カール・クラウス、アドルフ・ロースetc.

2001/ 6/18 2:27

メッセージ: 210 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar 様

 

本トピの時代の音楽を話題にすると、どうしても他の芸術分野だけではなく、政治・社会の動きにも眼を配らねばなりませんね。 音楽だけ話題にするのでは、なにか不十分な気がします。 たとえば社会批評家のカール・クラウス、建築家のアドルフ・ロース、オットー・ヴァーグナー、画家のクリムトやココシュカ、精神医学のフロイト、文学者のムージル、哲学のヴァイニンガーやウィットゲンシュタインなどなど、その他多数。 こういう人たちについては、機会あるごとに少しずつ触れていかざるをえないですね。

 

bernardsstar さんの、「フロイトを軸とした(ウィーン音楽の)考察」というのには、私は非常に興味があります。 といいますのは、フロイトという人物(およびその業績)については、なかなか音楽というジャンルと結び付けにくいのではないか、と思っているからなのですが。

 

私も実は、いろいろと案を練っています。それは、シェーンベルクとカール・クラウスを結びつけた線で、この時代を自分なりにまとめたいと思っているからです。 その context の中で、anti-Semitism というものを引っ張り出したいと思っているのです。 実はこれは以外なところで関係があるのだ、というのが私の意見ですが。

 

シェーンベルクを話題にするのは、なかなかつらいですね! 少々息抜きをしたい気もしてこないでもないです。とはいうものの、シマノフスキのシェーンベルク論がまだ要約未完成なのが気になります。どうも私があまりにもおかしな方向でシェーンベルクを話題にしてしまったと反省しています。 ゲルステルやクレンペラーや、シマノフスキを引っ張り出したのは、陳腐になりたくないという気持ちからでしたが、カルウォヴィチなど持ち出したのは大脱線もいいところでした。 すいませんでした!

 

ただしかし、どうしてもシェーンベルクの無調期、十二音音楽はなんとか触れないといけないでしょう。 これらは、私としては室内楽を中心にして、自分の体感の感想をまとめさせていただきたい、と思っています。 その手始めとして、第2弦楽四重奏曲をもちだして、ゲルステル事件とひっかけたのですが、あまりうまくいきませんでした。

 

「ピエロ・リュネール」にも触れておきたいし、「モーゼとアロン」も話題にしたいし、あとコンチェルトもありますね。 「ワルシャワの生き残り」に触れれば、これはもうホロコーストに触れざるを得なくなります....。 シェーンベルクを話題にしたら、なかなか気軽に書けないのがつらいところです。

 

どうでしょうか、一時他の作曲家の話題に戻りましょうか? あるいは、政治、社会、建築その他の話題に「避難」したほうがいいのでしょうか.....? 

これは bernardsstar さんの 209 に対する返信です

 

 

フロイト

2001/ 6/18 23:25

メッセージ: 211 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

フロイトに関してはディレッタントである小生が、敢えて「フロイトを軸とした考察」などというものを考えているのは、以下の理由によります。

 

(1)モラヴィア生まれ

1856 年、モラヴィアのフライブルク(ドイツ語名)でユダヤ人商人の子として生まれた。モラヴィア生まれで、ウィーンで活躍した天才は、他に、コルンゴルド(ブルノ(ブリュン)生まれ)、マーラー(正確には、モラヴィアの州境に近い、ボヘミアのカリシュト生まれだが、少年時代をモラヴィアで過ごす)・・・・などなど。

 

(2)マーラーを診察(精神分析)

アルマとの仲が危機になったとき、マーラーはフロイトに助けを求めた。そのとき、フロイトはオランダのライデンにいた。

 

(3)ツヴァイクが埋葬

(ツヴァイクは音楽家ではなく、作家ですがご勘弁を。)晩年、フロイトはナチス侵攻後もウィーンに残ったが、多くの人々の尽力でロンドンに脱出。しかし、顔にできたガンのため死亡。この再晩年のフロイトを看取る形だったツヴァイクは、フロイトをロンドンの墓地に葬った。

 

