ウィーン&ワーグナー

2001/ 6/ 9 11:27

メッセージ: 184 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさま

 

確かに「ワルキューレ」ですね。小生、「指輪」と言おうとして、つい「黄昏」と言ってしまう傾向があります。4部作の中でも「神々の黄昏」ばかり何度も繰り返し聴きこんでいます(「指輪」の実演に接したのも、「黄昏」のみ2回(ウィーン国立歌劇場と、ベルリンドイツオペラの来日公演)。吹奏楽編曲版ですが、「ジークフリートの葬送行進曲」を演奏したこともあります。

「ワルキューレ」は、「黄昏」に負けず劣らず充実した作品ですが、「ジークフリート」は、(歌手にパーカッショニストの才能を要求する)鍛冶屋のシーンばかりがやけに印象に残って、全体的な印象は薄いです。でも、最近、「アルマ・マーラーの自伝」を読んで、グスタフ、アルマがアンナ・ミルデンブルクとの「お別れ会」として、湖畔の山荘で、3人で「ジークフリート」を「上演!」し、周囲の人々がアンナの美声に魅せられて集まってきた・・・との記事を読み、「ジークフリート」に再挑戦してみようと、思っています。

 

fricca さん

 

Heve a nice trip! (文法はめちゃくちゃかも知れませんが、ドイツ語なら、Haben Sie gute Reisen! かな?)。

小生が、ずっと前にウィーンに行った時は、ウィーン美術史美術館でブリューゲルの有名な絵画を見たことや、フンデルト・ヴァッサー・ハウスに行ったこと、オットー・ワーグナーの建築作品(これは、街角に存在)などの印象しかなく、今度行く機会があれば、ぜひ、ゲルステルの絵を見たいと思っております。

これは michael_oskar さんの 183 に対する返信です

 

有難うございました

2001/ 6/ 9 15:26

メッセージ: 185 / 1465

投稿者: fricca1115 (女性/愛知県)

 

お二方ともありがとうございました。 

おっしゃるように心にも時間にも余裕のある、そんな旅が好きですが、いざとなると欲張りすぎて・・・今までの旅行もそうでしたが、全夜オペラかコンサートが予定に入っております。

それに、ウィーンは今回が初めてですが2泊で、しかも一日目はウィーン到着からあまり時間もなく歌劇場に急がなければならない慌しさ。 観光に当てられるのは最終日の朝からせいぜい3時頃までですが、その中で美術史博物館とオーストリア・ギャラリーでは、忙し過ぎですね。 

クリムトとゲルステルの作品に的をしぼり、オーストリア・ギャラリーを優先したいと思います。

 

「笑う自画像」ですが、目が笑っていないのですね・・・。 PCの小さい画面で見ていても、悲しさ・ある怖さを感じます。 おそらく実物の絵から受けるものはもっと強烈でしょう。

 

ウィーンは見所も多く、日程を余分に取るべきだったと今から後悔しております。

次の機会に期待してあまり欲張らないで、夜のオペラに備えたいと思います。

 

ところで、私の初シェーンベルクは「ワルキューレ」との関連で(笑)「グレの歌」をと思っておりますが、 bernardsstarさんはJanos Ferencsik指揮:デンマーク放送響のCDで聴かれて如何でしたか?  他にもお薦めの盤がありましたら是非ご紹介ください。

これは bernardsstar さんの 184 に対する返信です

 

fricca1115さんへ

2001/ 6/ 9 17:06

メッセージ: 186 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

fricca1115様

 

 はじめまして。

 

 シェーンベルクの調性時代の作品のうち、オーケストラを用いる主だった作品(弦楽合奏版《浄められた夜》、《ペレアスとメリザンド》《グレの歌》)は、先日亡くなったシノーポリが、ドイツ=グラモフォン・レーベルに録音を残しています(国内盤はポリドール)。まず、そちらをお求めになると良いでしょう。

 

 その他に私が推薦したい録音は、次の通りです。

 

1)弦楽六重奏のための《浄められた夜》

 

 現在では、作曲者が晩年に編曲した弦楽合奏版による演奏が一般的ですが、やはり原作の表現の密度を聴いておくべきだろうと思います。

 お奨めしたいのは、ハイペリオン・レーベルから出ている、ラファエル・アンサンブルの演奏です(CDA 66425)。抱き合わせは、コルンゴルト16歳の時の作品、《弦楽六重奏曲ニ長調》です。ちなみにシェーンベルクの最初の夫人マチルデは、作曲の師にして親友の、ツェムリンスキーの妹であり、コルンゴルトは、シェーンベルクの弟弟子にしてツェムリンスキーの愛弟子でした。コルンゴルトは、ナチス時代に渡米してハリウッド映画の作曲家として活躍し、作風面においても、ジョン・ウィリアムズの先駆者と呼ぶにふさわしい業績を遺しています。

 

2)交響詩《ペレアスとメリザンド》

 いかにも世紀末的な、頽廃的・病的なファンタジーに染め抜かれているといっても過言ではありませんが、私がシェーンベルク作品の中で最も愛してやまないのが、この作品です。カラヤンの録音もありますが、今となっては音質の劣化は否めないため、やはり新しい録音で聞いておきたいものです。シノーポリ指揮以外では、レヴァイン(ソニー)もあります。それでも私のイチオシを挙げますと、バルビローリ指揮/ニュー・フィラデルフィア管弦楽団の演奏が一番です(EMI CDM 5 65078 2)。古い録音になりますし、それに輸入盤のため、今では正規ルートで入手できるかは分かりません。

 

3)《グレの歌》

 シェーンベルク版の《トリスタン》ともいうべきこの作品は、豊穣な音響効果と装飾的なオーケストレーションが好まれてか、ブーレーズや小澤などの古い録音もCD化されていますが、やはり新しく、鮮明な録音で作品の細部を聞き取るようにしたいものです。

 その意味でお奨めなのは、デンオン(日本コロムビア)から出ている、インバル指揮/シュトゥットガルト放送管弦楽団の録音です。解説担当は、若手美学者の大宅試≠ナすが、シェーンベルクによるテクストの改変とそれまでの経緯についても、大宅氏の詳しい解説を読むことができます。(企画番号については、レコード店にお問い合わせください。)

これは fricca1115 さんの 185 に対する返信です

 

シェーンベルク調性作品のCD

2001/ 6/10 4:15

メッセージ: 187 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

いろいろとありますね。 以下は私の個人的感想です。

 

