>>ティム
2004/10/24 7:03
メッセージ: 1214 / 1477
投稿者: sakuran672
ティムのソロは全てエテルナですからCDだとそこでしょうね。
そして他の録音のことを聞いたのはLP時代ではなくCD時代は完全把握は不可能です
私も見逃しが良くありますので聞きました。
今日はベルクを聴きまして詳しくは私のトピへ
ここでも良かったのですが曲が曲ですから
もう分かりますね。
これは jumeautriste さんの 1213 に対する返信です
R・シュトラウスの歌曲集から
2004/10/24 21:36
メッセージ: 1215 / 1477
投稿者: jumeautriste
サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
マルコム・マルティヌー(ピアノ)
1996年録音
ビーアバウムの詩による3つの歌曲から
・Traum durch die Daemmerung たそがれの夢
・Nachtgang 夜の散歩
たそがれの夢:
デリケートな雰囲気をこわすことなく歌う・・
歌手のセンスを試すことができる曲だそうです。
幸福感にみちた美しい曲。
ジャスミンの香る頃、春の夜が懐かしい・・
たそがれの灰色のひろい野。陽は消え、星は進み・・・
さぁ、麗しい人のもとに行こう。
たそがれの灰色のはるか彼方、ジャスミンのしげみの奥へ。
夜の散歩:
うっとりとするような歌詞で、やや、官能的な雰囲気の曲
数小節の間奏のあと”私の魂は泣いた”と消え入るように・・
・Befreit ときはなたれた心:
リヒャルト・デーメルの詩
のびやかで晴れやかで、高揚感溢れる曲。
曲中、zurueck Glueck
この二つの言葉が心地よく響きます。
もうひとつ大好きな
・Allerseelen 万霊節:
ヘルマン・フォン・ギルムの抒情詩
文句なしに清々しくて、美しい曲。
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
ルートヴィヒがBastilleに来たが....
2004/10/25 2:06
メッセージ: 1216 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
jumeautriste さん
クリスタ・ルートヴィヒの歌った「冬の旅」ですが、大変残念なことに私は実際に体験していません。録音ならばCDで持っており、買ってから確か2回ほど聴いています(ピアノはジェームズ・レヴァイン)。今回それを再び聴いてみようかなとも思いましたが、いかんせんたまるばかりのCDですし、かなりの量は保管専門の施設のある場所に有料で預かってもらっています。かなり長い海外勤務から帰国後、まったく聴いていないCDも含め、整理も完全に終わっていませんので、まだそのCDに「再会」していません(笑)。
過去にそのCDを聴いた感想ですか.....。 ウーン、特別に感動したという記憶はないですね。録音に関する限りはファスベンダーのほうが印象が強かったように思います。このことについていろいろと説明せねばならないのですが、まず私は「冬の旅」を女声が歌うということについてはかなりの偏見を持っています。別に、男声(テノール)のために書かれた曲を女性が歌うのはけしからんなどとは思いませんし、そんな単純な理由ではありません。簡単に言ってしまって誤解を与えたくないのですけれど、やはり男性と女性とでは、作品という対象に対しての距離感というか姿勢というか....難しいですが、作品に対する自己の投影のさせ方とでもいいますか、そういうものにかなりの違いがあるように思います。この「冬の旅」というシューベルトの大傑作ですが、「旅人」という存在に対してどこまで歌手が自己との同一化をはかるかということですね。いや、それよりもこの「旅人」という存在はなんなのか? 一般的に言って(あくまで一般論です)、ここには女性では表現が難しい「ある物」が横たわっているように思います。シューベルトについては完全にトピずれですので、あまり突っ込んでいきたくないのですけれどね。 女声云々ということではなく、本当は「冬の旅」の作品論に行ってしまいそうです。
ちょっと別の例を出します。これはいろいろな人から聞く話でもあり、そして私の会社でも必ずしも例外ではないのですが、女性の管理職というのは同性(つまり女性)の部下に対しての査定評価が、男性の管理職が行う場合と比較して、かなり厳しくなるという傾向があるのですね。どうでしょうか....女性は同性に対して「客観的評価」が不得意なのではないでしょうか? 自分の同性の部下(対象)に対する距離のとり方についても、女性管理職は比較的、likes and dislikes を持ち込む傾向があるように思うのですが。私の妹は会社で「女性軍団」を率いる管理職ですが、私も時として、「おいおい、それで本当に大丈夫なの?」と冗談交じりに言うことがあります。勿論、どうしようもない男性管理職も世に掃いて捨てるほどいるというのも事実ですがね。
実はルートヴィヒの歌う「冬の旅」、私は聴きに行こうかと思案した記憶があるのは事実です。あれは確か多分1992年の春だったと思いますが(このときのピアノはレヴァインではなくスペンサーだったように思います)、彼女がパリのオペラ座(Bastilleのほう)で「冬の旅」を歌うということで、当地に住んでいた私も聴きに行こうかなと迷ったことがあったように思います。どうしても女性による「冬の旅」には偏見と抵抗があったのでしょう、とうとうBastilleには行きませんでした。(同じ時期にベルリンの「エレクトラ」を見た件についてはすでに書きました。) 彼女の声の状態についても、やや心配していたということもあったかもしれません。
しかし、最近になってはやや後悔しています。といいますのも、彼女は「冬の旅」という作品についてしっかりとした考えを持っていたことを知る機会があり、この「冬の旅」に対して漫然と向かい合ったのではないことがわかります。後日そのことに触れましょう。
*(追伸)オペラのことも折を見て触れたいと思っています。ウィーン国立歌劇場公演やヤナーチェクについては、関連のところにレポートはいたしております。
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レーガー:ベックリンによる4つの音詩
2004/10/25 22:39
メッセージ: 1218 / 1477
投稿者: bernardsstar
海外出張の機内サービスで、レーガー作曲「ベックリンによる4つの音詩」を流していました。印象派的作風が濃厚と、感じました。
これは bernardsstar さんの 1207 に対する返信です
>ルートヴィヒがBastilleに来たが・・・・
2004/10/25 23:16
メッセージ: 1219 / 1477
投稿者: jumeautriste
la_vera_storiaさん
ご丁寧に有難うございました。
ルートヴィヒの<冬の旅>
私は未聴なのですが、既に廃盤のようです。
手だては非合法手段しかないようです(笑)
<冬の旅> 縁が無かったわけでもないのですが、
まだまだ不勉強で、この機会にいろいろ聴いてみようと思っています。
主人公の立場で歌うか、
主人公について語る、という立場で歌うか
la_vera_storiaさんの仰る、”女性では表現が難しい、ある物”
とにかくルートヴィヒを始め女声での<冬の旅>は聴かないと始まりません。
例えの女性の管理職のこと、
何回か読み返しましたが、その場に身を置いたことがないからか、
仰られること、どうもピンとこないのですね。
男性、女性、どちらにしても他人を客観的評価、客観視すること、
自分自身を客観視すること、勿論、出来れば結構だと思います。
他トピでの
<フィガロ>、ヤナーチェクの<運命><グラゴル・ミサ>
読ませて頂きました。
キーンリーサイド、良かったようですね。
相変わらず、いろいろ行ってらっしゃいますが、
来月もチェコ・フィルで<スターバト・マーテル><グラゴル・ミサ>がありますね。
またオペラのこともお聞かせ下さい。
これは la_vera_storia さんの 1216 に対する返信です
マゼール指揮のマーラーを聴いて
2004/10/29 3:36
メッセージ: 1220 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
ロリン・マゼール(Lorin Maazel) 指揮
ニューヨークフィルハーモニック(New York Philharmonic)
(曲目)ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲とバッカナール
マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調