(4)ベックリンの絵に関心

ベックリンの絵は、ラフマニノフ、レーガー、フランツ・シュミットの音楽作品との関連で何度か取り上げ、また投稿いただきました。

「精神分析入門(上)」(新潮文庫 p.219)では、夢の中では「経験の世界では決していっしょにならない諸部分を、空想は気軽に合成して、一つの統一体へと作りあげる」例として、

「ベックリンの絵に出てくるケンタウルス」を挙げています。

 

フロイトの征服には、ちょっと時間がかかりそうですが、何か面白いことを発見したら、また報告いたします。

 

michael_oskarさん。話題はアット・ランダムでいいと思いますよ。「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」は、いくつかの要素が同時進行でからみあいながら突き進んでいったわけですが、このトピも多次元系、同時進行でいきたいと思います。

ただし、小生の能力の限界により、レスできないケースもあろうかと思います。その節はご容赦願います。

 

(追伸)哲学者のウィットゲンシュタインと、左手のピアニスト、ウィットゲンシュタインは、確か兄弟でしたね。

これは michael_oskar さんの 210 に対する返信です

 

アルマの周辺の画家達

2001/ 6/18 23:36

メッセージ: 212 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

アルマ・マーラー・ヴェルフェルの周辺の画家をあげると、父のヤーコプ・エミール・シントラー、義父のカール・モル、最初の恋人、グスタフ・クリムト、そしてオスカー・ココシュカです。これら4人の画家をそれぞれ数点を、マンフレート・グルリットの実兄のヴォルフガング・グルリットのコレクションを収めたリンツ市立美術館に収められています。向こうから取り寄せたカタログを見ると、シントラーのは夜の森と牧場の風景、モルのは昼間の海岸の町の風景です。どれも、センスのあるきれいな絵です。結構分厚いのですが、2000円ぐらいで収まりました。美術館のURLは拙トピの「マンフレート・グルリットのトピ」の前半の方に書いてあります。なお、カタログには、これら4人のメジャー級の画家だけでなく、19世紀から20世紀初頭にかけての日本ではあまり馴染みのないドイツ・オーストリア・スイスの画家が多く収められてて、ここのトピに集うみなさんにオススメします。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

追伸

2001/ 6/18 23:42

メッセージ: 213 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

拙トピNo.28です。

グッツコーナーに書かれている、クリムトの晩年の未完の女性の顔の絵を表紙にしたのが僕の購入したカタログです。

これは gur1zem2korn3 さんの 212 に対する返信です

 

フロイト

2001/ 6/19 0:09

メッセージ: 214 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近、BSの再放送でやってたラトルの20世紀の音楽に関する番組で、フロイトの映像をはじめてみました。自分で、フロイトが動いてるよ、と独り言うを言ったのを記憶しています。

これは bernardsstar さんの 211 に対する返信です

 

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第3番」

2001/ 6/19 2:40

メッセージ: 215 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

弦楽四重奏曲第3番は、シェーンベルクがウィーンを去り、ベルリンのプロイセン芸術アカデミーでマスタークラスを担当していた時期、1927年に作曲されています。 この時点では、シェーンベルクは無調時代からさらに12音技法での作曲に進んでいました。それやこれやこの曲に関する詳しいことは、解説書に記載されていますし、そういう情報は一定の範囲内で役にもたちます。 ただし忘れてならないのは、この1920年代後半のベルリンこそ、両大戦間の文化の黄金時代であったこと、そしてこのベルリンでシェーンベルクが筆をとった第3弦楽四重奏曲が私達の耳にどう聴こえてくる曲なのかということでしょう。

 

この曲も私は以前から何度も録音で聴いてきましたし、また日本の外で Arditti Quartet の演奏で聴いたこともあります。そういう意味では「親しんできた曲」ということになりますが、実感としては未だに大変にとっつきにくい曲であると思っています。こう感じる原因は、いわゆる12音技法で作曲されているためなのでしょうか? それとも他に原因があるのでしょうか?