1.浄夜

甘美なところではやはりカラヤン/BPO

辛口では、やはりブーレーズの最初の録音(avec ドメーヌ・ミュジカルアンサンブル)

 

2.ベレアスとメリザンド

これはBea-Smy さんのおっしゃるバルビローリとニュー。フィルハーモニアが名盤ですね。 文句がないところです。 あとはカラヤン/BPOもいいですね。

 

3.グレの歌

アッバード盤の演奏は、1992年のウィーン芸術週間でのもので、私はこの時の実演を聴くことができました。 しかし、残念なことにVPOの弦楽器がこの曲のスコアを完全にはマスターしていなかったようで、何箇所かでボーイングがまったくそろっていませんでした。 また、トーヴェ役をジェシー・ノーマンが歌う予定だったのが直前でキャンセルされて別の歌手になったのもマイナス要因でしょう。 ただアッバードの指揮そのものは、第1部の最後、そして第3部が鮮烈な演奏だった記憶があります。

 

しかし、数日前のMETの公演で再びこの曲を聴き、Sprecher の重要さに開眼しました。この役次第で、第3部の雰囲気が一変するのです。 先日この役を語った(歌った)エルンスト・ヘフリガーには気品のある独特の文化の香りがしたのには参りました。 ですから、この役を生粋のウィーンのヴェテラン歌手が演じると、おそらくこの曲はもっとウィーンの香りがしてくるでしょう。 そいうい意味で言えば、bernardsstar さんが買われたフェレンツィク指揮の演奏は、往年のウィーンの名歌手のユリウス・パツァークが演じているようですので、他の演奏とは異なる独特の魅力があるのでは、という気がします(私は未聴です)。 私はパツァークの Preiser から出ているCDを何枚か持っていますが、これは正にウィーンの歌なのです。

これは Bea_Smy さんの 186 に対する返信です

 

グレの歌(フェレンツィク盤)

2001/ 6/10 7:56

メッセージ: 188 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

このCD(EMI Classics 7243 5 74194 2 0)の歌手・語り手陣は、以下の通りです。

 

Martina Arroyo (Tove), Alexander Young (Waldemar), Janet Baker (Wood-dove), Odd Wolstad (Peasant), Niels Moller (Klaus the Fool), Julius Patzak (Speaker)

(Mollerの o は、デンマーク語のoに/が重なった文字です。)

 

歌手・語り手に関しては、ワーグナー的、またウィーン的な味わいを醸し出して、秀逸な出来といった印象を持ちました。オーケストラ(Danish State Radio Symphony & Concert Orchestras)の演奏に関しては、冒頭の「前奏曲」のトランペットの音程がちょっと気になったのですが、これは曲に起因しているのでしょうか?それ以降の演奏は、ダイナミック&エネルギッシュでテクニックにも問題がなく、まさに19世紀末音楽を体現しているといった趣でした。1968年3月、コペンハーゲンでのライヴ録音です。

 

「浄夜」「ベレアスとメリザンド」に関しては、小生、少年時代にVPO(確か)の来日公演を教育TVが放映していたのを印象深く感じています。その後、ほとんど聴いていなかったのですが(もしかしたら、カラヤン盤を聴いたことがあるかも知れません)、何年か前から、女房が図書館から、OZAWA&サイトウキネンのCDを何度も借りてきては家の中でかけるようになりました。最初はいやいやながらつきあっていたのが、今では「(演奏風景を思い浮かべずに聴けば)それなりの味わいがあるな」と思っています。(今、女房は何故か、「管楽5重奏曲」(アサートン&ロンドン・シンフォニエッタ)のCDを借りています)

 

いずれにせよ、小生のシェーンベルク鑑賞体験は、michael_oskarさん、Bea_Smyさんには、とても及びませんが、これからも、曲の存在自体は知っているが、未聴という曲を減らすべく、努力して参ります。

これは michael_oskar さんの 187 に対する返信です

 

皆様、重ねてありがとうございました

2001/ 6/10 12:33

メッセージ: 189 / 1465

投稿者: fricca1115 (女性/愛知県)

 

各曲とも経験の深い皆様のお薦め盤ですから、きっとそれぞれの良さがあることでしょうし、迷ってしまいますね。

★「グレの歌」

シノーポリ指揮(ドイツ=グラモフォン)

インバル指揮/シュトゥットガルト放送管弦楽団(大宅試♂説←魅力ですね!)

フェレンツィク指揮/デンマーク放送響(ユリウス・パツァークの歌にも惹かれます)

 

★ 交響詩「ペレアスとメリザンド」 

シノーポリ指揮(ドイツ=グラモフォン)

レヴァイン指揮(ソニー)

バルビローリ指揮/ニュー・フィラデルフィア管、

カラヤン/BPO

この曲もドビュッシーのオペラと聴きくらべると面白いと思いますが、お二方の強力推薦によるバルビローリ指揮のディスクが、手に入るようでしたら是非一度聴いてみたいです。

 

★弦楽合奏版「浄められた夜」

シノーポリ指揮(ドイツ=グラモフォン)

カラヤン/BPO(甘美)

ブーレーズ最初の録音(avec ドメーヌ・ミュジカルアンサンブル)(辛口)

 

Bea_Smyさんお薦めの弦楽六重奏曲の「浄められた夜」ですが、とりあえず合奏版で聴いてみてから考えたいと思います。 

>シェーンベルクの最初の夫人マチルデは、作曲の師にして親友の、ツェムリンスキーの妹であり、

>コルンゴルトは、シェーンベルクの弟弟子にしてツェムリンスキーの愛弟子でした。

>コルンゴルトは、ナチス時代に渡米してハリウッド映画の作曲家として活躍し、作風面においても

>ジョン・ウィリアムズの先駆者と呼ぶにふさわしい業績を遺しています。

 

CDを探すのも旅行後落ち着いてからになると思いますが、手始めにやはり「グレの歌」から・・・。

果たして どのくらいシェーンベルクの音楽を理解出来るか心もとないですが、コルンゴルトまで聴いてみたくなったら・・・かなり、はまったと考えてもいいのでしょうね。(^^)

皆様、本当に有難うございました。

これは bernardsstar さんの 188 に対する返信です

 

 

   

シェーンベルクと anti-Semitism

2001/ 6/11 1:46

メッセージ: 190 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

シェーンベルクを話題にすることは本トピでは避けて通れないことですし、また彼を話題にするとなると、「浄夜」「グレ」「ペレアス」より先の無調音楽、十二音音楽について触れないことにはしょうがないですね。 このこと、多分 bernardsstar さんもどこかで気になっていらっしゃることと思います。 でも、やっぱりある程度は触れておかないと格好がつかない...。(つらいところですね!) そうすることなしに、ここで他の作曲家の話題に移行するのも気が引ける感じがするのですが。

 

そこで誠に勝手なでしゃばりで恐縮なのですが、私より切り口を提示させて頂いてよろしいでしょうか.....? 