マゼールとNYPの組み合わせを実際に聴くのはこれが初めて。 そのマゼールも今年で74歳になる。今夜の彼の姿勢や棒の振り方などを見た限りでは以前とさほど違わないが、顔を見るとやや精彩のないやや疲れの見える表情だった。しかしこうして彼の指揮で音楽を聴いてみると、以前と比較して変化があったとか、なかったとか言う前に、とにかくその指揮の手慣れた老獪さや巧妙さに以前と同じ賛辞を捧げたいと思う。非常に細部にわたるコントロールと細かい指示を与えており、そして以前では妙に人工的だったり、あざとかったりして聴こえていたものも、今夜の指揮で聴く限りは、かつてほどの違和感を感じさせないが、その分だけ衝撃度も減衰していたかもしれず、かつてよりのマゼールファンとしては若干気になるところでもある。それはあまりに見事な完成品を目の前にした時に感じる一種の不安にも似ている。事前に徹底的にリハーサルで作り上げてしまったものの正確な再現に、本番での「一時的気分」が関与する余地など皆無だという演奏だろう。あと、今夜のマゼールの指揮ぶりで気がついたことは、そのタクト捌きからもかつてのような細部への指示への過度のこだわりは感じさせなくなっている点だ。フレーズの最後で、クルクルと指揮棒を素早く回転させる動作が一切なくなってしまったのを見たのは今夜が初めて。(あの動作には賛否があったのは事実だ。)
前半のワーグナーでは、マゼールの引き締まった造形にNYPの固くて明るい音色が加味されたもので、バッカナールに入ってからはハットさせられる瞬間がいくつもあり、あっさりと流しているようで実際は多くの音がはっきりと聞えてくる。
後半のマーラーの第5交響曲全体の演奏で感じさせたのは、以前と比較してやや足取りの重い、そしてやや暗い色調で覆われた音楽となっていたことである。これは年齢からくる翳りではなくマゼールの意図したマーラーの第5交響曲像の変化と考えるべきだろう。第2楽章の濃密な音楽、第3楽章の表情の変化の大きさと多彩さ(息を潜めて聴かねばならない瞬間すらあった(特に第3楽章のTri部分で、弦楽器の pizzicatoから音楽自体が立ち上がっていく部分など)。第4楽章は神経質にならないようにあっさりと開始され、再び主題が戻って来た後は、今度はテンポを一段と落して入念な歌い回し。終楽章は、込み入った要素を整理して一つ一つ階段を上るようにして到達するクライマックス...。音楽がこれだけ多彩な要素を詰め込んでありながら、無駄を排しつつ最大限の表現がなされていた印象。これまで何度も聴いてきたマゼールの音楽を再確認した夜だった。 アンコールとして「ローエングリン」第3幕への前奏曲。壮麗な演奏で会場を沸かせた。懐かしい!ほとんど初めて観たワーグナーのオペラ(ローエングリン)の指揮がマゼールだった。もう30年以上前のこと。
マゼールという指揮者は、あざといほど細部にこだわった音楽をやる場合と、拍子抜けするほどあっさりとした怜悧な音楽をやる場合の2つがあり、「二重人格的」音楽家かなと思うこともあったが、ひょっとして今夜はそれが調和して同居していたかもしれない。そうだとすれば、これってひょっとしてマゼールの円熟?
(2004年10月27日 於サントリーホール)
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交響曲「大地の歌」の初演と声楽パート
2004/10/29 3:39
メッセージ: 1221 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
マーラーの交響曲「大地の歌」の初演時において、第2、4,6曲をアルトに歌わせたかバリトンで歌わせたかについて調べてみました。いくつかの記述(ほとんどはこの点について不明確)が見つかりましたが、総合的に判断すると次のようなことではないでしょうか。まず、マーラーの死後の1911年11月20日のブルーノ・ワルター指揮のミュンヘンでの初演については、テノール(William Miller)、コントラルト(Mme Charles Cahier)が歌い、次に同じワルター指揮での1912年11月4日のウィーン初演においてはアルトではなくバリトン(Friedrich Weidemann)が歌った....。このウィーンでの演奏会は公開演奏会だったようです。そしてこの時にバリトンで歌わせたことについて後年ワルターは「もう二度とはそうしない。」という内容の手紙を書いている件については、すでに御紹介いたしました通りです。
さて、上記のことを調べていく過程で、やや興味深いことがわかってきました。まず、マーラーの作曲準備のスケッチ段階では、マーラーは各楽章の声域パートの割り当てについては決めていなかったようです。次に、第3曲のピアノ用の自筆譜にはテノールもしくはソプラノ(!)というマーラー自筆の指示があるそうです。 一方このピアノ用自筆譜の第2曲には、単に “Singstimme”と記入されており、4,5,6曲については特別の指示をしていないそうです。次の段階の自筆の総譜では、第1、3、5曲には” Tenorstimme”と明確な指示の自筆書き込みがある一方、第2、4、6曲については、”Alt-Solo” “Alt-Stimmeとの書き込みがあるとのこと。次の段階として、印刷に回す自筆譜としての最終段階には第2曲に”Alt-Stimme”との指示の横に、kann eventuell auch von Baryton uebernommen werden(バリトンでもよい)と記入してあるとのこと。ところがこの段階となっても、第4曲と第6曲については単に”Alt-Stimme”もしくは”Alt”との指示だけだったとのことです。
要するに、マーラー自身が「男声(バリトン)でもよい。」と考えていたのは第2曲のみで、あとの楽章はについてアルトに歌わせるか、あるいはバリトンが歌ってもよいのかについて、まだはっきりとは決めていなかった、ということになりそうです。
*(参考文献)
The MAHLER Companion (Edited by Donald Mitchell & Andrew Nicholson 1999 London)
GUSTAV MAHLER; An Introduction to his Music (By Deryck Cooke, 1980 New York)
これは jumeautriste さんの 1201 に対する返信です
交響曲「大地の歌」の声楽パート
2004/10/30 1:52
メッセージ: 1222 / 1477
投稿者: jumeautriste
第1楽章:テナー テナー
第2楽章:アルト バリトン可
第3楽章:テナー ソプラノ可
第4楽章:アルト アルト
第5楽章:テナー テナー
第6楽章:アルト アルト
第3曲 <青春の歌>をソプラノでも”可”
という段階もあったという事でしたら
ソリスト4人並ぶ、フル・混声バージョン「大地の歌」も
可能性としては有りだった訳ですね。
ソプラノにはお気の毒ですが、
考えるだけでしたら、面白いです(笑)
これは la_vera_storia さんの 1221 に対する返信です
マゼール
2004/10/30 11:28
メッセージ: 1223 / 1477
投稿者: bernardsstar
小生、最近、福井、鯖江、武生を旅行。主目的は福井鉄道などの電車に乗ることでした。郊外の田んぼの中にハーモニーホールがあり、この会場でマゼール指揮の演奏会が予定されていました。曲目にはマーラーはありませんでした。このホールに来る方はほとんどがマイカーだと思いますが、福井鉄道の経営支援効果もそこそこあるのでは?と感じました。(「ハーモニーホール駅」が隣接)
マゼールの音楽に初めて接したのは、ポリドール(確か)のLPで「運命・未完成」。
あと、バイロイトでホルスト・シュタインの後を次いだときは、年末はFMでよく聞きましたね。実演では米国オーケストラ(クリーブランドではなかったと思う)を率いての来日公演で、「神々の黄昏」のオーケストラ版組曲を聞きましたが、今ひとつでした。そして、先に投稿しましたが、マーラーの8番のCDにおける音楽作りには大変感銘を受けました。
これは la_vera_storia さんの 1220 に対する返信です
マゼールとヴァイオリン
2004/10/30 11:34
メッセージ: 1224 / 1477
投稿者: bernardsstar
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは、ボスコフスキーの伝統で、指揮者もヴァイオリンを弾くべきということになっていたはずですが、それをきちんとやりとげたのは、マゼールくらいではないでしょうか。あとは「人寄せパンダ」の方々。(ウィンナワルツの演奏は指揮者なしで十分に演奏可能ですね!!)
