バーバー、ワルター、そしてウィーン

2001/ 4/15 0:46

メッセージ: 107 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

たった今、ブルーノ・ワルターの指揮したバーバーの第1交響曲を聴き終えたところです。 1945年1月のニューヨークでの録音ですが、もうドイツの敗戦濃厚な時期です。 もっとも演奏にそういうことの反映などあるはずもなく、またワルターのバーバーの演奏に「ウィーン」が投影しているわけではありません。 

 

ワルターという指揮者の演奏は、世評によく言われているような「ウィーン的」要素については私の感じでは、案外希薄ではなかろうかなどと思っています。  ワルターの場合は、もう少し広い意味で、中欧的であることにはまったく異論はないですし、そこに本質的なものがあるのには違いないでしょうが。

 

ワルターにとってウィーンとは、やっぱり「恋人」だったでしょう。 ウィーンという街に特殊な思い入れを持つのは、ウィーン以外の場所で生まれた人が多く(ちなみにワルターはベルリン生まれ)、ウィーンやその近郊が故郷の人とは全く違う、独特の「恋愛感情」なのでしょう。 彼が Anschuss 直前のウィーンで、いろいろな嫌がらせを受けていたことは知られていますので、ワルター自身としては戦後になってもウィーンへの憧憬を捨て去れなかったとすれば、彼の内部での「ウィーン」は、もっと愛憎を超えたレベルでの抽象イメージとしてのウィーンだったと言えるかもしれません。 また、ワルターにとってのウィーンは、師マーラーの存在を抜きにしては考えられず、戦後ウィーンで演奏する機会には、マーラーの音楽(特に第4交響曲)をメインにするのを好んだようです。

 

シェ−ンベルクやシュレーカーのように、ワルターとは地理的意味では逆に、ウィーンからベルリンに移った作曲家にとっての「ウィーン」とは、自己の内部でどのような意味を持っていたのでしょうか....?  「遠きにありて思うもの」ということは、シェーンベルクやシュレーカーにも当てはまるのでしょうか....?  あるときふっと、なつかしく思い出すなんてことはやっぱりあったのでしょうね....。

これは bernardsstar さんの 94 に対する返信です

 

Re:バーバー

2001/ 4/15 8:24

メッセージ: 108 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

バーバーの第1交響曲。4部に分かれているうち、第1部だけを取ってみると、何度でも聴きたい音楽ですね。「甘く・せつない・透明な」感触で、第2交響曲・第2楽章と同様、今、映画やTVドラマのバックに使われても、決して古臭くない。それどころか、視聴者の大評判を呼んで、今今のTV・映画音楽作曲家達がジェラシーを感じてしまうことのほうがこわいですね。

 

音楽之友社:「レコード芸術別冊 交響曲のすべて」(1980)には、

当時のLP(CBSソニー SOCF104)に対する評論として、以下のように書かれています。

 

「ワルターが残した20世紀に生まれた作曲家の作品の唯一の録音。この作品の改訂版を1944年に初演したのもワルターであった。ワルターはこの作品に彼持ち前のロマン的な詩情を溢れさせる。第1主題のスケルツォ部の生き生きとした気品ある表現もさることながら、第2主題の流麗な歌わせ方は見事だ。ニューヨーク・フィルの厚い響きを生かして聴かせる迫力ある終曲も聴きごたえがある。バーバーの持つ内的なロマンティシズムは、ワルターの時代に現代作品とされたものの中で、彼の心をひいた幸せな例外であった。」

 

シェーンベルクや、シュレーカーにとっての「ウィーン」とは?に関しては、今後、じっくりと探求していきたく、よろしくお願いいたします。

 

ところで、

ヒットラーと米軍によって、ウィーン世紀末(20世紀初頭)音楽が消されたということで、以下の仮説を思いつきました。あくまでも、bernardsstarの私見(想像)ですので、あまり本気になさらないことを!

 

(仮説・私見・想像)

アメリカは、ヒットラー&ナチスの揺籃期から、「危ない集団」であることは見抜いていた。にもかかわらず、全欧に戦火が拡大するまで、連合軍に加わらなかったことには、色々な理由がある。そのひとつに、ヒットラーの迫害に耐えかねて、優秀なユダヤ人が米国に移住してきて、米国の科学技術・文化・芸術の発展に貢献し、米国の国力増大に寄与することを期待したことがあった。

ユダヤ人達は、オーストリア、ドイツ、チェコなど自分達の故郷に愛着があり、こういうことでもなければ、米国の誘いに乗ることは、あまり期待できなかったのである。

 

さて、時代が20世紀末に至り、米国のユダヤ人達は、どちらかというと、官僚・経営幹部にのしあがることを好み、金融業に邁進するようになり、革新的・独創的な成果を自ら生み出すことが少なくなっていった。

 

この現実を見た、米国の指導層は、IT技術でのトップの維持を意図し、優秀な中国人・インド人・・・を招聘し、帰化させる戦術を打ち出した!

これは michael_oskar さんの 107 に対する返信です

 

オッターによるコルンゴルト歌曲

2001/ 4/15 8:43

メッセージ: 109 / 1465

 

投稿者: Waldtaube (33歳/男性/USA, Maryland)

 

 はじめまして。以前の話題で申し訳ないのですが、コルンゴルト歌曲のCDについて書き込ませていただきます。

 

michael_oskarさん(お久しぶりです。ムーティ・トピ以来ですね)の書かれた"ENDEZVOUS WITH KORNGOLD"はコルンゴルトの歌曲の変遷と室内楽との関連がよくわかる、コルンゴルト歌曲を知るうえで最適の二枚組ですね。

 

 ご存知かもしれませんが、オッターのコルンゴルトはもう一枚あります。R.シュトラウス歌曲とベルク「初期の7つの歌」とのカップリングです。このCDにはごく若い頃に書かれた「愛の手紙」Op.9-4と、"Rendezvous.."の解説に「作品18と22の間には作風の大きなギャップがある」と言及された作品18の3曲、それに後年書かれた作品38と41が収められています(それに二枚組とだぶって作品14から2曲)。二枚組と違ってこちらは英語の歌はなく、全てドイツリートです。ちなみにシュトラウスとベルクも名演です。

 

 これらの歌曲を聞くとコルンゴルトが非常に器用な作曲家であったという印象を受けます。初期のウィーン小唄風のリートから、新ウィーン学派の初期歌曲に似た作品に変化した後、耳にやさしいが同時にいつまでも漂うような和声が印象的な独自の作風の作品22でいったん彼のリートは確立されたように見えるのですが、ハリウッドでの仕事をはじめた後の英語の歌は全く違う響き、あるときはエリザベス朝の歌曲のように、またあるときはミュージカルのように聞こえます。私自身は、作品38や作品41「ウィーンの為のソネット」のような厚い響きを身に付けてウィーン小唄に回帰したような後年の歌曲にもっとも惹かれます。

 