 

1つの切り口として、「浄夜」「グレ」「ペレアス」以降のシェーンベルクの強面の音楽を正面から取り上げるのではなく、無調音楽移行以降のシェーンベルクの音楽が、いったいどこまで私たちが「ウィーン的」と安易に呼ぶところの要素を持ち続けていったのだろうか、ということを考えるのはどうでしょうか? そしてそれに密接に関連して、なぜシェーンベルクがあれほどまでに評論家から嫌われたのかという理由です。 (一般聴衆から嫌われたのは当然としても。)

 

これを簡単に、「聴いた感じがあんな音楽なのだから、嫌われないほうがおかしいよ。」などというような表面的なことではなく、別の角度から話題にできないでしょうか?  たとえば、「当時のウィーンの先進的な批評家のうち、かなりの数はユダヤ人だったのもかかわらず、なぜ同胞であるシェーンベルクの音楽に対してああまで敵意をむき出しにしたのか?」ということなど.....。

 

以前ある作曲家のトピで、その作曲家が嫌われる理由として bernardsstar さんは「無神論」という理由を挙げられましたよね。 私はあれを読んで、なるほどと思い、膝をたたきました。 ただしかし、バルトークなども無神論者のようですよね。 でも現在それほど嫌われてはいないのではないでしょうか? また、シェーンベルクの場合は無神論者のようには見えません。しかし嫌われていますよね。 ここいらあたりのところもちょっと気になるのですが。

 

そこで上記の点を一度に整理するために、「シェーンベルクと anti-Semitism」ということで、若干の回数の投稿させていただいてよろしいでしょうか.....? 独演会にならぬよう十分気をつけるつもりですので......。 もちろんここで別の作曲家の話題に移行するほうが楽とは思います。 たとえばもっとマーラーについて話題にするとか。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シェーンベルクは《グレの歌》から

2001/ 6/11 19:35

メッセージ: 191 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

入るのがいいですよ。何といっても壮麗なオーケストレショーン、でかい編成と

多彩なアンサンブルの織り成す響きの綾。そこに加えて、旋律とハーモニーの絶妙な魅力!

 いっそのこと、他の曲は後回しにして、「グレの歌」聞き比べに没頭するというのも、贅沢な愉しみかもしれません。

 

 実は今、母校でのアルバイトを終えて戻ってきたばかりなのですが、恩師に捕まって、michaelさんも触れていらっしゃった、レヴァインのライブ講演の感動を、延々と吹き込まれてきました。

 

 先生曰く、

「いやあ、やっぱりね、シェーンベルクの入門編には、《グレの歌》が一番だよ、君」。

 

 最後になりましたが、friccaさん、楽しいヨーロッパ旅行をお過ごしください。Bon voyage! Gute Reise!

これは fricca1115 さんの 189 に対する返信です

 

切り口、よろしくお願いします

2001/ 6/11 22:46

メッセージ: 192 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさま

 

12音音楽のないシェーンベルクなんて・・・ですからね。小生、かねがね、「モーゼとアロン」を議論したいと思っていたのですが、それには、旧約聖書を深く読まないといけないので、まだまだ修行が必要と考えております。

 

12音に関して、以前、ハウアーの作品の一部を聴けるサイトを紹介いただきましたが、それは大変に美しい音楽でした。12音=難解(人によっては騒音)というのは、単純な見方であり、12音音楽とはいっても、作り方によって、全然違った印象を与えると考えます。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第14番「死者の歌」、第5楽章「心して」に現れる、シロフォーンによるマーチ風12音は、まさにショスタコ流であります。

これは michael_oskar さんの 190 に対する返信です

 

明るいイメージは

2001/ 6/11 22:57

メッセージ: 193 / 1465

投稿者: imyfujita

 

シェーンベルクの話題では何だか暗い話ばかりですが、明るいというか音楽そものについて話したいと思います。

私のページを見ていただけませんか?

http://members.aol.com/mocfujita/air.html

これは fricca1115 さんの 182 に対する返信です

 

シマノフスキのシェーンベルク観 (1)

2001/ 6/12 3:49

メッセージ: 194 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

シェーンベルク理解のための新しい切り口に沿ってレポートさせていただくに先立って、同時代の作曲家がシェーンベルクをどう見ていたかについて触れさせてください!

 

シェーンベルクへの同時代の評価としては、ウィーン及びベルリンの批評家(大多数はユダヤ系)の批評が多く、作曲家としてはベルク、ウェーベルンなども発言したり書いたりしているはずです。 こういう批評については、いろいろな本に記載されていることが多いため、あえてここでそれを繰り返して紹介するのも陳腐かと思います。 そこで思い切ってここでは、ポーランド人で「若きポーランド」という芸術運動サークルに参加していた作曲家シマノフスキの書いたシェーンベルク論を紹介させていただきます。

 

この文章の原文(ポーランド語)は大変難解であり、数年前ワルシャワでシマノフスキの書いた文章を編集した本を入手したのちも、私の能力では簡単に読解が困難な箇所が大多数だったため、そのままこの本を放置してあったものです。 しかし今回、シマノフスキのシェーンベルク論のほんの一部が Schoenberg and His World (Princeton University Press)にも紹介されたのを機に、この英訳を参考にポーランド語原文をあたってみました。 依然として意味がよくわからない部分も少なからず残るのですが、この際とりあえず未消化ながら思い切って紹介させていただきます。 下記の文意不明な箇所は、全て私の能力不足ですのでお許しください。

 

・「音楽の世界で圧倒的支配力を持ったワーグナーの後に、いったいだれがその後継者でありうるのか、という問題について、再び議論が再燃しつつある。 ブラームスの音楽は確かに価値があるものの、ここではあえてその名を省いておきたい....

 

・「大戦前(拙注ー第1次大戦のこと)の数年間、この<ニーベルンクの指輪>の作曲者の影響力に対して、賛美と反発の両方ともが次第に強くなっていたし、両者の議論に混乱もあったのだ。そこへ名前があがってきたのがシェーンベルクなのだ...