これは bernardsstar さんの 1223 に対する返信です
記憶がはっきりしないのですが・・
2004/10/30 12:02
メッセージ: 1225 / 1477
投稿者: bernardsstar
>バイロイトでホルスト・シュタインの後を次いだときは
もしかすると、マゼールの代役がきっかけで昇進したのがシュタインだったかも・・
だとすると、マゼールは若い頃は病弱だったが、その後体調を回復し、70代半ばでも指揮活動を続けているということになります。
あとカラヤンの後釜(ベルリンフィル)をアバドと争ったのもマゼールでしたよね??
これは bernardsstar さんの 1223 に対する返信です
>記憶がはっきりしないのですが・・
2004/10/30 12:55
メッセージ: 1226 / 1477
投稿者: jumeautriste
>もしかすると、マゼールの代役がきっかけで昇進したのが
>シュタインだったかも・・
<リング>はマゼールが先でシュタインがそのあとのようです。
いま、richard wagner homepage で見ました。
廃盤のようですが、例の番号
DGG 423 366-2
Rec.1986 12
これは bernardsstar さんの 1225 に対する返信です
マゼールのこと
2004/11/ 1 2:13
メッセージ: 1227 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
マゼールっていうのは、大阪万博のときにベルリンドイツオペラの日本公演で「ローエングリン」を観た時が初めてだったのですが、当時は正直言って指揮姿はあまり格好のよいものではなかったですね。とても奇妙な首の振り方をしていたしなんだかグロテスクな動作をしていたような記憶があります。あとヨッフムの指揮で「魔弾の射手」なども観ましたが、やっぱりワーグナーのほうの印象が圧倒的だったですね。いかんせん私も中学生でしたから、ワーグナーにはびっくりしました。その時から私はマゼール贔屓です(笑)。
マゼールはセルの亡くなった後、クリーヴランド管弦楽団の指揮者になったのですが、セルに鍛えられたこのオーケストラの能力が落ちなかったというのも、やはりマゼールの指揮の技術的な能力が卓越していたことだと思います。あと、パリのl'Orchestre Nationalにもよく来ていました。
カラヤン死後にBPOのシェフになるのかと思っていましたが、結果はアッバードでしたね。当時は能力的にはマゼールのほうがずっと上だと思っていました。80年代前半にほとんどBPOに登場しなかったアッバードは、後半になってベルリンでは(86年からだったと思いますが)毎年秋のベルリン芸術週間だけに登場するようになりましたが、そのほんの数年のアッバードの勢いは大変なものだったこともあって、シェフはアッバードに決まりました。その後に彼が失速してしまったのは御承知の通りです。
ウィーンの新年コンサートについては、確かにマゼールはヴァイオリンを弾いていましたが、しかしその前のボスコフスキーが引き継いだのはあのクレメンス・クラウスからであり、ヴァイオリンを持って、指揮して、弾いてというのはボスコフスキーからだと思いますよ。短命に終わったウィーン国立歌劇場の総監督の地位でしたが、それでも録音で出ているベルクの「ルル」などはマゼールならではの冴えた指揮だと思います。マゼールの指揮で「パルジファル」や「トリスタン」など是非聴いてみたいと思いますが、もう彼の指揮でオペラは無理かな.....。
これは bernardsstar さんの 1225 に対する返信です
一件御教示下さい(bernardsstarさんへ)!
2004/11/ 2 2:58
メッセージ: 1228 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
bernardsstar さま
お忙しいところ誠に恐縮ですが、お時間のある時で結構ですから、ちょっと御教示いただきたいことがあります。「中欧の音楽と文化」というトピで、ヤナーチェクの発言内容が話題になっています。あそこのトピのMessage 1405から1410までと、1414の投稿を御参照下さい。ヤナーチェクが自作の「グラゴル・ミサ」についてインタヴューで語った発言です。
音楽評論家の佐川吉男氏はその発言について、「(グラゴル・ミサは)国民の信念を宗教的な基盤に立ってではなく、揺るぎない道徳的な基盤に立って、神はただその証人として呼び出して、表現したかったのだ。」と引用しているようです。一方、このインタヴュー記事をチェコ語から英語に翻訳したZemanova女史は、以下のような訳文をつけています。
- Here, I wanted to show faith in the certainty of the nation not on a religious basis, but on a moral one; a basis of strength which takes God as its witness.
この英訳についても、理解の仕方が複数生じています。
このヤナーチェク発言が掲載された雑誌のチェコ語本文とその翻訳が以下で紹介されています(直接リンクはいたさないこととします)。
homepage2.nifty.com/JANACEK/interview2.htm
上のページの真ん中あたりに「グラゴル・ミサ」についてのヤナーチェク自身の発言が原文で掲載されており、そして以下の邦訳がつけられています。「私はここで信条を言いたかった、国の堅実さは 宗教的なものではなく、道徳的な、堅固なものの上に立脚していることを。それは神も証人となってくださるだろう。」
この上記のチェコ語からの翻訳ですが、完全に正しいでしょうか? 他に別の理解の仕方があるでしょうか? 「国民の信念」、「国の堅実さ」、「民族の確固とした存在」、「民族のゆるぎない姿」などなど...。
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
>マゼールとヴァイオリン
2004/11/ 2 3:47
メッセージ: 1229 / 1477
アバターとは?
投稿者: wolfgang17560127 (男性/東京都23区内)
今度11月17日、スカパークラシカジャパンでマゼール弾き振りウィーン・フィルによるモーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番が放送されるようです。予告編を見ましたがなかなかの腕前のようです。白黒映像ですが何時頃の映像なのでしょうか。
それにしてもマゼールの若いこと・・・
これは bernardsstar さんの 1224 に対する返信です
Re:ヤナーチェクの発言内容
2004/11/ 3 9:26
メッセージ: 1230 / 1477
投稿者: bernardsstar
la vera storiaさま
先入観をなくすため、「1405から1410までと、1414」は読まずにレスポンスします。
拙訳は下記の通りです。
「宗教的でなく、道徳的で力強いものに基づいた、国民の堅実さを信じるということを、私は表現したかった。このことを、神が証人となってくださるように・・・。」
bere(不定形は、bra't)は、完了体。完了体現在は「未来」を示すことから、神が証人となるのは未来のこと。従って、ヤナーチェクは、神に対する願いをこめていたと、解釈します。
bra't si co za (+対格)が来ると、熟語で「〜を〜に連れて行く」「〜を〜に用いる」。
一番問題となるのが、na'rodの訳。「民族、国民、国家」の意味がありますが、Na'rodni' Divadlo を「国民劇場」と訳していることから、「国民」とした。
ktere'(関係代名詞)は、中性単数を受けるが、その前には中性名詞がないことから、前の文章全体を受けたものと考える。
zachytitは、「握る、固定する、把握する」の意味のほかに、(チェコ英辞典によると)express、describeの意味もある。
vi'ra「信心、信条、信仰」のあとに、v(+対格)が来ると、「〜を信じること」
これは la_vera_storia さんの 1228 に対する返信です
御教示に感謝します!
2004/11/ 4 1:03
メッセージ: 1231 / 1477
アバターとは?