 しかし、オッターの「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」における活躍は著しいものがありますね。コルンゴルトの他にもヴォルフとマーラーを組み合わせた一枚と、ボニーらといれたツェムリンスキーの歌曲集(ともにDG)は素晴らしいCDです。アバドと録音した「角笛」(リートトピに書きました)と「マーラー・ツェムリンスキー、オケ伴歌曲集」(未聴)もありますね。

これは michael_oskar さんの 72 に対する返信です

 

バーバー、ビートルズ

2001/ 4/15 11:22

メッセージ: 110 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

トピずれしてしまいますが、ご容赦ください。

 

小生、今朝、バーバーの交響曲第2番、第2楽章(アンダンテ、ウン・ポコ・モッソ)を、また聴いてみまして、

この楽章の冒頭、「タータンチェックの味わい」とでもいうべき渋いロマンを、

後世、ビートルズが真似ているのでは?と、感じました。

 

しばしば、ビートルズは、「パーセル以来、久方ぶりに英国が生んだ天才」と称されますが、ポール・マッカートニーといえども、あれだけ多くの曲を書いたのだから、中には「真似」もあったのでは?と、感じた次第です。

*********************

 

追伸:

Waldtaubeさん、アメリカからのご投稿、ありがとうございます。

michael_oskarさん、素晴らしい質問が寄せられましたよ。ご回答お願い申し上げます。

これは bernardsstar さんの 108 に対する返信です

 

コルンゴルトの歌曲とオッターのこと

2001/ 4/15 22:38

メッセージ: 111 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

Waldtaube様!

 

お久し振りですね! 貴兄もコルンゴルトの音楽に親しんでいらっしゃったとは、嬉しい限りです。やっぱり隠れたファン層はかなりいるのではないか、と私は思っていましたので、心強い限りです。

 

さて、貴兄の述べられているコルンゴルトの歌曲の作風の変化について、私もなんとなく感じることはあったのですが、ズバリ全て的確に言葉にして指摘していただいて、私も大変勉強になりました。 コルンゴルトの歌曲の作風が、時代によって微妙に変化している点は、この作曲家を考える上でまさに中心のテーマではないでしょうか?

 

私もなんとなくこの作風の違いがあるなあ、と気になってはいました。 ただ現時点として思っているのは、この変化というのはコルンゴルトの周囲の状況への音楽適応能力の高さではないか、ということなのです。 この点で、ひょっとして貴兄と意見が少々違うかもしれませんが.....。 もともと音楽史をひも解けば、作曲家というのは外部よりの依頼(たとえば、絶対君主、貴族、教会など)が作曲の動機であり、自分の心の命じるままにが可能になったのは、19世紀に入ってからでしょう。 少なくともコルンゴルトの渡米後は、具体的な外部(映画)よりの依頼によって多くの音楽を作曲していますが、私は彼の内部でそれほど苦渋に満ちて作曲していたようには感じられないのです。

 

とはいうものの実際には、Waldtaubeさんのおっしゃるように、「厚い響きを身に付けてウィーン小唄に回帰した(素晴らしい表現!)」、というのが興味深いですね。

 

同じく渡米した作曲家でも、バルトークやシェーンベルクとはかなり違っていますね。 指揮者ならトスカニーニなどはそれほど適応能力はなかった、と感じられます。 もっともトスカニーニほどの人なら、「周囲が自分に適応すればよい」というくらいのところで通じたのでしょうが。

 

私も大変に啓発を受けましたので、今後コルンゴルトの歌曲、舞台音楽を中心に、もっと注意深く聴いていきたいと思っています。

 

それにしてもあのオッターという女性について、ここ数日私の頭の片隅から離れないのです。 ああいう風に感じよく、自分の感じたことを知的に話す女性というのには、私は弱いです。身近にオッターがいてくれなくてよかった、と思っています。 もしいたら、私なら熱をあげますね.......。

 

 

これは Waldtaube さんの 109 に対する返信です

 

   

コルンゴルト続き

2001/ 4/16 0:04

メッセージ: 112 / 1465

 

投稿者: Waldtaube (33歳/男性/USA, Maryland)

 

トピ主様レスありがとうございます。

 

michael_oskar様

>ただ現時点として思っているのは、この変化というのはコルンゴルトの周囲の状況への音楽適応能力の高さではないか、ということなのです。

 

 この点、全く同意見です。彼は非常に器用な作曲家だった。それがコルンゴルトの魅力であると同時に、彼の受容を遅らせた要因の1つなのかもしれません。

 

 前回の投稿で書き忘れたのですが、私がコルンゴルトにはじめて触れたのは、1996年夏、ストックホルムの歌劇場で聞いた"Die tote Stadt"でした。ほぼ同じ人たちによる録音がNaxosから出ていますが、抒情的ながらも過度に情緒に流されない演奏でした。といっても当時はストーリーも知らずに聞いたので、理解したとはいえません。パンフレットに2ページだけの英語ページを読んで、後はスウェーデン語字幕を呆然と眺めておりました。舞台は青を基調とし(亡き妻の世界)、マリエッタは赤で性格付けしていました。小規模だが装飾が豪華な歌劇場に、美しい舞台上の調度品がよくマッチしていました。

 

 このオペラの中で最も知られている「マリエッタの歌」も二枚組CDに入っていますね。室内楽版にすると随分違った(よりハリウッド音楽に近づく気がします)印象を受けますが。

これは michael_oskar さんの 111 に対する返信です

 

ウェーベルンの弟子、Searle回想記

2001/ 4/16 23:34

メッセージ: 113 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

http://www.musicweb.f9.co.uk/music/searle/london.htm

 

を見ると、ナチスが侵攻する直前のオーストリアの状況がわかります。

 

「ばらの騎士」の当時のキャスティング。

 

ウェーベルンの周囲の人間はナチ・シンパが多かった。彼自身は仕事があれば、英国か米国に行きたかったが、彼はドイツ語しか話せないうえに貧乏だった。

 

ウェーベルンの養子であるマッテルは、あとで、ウェーベルンの死の間接的な要因となった。

 

当時、ウィーン・フィルやウィーン交響楽団では、フランツ・シュミット、エゴン・コルナウト、オイゲン・ザドルなどの曲が演奏された。

 

などなど。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ウェーベルンとナチ

2001/ 4/18 2:28

メッセージ: 114 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar 様

 

Searle回想記ありがとうございます。 プリントアウトし、ゆっくり読ませていただくことといたします。

 

さて、ウェーベルンとナチとの問題(彼自身も晩年に親近性を持っていた点)、私なりに少し研究し、私見を交えて御報告させていただきたく存じます。 少々時間頂きたくお願いいたします。

 

とりあえず、非常に大胆ではありますが、彼の「カンタータ」(op.29)に彼のナチへの親近性が封印されている、というところまでうまく論じていければ、と思っています。 

 

とりあえず今回は、問題の所在の指摘まで。

これは bernardsstar さんの 113 に対する返信です

 

 

   

真珠湾攻撃とウェーベルン

2001/ 4/20 2:48

メッセージ: 115 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar 様

 

ウェーベルンとナチとの関係を論じる、などと大変なことをお約束してしまいましたが、私のかなりの精神的負担になりつつあります。 たとえば、以下のような内容

http://urbanlegends.miningco.com/science/urbanlegends/library/weekly/aa062998.ht m

 

のようなことではなく、ウェーベルンの作品にそってやりたい、と思っているのですが......。 とにかく時間をいただきたいです......!