 

・「シェーンベルクは、中欧を揺るがせた戦争の混乱を生き延びて、窒息しそうな状態にあったドイツ音楽に新たな業績と達成をもたらせたのだ。 彼こそは未来への新しい架橋の建設者なのだと評価する意見が増えつつある。 彼こそは、ストラヴィンスキーと並ぶ音楽におけるモダニズムの象徴なのだ。 この現象の心理的側面を考えることは意義のあることだし、シェーンベルクを批判することについては最大限の思慮と客観的態度が必要だろう。 シェーンベルクの創造力の巨大さ、自己の使命への信念と忠実さなど、どれをとっても尊敬に値するのだ。 ましてや、彼を軽視、無視することなど問題外だ.....

 

・「シェーンベルクは、表現の基本的方法の内的再構築に深い意味を発見し、音楽の形式的要素の絶対的再評価を通して、全く新しい基礎の構築を目標としたのだった。 シェーンベルクは、ワーグナーの追随者という立場を出発点として、<グレの歌>で雄弁に作曲家としての地位を不動なものとした。そこには、否定しえないほどのロマンティシズムが存在している....

 

・「我々は少しずつ気が付くことがある。それは、音楽のダイナミズムというものがどのようにして、逸楽や形式の有機的結合を超えて、音楽とは関係のない諸要素にまで影響を与えていくかということである。これらの神秘的な結合は、ワーグナー、ドイツロマン主義を通じて、シェーンベルク作品の批判的評価へ向けての唯一の出発点である、ということなのだ。 たとえ今日の伝統文化が、それを育んだ源泉から離れてしまったのもかかわらず、この事実は否定できないのだ.....

(続く)

W sprawie -muzyki wspolczesnej-

(Karol Szymanowski) より

 

* bernardsstar さま

普通一般のシェーンベルク論ではない、本トピ独自の「個性的」なシェーンベルクを語りたいですね!

 

* Bea_Smy さま

おそらく貴兄、シマノフスキのファンでいらっしゃるのではないでしょうか? ただ、そういうこととは関係なしに今回はシマノフスキを引っ張り出しました。 結果としては上記の要約のように惨憺たるものになっています。お許し下さい。

これは bernardsstar さんの 192 に対する返信です

 

シマノフスキ

2001/ 6/12 23:36

メッセージ: 195 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさま

 

シマノフスキの交響曲は、ざっとさわりを聴いただけで、全曲を通して聴いたことはありません(第何番かも忘れました)。ただ、身近に、「夜の歌」の熱烈なファンがおります。ヴァイオリン協奏曲(確か、2番)は、日フィルの定演(渡辺暁雄指揮、 Vn:堀込ゆず子)で聴きました。80年代のことです。YAHOOの「ヴァイオリン協奏曲」のトピに提案してもいい充実した、また独創的な作品だと思います。

 

「ポーランド音楽の歴史」という本を持っているのですが、その中で、シマノフスキの音楽性について、「その擬古典的な立場にもかかわらず、本来、主観主義と内省に向かいがちな叙情詩人であった。したがってかなり太い糸が彼を、ロマン主義と、ごく個人的な自己表出の欲求と結びつけていた。(中略)シマノフスキの作品に、様式上の一大転換が生じたのは第一次世界大戦中であった。(中略)これは、印象主義の影響によるものであることは疑いないとはいえ、機械的な模倣というわけではなかった。(中略)強弱法やアーティキュレーション、楽器群の個性化、フィギュレーションと装飾法のさまざまな形、和声法の自立的、層的、"複調性的扱い"・・・」(ユゼフ・ミハウ・ホミンスキ氏の文章)と、書かれています。

 

シマノフスキに影響された、当時のポーランドの若い作曲家の多くが、パリに赴き、デュカや、ダンディ、ブーランジェ女史に学んでいます。この本では、シマノフスキとシェーンベルクの結びつきには触れられていませんが、「12音技法を興味深い、創造的な手法で活用することができたポーランドの最初の作曲家、ユゼフ・コッフレル  Jozef Koffler (Jozefのoの上に')(1896-1944)」(ルドヴィク・エルハルト氏の文)が紹介されています。

 

imyfujitaさま

 

お久しぶりです。貴HPに再びアクセスしまして、さらにまた感心いたしました。シェーンベルクのみならず、カンディンスキーについての投稿もお待ちしております。

これは michael_oskar さんの 194 に対する返信です

 

michael_oskar様

2001/ 6/13 0:10

メッセージ: 196 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

 さりげなくメッセージを入れてくださり、有難うございます。

 さて、ご質問の件について。

 

 ご高察の通りです。いな、むしろ正確には、「世紀末音楽一般ファン」と言うべきでしょうか。調性・無調にかかわりなく、良いものは良いといいたいのです。例えばシェーンベルクは「私的音楽協会」のプログラムに、当トピで挙がる作曲家の名前のほかにも、フックス(マーラーやツェムリンスキー、シベリウスらの恩師)やラフマニノフ、スーク、ノヴァーク、モソロフ、マルクスらも取り上げていたそうですが、そういう開かれた姿勢は大いに学びたいと思っているのです。

 

 ところでmichaelさんは、シマノフスキがシュレーカーと文通していたとか、バルトークが初期にはシュレーカー作品も研究していたという話はご存知でしょうか。

 

 

 ちなみに、母校で今度シェーンベルク作品の演奏会が開かれます。今度、その告知をしてもよろしいでしょうか、トピ主様。

これは michael_oskar さんの 194 に対する返信です

 

シマノフスキ、バルトーク、etc.

2001/ 6/13 2:40

メッセージ: 197 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

beranardsstar さま、 Bea_Smy さま

 

シマノフスキのシェーンベルク論の続き、少々お待ち下さい。 現在、英文要約を参考にして、ポーランド語原文と大格闘中です。 いよいよこれから、シマノフスキがシェーンベルクの音楽技法から、彼の音楽美学を抽出する文章の箇所にさしかかっており、一段と難解になってきています。 しかし、これはどうしてもここでやっておかないと自分自身に悔いが残ると思いますので、お許しください。

 

それから、Bea_Smy さん御指摘の、シマノフスキとシュレーカーの文通、バルトークのシュレーカー研究ですが、私は知りませんでした。 ただ、シマノフスキとバルトークが、 1922年(?)にパリで出会っていたのだけは知っています。 6人組も同席していたようですね。

 

 

ちょっと休憩の一服。

 

お二人は、ポーランドの作曲家、ミエチスワフ・カルウォビッチ(1876 - 1909)を御存知でしょうか? 彼は、いわゆる「若きポーランド」という芸術運動のメンバーの一人ですが、33歳の若さでタトラ山で遭難死しているのです。 おそらく御存知でいらっしゃるのでは.....と思うのですが.....