 

まずこの曲を聴いて感じることを一口にいいますと、リズムのきざみが執拗に耳につつき神経症的な効果すら感じさせる点、これを言い方を換えれば、調性音楽時代にはあまり感じなかった音楽の前進力がある点だと思うのです。「浄夜」「ペレアス」などの曲にはない、独特の要素でしょう。

 

さて、私は第2弦楽四重奏曲に対する投稿で、第2番にはシェーンベルクの自嘲、苦渋感が表現されている、というような意味のことを書きました。 あの曲では、弦楽四重奏というジャンルでは革命的といえる声楽の導入をはかっており、そこには「詩」という言葉で暗示的に表現されているメッセージもあったといってよいでしょう。 本来、仲間内での楽しみであった室内楽に、ベートーヴェンとはまったく異なるやりかたで「革新」をもたらせたわけです。 ところがこの第3番では、再び弦楽器奏者4人の音楽にもどっており、「言葉」がないかわりに、音列が基礎となって構成されているのです。 組織化された音の世界には、調的中心があってはならず、したがって、音楽に本来内在する表現のポテンツの変化を、どのようにして音楽上の「緊張・弛緩」という要素に変換させるのかが問題といえるでしょう。 

 

あくまでも私の感じ方ですが、結果としてこの問題をある程度解決させたのは、「リズム」という要素だったのではないかということです。 第1楽章冒頭の音型の持続間、第2楽章後半のリズムの細分化、第4楽章のリズムの多彩さなど、決して第2番までにはみられなかった重要な要素となっています。 この曲は、十二音技法と、そして音楽の表現主義的要素を、前者の圧倒的優位性のもとに私たちに提示したといったら間違いなのでしょうか?  仮に私の印象が正しかったとして、そういうふうに解決したことが成功したのかどうかについては、まだ私にはわからないのですが。 これは、次の弦楽四重奏曲第4番との関連で考えてみたいところです。

 

CDでは、やはりラサールSQのものが優れている感じがしますが、しかしこの曲を初演したコーリッシュSQの1930年代後半の録音(Archiphon)が歴史的価値が大きく、聴かれたことのない方には是非お勧めいたしたいと思います。  Arditti SQ は、私の聴いた実演では多少大げさな表現が聴かれたのが以外だった記憶があります。

 

さて......このあとの弦楽四重奏曲第4番となりますと、私の感じでは、またいろいろと別の問題をはらむ曲なのです。この曲については後程また.....。

 

 

* bernardsstar さま

片手を失ったパウル・ウィットゲンシュタインの墓は、ウィーンの Grinzing の墓地にあったのを記憶しています。 私はかなり以前、マーラーの墓参りをしたことがありますが、マーラーの墓石をみつけるよりも先に、すぐ近くにあったパウル・ウィットゲンシュタインの墓石を見つけて、おもわずその前で立ちつくしてしまった記憶があります。

これは michael_oskar さんの 208 に対する返信です

 

グルリット

2001/ 6/19 23:16

メッセージ: 216 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

貴トピにも、たびたびROMさせていただいているのですが、残念ながら、グルリットに関して(あの少年合唱団のサイトにあった)年表を超える知識を持ち合わせていないため、カキコできず残念です。

 

しいていえば・・・という感じで以下、お読みください。

 

小生、よく引き合いに出す、ショーンバーグ著「大作曲家の生涯(下)」(共同通信社)p. 257 には、こう書かれています。

 

「1920 年代のドイツ音楽界における最重要人物は、ブゾーニでもワイルでもなく、信じ難いほどの才能に恵まれた、禿げ頭の、丸々と太った小男、パウル・ヒンデミットだった。当時のドイツは数多くの作曲家を輩出したが、現代に生き残る作品はごく少数である。ユージン・ダルベール、ハンス・プフィッツナー、フランツ・シュミット、パウル・グレーナー、ワルター・ブラウンフェルス、マックス・フォン・シリングス、マンフレート・グルリット、アルトゥール・シュナーベル、ハインリヒ・カミンスキーらの作品は、今日、どこへ消えてしまったのだろう? この時期の作品で、現在も生命を保っているのは、ヒンデミットとワイルの作品だけである。」

 