 

本日はとりあえず、真珠湾攻撃のニュースを聞いたウェーベルンが、友人のHueberにあてた手紙の内容(英訳版しか入手できませんでした)のみ紹介します。

 

...... I perceived Japan's entry into the war as a fundamental, decisive turn for the better! A mighty event! ....For who knows what will yet come forth from these people! I must say that this thought fills me with a quite special confidence. For as I imagine them -- the Japanese people -- they appear to me as a healthy race! Through and through!

と書いています。 

「これでアメリカの参戦となり、この戦争には勝った!」と叫んだといわれるチャーチルの発言と比較すると、滑稽にも思います。 それにしても、healthy race と言われて、我々も悪い気はしない??? 

これは michael_oskar さんの 114 に対する返信です

 

ナチ(ウェーベルン、シュミット)

2001/ 4/20 21:49

メッセージ: 116 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskar様

 

ご紹介いただいたサイトの記事も、印刷して熟読しております。

 

ウェーベルンだけでなく、フランツ・シュミットも「ナチに協力した作曲家」という風評がたってしまい、第2次大戦後のオーストリア音楽界から一時、忘れ去られてしまいました。ところが、フランツ・シュミットのリバイバルでは、ナチと戦った英国が先頭にたっております。

 

最もナチに協力した(著名な)作曲家は、「帝国音楽院・総裁」(リヒャルト・シュトラウス)ではないかと思われるのですが、彼の作品の演奏は、第2次大戦後も途切れることはありませんでしたね。

 

「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」を探求する時、「ナチ」の研究は不可欠のものとしてスコープに入ってきます。

僕も、また何か興味深い情報を見つけたら、報告いたします。

気長にじっくりと探求して参りましょう。

情報ありがとうございました。

これは michael_oskar さんの 115 に対する返信です

 

 

全音階、セリエール、12音

2001/ 4/20 23:06

メッセージ: 117 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

"Webern's Dodecaphonic Conspiracy"<br><br>を読み終えました。12音を使った"Conspiracy"という説は、小生にも「眉唾」のように思えます。

それに、「全音階=良い音楽」、「セリエール、12音=悪い音楽」、というような主張をしているのも解せません。

全音階で作った作品にもどうしようもない駄作はいくらでもあり、一方、セリエール(セリー)、12音にも、ブーレーズ、ハウアーのように大変に美しい作品があります。

形式はともあれ、美しい音楽は美しく、貧しい音楽は貧しいものと、考えております。

これは bernardsstar さんの 116 に対する返信です

 

ウェーベルン/ナチ論の前提として...

2001/ 4/21 3:56

メッセージ: 118 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar 様

 

ウェーベルン心情ナチ論の前提として、下記を解決することが必要と思っています。今のところ、私独自に以下の点に対して考察を行なっておりますので、前もってお知らせしておきます。

 

(1)ウェーベルンは1930年代前半より、ナチには抵抗感はまったくなかった。しかし1940年頃よりはっきりと親ナチ的心情を吐露するに至り、さらに彼の経済状況の窮状が増すにつれて、親ナチの心情は強くなった。この親ナチの心情の増は、生活条件の「悪化が原因」なのか、あるいは生活条件の「悪化にもかかわらず」、なのか?

 

(2)ウェーベルンの性格に、親ナチ心情を醸成させた要素があるのか?

 

(3)ウェーベルンの1930年代と40年代とを比較し、30年代の作品にはない、どういう新しい要素が40年代になって現れるのか?

 

(4)最初のカンタータ(op.29 - 1939年完成)と2番目のカンタータ(op.31 - 1943年完成)との間にどのような音楽上の相違点があるのか?

 

(5)ドイツ敗戦直後のウェーベルンのナチに対する言動は記録されているのか? されているとすれば、どういうものか?

 

.....といったところです。

これは bernardsstar さんの 116 に対する返信です

 

 

   

グルリットとメンデルスゾーン

2001/ 4/21 23:29

メッセージ: 119 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

のトピを作りました。カキコお待ちしております。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ここでの話題の音楽と指揮者

2001/ 4/21 23:38

メッセージ: 120 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

についてみなさんの考えをお聞きしたいと思います。

 

このトピでの音楽がレパートリーの指揮者としては、

 

ローター・ツァグロ―セク、リッカルド・シャイ―、ジェームズ・コンロン、インゴ・メッツ・マッヒャ―、フランツ・ウェルザー・メスト、ジョン・マウチェリー、大野和士などがいますが彼らについての皆さんの思い入れなどをお聞きしたいです。

他に賞賛すべき指揮者がいたら教えてください。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re) Webern s Conspiracy,その他

2001/ 4/22 2:46

メッセージ: 121 / 1465

アバターとは?

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

まったく同感ですね。

あの"Conspiracy"ですが、私も最初の部分はかなり真に受けて、のめりこみそうになって読みましたが、すぐにそのおかしさに気が付きました。  

結果的に怪しげな情報を提供いたしてしまい、申し訳なく思っています。

 

ウェーベルンの手紙等での親ナチ発言、いろいろ調べてみましたが、やはり1943年後半以降はないようです。 原因としては息子のペーターが軍に招集されてしまい、その身を案じるようになったことが原因のようです。 そして祖国の将来を憂う発言が多くなっています(特に43年10月頃の手紙)。

 

さらにソ連軍がウィーンに迫ってくるようになると、それこそ疎開せざるをえなくなり、ナチどころではなくなります。 したがって、45年5月のドイツ降伏以降、ウェーベルンの死までの短い間に、ウェーベルンのナチに対する感情を窺い知る発言の存在は、期待できそうにもありません。 もう少しあたってみるつもりですが.....。

これは bernardsstar さんの 117 に対する返信です

 

ウェルザー=メスト、大野和士

2001/ 4/22 8:17

メッセージ: 122 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

ウェルザー=メストは、フランツ・シュミットの作品演奏で実績・定評があり(交響曲4番のCDを持っております)、大野和士は、今後の重要なレパートリーとしてフランツ・シュミットを挙げております。そういった意味で大いに期待。コルンゴルトにも注力してほしい。

これは gur1zem2korn3 さんの 120 に対する返信です

 

「東京国際ブックフェア」で買った本

2001/ 4/22 8:20

メッセージ: 123 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

21日は、「ビッグサイト」で開催されている「東京国際ブックフェア」に行き、特に洋書のバーゲンセールに出品されている本をじっくりと見てきました。残念ながら、小生の興味を引き起こす書籍はあまりなく、めぼしい以下の3冊は、bernardsstarが買占めましたので、あしからず。いずれも、今後、このトピで使えそうな情報を数多く含んでおります。

 

(1)OPERA V PRAZE (プラハの歌劇) (PANTON)