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
bernardsstar さま
早速のお返事、大変ありがとうございました。非常に参考になります。
<完了体現在>があらわしている「未来への願い」は、適切な英語訳がほとんど不可能だと思います。事実、Zemanova'女史の英訳では、faithという単語を採用することによって、間接的に<完了体現在>を内容的に代用させているにすぎません。
それから、一番問題のna'rodの訳ですが、あのHPで「国の堅実さ」と訳語をあてているのは、発言の全体から考えますと少々無理があるようにも思いました。だた、Zemanova'女史は<a nation>とはせずに<the nation>と定冠詞をつけており、こうしてしまいますと「国」との意味がより出てくるでしょうが、しかし「グラゴル・ミサ」についてのインタヴュー会話のあと「音楽祭」に話題が移って、その冒頭で彼女はヤナーチェクの発言に、
- The whole nation has always sung, and still sings. Song certainly has had an astonishing influence: this is not unknown. It had its influence during those times when the only thing left to the nation and the army was “our nightingale voice”.
という訳をつけており、ここでのthe nation は「国民」以外ではありえませんから、インタヴュー会話の先の <the nation>も、「(今ここで話題にしているところの)国民」の意味で英訳したのでしょう。あのHPが「国の堅実さ」と日本語訳したのは、やや軽率なように思います。 また、「民族」という訳語をあてることについては、これも有力だと思いますが、しかし要はヤナーチェクがチェコスロヴァキアという第1次大戦後に誕生した新国家をどのように見て、どのように考えていたかをもっと知る必要があるでしょうね。
このインタヴューは、あの HPの冒頭によりますと、雑誌記者が夜の9時にヤナーチェクを電話でつかまえて行われたようなのですが、これもちょっとおかしな気がします。あれほどの長い内容のものを電話インタヴューにて行ったとすれば、全て記者の記憶だけであとから記事にすることなどできるわけがなく、そうなると記者が受話器を持ったまま、速記もしくはそれに近い形でもメモ筆記したに相違ありません。電話の会話を録音することなどは1928年の時点では不可能でしょうからね。インタヴューした際の状況について、もっと知りたい気もします。
これは bernardsstar さんの 1230 に対する返信です
訂正
2004/11/ 4 23:23
メッセージ: 1232 / 1477
投稿者: bernardsstar
すみませんが、大事なところで誤りを犯していました。
bra't(完了体)− vzi't(不完了体)のペアであると、3日の投稿では、辞書にも目を通したうえで投稿したつもりでしたが、
本日、改めて、辞書で調べると、
bra't(不完了体)− vzi't(完了体)のペアが正確でした。従って、bereは、不完了体3人称現在で、「(以上のことについて)神を証人とする(神が証人となる)」という、現在のことを言っていることになります。どうもすいませんでした。
これは la_vera_storia さんの 1231 に対する返信です
ヤンソンス指揮の「英雄の生涯」
2004/11/ 8 2:40
メッセージ: 1233 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Vn.)アレクサンダー・ケール
ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調 op.36
シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」 op.40
昨夜に引き続いてコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートに行く。まろやかで柔軟な表情と、豊かな響きを特徴とするこのオケを聴くことに楽しみがある。そして今夜はベルリンフィルも聴くことになるため、この2つのオーケストラの聴き比べができそうだ。
前半のベートーヴェンの第2交響曲は昨夜と同じである。全体に剛直で骨太な演奏。しかし第2楽章などは、目立たないところで細やかな表情を聞かせる。ここまでは昨夜と同じ。しかし今日は昨夜のブラームスではなくて、後半にシュトラウスの「英雄の生涯」が演奏された。
とにかくもって大変な名演奏だった。ひょっとしてこれはカラヤン以来の名演ではないか、などと思ったくらいだった。 起伏と変化に富んだその演奏の雄弁さ!オーケストラの音の芳醇さ(弦楽器と金管楽器)にヤンソンスの大芝居が加わって、手に汗握る演奏だった。ティーレマンなどの指揮とは異なり、ヤンソンスは完全に曲全体の演奏の設計図が定まっているようだし、この曲にしっかりしたイメージを持っているらしい。 そしてその結果は、かなり個性的な「英雄の生涯」像が提示されたように思った。それはまず、この曲を「敵と戦いに勝利する英雄と、その引退・成就」とはとらえず、「敵との和解と共存」とでもいえるドラマに仕上げていたことだと思う。今日の演奏で具体的に言えば、「英雄の敵」の部分で木管楽器は硬くてきつい表情で全体の響きのなかで対比的に奏される。この「敵」のテーマは、あとあとまで顔をのぞかせるのであるが、次第に表情は和み、全体の響きになかに寄り添うように変容していくという形をとっていた。こういう表情の変化は、あきらかにヤンソンスの指示で行われているように感じる。 勿論「戦場の英雄」の場面ではオーケストラが壮大に鳴り響いてはいたが、あくまでも豊麗な音のドラマとしてとらえられている。最後の「英雄の引退と成就」では、たとえばカラヤンがみせたように、非常に回顧的かつノスタルジックなまでの表情(それは本当に感動的だった!)とは異なり、優しさと平明さにあふれたものだった。 このような「英雄の成就」は今まであまり聴いた記憶がない。ここには、敵との戦いに勝った男が回顧する過去ではなく、内なる平和を獲得・維持した男の満足な気持ちだと聴こえる。
アンコールは、ハイドンのセレナーデの楽章、シュトラウスの「ばらの騎士」組曲のひとくさしだった。このオーケストラは、決して力まず、柔軟かつしなやか、そして豊かな音をいっぱいに鳴らし尽くす点で、いつも満足を得られる点、実に貴重なオーケストラだと思う。素晴らしい秋晴れの日曜日の午後に、わざわざホールの中に入って音楽を聴くだけの価値は十分すぎるほどあったと思った。 あと2時間後には、いよいよ別のコンサートでベルリンフィルを聴くのだが、はたしてこれほどまでの演奏ができるか心配にすらなる。
(2004年11月7日 於 サントリーホール)
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
ティーレマンの<間奏曲 月光の音楽>
2004/11/ 8 12:22
メッセージ: 1234 / 1477
投稿者: jumeautriste
la_vera_storiaさんの投稿を読ませていただき、
ちょうど昨年の今頃、
ティーレマン、ウィーン・フィルの演奏会が甦りました。
・ベートーヴェン<田園>
・R・シュトラウス<英雄の生涯>
・アンコール
カプリッチョから<月光の音楽>
私は演奏会に行っても、
細かい演奏内容はほとんど憶えていないのですが、
感動したときは、
その場の空気、シャンデリラの輝き、聴いていたときの私自身の気持ち、
そういうものと共に憶えています。
この時は好きなティーレマンですから、
音も情景としてもしっかり憶えていますが、
特にアンコールで演奏された<月光の音楽>
けだるげで、暖かなホルンの響き、
幸福感に満ちた大らかな音楽、
3分半の”至福のひととき”でした。
これは la_vera_storia さんの 1233 に対する返信です
ヤンソンス/コンセルトヘボウ管
2004/11/ 8 12:31
メッセージ: 1235 / 1477
投稿者: other_wind (男性/海外earthsea)
はじめまして。
私も昨日この演奏会を聴いてまいりました。
ベートーヴェンは全く立派な演奏だったと思います。
年配のトランペット奏者が単なる単音の刻みの音列を、細かいニュアンスをつけていたのにたいへん驚きました。
惚れ惚れするいい音を聴かせてくれました。
4楽章は結構速いテンポでエネルギッシュにいきましたね。
とても素晴らしかったです。
「英雄の生涯」は艶やかなヴァイオリンソロが全く見事でした。
フルートとクラリネットの冴え渡る鋭い響きも素晴らしかった。
アンコールのハイドンのセレナードはそれまでの芳醇な響きから一転して弦楽のみによるほっとする響き。
大勢の弦楽奏者によるピアニッシモがホールに響き渡るっていいもんですね。
ほとほと感心しました。
今後コンセルトヘボウとヤンソンスに注目したいと思っています。
これは la_vera_storia さんの 1233 に対する返信です
「英雄の生涯」
2004/11/ 8 22:01
メッセージ: 1236 / 1477
投稿者: bernardsstar
ご紹介、ありがとうございました。
「英雄の生涯」は、確かにカラヤン盤が飛びぬけていますが、カルロス・クライバーが指揮した実況録音も忘れがたいものがあります。
特に、大音響の「戦場と英雄」の部分でも、くっきりとしたアンサンブルで対旋律も手に取るように聞こえ、よく言われる「R・シュトラウスの音楽は大味」という印象を与えませんでした。
これは la_vera_storia さんの 1233 に対する返信です
アンコールで「月光の音楽」
2004/11/ 8 22:05
メッセージ: 1237 / 1477
投稿者: bernardsstar
はじめてこの曲を耳にする聴衆が多かったものと想像します。演奏のあとで、「えっ、この素敵な曲の曲名は何?」って、客席がざわつきませんでしたか?