彼はシマノフスキよりも6歳年上ですが、彼が遭難死していなければ、おそらく20世紀前半を代表する作曲家の一人となった可能性がある、と私は考えています。彼の残された曲は非常に少ないです。傑作とは言い難い曲ではあることは認めますが、私の隠れた宝物のような作曲家となっています。 もし仮に御存知なければ、michael_oskar のいつもながらの戯言と無視していただいて結構です。 私の本心では、自分で独り占めしておき、人には教えたくない作曲家なのです!(笑)

仮に、仮に.....彼を御存知なくて、もし御興味おありでしたら、以下の2つのサイト御参照下さい。 ポーランドとイギリスのサイトです。

 

http://www.mati.com.pl/pinkwart/karlowicz/karlowicz.htm

 

http://www.musicweb.uk.net/classrev/2000/dec00/karlowicz.htm

 

すっかり話題がシェーンベルクから離れてしまいました。 また「大格闘」再開します。 とりあえずのところ今夜はこれまで。

これは Bea_Smy さんの 196 に対する返信です

 

Bea_Smyさま

2001/ 6/13 12:42

メッセージ: 198 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

ノヴァーク:

 

小生、

ホーム>芸術と人文>歴史>世界史>ヤン・フスについて

のトピの、

 

50 フスを題材とした音楽作品

 

の中で、ノヴァークの歌劇について触れました(スメタナ「我が祖国」に触れなかったのは初歩的ミス)

 

ラフマニノフ:マーラーがニューヨークで、彼と共演(P協3番)しようとし、気乗りのしないオーケストラ団員をマーラーが叱ったのは有名な話ですね。

 

シベリウス:マーラーがフィンランドで彼に会ったとき、まだ彼は第3交響曲までしか発表しておりませんでしたが、アルマの自伝によれば、俗受けねらいをするシベリウスを、マーラーはあまり高く評価していなかったようです。

 

>ちなみに、母校で今度シェーンベルク作品の演奏会が開かれます。今度、その告知をしてもよろしいでしょうか、

 

どうぞ、よろしくお願いします。時間が許せば、小生bernardsstarも後ろのほうでこそっと聴かせていただき、演奏終了後、即刻退散・・させていただきたいのですが。

 

追伸:小生、

ホーム>科学>工学>JOB興し

のトピ主もしておりまして、最近、

188 匿名君どうし接近センサー

196 楽譜印刷機能付き、オーディオ機器

 

というアイデアを思い付きました。

ご笑覧ください。

これは Bea_Smy さんの 196 に対する返信です

 

ミエチスワフ・カルウォビッチ

2001/ 6/13 12:45

メッセージ: 199 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

「ポーランド音楽の歴史」(音楽之友社)に4ページにわたって解説されています。

詳細は今晩。

 

RE: ミエチスワフ・カルウォビッチ

2001/ 6/13 21:44

メッセージ: 200 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

カルウォーヴィチのCDは私も持っています。アンログ録音による交響詩全集と、デジタル録音された協奏曲とセレナーデですが。交響詩(リトワ狂詩曲だったかな?)がカルマスから復刻されているのも知っていますが、まだこちらは入手していません。

 

>傑作とは言い難い曲ではあることは認めますが、私の隠れた宝物のような作曲家となっています。

 

「傑作とは言い難い」などということはないと思います。もし彼が登山やスキーに熱中せずに、その情熱を音楽に専念していたならば、ポーランドのR.シュトラウスかマーラーか、といった存在にはなったと思います。

これは michael_oskar さんの 197 に対する返信です

 

シェーンベルク没後50年記念演奏会

2001/ 6/13 22:48

メッセージ: 201 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

bernardsstar様

 お許しのお言葉、有難うございました。

 それでは早速・・・・・・。

 

 

明治学院バッハ・アカデミー第9回演奏会

【シェーンベルク没後50年記念演奏会】

 

★7月13・15・16日

会場:明治学院大学白金校舎・アートホール

開場:いずれも19時

 

◎13日(金)と15日(日)

 ・講演「バッハからシェーンベルクへ」(樋口隆一文学部教授)

 

 ・《月に憑かれたピエロ》

  佐々木典子(シュプレッヒゲザング)

  小山実稚恵(ピアノ)

  ザビーネ・ザイフェルト(フルート&ピッコロ)ほか

  樋口隆一(指揮)

 

 

◎16日(月)特別演奏会

  ・アレクサンダー・ゲール《五重奏曲"Five Objects Darkly"》Op.52

  ・シェーンベルク《セレナーデ》Op.24

  小鍛冶那隆(指揮)/東京現代音楽アンサンブルCOmeT

 

問い合わせ先:明治学院法人課FAX 5421-5451

(悪戯電話等防止のため、電話番号とメールアドレスの公開は見合わせましたことをお許し下さい。)

 

 

 この演奏会と前後して、都内でシェーンベルクの遺族を招いてシンポジウムも開かれるようですね。私が聴いた話では、いずれかの演奏会に、ノーノ未亡人も臨席するかもしれない、とのことでした。また、特別演奏会では、ゲール氏本人も招聘されていたのですが、急病のために出席がキャンセルされたそうです。

 

 私は当日、演奏会のお手伝いで、開場のどこかに潜んでおります。客席にはいないかもしれません。

 

 作曲者論への返事は、また後日といたします。

これは bernardsstar さんの 198 に対する返信です

 

シェーンベルクとクレンペラー (1)

2001/ 6/14 1:04

メッセージ: 202 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

シマノフスキのシェーンベルク論の続き、少々猶予を頂戴し、今回はシェーンベルクと、名指揮者オットー・クレンペラーとの間にあったアメリカでのエピソードを紹介させていただきます。

 

これを紹介させて頂きます理由としては、渡米(1933年)後のシェーンベルクの心境を窺い知ることのできるエピソードとしての重要さだけではなく、この時点で彼が自分の以前の作品についてどう考えていたかをも知ることのできるエピソードであるためです。 時期的には、オペラ「モーゼとアロン」の第2幕の作曲を完成させたあたりの時期となります。 以下、カナダのヨーク大学教授 Michael Kater 氏の著作 <The Twisted Muse>より,関係部分を要約いたします。

 

 

・「アメリカに亡命したユダヤ人のうち、指揮者クレンペラーほどシェーンベルクの気難かしさから冷酷なあつかいを受けた者はいないだろう。 クレンペラーは1933年にL.A.(Los Angeles)にたどりつき、ロス・フィルを指揮することとなる。 クレンペラーは当時シェーンベルクの崇拝者だった......

