽も分かりやすいです。

 

何より清々しいのです、だから後味もいいですし・・シュトラウスの巧さなのでしょうね。

 

 

聴いた録音:

・アルトゥール・グリューバー指揮 北ドイツRSO

ダフネ:マウト・クニッツ

アポロ:ペーター・アンダース

ロイキッポス:ロレンツ・フェーエンベルガー

1949年録音

 

・カール・ベーム指揮 アン・デア・ウィーン ライヴ

ダフネ:ヒルデ・ギューデン

アポロ:ジェイムズ・キング

ロイキッポス:フリッツ・ヴンダーリヒ

1964年

 

・ベルナルト・ハイティンク指揮 バイエルンRSO

ダフネ:ルチア・ポップ

アポロ:ライナー・ゴールトベルク

ロイキッポス:ペーター・シュライアー

1982年録音

これは jumeautriste さんの 1098 に対する返信です

 

<ダナエの愛>の楽譜

2004/ 6/24 0:29

メッセージ: 1100 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

R・シュトラウス、グレゴールのコンビの<ダナエの愛>

 

持っているCDにはドイツ語のリブレットすら付いていなくて大いに困っていたのですが、

注文していたヴォーカル・スコアが届いて手掛かりができました。

ドイツ語を読むのにどれだけの時間がかかるか、気の遠くなる作業です。

風刺コメディなのです。

 

この作品のスコア、ヴォーカル・スコアは出版されているのですが、

フル・スコアは出版されていない、という事です。

フル・スコアはレンタルだけだそうです。

どういうことかよく分からないのですが・・

 

CPOレーベルから最近の録音が出ていますね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

カプリッチオ

2004/ 6/26 22:03

メッセージ: 1101 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

R・シュトラウスの晩年のオペラ、数多くの作品がありますね。小生は全部を聴き終えるまでには至っていません。

 

ワーグナーの最晩年の作品「パルシファル」が完全に枯れ切った作品であるのに対し、R・シュトラウスの最晩年の作品「カプリッチオ」には若若しい力強さ、雄大さがあって好感がもてますね!

これは jumeautriste さんの 1100 に対する返信です

 

>カプリッチオ

2004/ 6/26 22:11

メッセージ: 1102 / 1477

投稿者: phoneslots

 

カプリッチオのどこが雄大ですか?

枯れ切った室内楽的な曲ではないでしょうか?

これは bernardsstar さんの 1101 に対する返信です

 

>>カプリッチョ

2004/ 6/26 22:58

メッセージ: 1103 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

偶然、私も<カプリッチョ>について投稿しようと思っていたところです。

 

久しぶりにCD屋さんに行ったらシュトラウス、ワーグナーと見かけないのがあって、

そのなかで、C・クラウス指揮<カプリッチョ>を買って来ました。

 

クラウスの指揮で聴けるのは嬉しいですし、

ルドルフ・ショックの音楽家フラマン、伯爵夫人がヴィオリカ・ウルズレッチ、

劇場支配人がハンス・ホッターで、

1枚目を聴いてますが、

語るように歌う、歌うように語る、(変な表現かもしれませんが・・)かなり歌っていて、歌も充分楽しめますし、

クラウスの指揮も旋律を息長く引っ張り、高揚感もあり、

ドイツのオケなのですが、思えぬほど音色が晴れやかで、

ソロ楽器の音も際立ち、間違いなく<カプリッチョ>マイ・ベスト盤になると思います。

 

オケ編成は80人ほどですが、

最初の弦楽6重奏、間奏曲<月光の曲>いいですね。

これは phoneslots さんの 1102 に対する返信です

 

読みが・・・

2004/ 6/26 23:04

メッセージ: 1104 / 1477

投稿者: jumeautriste

 

伯爵夫人:

Viorica Ursuleac

 

正しくはどう読むのでしょうか?

 

ヴィオリカ・ウルズレアック

ヴィオリカ・ウルズレッチ

 

私はウルズレッチと読んでいるのですが・・

これは jumeautriste さんの 1103 に対する返信です

 

カプリッチオ(2)

2004/ 6/27 6:26

メッセージ: 1105 / 1477

アバターとは?

投稿者: bernardsstar

 

> カプリッチオのどこが雄大ですか?

枯れ切った室内楽的な曲ではないでしょうか?

 

一般的にはそう認識されていると思っていますが、決して、坊主のお経のような作品ではないですね。ラ・ローシュの語りのシーンに力強い高揚感を感じました。

これは phoneslots さんの 1102 に対する返信です