これは jumeautriste さんの 1234 に対する返信です
Re:ヤンソンス/コンセルトヘボウ管
2004/11/ 8 22:09
メッセージ: 1238 / 1477
投稿者: bernardsstar
other_wind さま
ご投稿ありがとうございます。
>年配のトランペット奏者が単なる単音の刻みの音列を、細かいニュアンスをつけていたのにたいへん驚きました。
コンセルトヘボウのような優秀な海外オーケストラを聞くと、小生も日本のオーケストラは特に金管がまだまだだな、と感じてしまいますね。
これは other_wind さんの 1235 に対する返信です
”自分の言葉”
2004/11/ 9 15:58
メッセージ: 1239 / 1477
投稿者: other_wind (男性/海外earthsea)
bernardsstar さま
ご丁寧な挨拶ありがとうございます。
時間と予算の関係もあってコンサートに行ける時は外国のオーケストラが多く、
実はあまり日本のオーケストラは行っていませんです。
TVでは時々聴きますが、日本の金管も技術的には素晴らしくなっていますね。
でも、何でもできるスーパーマン的なアメリカ風の金管を目指してるのではないかと
思えるようなときがしばしばあります。
指揮者の要求にはこたえるけれど無味乾燥的な。
昔、アメリカのメジャーオーケストラのトップ奏者が集まったガブリエリの録音がありました。
これ、凄いなあと思うけれど、ブラス好きの私にも一度聴くだけでもうたくさんという録音でした。
同じガブリエリのレコードで、バンベルク響のブラスアンサンブルは味わい深く、
これには何度か針を通したことを思い出します。
天満敦子さんの素晴らしい無伴奏VnのCDを入手しましたが、中野雄氏の解説の中にこうありました。
……………
評論界の長老・遠山一行氏が、「演奏という行為には三つの段階がある」と、どこかで書いておられた。
第一は、楽譜を”音”にする段階。
第二は、それを”音楽”として演奏する段階。
第三は”自分の言葉”として語る段階。
……………
コンセルトヘボウの白髪でちょっと光ってるTp奏者は確実に”自分の言葉”を持っていたです。
日本にももう一度聴きたい、別の曲も聴いてみたいと言わせくれる奏者を期待しますね。
これは bernardsstar さんの 1238 に対する返信です
>アンコールで「月光の音楽」
2004/11/ 9 22:30
メッセージ: 1240 / 1477
投稿者: jumeautriste
>「月光の音楽」
実演では、本プロでもアンコールでも聞いたことが無くて、
このウィーン・フィルが初めてだったのですが、
この演奏会の前、1ヶ月位だったか、
そのへんはしっかりとは憶えてないのですが、
FMでウィーン・フィルの定期演奏会(サヴァリッシュが病気で降りた時)が放送されましたが、
本プロでブラームス、リポヴシェクの「ヴェーゼンドンク・リーダー」
「月光の音楽」で、さすがウィーン・フィルだと思ったのでしたが、
それがびわ湖ホールで聴くことが出来て感激でした。
帰り際、3箇所ほどあったアンコール曲目紹介のところでは、
立ち止まっている人たちが多かったです。
ほんの3分半か4分の間奏曲ですから、
あまり知られてないのでしょうか・・どうなんでしょう?
弦楽六重奏は有名ですけれど。
ほんとうに素敵な曲ですね!
これは bernardsstar さんの 1237 に対する返信です
川崎ミューザ
2004/11/10 23:27
メッセージ: 1241 / 1477
投稿者: bernardsstar
la_vera_storia さま
「中欧」のトピで「川崎ミューザ」に触れていらっしゃいましたね。
このホールのコケラ落しは、秋山指揮 東響の、マーラー:交響曲8番「1000人の交響曲」で、
早々と追加公演が決定し、2晩、開催されました。小生は聞いてはいないんですが・・
ベートーヴェン:第9 と同様、大規模な合唱隊による動員力も寄与したと思います。
川崎の財政の豊かさは、(過去の遺産で、最近は厳しくなっているとはいえ)ごみ収集の面では、今なお、東京、横浜よりも市民にとって利便があります。
川崎のごみ収集車が巡回するときのテーマ音楽は市民歌で「山本直純」作曲です。
川崎市長は芸術の街として川崎を売り込んでいく方針で、洗足学園や、近々、新百合ケ丘に移転する音楽大学をその核としていく意向ですね。
川崎と中欧(東欧)の接点として、あと、クロアチアのリエカ(スラブ語で「川」の意味だが、アドリア海に面した港町)と早くから姉妹縁組していることが挙げられますね。
これは la_vera_storia さんの 1233 に対する返信です
シュミット<ノートル ダム>
2004/11/10 23:43
メッセージ: 1242 / 1477
投稿者: jumeautriste
半年も前にオーダーしていた
<ノートル ダム>がやっと届き、
今日、1枚目を聴いたところです。
ドイツ語、英語の歌詞が付いていますから
頑張ればいいのですが・・大変です。
曲はきれいですね。
シュトラウス<ダナエの愛>
これも夏から読んでいますが、
まだ1幕全部いっていません。
これはドイツ語だけで、ヴォーカル・スコアから拾いながらで、
どちらにしても私には酷な作業です。
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
Re:シュミット<ノートル ダム>
2004/11/11 22:01
メッセージ: 1243 / 1477
投稿者: bernardsstar
jumeautriste さま
感想をいただき、どうもありがとうございます。
この歌劇は「カーニバル」のシーンを基軸とした前半が特に素晴らしく、後半に行くに従って、ワーグナーの楽劇の模倣のようでいて、やや力不足といった感じだでてきます。「カーニバル」のシーンは何度聴いてもいいです。
これは jumeautriste さんの 1242 に対する返信です
川崎(2)
2004/11/13 8:11
メッセージ: 1244 / 1477
投稿者: bernardsstar
「今日聴いたクラシックCD」で、
今回の「クラシック>全般」のトピ数減少の背景を解説していらっしゃる方がおられましたが、以前と比べておっこちやすくなり、なかなか厳しくなってきましたね。
ただ、この厳しさは「全般」についての問題であって「オーケストラ」には余裕があるわけですから、そちらにトピをたてることもできるわけです。でも、できれば「全般」に居つづけたいというのが、多くの方の希望だと思います。
(ちなみに、「乗り物」>「鉄道」では、カテゴリー分割で多くのトピがたてられるようになりましたが、新トピが多く立ったあとの反応はイマイチのようです。)
あと、「チャイコフスキーマニア」で、ある方が「ブログ」を推奨されていました。これも今後検討課題になるかも知れませんね。
さて、やっと来た週末。CD店でCDを買うか、図書館で借りるかして、このトピ関連の未聴曲を減らす作業をしようかと思っています。
表題の川崎(2)は、川崎市の「音楽」のもうひとつの側面である「ストリート系」について。溝口は以前から駅前での街頭演奏が多かったですが、最近、私の住む地区の静かな駅でも始まりました。
彼らが、自分を「表現」したいと思うのは自由ですが、無関係の公衆の前ではやってほしくないというのが本音です。興味のない公衆にとっては、「公害」以外の何でもないし、耳の肥えた人にとっては、「あ、また、焼き直しだな・」って程度です。
演奏したければ、音楽ホール内でやってほしいです。
これは bernardsstar さんの 1241 に対する返信です
ハンス・ロット:交響曲
2004/11/14 1:57
メッセージ: 1245 / 1477
投稿者: ZAKKYO2000
こんにちは。
こちらでハンス・ロットは話題になりましたか。
というのも、先週日本フィルの定期でこの曲が日本初演され、大変な感銘を受けました。
この曲からブルックナー、マーラーはもちろんのことブラームス、ワグナー、ツェムリンスキー、新ヴィーン派、エルガーなどさまざまな音楽の兆しが感じられました。
アルテ・ノヴァのCDよりもはるかにいい演奏だったと思います。沼尻竜典の力量はかなりのものがあると思いました。
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
自治体財政と音楽ホールのことなど....