この本の原著の著作権は、1970年に確立していますので、今から約30年前にはこういった考え方が支配的だったのだと思います。小生としては、フランツ・シュミット(と、この本では触れられていないコルンゴルトは)既にある程度、復活していますし、これからも復活傾向にあるものと考えます。マンフレート・グルリットに関しても恐らくそういうことが言えると思いますが、まだ作品を聴いていないので、すみません。

 

1920 年代のドイツ音楽(特に第1次大戦直後)は、無調・退廃・伝統否定の傾向が強く、フランツ・シュミットの音楽とは対立するクシェネック、ワイルなどが一世を風靡しました。小生、ワイルの「三文オペラ」は何度か聴きましたが、あまり自分自身が夢中になる音楽ではないと感じました。ワイル・ルネサンスを起こそうとする勢力は、現在、米国で結構大きな勢力をもっており、昨年5月来日した、イーストマン・ウィンドアンサンブルと、その指揮者、ロナルド・ハンスバーガーは「ワイル・フェスティバル」を盛況裏に開催しているとのことです。

これは gur1zem2korn3 さんの 212 に対する返信です

 

ベルリン

2001/ 6/19 23:49

メッセージ: 217 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

「コルンゴルトとその時代」(p.108)にも下記の記述がありましたね。

 

「近現代ドイツにとって1920年代ほどオペラが栄えた時代はない。わけても1925年から1929年に至る安定期のベルリンは、文字通りオペラの「花咲く時代」を謳歌していた。国立リンデン歌劇場はエーリヒ・クライバーの指揮でヤナーチェクの「イェヌーファ」(1924.3.17)やベルクの「ヴォツェック」(1925.12.14)の世界初演を行うなど、注目すべき活動を行った。もう一つの国立歌劇場「クロル・オーパー」も1924年、国立リンデンオペラの支部として発足し、やがてクレンペラーを音楽監督に迎えて1927年11月に開幕することになる。ここにはツェムリンスキーも指揮者として迎えられ、名声を築くのである。1925年にはさらに「ベルリン市立歌劇場」が音楽監督にブルーノ・ワルターを迎えて開場する。こうして三つの公営歌劇場が鼎立するほど、ベルリンはオペラ・ブームに湧いていたのである。」

 

山田耕筰がベルリンに留学したのは、1910 - 13年ですので、彼は残念ながら、この「花咲く時代」(ブリューテ・ツァイト)を体験していないわけですね。

 

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第3番」を聴いた感想を近日中に申し上げたいと考えております。

これは michael_oskar さんの 215 に対する返信です

 

>「弦楽四重奏曲第2番」

2001/ 6/20 1:59

メッセージ: 218 / 1465

 

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

michael_oskar様

 

 いつもながらmichaelさんの慧眼ぶりに感心しながら、本トピのご投稿を楽しみに拝読いたしております。

 

 シェーンベルクの無調の成立に、「ゲルストル事件」がかかわっていたとの意味論的な指摘・解釈は、このところの個人研究の新たな主流になりつつあります。スケルツォ楽章における古民謡の引用も、ご明察のように、件の事情に触れたものであり、従って、被献呈者である夫人に対する何らかの心情が韜晦されているに違いない、とも解釈されています。(私個人としては、悲歌というより当て擦りだったのではないかという印象が拭えませんが。)

 

 ときに、「後姿の自画像」というのは、作曲家としての彼本人のあり方(回顧的であるとか、伝統・歴史主義の強調とか)と結び付けて考えると、グライスレのような好意的評価も有りうるのではないでしょうか。

これは michael_oskar さんの 208 に対する返信です

   

ロース、モラヴィア、ハンガリー etc.

2001/ 6/20 2:10

メッセージ: 219 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

そういえば、建築家のアドルフ・ロースもブルノ生まれではなかったでしょうか? それにしてもブルノを中心としたモラヴィアは、世紀末のオーストリアで活躍した人々を多く産していますね。 あのあたりの文化的土壌といったら大変なもののようです。

 

「オーストリア・ハンガリー帝国」という呼び名にも入っているハンガリーも、この時代にかかわらず多くの人材を産出していますが、こと世紀末にかけての人材産出でいえば、モラヴィアのほうが相対的密度が濃いという気がしますね。  どうしてなんでしょうか?  やっぱりドイツ語を使用できる人口の濃度が、ハンガリーよりもモラヴィアあたりのほうが濃かったということなのでしょうか? ブルノとブダペストだけで比較したらどうだったのでしょうか。  あるいはひょっとして、ハプスブルグ帝国末期のハンガリーの民族主義、独立志向が、ウィーンへの「人材流出」を妨げたような内的要因でもあるのでしょうか......。

 

興味は尽きないところですね!