 

・「ところが1934年に事は始まったのである。 この年の暮れに、クレンペラーを讃える夕食会に招待されたシェーンベルクは、その出席を拒否したのだった。 その理由はこういうことだ。 シェーンベルクに言わせれば、それに出席するということは自分の作品を無視し続けているアメリカ人(それも影響力のある人々)の立場を認めてしまうことにほかならない、と....  クレンペラーはそれまで何度となくシェーンベルクとのあいだのいさかいがあったものの、作品そのものは演奏し続けてきていたのだ。 もしろん初期の調性作品だけではあったが.... 1939年にクレンペラーは頭部の手術を受けるが、これ以降シェーンベルクとクレンペラーの関係は急速に悪化の一途をたどることとなる....

 

・「クレンペラーがシェーンベルクの初期の作品しか演奏しないことに対して、シェーンベルクは、嫌悪感をあらわにした。 そして彼はクレンペラーの音楽趣味を、<反動的>といって非難し、とうとうお互いがお互いを避けるようになったのだ...

 

(次稿へ続く)

これは bernardsstar さんの 192 に対する返信です

 

シェーンベルクとクレンペラー (2)

2001/ 6/14 2:46

メッセージ: 203 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

(前投稿よりの続き)

 

・「シェーンベルクはこう発言している。<奴の私の音楽に対する態度には、本当に腹立たしい! 奴は私の音楽を本当に理解していないのだ。 しかしこれ以上、奴を責めないことにする。 それというのも、もう奴が病気から回復するかどうかなどはわからないからな。>.....

 

・「1940年の9月になって、シェーンベルクの考えていたことが正しいことがはっきりしたのだった。 それというのも、クレンペラーは<シェーンベルクのほとんどの曲は、自分にとっては異質な音楽だ。>と発言したからである。

 

・「とうとう音楽観の違いに留まらず、2人は個人的なことに関しても言い争いをするようになった。 クレンペラーは、自分がシェーンベルクに貸した金がまだ返済されていない、とシェーンベルクをなじった。 シェーンベルクは、米西海岸地区で自分の作品の演奏がされないのは、すべてクレンペラーがそれを背後で操っているからだと信じて疑わなかった。 この状態は第2次大戦終結時まで続いた。 まさにこのことは、シェーンベルクとクレンペラーという自己中心的な2人の芸術家の強烈な個性のぶつかりあいだったのだ....

 

The Twisted Muse - Musicians and Their Music in the Third Reich

(by Michael H. Kater)

Oxford University Press, 1997 Oxford

より

 

 

私 (michael_oskar) は、強烈な個性を持つ芸術家同士のいさかいという要素はあるものの、やはりこの2人の不和の本質的原因は、クレンペラーがシェーンベルクの無調期以降の音楽に積極的ではなかったからだと考えます。

 

ウィーン時代では、生活のためなら編曲だって平気でやったシェーンベルクにとってすら、彼の開拓した「新音楽」がアメリカでは無視され、調性作品のみが採りあげられたことへの失望感は、かなりなものと言えそうです。 自分の作品ならばどれが演奏されてもよい、という態度すら採りえなかったのは、すなわち自分の「新音楽」の価値を、調性音楽作品の価値より上位においていたと言えるでしょう。(とは言うものの、1934年にシェーンベルクは自作の「ペレアスとメリザンド」を指揮し、ボストンで演奏会を開いたりしてはいますが。)

 

 

* bernardsstar さま

「モーゼとアロン」の話は後日、ゆっくりといたしたいものです。 私は一度だけこの舞台に接しています。 87年だったか88年だったかのザルツブルクでした。 ちょうどワルトハイム問題の真最中でしたので、その意味で非常に印象が強かったです。 指揮は、レヴァインでした。 音楽開始前に舞台で繰り広げられた血も凍るほどの恐ろしい演出(あのユダヤ人墓地の墓石を倒し、そして破壊する集団を登場させた)の凄まじさ! 黄金の仔牛の祭壇での、けばけばしいばかりの色彩と猟奇性.....。 「モーゼとアロン」は問題性を多く含む作品ですので、簡単には済まされないですね! 一応CDではショルティ盤がいい演奏と思います。 ブーレーズの指揮も悪くないですけれども。

 

* Bea_Smy さま

やはりカルウォビッチの CD お持ちでしたか! 私は「傑作とは言い難い」などと書きましたが、本心ではありません。 もし初めての方が聴かれて、失望された時の私の「口実」のためにああしておいたのです。(あの年代のポーランドで作曲された曲の傑作だと思っています)

「若きポーランド」の芸術運動(特に美術)、私はもっと調べてみたいと思っています。 それから、貴兄の紹介された記念演奏会、私はなんとか都合をつけて行ってみたいと思っています。皆様方にばれないようにして...。

これは michael_oskar さんの 202 に対する返信です

 

ミエチスワフ・カルウォヴィチ(2)

2001/ 6/14 5:53

メッセージ: 204 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

「今晩」のつもりが、「翌朝」になりました。既に「ポーランド音楽の歴史」をお持ちの方には重複情報になりますが。

 

まず、97ページに、彼の写真(どこかの山頂で休息している横顔)があり、「彼は山歩きがとても好きだった」という解説文が添えられています。

 

彼が山で遭難死をとげたことには触れられていません。

 

主要作品は、「交響曲ホ短調」「ヴァイオリン協奏曲イ短調」「交響詩 太古の歌」「交響詩 スタニスワフとアンナ・オシフェンチム夫妻」であります(交響詩が多いということは、R・シュトラウス的作曲家と言えますね)。

 

作風に関しては色々と書かれていて、すべてを紹介できません。一部を示すと、

 

「「若きポーランド」の作曲家たちの作品には、ヨーロッパ全体の音楽に支配的であったものと似通った傾向が姿を見せている。- そうした傾向の現れが、この -  表題音楽的な流れと、擬古的な流れであった。前者の代表的作曲家としては、ミエチスワフ・カルウォヴィチとルドミル・ルジツキが挙げられる。後者を代表するものは、カロル・シマノフスキである。彼らの作品は、なおも続いていたロマン主義の伝統を接合させており・・・・」

 