2004/11/14 2:57
メッセージ: 1246 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
「ストリート系」ですか...。 実はミューザ川崎の前でも、やっているグループがありました。正直言って「うるさい」の一言でしたよ。 それから、こういう音に関連してですが、コンサートホールを出ていきなり別の音楽が聴こえてくるという場合が最悪ですね。NHKホールなどはもうN響とか、外来オペラ公演くらいしかクラシック関連はやっていませんが、あそこを出たところで、変な音楽をかけている露店があるときは気分が壊れますね。食事しようかな、などと思うときは、そのレストランにBGMが流れているかいないかを前もって知っておく必要すらあるように思いますね。この点ではサントリーホールの斜め向かい側にある某フランス風カフェは、音楽が鳴っていないのが救いです。(アークヒルズのレストランも、ほとんどはBGMなどは流していなかったとは思いますが。)
それから川崎市の財政のこと、ざっとではありますが調べてみました。平成15年度の一般会計決算・特別会計決算の数字を見ますと、平成15年度末で市債残高が8,806億円(市民一人当たりで約68万5千円)ですね。 (ちなみに横浜市の同年における市債残高は1兆9209億円です)。川崎市は歳入として「川崎シンフォニーホール整備事業債」としての市債発行で150億6,100万円を歳入として計上していますね。
http://www.city.kawasaki.jp/23/23zaisei/home/kessan/15kessan.pdf
そのためもあってか、平成14年度と比較すると自主財源比率が65.4%から60.9%へと大きく落ち込んでいます。また、市税歳入の割合も平成14年度の49,7%から平成15年度の43.7%へと比率が下がってはいるものの、他の政令指定都市の場合と比較すると、際立って悪化しているというほどのものではないようですね。ただ、市税歳入の対歳入総額比率は横浜市よりは低いようですから、この数字で200億円以上の施設を建設するというのは、やはりかなりの負担ではないでしょうか.....? 以下は「横浜市財政の現状と見通し」というレポートであり、このなかでいくつもの項目の数字に関して、政令指定都市同士が比較されグラフになっていますが、なかなか興味深いものがあります。
http://www.city.yokohama.jp/me/zaisei/ir/finance.pdf
利潤を追求を目的とする一般企業の決算書を読むような感じで自治体の決算書を読むのは間違いでしょうが、数字そのものが様々な意味を持って語りかけてくるという点ではなかなかおもしろいものです。
M自動車の本社京都移転の件も雲行きがあやしいようですし、N自動車の本社横浜移転についても、今後いろいろと障害が出てくるのかもしれません。自治体の関係者もやきもきするところかもしれません。
今夜は音楽には関係の無い話で失礼いたしました。
これは bernardsstar さんの 1244 に対する返信です
Re:ハンス・ロット:交響曲
2004/11/14 10:54
メッセージ: 1247 / 1477
投稿者: bernardsstar
ZAKKYO2000 さま
情報ありがとうございます。
残念ながら小生はこの「日本初演」に立ち会っていません。
ハンス・ロットが夭折しなかったら、音楽史は書き換えられていたかも知れませんね?!
http://www.japanphil.or.jp/concerts/041111.html
マーラーがブルックナーに師事したときに、ブルックナーのオルガンの弟子のうち、2人がマーラーの親友である、ハンス・ロットと、ルードルフ・クジザノフスキーだったということのみで、ハンス・ロットの名はこれまで知られてきましたね。
これは ZAKKYO2000 さんの 1245 に対する返信です
ロットの交響曲
2004/11/14 10:54
メッセージ: 1248 / 1477
投稿者: mtomorrowsky (35歳/男性/福島県)
CDで2種類持ってますが
この曲は力任せに鳴らしてはダメですね
セーゲルタムス(でしたっけ?)など
最初の3分間で100%鳴らしきってしまったため
そのあとに盛り上げようが無い感じ
いいなと思う演奏に出会えない1曲です
これは ZAKKYO2000 さんの 1245 に対する返信です
>>マゼールとヴァイオリン
2004/11/14 11:00
メッセージ: 1249 / 1477
投稿者: bernardsstar
wolfgang17560127 さま
小生、スカパーには加入していないので、ご覧になりましたら、ぜひ、ご感想の投稿をお願いします。
ところで、マゼールは、火災後復興成った、ベネチアのフェニーチェ歌劇場の、復興後こけら落し公演、ヴェルディ「椿姫」を指揮したとのことですね。まだまだ精力豊富という感じがします。
これは wolfgang17560127 さんの 1229 に対する返信です
こちらで祝
2004/11/14 11:47
メッセージ: 1250 / 1477
投稿者: jumeautriste
bernardsstarさん
別カテのほう、まもなく、
おめでとうございます、ですね。
行ってgetしたいのですが、
いかにも私では場違いなので自重しています(笑)
今、聴いているのは
<交響的幻想曲 影の無い女>
抒情的な、いいとこ集めの20分あまり、
聴いた気分にはなり、満足です。
メインは<英雄の生涯>
ティーレマン&ウィーン・フィル
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
祝というので
2004/11/14 17:45
メッセージ: 1251 / 1477
投稿者: bernardsstar
○○さまのことかと一瞬思ったのですが、小生のことですね。
○回記念なので飛びっきりのアイデアでなきゃ!と思っていて、なかなか投稿できないといったところです。
「英雄の生涯」で思い出したのが、今年放映されたサバリッシュさんの近況。請われて指揮を続けているフィラデルフィア管に稽古をつけるシーンでの英雄の主題は、まさに入魂といった気がしました。
本日聞いたCDは、プッチーニの「ラ・ボエーム」に加え、サバリッシュさんがPfを受け持ったR・シュトラウスの2曲のホルン協奏曲です。
これは jumeautriste さんの 1250 に対する返信です
re. ロットの交響曲
2004/11/15 12:06
メッセージ: 1252 / 1477
投稿者: ZAKKYO2000
mtomorrowskyさん、こんにちは。
随分前からこの曲をお聴きになっていられるようですね。
>この曲は力任せに鳴らしてはダメですね
そうそう、先日の沼尻=日フィルの演奏は正に迫力はあるのだけれど決してして力任せではありませんでした。3楽章(なんと巨人の第2楽章と似ていることか!)のハチャメチャになりそうな部分も実に整然と盛り上げていました。
また、3楽章と4楽章の間にインターバルを取り、1〜3楽章を第一部、長い4楽章を第2部という感じにして、この曲の楽章の長さのアンバランスさを上手く補っている感じがしました。
さらに、第4楽章の最後は盛り上がっていって、大々的に終ると思いきや、スッと消えていく感じがCDで聴いた時はかなり物足りなったのですが、この日の演奏では実にその辺の設計が見事で非常に必然的な終り方に思えました。
それにしても、この作曲家にはもっと書いて欲しかったですね。彼を狂わせたブラームスが憎い!