 

それから、ウィットゲンシュタイン兄弟のことも気にかかります。 ルートヴィヒの知的活躍の場はほとんどオーストリアの外(たとえばイギリスだったりノルウェーだったり)でしたね。 ですから案外ウィーンとの関連で話されることは少ないようですね。

 

では他次元系、同時進行ということで、私もあくまでトピの守備範囲を守りつつ、話題が飛ぶことになるかもしれませんが、御容赦下さい!

 

これは bernardsstar さんの 211 に対する返信です

 

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」

2001/ 6/21 23:12

メッセージ: 220 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

「第3番」ではなく、「第2番」のCD(ゲヴァントハウス弦楽四重奏団。ドイツ・シャルプラッテン)を聴きました。第3・4楽章のソプラノ:Sibylle Suskeは、第1ヴァイオリン:Karl Suskeの令夫人でしょうか?

ウェーベルン:「6つのバガテル」(作品9)、ベルク:弦楽四重奏曲 作品3 も収録されているCDです。

 

シェーンベルクの番号付きの弦楽四重奏曲は全4曲だと思いますが、これら4曲全部を収録しているCDは結構高価ですね(持っていません)。一方、バルトークの全6曲の弦楽四重奏曲は、ハンガリー弦楽四重奏団の、廉価で高水準のCDがあるので、こちらは保有しております。

 

・・・と、バルトークに言及したのは、弦楽四重奏曲というジャンルの観点からみると、どうも小生には、シェーンベルク、バルトークが競争していたような気がしてならず、「ウィーン音楽」という観点とは違った次元で物事を考えてしまいたくなるからです。(michael_oskarさんのような「聴きこみ」が不足しているかも知れません。

 

バルトークも、多少ロマン主義の陰影を引きずった第1番、第2番から後の作品は、より前衛的になり、先鋭性を強めていきます。ここに2人に共通する、同時進行の煩悶がありそうです。ただ、ハンガリーの民族的なリズムの有無が、バルトークとシェーンベルクとを分けていると考えられますし、

シュテファン・ゲオルゲの詩による歌唱が登場するところは(マーラーの歌入り交響曲の影響か?)、まさにウィーン音楽なのかと思ってしまいます。いずれにせよ、ゲオルゲに関してもまだまだ断片的にしか知らないので、さらに研究の余地はありそうです。

 

「6つのバガテル」を聴くと、1920年代にこのような「革新」を成し遂げたウェーベルンの偉大な独創性と、その後の(ウェーベルンをなぞっているだけの)多くの凡庸な「作曲家」達との両方のことを思ってしまいます。

これは michael_oskar さんの 208 に対する返信です

 

フロイト&性

2001/ 6/23 12:56

メッセージ: 221 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

フロイトのことを話題にする時、「性」の問題を切り離すことは不可能です。

ここは、「心理学」や「セックス」のトピではないので、あくまでも音楽を論じる中で、「性」をどのように取り扱うかがポイントになってきます。

 

精神分析入門(上)(新潮文庫)のp.392では、「性倒錯」を具体的に表現するものとして、ブリューゲルの「聖アントニウスの誘惑」を挙げていました。この点で、マーラーの交響曲 第1&2番と、「性倒錯」とが関連づけられるかも知れません。

 

アルマの伝記によれば、オペラ指揮者としてのマーラーは、歌手が裸体(に近い姿)で舞台に上がるのを厳しく戒めました。これは、聴衆に対して、「裸体」に対してではなく、「音楽」そのものに集中するのを要請するためだったと、小生は解釈しています。一方、マーラーは、自分の長女が「逆子」で出生すると聞いたときに、「尻から生まれてくる」ことに対してほくそえんだといった内容もアルマの伝記に書かれてありますので、マーラーにもある程度、「性倒錯」の傾向(人間が多かれ少なかれもっているところの)があったものと思われます。

 

シュテファン・ツヴァイク「昨日の世界」によれば、第1次世界大戦を境として、裸体を隠そうとする社会通念が一気に「露出指向」へと転化したとされています。

恐らく、この風潮が、数々の音楽作品(例:プロコフィエフ「炎の天使」)に影響を与えたのではないでしょうか?