「弦楽器の濃密な響きからは、しばしば、カルウォヴィチの作品に特徴的な陰鬱な雰囲気が醸し出されている。似たような役割を果たしているのが、木管楽器、特にクラリネットの低音域とホルンの合奏である」

これは bernardsstar さんの 199 に対する返信です

 

シマノフスキのシェーンベルク観 (2)

2001/ 6/15 1:40

メッセージ: 205 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

*(1)よりの続き

 

・「音楽の形式上の要素が観念的な基礎に立っていかに発展したかを、別個のやり方で考察してみたい。 ドイツで優勢だったロマン主義音楽の勃興は、従来の音楽からの一段の跳躍と言える。 従来の古典主義的方法、すなわち純粋な音楽形式の構築ともいえるやり方(これを水平的スタイルと呼ぶことにする)が、次第に垂直的な方法に次第にとって代わられたのである。 この背景としては、表現内容のドラマ化、すなわち音楽を心の中の真実と結合させようとする影響から生じたものなのだ。 こうして誕生したロマン主義音楽は、豊穣な和声を出発点としているのだ.....

 

・「次第に音楽は、生の生活を<抒情>ともいうべきもので取り込んだ。 気まぐれ、感情の起伏などを伴った生きた言葉のリズムに形式的に支配された心理的リズムとも言うべきものに根ざした抒情なのである.......

 

・「このリズムともいうべきものは、音楽の自然な発展の方向をそらせたのである.....

 

(続く)

 

* 今回以降の部分の原文は非常に難解であり苦労しています。 英語の要約版とは数箇所においてその意味がかなり異なるように思うのですが、私の能力の範囲内で原文に近い要約にしているつもりです。それにしても、通常のような西欧的な意味での単語の選択になっていない箇所が多く、違和感が少なからず残るのがつらいところです。 

これは michael_oskar さんの 194 に対する返信です

 

ミエチスワフ・カルウォヴィチ(3)

2001/ 6/15 23:32

メッセージ: 206 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさんから紹介いただいたサイトには膨大な情報があり、とてもその全てを読みきれるものではありません。

 

ざーっと見て、目についた情報だけ・・・

 

http://www.mati.com.pl/pinkwart/karlowicz/piesn.htm

 

Koncert w sali wieden'skiego Towarzystwa Muzycznego, gdzie Kar?owicz osobis'cie dyrygowa? orkiestra; "Musikvereinu", wykonuja;ca; Powracaja;ce fale, Smutna; opowies'c', Odwieczne pies'ni i Stanis?awa i Anne; Os'wiecimo'w zakon'czy? sie; umiarkowanym powodzeniem: zaproszona publicznos'c'. wyraz.a?a swe zadowolenie, krytycy uznali doskona?a; technike; kompozytorska;, jednakz.e program - nie bez racji - wyda? sie; im monotonny. Kar?owicz niezbyt wysoko ocenia? wieden'ski sukces, pisza;c ironicznie w lis'cie do Felicjana Szopskiego: Publicznos'c',

カルウォヴィチは、1908年にウィーン楽友協会のオーケストラを指揮し、自作を演奏。招待客からはそこそこの評価を得たようです。ただし、批評家は管弦楽法の技には高い評価を下したものの、曲の単調さについても指摘しました。この点は、カルウォヴィチをがっかりさせ、フェリチャン・ショプスキに皮肉をこめた手紙を書き送っています。

 

Adres brzmia?: ul. Ogrodowa 7.

Z wczes'niejszych we;dro'wek po Zakopanem znamy juz. ten dom, wybudowany u progu naszego stulecia. kto'ry juz. niebawem mia? otrzymac' nazwe; "Limba" (dzis': ul. Ogrodowa 8): w tym samym domu w latach 20. mieszka? Karol Szymanowski i tu pracowa? mie;dzy innymi nad opera; Kro'l Roger, nad mazurkami op. 50 na fortepian i nad go'ralskim baletem Harnasie.

ザコパネの庭園(オグロドヴァ)通りにある建物をカルウォヴィチは、放浪時代の頃から知っていて、1907年にここに住んでいた。この同じ建物にはシマノフスキも住んだことがあり、そこで、歌劇「ロジャー(ロゲル?)王」や、ピアノのためのマズルカ(作品50)などを作曲した。

 

(小生、この話を読んで、チャイコフスキーが投宿したローマのホテルにラフマニノフも投宿し曲想を練ったことを思いだしました。)

 

このサイトには、タトラ山地の写真がふんだんに使われています。この山地の裏側(スロバキア)もやはり山岳観光地です。

以下にチェコ&スロヴァキアの音楽関連サイトを紹介するサイトを紹介いたしますが、この中でもタトラ山地の写真が使われています。

・・・・

 

http://artsci.wustl.edu/~jamabary/csms.html

 

(写真が、タトラ山脈から、ヤナーチェクゆかりの建物に変わっていた!!)

これは bernardsstar さんの 204 に対する返信です

 

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」(1)

2001/ 6/17 2:34

メッセージ: 207 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

シェーンベルク夫妻と画家ゲルステル(ゲルストル/ゲルシュトル)との三角不倫関係については、以前の投稿にて紹介されていただいた通りですが、ゲルステルの自殺という結末に至った「ゲルステル事件」が、どのような形でシェーンベルクの音楽に影を落としたかについて、私の感じたところを少々述べます。

 

以前一読した名著「新ウィーン楽派の人々」(音楽之友社ー原題は、Schoenberg and his circle, by Joan Allen Smith)を再度引っ繰り返してみたところ、大変に驚いた記述がありました。 それは、シェーンベルクの娘婿のフェリークス・グライスレの生前の発言であり、その内容としては、

 

(a)シェーンベルクが、自分が歩いているところを後ろから描いた自画像はすばらしい。

(b)もしも彼に絵の才能があったら、この絵は途方もない絵になった。

(c)シェーンベルクが絵画に持っていた着想にはすごいものがあったが、技法が伴っていなかった。

 

の3点です。グライスレは一時期、シェーンベルクと同居していたこともあり、その発言は同時代人の発言として尊重されることは当然ですが、私 (michael_oskar) としては上記の3点のうち、(a)及び(b)についてはまったく賛成できません。 まずなにはともあれ、シェーンベルクの描いた、「後姿の自画像」をご覧下さい。

http://www.usc.edu/isd/archives/schoenberg/painting/selfportraithtms/ritter4.htm

 