チェコ語、英語、ドイツ語、ロシア語で書かれ、貴重な資料・写真で溢れています。たとえば、スメタナのProvadana Nevesta(「売られた花嫁」。Provadanaの最後のaの上には「’」、Nevestaの2つめのeの上には「v」がつく)の初演時の広告。この歌劇で最初にマジェンカを演じた、エーレンベルクのエレオノーラ・ガイェロヴァーの写真。

プラハの国民劇場の炎上をうつした写真。

プラハで「ヴォツェック」が初演された際の舞台イメージ。マリーを演じたマリエ・ヴェセラーの写真。この初演、指揮者はオタカル・オストゥルチルであり、1回めの上演(1926年11月11日)の際に、聴衆の猛烈な抗議を受け、16日に予定されていた2回めは、上演できなくなり、その後の再演もしばらく禁止されたとのことです。

 

(2)JOHANNES BRAHMS UND SEINE ZEIT (Christian Martin Schmidt著。LAABER-VERLAG)

 

(3)MASTER MUSICIANS RICHARD STRAUSS (Michael Kennedy著。Oxford University Press)

リヒャルト・シュトラウスの伝記ですが、シュトラウスとの親交の深かったエルガーについてもかなり記載されています。また、69ページには、

「1920 年5月に、シュトラウスとシャルクはウィーン芸術祭の指揮者に就任し、以下のような歌劇を指揮。「コシ・ファン・トゥッテ」、「サロメ」「エレクトラ」、「パレストリーナ」(プフィッツナー)、「烙印を押された者」(シュレーカー)、「死の都」(コルンゴルト)、「Die Kohlhaymerin」(ビットナー)、「Fredigundis」(フランツ・シュミット)、「Der Zwerg(侏儒)」(ツェムリンスキー)、「マイスター・アンドレアと村の学校」(ワインガルトナー)。

 

また、107ページには、第2次大戦終戦直後の、ウィーンの歌劇場の再建にあたり、シュトラウスはカール・べームに書簡を送り、以下の歌劇を上演するアイデアを提示しています(このうち、実際にどれが上演されたかは定かではありません)。

「リエンチ」から「神々の黄昏」までの全ワーグナー作品。グルックの5作品。モーツァルトの5作品。「カルメン」「フィデリオ」。ウェーバーの3作品。ベルリオーズの2作品。ヴェルディの3作品。シャブリエ、スメタナ、グノー、コルンゴルト、プフィッツナー、アウバー、ロルツィング、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスの作品。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シュトラウスのMetamorphosen

2001/ 4/24 2:49

メッセージ: 124 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

シュトラウスの Metamorphosen の演奏には、敗戦後(つまり作曲直後)に演奏されたものとして非常に印象的かつ対照的な2つの録音があります。 ひとつは、フルトヴェングラー指揮のベルリンpo.によるもの(47年のライブ)。 そしてカラヤン指揮によるウィーンpo.によるものです(記憶では49年の録音)。 この2つは、まるで同じ曲の演奏かと思えるほど、まったく違ったアプローチをしています。

 

フルトヴェングラーによる演奏では、漆黒の闇の世界より立ち上ってくる情念のようなものが次第に姿をあらわし、まさに荒れ狂い、そして浄化されないまま彼方の世界に消えていく.....という演奏。中間部分の感情の高まりは、いったいなんというべきでしょうか?  あの情念の正体はなんなのか?  なぜ浄化されないのだろうか......?

 

カラヤンのものは、純粋器楽的にすっきりとまとめながら、ウィーンpo.の音色も生かし、ふくらみにも欠けていない、そしてゆとりのある表現にしています。 ここには、自己充足があるといってよいでしょう.....。 美しき夕映えの、その最後の形としてのシュトラウス....。

 

戦後の非ナチ化という連合国の文化政策については、ドイツではある程度は徹底されたものの、オーストリアでは幾分穏便だったようです。 そういうオーストリアの指揮者がウィーンのオーケストラを指揮した演奏のほうに、かえってシュトラウスの音楽を感じてしまうのですが。 シュトラウスといえば、バイエルンのイメージが強いのに、あの時代の周囲の状況への対処の仕方は、「オーストリア的」だった...。

 

ウェーベルンのナチへの親近感を考えるにあたって、シュトラウスの生き方との比較も重要になるでしょう。 (そういえば、このトピの最初の呼びかけにも、シュトラウスの名前がちゃんと入っていた!  なるほど.....。 bernardsstarさん、さすがですね....!)

 

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

リヒャルト・シュトラウスとナチ

2001/ 4/24 22:27

メッセージ: 125 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

MASTER MUSICIANS RICHARD STRAUSSの107-109ページによれば、

戦後まもなく、シュトラウスは、ガルミッシュ(ミュンヒェン)の別荘で石炭にも事欠く生活をしておりました。

さらに悪いことには、トーマス・マンの息子、クラウスが本名を隠してガルミッシュを訪れたのち、「シュトラウスはナチ」という印象を読者にもたせる文章を執筆したのでありました(米軍の新聞「星条旗」への寄稿)。

 

やがて、シュトラウスはスイスへの出国を決意し、1945年10月11日に、チューリヒの湖畔に到着します。そして、オーボエ協奏曲が10月25日に完成(初演は、1946年2月26日)、また、「Metamorphosen」の初演は、46年1月に行われます。

(小生、オーボエ協奏曲は、シェーレンベルガーのCDを持っていますが、「Metamorphosen」と異なり、モーツァルトを思わせる優雅な曲のような印象を受けます)

 

ところで、anti-Semitism(反ユダヤ主義)を信奉していたシュトラウスの息子フランツは、1924年に、ユダヤ人の娘、アリス・グラブと結婚(73ページ)しました。このとき、グラブはドイツ語で「墓」を意味することから、ウィーンの批評家は、「シュトラウスは、反ユダヤ主義を墓に葬った」と評しました。

 

45年に、クラウス・マンがシュトラウスにインタビューしたとき、「ユダヤ人であるアリスの家族がいかにして第3帝国を生き延びたか?」について聞き、シュトラウスが無防備にも、「彼らは幸福に暮らした」と述べたことも、「シュトラウス=ナチ」伝説が広まる要因になりました。

 

(以下、後日に続報します)

これは michael_oskar さんの 124 に対する返信です

 

F.シュミットとカバスタのこと(その1)

2001/ 4/27 1:12

メッセージ: 126 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

第三帝国によってもたらされた音楽家の悲劇のうち、案外見落とされているケースをあえて触れます。 それは、指揮者 オズヴァルト・カバスタ(Oswald Kabasta)のケースです。 

 

ちなみにカバスタという指揮者については、あのフルトヴェングラー指揮と言われたドヴォルザークの新世界交響曲の録音が、実際はカバスタの演奏であると判明したことで名が知られたオーストリアの指揮者です。 しかしもっと知っておかねばならないのは、彼がフランツ・シュミットの弟子であり、シュミットの第4交響曲、および「7つの封印の書」の初演者である、ということ。 そして彼の悲劇的最期(自殺)のことです。 以下、David Patmore による紹介文章より簡単にまとめます。

 