これは mtomorrowsky さんの 1248 に対する返信です
ラトル指揮のマーラー : 生死の表裏世界
2004/11/17 3:47
メッセージ: 1253 / 1477
投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)
サイモン・ラトル 指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ドヴォジャーク 交響詩「野ばと(Holoubek)」op.110
マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調
昨日に引き続いてラトルとBPOの組み合わせを聴く。なんといってもマーラーに注目と期待が集まるのが当然である。 今夜の彼らのマーラーの第5交響曲の演奏を聴いてみて、いくつかの点でまだわからない部分があるにせよ、全体としては実に圧倒的なものを感じた。特筆すべきなのは、まず彼らの演奏の精妙さである。もっと具体的に言うと、弦楽器を中心とした弱音に込められた表情の多彩さだろう。沈痛と焦燥、希望と光、白昼夢と覚醒、記憶と現実、....その他いろいろな表情がポリフォニックな様式の中で弦楽器中心に細かく表現し分けられているという印象だ。先日の川崎でのブラームスの演奏でも感じたように、やはりラトルは部分部分の表現を一個一個積み上げて、大きな曲の全体を形成させようという意図と思える。しかしこれは同時に、マーラーの音楽、特に今夜演奏された第5交響曲に隠された「内的プログラム」が存在しているか否かという問題に繋がる重要なポイントである思うが。
全体としては比較的端正な第1楽章であったが、弦楽器の表情は多彩を極める。第2楽章は精緻でありながら激しさを失わず、あのコラールは抑制されて鳴らされる点で、まだそれは「予感」に過ぎないことを連想させる。第3楽章は、ホルン(Corno obligato)奏者を一人、まるでホルンコンチェルトであるかのように指揮台横で吹かせていたが、これはまったく意味のないように思えた。この楽章はBPOのアンサンブルにいくつかの瑕があったものの、思い切った表現に踏み出したが故のものだろう。弦のpizzicatoから、まるで死体がゆっくりと起き上がって、ワルツを踊りだすばかりの場面(11から14番あたり)などの生々しさには驚き、そして驚嘆さえする。現実世界と表裏一体で存在する死の世界で踊られているワルツを垣間見るかのようだった。ところが唯一残念だったのがHolzklapperの鳴らし方の稚拙さだった。(この打楽器奏者、演奏中に隣とおしゃべりしていたが、BPOにはまったくふさわしくない光景であり、見ていて不愉快だった。本人の猛省を期待したい。)第4楽章は比較的抑え気味であるものの、弦の微妙な表情と色合いは多彩だった。終楽章は、これも一つずつブロックでも積み上げていくかのように表現され、コラールは今度はもちろん壮大に鳴る。クライマックスも盛り上がり、拍手は盛大。会場はほとんど総立ちに近いものだった。BPOのマーラー演奏は、やはり重さと厚み、そしてアンサンブルの完成度を若干犠牲にしても、思い切った表現や大きな歌い込みがある点で独自である。
先に言及した、第5交響曲に隠された「内的プログラム」が存在するか否かという点である。マーラー自身も妻のアルマもプログラムの内容に言及していなかったと記憶している。しかし、たとえば今夜のラトルのように、細部から全体へという方向で音楽を作る指揮者で聴くと、わりと「絶対・純粋音楽」のように聴こえる傾向が多いのかもしれない。逆に言うと、「内的プログラム」が存在しているとして、そういう解釈をしようとする指揮者は、全体を俯瞰してそれから部分部分を配分していくやり方以外は難しいかもしれない。今夜のラトル指揮のマーラーの新鮮さは、細部に多くのこだわりをもち、緻密に表情を作っているにもかかわらず、音楽全体に過度な思い入れが入り込まず、音楽それ自体の美しさが光っていた点。
前半のドヴォジャークの「野ばと」だが、今まで残念ながら作品自体に魅力を感じたことが無い。ラトルとBPOは完成度の高い演奏をしていて感心したが、しかしこの曲自体の扉まで開いてくれなかったようにも感じたが。
非常に充実の一夜。
(2004年11月16日 於 上野 東京文化会館)
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信で
ラトルのマーラーなどなど・・
2004/11/18 14:32
メッセージ: 1254 / 1477
投稿者: jumeautriste
このところの東京は凄い過密スケジュールのようですね。
ラトルのマーラー、
聴いてみたいと思う気持ちを持ったまま、ついつい・・
マーラーは今年になってこちらに投稿させていただくようになってからは聴いていますが、
一時期完全にはまって、そのあとは聴いたり聴かなかったり、
実演以外は何年も家ではまったく聴かない時期があったりで、
CDも最近は買う事もなく、という状態でした。
ラトルのマーラーはベルリン・フィルの、ニキシュ(運命)をはじめ歴代指揮者の演奏を集めたCD(プライベート盤)のなかで10番を聴いた時が初めてで、
そのCD自体それほど面白くもなく、ラトルだけが好印象で、いろいろと聴いてみたいと思ったのでした。
ラトルの<フィデリオ>
他トピで読ませて頂きましたが、
台詞なし、レオ3なしのすっきりとした上演だったようで、
これは以前、デノケ、ヴィラーズでザルツの映像で見ましたが、
アンサンブル・オペラとしてはそれなりに楽しめるかと思いました。
その時はヴィラーズのフロレスタン、
私としてはよれよれという印象だったのですけれど、今回は良かったのでしょうか。
昨秋のドレスデンでもレオ3なしの上演だったそうで、
つまらなかった、と肩透かしだったようでしたが、
音楽を熟知していればこそ、
いろんなアプローチ、受け入れることも出来、楽しめると思いますが、
この作品はあまり馴染んでいないひとにとっては
面白くも何ともないないオペラかもしれませんね。
(好きなものにとってはなんともいえず、いいですが)
古い録音のCDでは台詞なし、レオ3なしの録音、あるのでしょうか?