コルンゴルトのオペラ「ヘリアーネの奇蹟」(1927)の第1幕にも、王妃ヘリアーネが全裸をさらすシーンがあります(小生は、この舞台を見たことはありませんが)。

 

などなどと、フロイトからスタートして、「性」「裸体」を議論してくると、ルー・ザロメに突き当たります。フロイトもルー・ザロメに言及していますし、ツヴァイク、リルケ、ニーチェといったルートからも辿り着くものと思われます。

このあたりも、(ウィーン音楽に与えた影響という観点から)ゆくゆく探求してみたいと、考えています。

これは gur1zem2korn3 さんの 214 に対する返信です

 

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第4番」

2001/ 6/25 1:00

メッセージ: 222 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

弦楽四重奏曲第4番 Op.37 はシェーンベルクがヨーロッパから逃れて渡米した後の1936年の作品であり、彼の作風がどう変化したのかという興味をもって聴く気持ちになるのは、当然と思われます。

 

私はこの曲も実演では一度だけしか聴いていません。 やはり Arditti Quartet の演奏で、新ウィーン楽派関連の曲を集めたフランスでの連続演奏会でのことです。そして、現在に至るまでこの曲からは非常に混乱した印象を拭うことができません。

 

第3番を投稿した際に、「音楽に内在した表現のポテンツの移行を、どのようにして音楽上の緊張・弛緩という要素に変換させるのか」という、私なりの問題点を提示させていただきましたが、この点について第4番では、いったいどのように処理されているのかがポイントと思われます(あくまでも私なりの独善的聴き方では)。

 

私がこの第4番に関して感じている「混乱」の原因というのは、私なりの解釈ですと、シェーンベルクが第3番で行なったようなリズム変化に替わる別の要素での処理が、第4番では行なわれていない、ということなのではないかと思われるのです。 といいますのは、この第4番ではいたるところに、あたかも調性を復活させたのではないかと感じる瞬間がいくつもあり、特に第3楽章にそれを感じる瞬間が多くあるように感じられます。

 

その他たとえば、シェーンベルクはリズム変化に替わる要素として、音の強弱という要素を導入したかのような感じもしますが、いつもの彼とは違い、徹底的にそのやり方で追及する、ということもやっていないように感じられるのです。

 

これらが、私にとって第4番を聴くのを難しくしている原因なのではないかと思われます。  さて、ところがこの後の室内楽としての代表作は、1946年の弦楽三重奏曲Op.45 があります。 そしてこの Op.45 こそ、私の印象ではシェーンベルクの作品中の屈指の傑作となっている音楽なのです。 この点は、私は世評のこの曲の評価に完全に賛成いたします。 その理由として私個人が感じていることは、続稿にて触れさせて下さい。

これは michael_oskar さんの 215 に対する返信です

 

グルダの語る「ウィーン的想い」

2001/ 6/25 1:47

メッセージ: 223 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar さま

 

フロイトと性の件についての貴投稿、大変に示唆に富むもので、非常に興味深く読ませていただきました。この時代における「性」の問題、興味のつきないところですね。 クリムトとシーレが描いた対象の差異についても、「性」という観念から考えから研究してみたい、などとも思っています。

 

さて私がタイトルに書いた、「ウィーン的想い」ですが、これは最近発売されたフリードリヒ・グルダのラスト・アルバムの CD のleafletで、彼が書いていることです。 そして、彼は本当に自身の実感をこめて、ウィーンを語っています。 そして、私がシェーンベルクの第2弦楽四重奏曲の投稿で触れたウィーンの小唄にも触れているのです。 以下私なりに、グルダが「ウィーン的」と実感している点について、抜き出して簡潔にまとめます。