カバスタはウィーン音楽院でフランツ・シュミットに作曲を習い、そしてその推薦で1920年代半ばにグラーツの歌劇場に職を得ました。 その後もF.シュミットとの関係が緊密だったために、シュミット晩年の大曲の指揮がカバスタに委ねられたのです。

 

カバスタのウィーンpo.へのデビューは1930年のことであり、ブルックナーの第8交響曲を演奏しています。 その後、1933年にウィーン交響楽団の主席指揮者となるのです。 彼のナチへ入党したのは1930年代後半であり、そのせいもあってか、1938年にミュンヘンpo.の主席指揮者となります。 その後カバスタは、師シュミットの未完の「ドイツの復活」という作品を指揮もしていますから、シュミット/カバスタのナチからの評価が低くはなかったことがわかります。  しかしその一方でカバスタは1942/3年のシーズンにバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」もプログラムにのせる、という大胆なこともやっています。 勿論、ナチよりは眉をひそめられたようですが。

 

さて問題のドイツ敗戦の日がやってくるのです......。

 

(to be continued)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

F.シュミットとカバスタのこと(その2)

2001/ 4/30 0:27

メッセージ: 127 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

カバスタはドイツ敗戦の直前、すなわち1945年の初頭よりノイローゼ状態となっていましたが、原因としてはっきりとしたことは、わからないようです。

 

そしてドイツの敗戦をむかえます.....。

 

彼は当時はミュンヘンの自宅を空襲で失い、オーストリアのチロル地方の Kufstein という小さな町に疎開を余儀なくされ、そこでドイツ敗戦を知るのです。 連合国はナチ政権下で活動していた音楽家の活動を禁止しました。 もちろん、カバスタに対しても例外ではありませんでした。

 

敗戦より4ヶ月ほどたった45年9月になってカバスタは連合国に対して、自分がミュンヘン・フィルの芸術監督に再指名してもらえるように嘆願書を出しますが、それが却下されただけでなく、3週間後には今後の指揮活動そのものも禁止され、肉体労働者以外の職につくことも禁止されてしまったのです。 このことに対しての精神的ショックは、まさに彼の精神状態にとって致命的打撃を与えたのです。  1946年2月4日、彼は必死の思いでミュンヘン市長に対して手紙を書き、ミュンヘン・フィルがブルックナーの第8交響曲を演奏するときには、自分を指揮者として考慮してもらえるように嘆願したのでした。

 

それから2日後、カバスタ夫妻は Kufstein の教会で自殺を図り大量の薬物を飲んだのでした。 カバスタ自身は死亡し、夫人は8月までは生存しましたが、やはり結果として夫の後を追う運命となってしまったのです。

 

カバスタの自殺の直接の動機は、音楽家としての自分の将来が完全に閉ざされたことに悲観してだと思われますが、それだけではなく、やはり第3帝国下でナチに協力したことに対しての、激しい自己嫌悪があったと思われます。 ある歴史家の言葉を借りれば、「音楽の才能は、非人間的独裁体制にも奉仕できるものなのだ。」ということになるでしょう.....。

 

 

以上、David Patmore のカバスタの生涯の紹介文をかなり簡潔にまとめました。 私(michael_oskar)がちょっと気になるのは、カバスタが戦争末期にすでにノイローゼになっていた点です。 Patmore 氏によれば、彼は44年の8月からミュンヘン・フィルを指揮していない、とのことです。しかし敗戦の前年(44年)の後半から45年前半にかけては、第3帝国下の多くの劇場は閉鎖状態となっていても、その他の音楽活動は一応は継続しており、フルトヴェングラー、べーム、カラヤンなどが指揮をしていたのは事実です。 カバスタのこの時期におけるノイローゼの原因が、すでにナチに対する協力への後悔から生じたストレスなのか、それとも他に原因があるのかが気になるところなのです。

 

フルトヴェングラーのこの敗戦直前1年間の期間の演奏は、社会を取り巻く客観的状況の厳しさのなかで、自分の心底より信頼している音楽への没我的な奉仕と言えるでしょう。 カラヤンといえば、あくまでも社会状況を無視した、音楽家としての自己実現のみを追及する活動だったといえるでしょう。 この点、カバスタの場合はどうであったのか? これを知るカギは、やはり大戦末期のノイローゼの原因がわからないと、なんとも言えないのです。

 

(続く)

これは michael_oskar さんの 126 に対する返信です

 

「シュトラウスとツヴァイク」など

2001/ 4/30 21:22

メッセージ: 128 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

カバスタに関する情報ありがとうございます。小生、カバスタのことは初耳でしたので、こちらからは何も申し上げることができなく、すみません。

 

MASTER MUSICIANS RICHARD STRAUSSに関しては、両大戦間における、シュトラウスの動向を読み進めている最中です。興味深かったことは、

(1)この本の著者は、1920年代に作曲された歌劇の中では、ヤナーチェクの作品を超えるものはなかった、と主張。

 

(2)ナチスの独裁体制が始まったのち、シュトラウスはヒットラーやゲッペルスと数多く接触することになった。シュトラウスが、ワーグナー家の Wahnfriedという屋敷でヒットラーを迎えた時、ヒットラーはシュトラウスの嫁、アリスの手にキスをし、彼女がユダヤ人であることを知る。また、ナチスがヒンデミットの交響曲「画家マチス」に「退廃的音楽」の烙印を押したことに対してフルトヴェングラーが抗議した際、シュトラウスはアムステルダムで「アラベラ」を指揮していたが、ゲッペルスにシュトラウスから「おめでとう」という電報が届き、その電報は偽電報であった。

 

(3)ホーフマンスタールは、息子の自殺による衝撃で脳溢血を起こして死んだが、この突然の死は、「アラベラ」の台本に校訂の余地を残すことになる。シュトラウスとホーフマンスタールとの間には、芸術上の対立もしばしばあった。しかし、ホーフマンスタールの死に寄せたシュトラウスの文章は、かけがえのない共同作業者を失った悲しみで満ち溢れている。

 

(4)ホーフマンスタールの死後、歌劇「無口な女」の台本によってシュトラウスの協力者となったシュテファン・ツヴァイクは、ユダヤ人であり、ナチス台頭後、ブラジルに亡命して1942年に没している。彼は、1930年代にナチスの恐怖にいちはやく気づき、チューリヒに逃れてシュトラウスと交信する。そういった時代の趨勢に鈍感であったシュトラウスとは何度か軋轢を生じる。

これは michael_oskar さんの 127 に対する返信です

 

F.シュミットとカバスタのこと(完)

2001/ 5/ 1 0:00

メッセージ: 129 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

さて、悲劇的最期をとげた指揮者カバスタが残した数少ない録音の中には、大変残念なことに彼の師、F.シュミットの音楽は発見されていないようです。 カバスタこそ、晩年に至るまでF.シュミットとの深い交流があり、F.シュミットがその晩年の心境をカバスタに何らかの形で語ったことは十分に考えられることなのです。

 