これは「ゲルステル事件」から3年ほどたって描かれたものです。自画像を描くときに、自分の後姿を描いた画家というのは、少なくとも私にはすぐに名前が浮かんできません。そういう意味でいえば、シェーンベルクの描いた後ろからの自画像の着想は奇抜と言えるかもしれません。 

 

しかし、この絵を見ていて私が思うのは、着想の奇抜さよりも、「ゲルステル事件」で深く傷ついたシェーンベルクの、深い失望と自嘲の表現としか思えないのです。ここに生身の人間としてのシェーンベルクの悲哀のようなものを感じざるを得ないのですが......。  ですから、「シェーンベルクに絵画の才能がもう少しあったら、この絵はもっとよい絵になった」、などというような他人事のような批評が生じるのには、私には非常な違和感を感じるのです。

 

シェーンベルクに画家としての着想の素晴らしさがあった、という上記(c)には、全面的ではないにせよ、おおむね賛成です。たとえば、以下の絵などは、人間の眼を赤くしており、全体にデフォルメしたところもなかなか独創的です。

http://www.usc.edu/isd/archives/schoenberg/painting/abstracthtms/ritter75.htm

 

また、以下の絵での横顔の構図など、本当に非凡と言えるでしょう。

http://www.usc.edu/isd/archives/schoenberg/painting/abstracthtms/ritter90.htm

 

しかし私にはあの「後姿の自画像」は、あきらかに「ゲルステル事件」の衝撃の影響から描かれた絵としか思えないのです。そして、シェーンベルクの音楽作品のなかで、この「後姿の自画像」にぴったりと当てはまる作品というのは、私が感じますに、やはり弦楽四重奏曲第2番Op.10 以外にはありえないと思うのです。

 

次に、この弦楽四重奏曲第2番について感じるところを述べさせて下さい。

 

(続く) 

これは michael_oskar さんの 175 に対する返信です

 

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」(2)

2001/ 6/17 4:46

メッセージ: 208 / 1465

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

(前投稿よりの続き)

 

「ゲルステル事件」の結末として、画家ゲルステルは1908年11月4日に、自分絵画作品の多くを焼却した灰の上で首吊り自殺を遂げるのです。 この三角不倫関係事件のさなかに作曲されていたのが、シェーンベルクの弦楽四重奏曲再2番 Op.10 です。 この曲は同年の7月にはおおむね完成しているのですが、作曲時期はこの「ゲルステル事件」のさなかなのです。 さて、この曲にどのようにこの事件が反映されているのでしょうか? 音楽解説書には、この曲の意義について、

 

・シェーンベルクの後期ロマン派的な第1期と、調性放棄を行なった第2期との境目の作品である。

・第3、4楽章は室内楽と、ゲオルゲの詩による歌曲を結合した新しい試みである。

・全曲にモチーフ的統一がみられる。

 

などと書いてあります。 たしかにそれはそれとして正しい記述でしょうが、私(michael_oskar) が不遜にも言わせていただければ、「だからどうなのですか?」(So what ?) というところです。この曲に横たわる一種独特のペシミズムは、一聴すれば感じることですが、しかし私に言わせれば、この曲の核心は、ソプラノの入らない第2楽章<Sehr rasch - 非常に速く>にあると思われます。中間部トリオでは、古いウィーンの歌の旋律と言われる<かわいいアウグスティン>が引用されています。 この歌詞は、

 

Ach, du lieber Augustin, alles ist hin.....

(かわいいアウグスティン ! すべてがなくなってしまった....)

 

というものだそうです。 この hin というのが全てではないでしょうか? シェーンベルクにとって、彼の妻マチルデが、自分から離れていくことに対する痛切な悲歌としての引用であるのは当然と思われるのです.....。第3、4楽章のゲオルゲの詩につけた歌も、内容を見ていけばかなりこの「喪失」というテーマをうかがわせる内容にも思います。しかしウィーンの小唄の引用のほうが密やかなだけに、かえって喪失感を感じざるを得ないというのが印象的です。

 

この弦楽四重奏曲第2番は、事件の当事者であったシェーンベルク夫人のマティルデに捧げられています。 シェーンベルク家に戻ったマティルデは、それからまもなく病気になり、長い療養生活の後、1923年に亡くなってしまうのです。

 

こういう経過を踏まえて、再度シェーンベルクの「後姿の自画像」を見てみると、これは単に着想の奇抜さなどではなく、シェーンベルク自身の内面心理の表現として、ああして自嘲し、落胆した自分自身の姿を描かざるをえなかった、というのが正しいのではないかと考えます。

 

こうして、「ゲルステル事件」、そしてシェーンベルク作品の無調傾向へのシフトがいずれも1908年であることから、この年こそシェーンベルク、いやウィーンの音楽についても1つのターニングポイントであったことは疑えないでしょう。

 

 

* bernardsstar さま

Bravo !!!    紹介させて頂いたカルウォヴィチのサイトから、いい箇所を指摘して頂いただき、大変うれしく思っています。 彼の作品への評価で、当時の聴衆が不満に感じたであろう点につきましては、私に言わせればそれは、彼の作品が「ウィルヘルム様式」ではないからだ、と申しあげておくことにしたいと存じます。 もしまだ彼の作品を未聴でいらっしゃるとすれば、私はヴァイオリン協奏曲から入っていただければありがたい、と思っています。 ポーランドの muza に Wanda Wilkomirska (l は例のl) の名演があります。 シマノフスキの第1番とのカップリング(なんとも絶妙な組み合わせ!)の CD は大変素敵です。もしそれで気に入られたら、交響詩をお聴きになってはどうでしょうか?

http://www.polskienagrania.com.pl

 

それからザコパネの別荘、私は訪ねたことがあります。 いろいろな話もありますが、トピから大きくはずれますのでこの辺にしておきます。

これは michael_oskar さんの 207 に対する返信です

 

NAGRANIA

2001/ 6/17 22:29

メッセージ: 209 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

のサイトを紹介いただき、ありがとうございます。

 

Stanis?aw Moniuszko(モニューシコ)の「Straszny Dwo'r」(幽霊屋敷)のCDもありましたね(これ以上はトピずれするので立ち入りませんが。)

 

小生、シェーンベルクに対する理解を深めながら、ゆくゆくはポーランドなど周辺国の音楽も研究していきます。

 

今、「フロイトを軸とした(ウィーン音楽の)考察」という文章を書きたいと思い、フロイトを読んでいるところですが、プルーノ・ワルター「主題と変奏」(必読書!)も・・・と、中々、大変です。

これは michael_oskar さんの 208 に対する返信です