 

・シューベルトの作品には、ウィーン人にしか本質を理解できない「ウィーン的想い」がある。 それは、「微笑みながら自殺する」という感覚である...。

・ウィーン人独特の感覚には、「美しい亡骸への憧れ」がある...。

 

グルダは、シューベルトの音楽こそ典型的なウィーン的音楽と感じているようです。これが本当かどうかは別にして、グルダの実感のこもった文を読むと、説得力は極めて大きいように思います。  また、「美しい亡骸への憧れ」は、クリムトの絵画にぴったりのイメージであり、「微笑みながらの自殺」というのは、ひょっとしたらフロイト的領域の話題になっていくのではないでしょうか?  私はグルダの書いている文章を読んでいるうちに、あの画家ゲルステルが自殺の年に描いた「笑う自画像」を思い出し、背筋に寒いものを感じてしまいました。 まさかゲルステルが、微笑みながら自殺したとは思いませんが...。

 

(追伸)このグルダの弾いたラストレコーディングのシューベルトくらい、本質的に深いところで「ウィーン的」である演奏は、私は他では知りません。 これに比較すれば、ウィーン・フィルの演奏するシュトラウス・ファミリーの音楽は、まあ「ウィーン的イメージ」というくらいのものかもしれません。

これは bernardsstar さんの 221 に対する返信です

 

トピ主様への深い感謝と、お別れの御挨拶

2001/ 6/25 20:37

メッセージ: 224 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar さま

 

突然のことで大変恐縮ですが、本投稿をもちまして、私の投稿は最後とならざるを得ないこととなってしまいました。

 

あるトピにて、投稿者のお一人の方と大変に大きな行き違いが生じてしまい、大変に気まずいこととなってしまっております。その結果として、その方が去られる、ということですので、私としても早急にけじめをつけさせていただき、今後は私もヤフーも含め、すべての掲示板への投稿をやめることといたしました。

 

私も本トピでは、トピ主様の寛容さに甘え、長文・駄文の投稿ばかりで、幾度となく皆様方に御迷惑をおかけした上に、書くだけ書いて逃げ出してしまう結果となったのは、すべて私の不徳のいたすところです。お詫びの申し上げようもございません.....。

 

ただしかし私としては、興味のある領域が私と似ているbernardssarさまのような方がいらっしゃったことを知っただけで、非常に嬉しく思い、今後も単独にて研究を継続する覚悟でおります。

 

何十年後に、もし飛行機の隣の座席や、コンサートホールの隣席でbernardsstarさまと一緒になった人がいたとして、その人が変な名前の東欧の作曲家を賞賛するようなホラをふきはじめたら、多分その人物は私だと思って下さい。 そして、その時には決して、「あの時のヤフーの....」などとは質問しないで下さい。 センサーなどなくても、私もその時は「あのヤフー掲示板の..さんに違いない。」と、bernardsstar さまを認識するでしょう。言葉に出さずとも、お互いに相手がわかるのではないか、と思います。その時はいろいろとお話させて下さい!

 

短い間ではございましたが、大変お世話になりました。 

 

いつの日にか直接お目にかかることを期待いたし、とりあえず厄介者は去ります。 御健康に注意され、より一層のご活躍をお祈りいたしております。 さようなら!

 

michael_oskar

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

残念です

2001/ 6/25 23:17

メッセージ: 225 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさま。

 

真摯に「お引き止め」したい気持ちでいっぱいですが、ご決意が固いご様子に、返す言葉もありません。今後はせめてROMで、今後の行く末をウォッチしていただけたら幸いです。

 

本当に、貴殿のsuggestionにより、小職の「ウィーン音楽」に対する認識は大きく広がり、奥行きも出てきました。

 

小生は、まだこの「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」や、工学の「JOB興し」で、何か世間様にそれなりに評価していただけるアイデアを提出できる余力があるのでは?と考え、しばらく続けるつもりです(頑張っても、1000件が限度でしょう)。

 

(このYAHOOの掲示板、アクセスカウンターもほしいですね。ROMのみを行っている方もたくさんいらっしゃるわけで、アクセス数で、自分の意見に対する客観的な評価を知りたいという気がします。)