カバスタの残した録音の中で、同じF.シュミットの弟子の一人である Theodor Berger

http://www.rieserler.de/autoren/autor_Berger.htm

の作曲した、Die Legende vom Prinzen Eugen がありましたので、それを聴いてみました(ミュンヘンpo.演奏)(Dante LYS419-421)。 ものの8分ほどの曲ですが、最高によくいえば「ミヨー作曲 南ドイツ組曲」といったところ。親しみやすいですが、さほど印象に残りません。 ただし、カバスタの指揮には生気がみなぎり、なかなかなものです。 

 

その他の残された録音といえば、交響曲ではベートーヴェンの3、8番、シューベルトの3番、モーツァルトの41番、ブルックナーの4,7,9番といったところ。 このブルックナーの演奏は大変興味深く、なにかの機会があればブルックナーのトピではなく、できれば本トピでレポートいたしたい、と希望していますが。 といいますのも、この演奏こそ19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンを中心としたオーストリアの音楽の、ドイツとは性格を異にする要素を考える上で重要と思われるからです。

 

そして、純オーストリア的気質を持っていた指揮者カバスタに、彼の師 F.シュミットが、いかなる影響を与えたかについてレポートいたしたい、と考えます。 これはウェーベルンのナチへの親近感がどういうものであったかを考える上で、私はこれがその「前哨戦」と考えています。

 

とりあえずここでシリーズとしては「完」とさせていただき、上記テーマは単発の投稿にて継続してレポートいたします。

これは michael_oskar さんの 127 に対する返信です

 

ヤナーチェクと「昨日の世界」のこと

2001/ 5/ 1 2:36

メッセージ: 130 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar様

 

シュトラウスのこと、ありがとうございます。 その本、私も非常に興味があります。 ヤナーチェクの作品への評価などを述べていることなど、なかなか切り口が鋭いようですね。

 

私は最近、彼のSQ2曲をヤナーチェクSQの演奏する Supraphone のCDをようやく入手しましたが、また聴いていません。今まで持っていたのはモノラルの放送用録音で、これも相当な演奏なのですが、やっぱり音質が冴えないのが気になっていました。正規版でヤナーチェクSQに再会できるのは喜びです。 (ミラン・クンデラも、肝心のヤナーチェクSQの演奏のCDがない、と本で嘆いていましたから)

 

さて、シュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」は私の愛読書です。 少々甘さの漂う本だとは思いますが、時々拾い読みをしています。

 

シュトラウス、ホーフマンスタール、ツヴァイク.....こういきますともう興味の尽きない話です。 そのあと私としては、カネッティ、 マインル、ツックマイヤー、 デ・コーヴァ、ミチコ・タナカ、といけば、これは一晩中酒が飲めそうです。 おっと、トピ境界線を踏み越してしまいました。 お許し願います!

 

(追伸)bernardsstar様不在中(?)に、私はあるトピで、「真贋論争」に加わりました。 難しいものですね.....。 「贋」というのはわりと簡単ですが「真」というのはもし違っていたらダメージの大きなことになりますから.....。

  

これは bernardsstar さんの 128 に対する返信です

 

ベルガー、ツヴァイク

2001/ 5/ 2 11:57

メッセージ: 131 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさま

 

お恥ずかしながら、ベルガーも初耳でした。情報ありがとうございます。

 

オーストリア大使館のHP、

http://www.austria.or.jp/clt_05.html

では、

ハウアー、クシェネック、アボステル、イェリネク、ヴィルトガンス、ショルム、フュッスル、ウルバーナー、マルクス、アイネム、プレスゲン、コント、ヴィンベルガー、アンゲラー、チェルハ、リゲティ、シュヴェルチク、チュカン、エレド、ロゴテティス、ハウペンシュトック=ラマティ、グルダの名は挙げているのですが?

 

なお、慶応大学、萩原先生の文章、

http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/wien.html

によれば、

「20世紀の学問・思想を総括しようとするならば、ウィーンに生まれ、あるいはこの地で学びながらも、去っていった者のリスト(ポパー、ハイエク、ケルゼン、フェーリゲン、シュッツ、ツヴァイク・・・)の方が参考になる。」

とのことですが、

 

この点では、クラシック音楽も全く同じ・・・と言えましょうか?

これは michael_oskar さんの 129 に対する返信です

 

ツヴァイク「昨日の世界」

2001/ 5/ 3 13:27

メッセージ: 132 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

昨日の世界 (I)を読む。思いついたことを徒然なるままに・・・

 

@ コルンゴルトの妻、ルーツィのアドルフ・フォン・ゾンネンタールは、ブルク劇場の有名な俳優・支配人でしたが、このゾンネンタールに関する記載は、「昨日の世界 (I)」の中に2度も登場し、ツヴァイクの敬意を読み取ることができる。

 

A カール・ハウスホーファー

地政学を実践し、後にルドルフ・ヘスの師となった軍人。ツヴァイクがインド旅行をした際に知り合う。ハウスホーファーの名を何故挙げたのかというと、彼の妻にもユダヤの血が流れており、本来、ニュルンベルク・ユダヤ人により強制収容所送りとなるのが「筋(?)」のはずだったが、ならなかったことに注目したからであります。リヒャルト・シュトラウスの嫁・アリスと同様、ヒットラーは、自分にとって必要と思われるユダヤ人は抹殺しなかったことの証拠となると、考えます。

 

B ウィーン、東京

東欧を中心に欧州各地・中東などから人間の集まったウィーンと、日本の辺境(東北、北海道、九州、などなど)や、朝鮮半島、中国、台湾などから人間の集まった東京には、何か似通ったところがあり、この点が、「昨日の世界」の記載内容を親しみ深いものにしていると。東京(江戸)の先住者が地主として支配階級を形成していることも、ウィーンのドイツ人の実情に似ている。また、ツヴァイクのギムナシウムでの教育・生活もまさに旧制高校のそれであり、日本の教育制度がいかに独墺から影響を受けたかを示しております。

ただし、いまだかつて、「東京のシューベルト」、「東京のマーラー」、「東京のシェーンベルク」、「東京のホーフマンスタール」は、出現していないのであります。

 

C 戦争

第1次世界大戦では、高性能の大砲、毒ガス、戦車、航空機。第2次世界大戦では、原子爆弾、ミサイルと、新兵器の実戦でのテストを行いたいという野望が、開戦のひとつの要因となったことが読み取れます。第2次世界大戦後は、テスト=人類滅亡という知識が広く行き渡り、戦争は局地戦にとどまり、全面戦争は回避されているのではないかとは思うんですが。そうであってほしいですね。

 

D ヘルツル

ロマン・ロラン、シュタイナー、ロダン、リルケ、ホーフマンスタール、フロイト、リヒャルト、シュトラウス、ブゾーニ、レーガー・・・と、名を挙げればきりがないほど、ツヴァイクは当時の光り輝く巨匠たちと交流しておりますが、僕は特にヘルツルに興味を覚えました(bernardsstarがシオニズムを信奉しているわけではありませんが)。

カネッティ、 マインル、 ツックマイヤー、 デ・コーヴァ、 ミチコ・タナカよりも、ヘルツルを研究してみたい。

 

こういう研究をやっていると、下記のようなサイトにはまってしまいそうですね。

こちらも、「クラシック音楽」から、トピずれしてすいません。

 

http://www.generali.com/library/ilbollettino/19set98/cultura/shalom.html

http://www.uni-bonn.de/sfb534/b2/proj.html

http://home.nordnet.fr/~jgrosse/obs/kafka.htm

http://www.geo.uni-bonn.de/members/pullmann/kafka.19991208/biographie/main/buber .shtml

これは michael_oskar さんの 130 に対する返信です

 

ユダヤ、ワルツ王一家、レハール....