E・クライバー、ケルンの録音ではもともとは台詞無しと聞いたことがあるのですが、
出回っているのはレオ3なしですが、台詞ありなのですね。
このところ、
バーンスタインの1970年6月、ウィーン・ライヴを聴いて喜んでいます。
これは la_vera_storia さんの 1253 に対する返信です
>本日聞いたCDは
2004/11/19 13:10
メッセージ: 1255 / 1477
投稿者: jumeautriste
「ラ・ボエーム」
イタ・オペ、プッチーニはほとんど聴かなくなりましたが、
こちらのトピで「ボエーム」について書くのは気が引けますが、
bernardsstarさんの投稿以来、聴きたくなり、今日、聴いています。
そして私としてはイタ・オペのアリア(男声)の中で
<冷たき手を>が一番だと再確認、確信しているところです。
気に入っている録音は1959年のセラフィン盤
大好きな二人、テバルディのミミ、ベルゴンツィのロドルフォ
これは bernardsstar さんの 1251 に対する返信です
Re:プッチーニ
2004/11/20 9:28
メッセージ: 1256 / 1477
投稿者: bernardsstar
コルンゴルトやシュレーカーのオペラを聴くと、プッチーニの影響を強く感じますね。
マーラーのプッチーニ評は、「オーケストレーションがうまい作曲家。『トスカ』は、最初から最後まで鐘の連続だ!」だったと思いますが、この発言の中にも、プッチーニの才能に対する嫉妬を感じます。
マーラーは、ウィーン宮廷歌劇場で君臨して歌劇というものを熟知していたにもかかわらず、生涯、歌劇を作曲しなかった(後に破棄された習作(計画段階にとどまる)を除いて)というのは、不思議な感じもしますね。
プッチーニの素晴らしさはドラマの進行・心理状態の必然性にぴったりした、観衆を思わずホロリとさせるメロディー・響きを随所に配置できるところにあると、僕は思っています。
ともかく、ウィーン音楽に吹き込んでくる「南からの風」って、中々いいですね!
これは jumeautriste さんの 1255 に対する返信です
いいですね。
2004/11/21 4:33
メッセージ: 1257 / 1477
投稿者: utachant
はじめまして。私はパリに住んでいる日本人声楽教師です。
ウイーン19世紀末、20世紀初頭の音楽、いいですね。私も好きです。今日、図書館からシェーンベルクの歌曲の楽譜をいくつか借りてきました。マーラーは大好きだけど、ほとんどの曲が私の声には低いか重いかで、残念です。マーラー歌曲を聞くなら、Thomas Hampson がお勧めです。R・シュトラウスはこれからもどんどん勉強したいですね。
突然ですが、私の書いているニュースレター「歌の効用」の宣伝です。欧州通信ユーロ・ニュースのドイツ編に http://www.newsletter.ne.jp/ でアクセスします。そこからフランス編へ移動して、わたし的フランス通信(個人のニュースレター)の中にあります。
読んでみてください。よろしくお願いします。
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
Re:いいですね。
2004/11/21 9:05
メッセージ: 1258 / 1477
投稿者: bernardsstar
ニュースレターのご紹介をいただいたのはうれしいのですが、ニュースレターだと、こちらのEメールアドレスをお知らせせねばならず・・・内容に興味があっても中々申し込みできず・・といったところです。
Thomas Hampsonは、まだ聴いたことがないので、今後、CD購入・借用のときなど、注意してみます。
これは utachant さんの 1257 に対する返信です
マーラーと歌劇
2004/11/22 14:51
メッセージ: 1259 / 1477
投稿者: jumeautriste
マーラーが何故オペラを残さなかったか?
このことは友人達ともよく話したことなのですが、
一つのヒントとして
「R・シュトラウスとマーラー」
このふたりの作曲法の根本的な違いについて
マーラー自身考え、
”私の音楽は、
最終的に理念を明確化するものとしてプログラムに行き着くのだが、
シュトラウスの場合は、
プログラムが与えられた課題として最初からそこにあるのだ”
(プログラム=言葉で音楽の内容や経過を示す)
マーラーは音楽を”言葉”や”プログラム”でとらえることが出来ると考えていなかった。
”言葉”は説明するためでなく、理念でも形態においても、
作品全体の中に本質的に内包されているもの、
として考えていたということです。
確信を持ってと言うことではありませんが、
分かるような気がします。
これは bernardsstar さんの 1256 に対する返信です
作曲家と出版社
2004/11/23 19:53
メッセージ: 1261 / 1477
投稿者: bernardsstar
また、プッチーニの話題で恐縮なのですが、
プッチーニの才能を早くから認め、その作品の楽譜出版に取り組んだのがリコルディ。
これで思い出すのが、コルンゴルトとショット社の関係ですね。
本日はCDは聞かずに、星出豊 著の「ジャコモ・プッチーニ」という本を読みました。
これは jumeautriste さんの 1259 に対する返信です
>作曲家と出版社
2004/11/23 21:52
メッセージ: 1262 / 1477
投稿者: jumeautriste
プッチーニのオペラ、
先日、あらためて旋律ラインの美しさを認識しました。
「プッチーニ」関係の書籍は読んだことがないのですが、
これも昨年の話しで、文芸春秋に掲載された、
マゼールと浅利慶太の「喋々夫人」についての記事のなかで、
”プッチーニの愛した日本人女性”というのがあったと記憶しているのですが・・
オペラ投票・トピには読んだときに内容を投稿したのですが、
私は下書き無しに直接書いているので、
トピが無くなって、書いたもの全てパーになってしまいました。
そんな訳でまた本を探して読もうと思っていますが、
興味深い話しがありましたら、ご紹介お願いします。
今は、マーラー<第8>
テンシュテットで聴いています。
これは歌手が揃っているように思います。
いつかCD屋の店員さんに”千人、歌手で聴きますか?”
とか言われてしまいましたが、聴くんですよね。
ドクター・マリアなんか非常に気になります(笑)
で、このCDは映像のタンホイザーのリチャード・ヴァーサルです。
これは bernardsstar さんの 1261 に対する返信です
喜波貞子
2004/11/24 22:46
メッセージ: 1263 / 1477
投稿者: bernardsstar
喜波貞子(きわていこ。1902-1983)について、このプッチーニの本で触れていましたね。祖父はオランダ人で、1920年にイタリアに渡り、 1922年にリスボンの歌劇場でデビュー。「蝶々夫人」を得意としていました。ウィーン、ミラノ、パリ、ロンドンなど欧米の主要な歌劇場に出演し、ポーランド人と結婚。
同時期の三浦環が日本に帰国したのに対し、ついに日本に戻らず、ニースで没。
プッチーニ(1924没)に貞子が会ったことがあるかどうかは、この本には書かれてはいませんでした。
これは jumeautriste さんの 1262 に対する返信です
>喜波貞子
2004/11/27 11:57
メッセージ: 1264 / 1477
投稿者: jumeautriste
bernardsstarさん
歌手、喜波貞子についてありがとうございます。
わりと新しく出た本なのですね。
私も読んでみようと思っています。
手紙からさまざま読み取ることは面白いですよね。
ホフマンスタールとシュトラウスの往復書簡なども有り難い本でした。
これは bernardsstar さんの 1263 に対する返信です
チェコ・フィルの第九
2004/11/27 12:00
メッセージ: 1265 / 1477
投稿者: jumeautriste
またトピずれ話題ですみません。
昨夜BSで、チェコ・フィルの第九、やってました。
<第九>の前座に演奏する曲、
なにが1番多く演奏されているのかな、ということをちょっと思ってみたのですが、
今年のびわ湖ホールの<第九>(大フィル&秋山)では
<合唱幻想曲>です。
これって本当に贅沢な組み合わせですよね。
昔は圧倒的にレオノーレ3番が多かったような気がしますが、
タンホイザー、マイスタージンガーなどが演奏されるときは
喜んで行ったような記憶があります。
最近は聴きに行っていないので、知らないのですが、
どうなんでしょうね。
これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です
bernardsstar様、
2004/11/29 19:38
メッセージ: 1266 / 1477
投稿者: utachant
>こちらのEメールアドレスをお知らせせねばならず・・・
うーん・・・でも私には読者のメールアドレスは届きませんよ。
まあ、読む気になったら読んで下さい。
ちなみに、掲示板「合唱」の項目に私のトピを作りました。「歌の効用」について、です。ニュースレターの読者の意見箱といったところです。そのうち投稿してくれる人があるかもしれません。それらを見て、よーく考えてみてください。
これは bernardsstar さんの 1258 に対する返信です