2001/ 5/ 3 16:20

メッセージ: 133 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

中欧の近代史、芸術、文化を研究するのには、どうしても「ユダヤ」を避けては通れませんね! bernardsstar さんの「ウィーン・東京」の指摘、なかなか興味深いところです。

 

「ユダヤ」研究としては、私はbernardsstar さんとちょとばかり方角が違うことにかなり興味をもってきました。 どういう方面かといえば、

 

1.聖書(旧約・新約)に書かれている記述はどこまで歴史的事実であるのか?

2.ユダヤ教そのものの研究

3.近世イベリア半島におけるユダヤ人

4.ウクライナにおけるユダヤ人社会、およびウクライナにおけるドイツ軍のユダヤ人虐殺の隠された実態

5.第3帝国時代のルーマニアにおけるユダヤ人の虐殺

 

....などなどです。1は、かつて旧約の記述内容と、考古学調査の結果とをどう折り合いをつけるか、ということで、これは非常に多くの問題があります。新約の内容については、現在も興味おおありです。また、2にもかつて非常に「ハマリ」ました。 しかし現在では興味がかなり後退しましたが。3については現地旅行と関連本を読む事で、ある程度自分なりに満足したため、現在では休眠中。4については、私は数年前ウクライナを車で走り回りましたが、まもなくあることで「生命の直接的危険」に直面し、命からがら逃げてきました。しかし現在でもまだ興味ありますのでいろいろと本を買い込んでいます。5については、これもいい本を何冊か買い込みました。ルーマニア語も「易攻可落」とナメテいますので、いつかこのテーマでまとめてみたいと夢を持っています。

 

おっしゃる通り、ヒトラーも御都合主義的なところがありますね。ユダヤ人であるワルツのシュトラウス一家の音楽なども、自分が好きだったために禁止しなかった....。 レハールの音楽だってそうでしょう。なんとも皮肉なことに、ショスタコーヴィチの第7交響曲で「敵」が迫ってくるあの部分、あそこにMerry Widow の旋律をデフォルメして使用していますが、これはもうヒトラーが聴いていれば、どんな顔をしたでしょうか?

 

.....ということで、最後にしゃにむに音楽に結び付けた投稿にいたしました。

これは bernardsstar さんの 132 に対する返信です

 

Ernst Krenek

2001/ 5/ 3 17:41

メッセージ: 134 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

本トピに御興味のある方で、まだお知りになっていらっしゃらない方のために、以下に Ernst Krenek の紹介だけ簡単にしておきます。 音も一部聴けますので、御興味のある方はどうぞ。

http://www.aeiou.at/aeiou.music.13.1/130103.htm

 

 

bernardsstar 様

 

私もちょとばかりKabalar に凝った時期があります。 しかし以下の「姓名判断」の結果はあまり当たっておりません.....。

http://www.kabalarians.com/male/michael-oskar.htm

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

 

   

落ちそうなので

2001/ 5/ 6 1:20

メッセージ: 135 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

書込みしました。

 

EMIの輸入盤から、ツェムリンスキーの歌劇「・・・ゲルゲ」が発売されていますね。コンロンのツェムリンスキー演奏は興味あります。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

カバスタと「赤白赤」気質のこと

2001/ 5/ 6 4:02

メッセージ: 137 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

F.シュミットの最大の弟子の一人である、オーストアリア人指揮者のカバスタによるブルックナーの第7交響曲を聴いてみました。(演奏はミュンヘンpo. 1942年録音)

 

非常に特徴的な演奏です。 これほどまでに横の線の流れを重視したブルックナーの演奏は、そうないでしょう。 全体に旋律で満ち溢れている、というブルックナーです。 現在でもウィーンpo.の演奏するブルックナーは、他のオケと比較するとそういう傾向がややありますが、やはりこれは「赤白赤(Rot- Weiss-Rot)」の気質(オーストリア気質)なのでしょう。 荘厳なブルックナーというイメージではありません。

 

だいたいクレメンス・クラウスの指揮もそういうことが言え、音楽を流していく要素が強いです。 ただ、カバスタのブルックナー演奏にはクラウスとは異なる、一種独特のペシミズムのようなものを感じさせます。 ちょうど彼の師のF.シュミットの第4交響曲の冒頭の悲しげなトランペットのソロに聴くようなペシミズムなのです。 

 

F.シュミットの晩年の心境はおそらく苦渋に満ちたものだったと想像できます。 「保守派」と見なされたであろう彼の存在には、それぞれが別の運命をたどった新ウィーン楽派の御三家とは全く異なる、「伝統の支え」という役割を期待されていた、ともいえます。 しかし、彼が自分の第4交響曲についての発言を読むと(ヤルヴィ指揮の演奏のCDの解説)、輪廻転生というか、Life after death というべきか、一種の無常観が彼の心に、ふと忍び寄ったともいえるでしょう。 当然に、東洋的なものとは違うでしょうが。

 

ドナウの流れと、歴史の流れとの奇妙な共通感覚.....。 カバスタのブルックナー演奏にも、表現の強さの後ろになんともいえぬ無常観を感じさせるのは彼の師F.シュミットとの共通の感覚なのかもしれません......。

これは michael_oskar さんの 129 に対する返信です

 

F・シュミットに関する本・その他

2001/ 5/ 6 10:32

メッセージ: 138 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

コルンゴルトの生涯・作品に関しては、

「コルンゴルトとその時代」(みすず書房)および、国際コルンゴルト協会のHPで、基礎知識はほとんど網羅されると言って過言でないと考えます。

 

一方、

フランツ・シュミットに関しては、

以下の本を買ってみたいとは思っているものの、いまのところ未入手です(Internet通販のA社のHPで検索しました。)

 

著者:TRUSCOTT, Harold

書籍名:The Music of Franz Schmidt, vol.1 The Orchestral Music

現地価格: US$ 53

Book ID:1421372

A社から購入すると、9000円程度になりそうです。

 

ブルックナーの交響曲第7番に関しては、(ブルックナー・マニアの方に言わせれば邪道かも知れませんが、)ジュリーニ指揮・ウィーンフィルのCDを持っております。

デモーニッシュなところのない、端正・スマートな演奏ですが、第2楽章結尾のワーグナーを偲ぶ葬送行進曲には深い陰影(無常観?)を感じました。

 

F・シュミットの交響曲第4番: シンプルな構造の中で、自己の回想(歌劇「ノートルダム」の間奏曲のような楽想)を交えながら無常感に浸っていくといった印象をもちます。協奏曲的な部分(長いチェロ独奏:*1)もあり、そういった意味で、ショスタコーヴィチの交響曲第15番にも一脈通じるところがあります。

 

(*1)この部分は、(俗っぽい言い方ですが)日本のサラリーマンの琴線をくすぐるというべきか、妙な親近性がありますね。

これは michael_oskar さんの 137 に対する返信です

 

シャルク

2001/ 5/ 6 14:59

メッセージ: 139 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

ブルックナーとR.シュトラウスの生涯にとって重要な鍵となった人物、シャルクは、まさに、「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」を体現する指揮者だと考えますが、まだ、このトピでは大きく取り上げられておりません。

 

オーストリアの彼を紹介するサイトは、下記のとおりです。

http://www.aeiou.at/aeiou.encyclop.s/s154652.htm

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re) F.シュミットに関する本

2001/ 5/ 6 16:10

メッセージ: 140 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar 様

 

大変貴重な情報ありがとうございます。

私もいろいろと検索してみたところ、o/p (out of print)が多いですね。 おもしろそうなタイトルの本というば、ほとんどo/pです。

 

だだしかし、bernardsstar さんの御紹介いただいたH.Truscottの著作は、なんとか生きているようですね。 でも、US$53というのは、hard cover ではないでしょうか?

 

先程A社のUKのサイトより検索したところ、paper backで5ポンドほど。 日本への航空便料金をincludeしても、12ポンド強のようです。 ですから、2000円しないはずですが.......。 これなら買ってもいいな....とも思います。

 

それとも、bernardsstarさんの紹介している本と、あのUKサイトの本は別なのでしょうか.....???

これは bernardsstar さんの 138 に対する返信です

 

RE: H.Truscottの著作

2001/ 5/ 6 16:49

メッセージ: 141 / 1465

 

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

初めまして、bernardsstar 様

 

いつもお世話になっております、 michael_oskar様

 

 この本は、ハードカバーが母校に蔵書されていたので、コピーして読みました。あくまでざっと目を通したに過ぎないので誤読もあると思いますが、次のようなことが印象に残っています。

 

・学生時代に、ハイドンのチェロ協奏曲のカデンツァを書いて、ブラームスに才能を認められたこと

 

・歌劇《ノートル・ダム》の間奏曲は、学生時代の恩師ゴルトマルクに絶賛されたこと

 

・シュミットがシェーンベルクの支持者で、シェーンベルク派から数々の横車を押されながらも、自らが院長を務める音楽学校で《月に憑かれたピエロ》の指揮をしたこと(何でもシェーンベルクのオーケストレーションの能力を大絶賛して、自分はそれほどの大才がないと認めていたとかいなかったとか)

 

・語学に興味があって、さるイギリス人商人の夫妻から英会話を学んでいたこと、

 

・シュミットの晩年に愛娘が精神に異常を来して精神病院に隔離され、そこから《交響曲 第4番》の着想を得たものの、作品(の霊感)自体に暗い影が射したこと(娘は結局ナチス時代に亡くなったらしい)

 

・シュミットにアンチ・セミティズムの心情はなかったこと

 

 また、ウィーン・フィルを指揮して自作の《交響曲第4番》を上演する風景の連続写真も収録されていました。

 

 カバスタとの関係は、注意していなかったので、今すぐ思い出せることは何もありません。今度また時間ができたら、読み返してみようかな、と思っています。

これは michael_oskar さんの 140 に対する返信です

 

Bea Smyさま

2001/ 5/ 6 21:16

メッセージ: 142 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

はじめまして。

 

貴重な情報どうもありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

ウィーンの「世紀末芸術(音楽)」「退廃芸術(音楽)」と呼ばれた音楽の奥は深いので、

今のところ、F・シュミット、コルンゴルトを中心にしておりますが、余力が出てきたら、シュレーカー、ツェムリンスキー、プフィッツナー・・・も大いに議論したいと考えております。どうぞ、至らぬ点がありましたら、ご教示いただきたく。

 

michael_oskar様

 

A社は、アマゾンではなく、

http://www.akaikutsu.com/

です。

これは Bea_Smy さんの 141 に対する返信です

 

カール・アマデウス・ハルトマン

2001/ 5/ 8 10:25

メッセージ: 143 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

の音楽に惹かれるようになりました。今葬送協奏曲しか持っていませんが(このCDのカップリングはベルク、ヤナーチェクのバイオリン協奏曲)、インゴ・メッツマッヒャーによる交響曲全集も買ってみようと思います。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:カール・アマデウス・ハルトマン

2001/ 5/ 8 23:00

メッセージ: 144 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

gur1zem2korn3 さんのトピ、

「20世紀の音楽」で紹介申し上げた下記サイトでも、

 

http://www.multimania.com/discographies/la_symphonie_au_xx_eme_siecle.htm

 

ハルトマンの交響曲(8曲)を、作曲年ごとに全曲(第1番は改訂版の出た年)を紹介していました。

 

小生、ブラッハーやフォルトナー(歌劇「血の婚礼」前奏曲)は聴いたことがありますが、まだ、カール・アマデウス・ハルトマンは聴いたことがありません。今度、タワーレコードでCDを物色してみようと思います。

 

もうひとりのハルトマン(Rudolf Hartmann, 1900-1988)は、クレメンス・クラウスの時代にミュンヘンオペラで演出家を勤め、R・シュトラウスの歌劇の演出も行った人だそうです。

これは gur1zem2korn3 さんの 143 に対する返信です

 

Rudolf Hartmann

2001/ 5/ 9 22:34

メッセージ: 145 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

ルドルフ・ハルトマンが監督を勤めた、オペラの録音(主として、リヒャルト・シュトラウス)(ほとんどが、1960年代の録音)を紹介するサイトを、見つけました。

 

http://wipux2.wifo.uni-mannheim.de/~bwl02392/wunderlich/bios/hartmann.htm

これは bernardsstar さんの 144 に対する返信です

 

ベルクの全集

2001/ 5/10 11:12

メッセージ: 146 / 1465

 

投稿者: nagi_pa (49歳/男性/吹田市)

 

ポリドールから出ていた「アルバン・ベルク 出版された作品集」10枚組みを中古で手に入れました.

小澤指揮の「V協奏曲」の伴奏は,案外大人しい.カラヤンの「叙情組曲」はただ,ほれぼれするばかり.

但し,一番びっくりしたのは,ベルク編曲のシュトラウス「女・酒・歌」

ウィーン子なんだ!

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ウィーン子、ベルク

2001/ 5/10 22:51

メッセージ: 147 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

何度も紹介申し上げております名著、早崎隆志著:「コルンゴルトとその時代」に、

マーラー夫人ののちにヴェルフェル夫人となったアルマの、米国亡命後に関して以下の記載があります(250ページ)。

 

*******

 

アルマ・マーラー=ヴェルフェルは好き嫌いの激しい女性で、特に芸術に関しての評価は手厳しいが、その彼女が認めた「ウィーンの代表」の中に、ホーフマンスタール、シュニッツラー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、シュミット、ベルクらに並んで、コルンゴルトの名前も挙げられている。

これは nagi_pa さんの 146 に対する返信です