 

今後の夢は、やはり、これまで小職が提出してきたアイデアを何百倍も上回る、誰からも「すごい」と言っていただける発明・発見を、2つの拙トピに掲載することです。余力があればの話ですが、英語、ドイツ語、チェコ語の翻訳もつけて、海外の方にも読んでいただきたいです。

 

そして、匿名で(何の対価も要求せず)自分のアイデアをどんどんぶちまけていくことが、「金の成る木、小沢・朝比奈」を生んだ土壌に対する強烈な皮肉になるのではないか?と力んでいるのですが、どこまで理想通りにやれるか、まあ、期待せずに見ていてください。

 

michael_oskarさまが去られることにより、この「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」がおっこちないように小生も気をつけるつもりですが、残られる皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。

 

最後に1点、「JOB興し」で披露したアイデア:「楽譜印刷機能付きオーディオ機器」(台湾、スロバキア、スウェーデンなど、各国で研究されているそうですが)に対する、michael_oskarさまの意見をお聞きできなかったのが、また、悔やまれます。

 

bernardsstar

これは michael_oskar さんの 224 に対する返信です

 

フロイト

2001/ 6/26 10:01

メッセージ: 226 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

今、フランクフルト学派の哲学者、マックス・ホルクハイマーの本を読み始めたのですが、彼のいたフランクフルト大学の社会研究所の方針として、1.マルクス主義の研究、2.フロイトによる精神分析がありました。2.の方は、最初からあったのではなく、エーリッヒ・フロムによって持ち込まれたのが最初なのだそうです。僕はこのホルクハイマーの本を、アドルノの周辺の人々を理解するために読んでいます。アドルノは、この学派の主要人物であるだけでなく、「マーラー 音楽観相学」という本を書いていますよね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

お元気で

2001/ 6/26 21:37

メッセージ: 227 / 1465

 

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

michael_oskar様

 

 まだこちらをチェックなさっていらっしゃると信じて、投稿いたします。

 

 このメッセージを見たとき、私は悲しみを覚えて、戸惑いを覚えました。その様に決意なさるに至った詳しい事情は、何も存じ上げません。

 ただただ、michaelさんのように音楽作品そのものへの優れた耳と洞察力をもち、内在的な認識の仕方をしながら、音楽外の要素にも豊富に話題をお持ちという方が、この場から立ち去られるという、ただそのことが惜しまれてなりません。

 

 しかし、在野での研究活動は継続されるとの決意を知り、嬉しく思うとともに、私自身も決意を改めなければならないと、逆に励まされました。いつの日にか、成果が実ることを祈念申し上げます。

 

*bernardsstar様

 

 何と言っていいのか、突然の出来事にいささか驚いてしまったもので、言葉が続きません・・・。

 

 

 思い出しました。

 

 フロイト説への言及、面白く拝読しました。私は、1908年(まで)という時期に、ドビュッシー、シェーンベルク、スクリャービンの3者が、自らのセックス・スキャンダルに刺戟されるかたちで、調性音楽の袋小路を突破したことに興味があります。もちろん下世話な意味ではなく。

 

 

 どうも言葉が続きませんので、前回お知らせしましたシェーンベルク演奏会の詳細のみ、告知して終わりにします。

 

 音楽学会との提携でシンポジウムが開かれる模様です。ご都合が宜しければ、いらしてください。michael_oskarさんも、是非。

 

http://www.meijigakuin.ac.jp/schoenberg/

これは michael_oskar さんの 224 に対する返信です

 

F・シュミット:歌劇「ノートルダム」

2001/ 7/ 1 18:58

メッセージ: 229 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

世界初録音であるCD(クリストフ・ペリック指揮、ベルリン放送響、歌手陣は、ギネス・ジョーンズ、他)を買い、本日の午後、全2幕を聴き通しました。

 

書きたいことは山ほどありますが、その中から、かいつまんで報告いたします。

 

(1)作曲は、1904年〜1906年。フランツ・シュミットが、マーラーの指揮のもと、ウィーン宮廷歌劇場&フィルハーモニーのチェロ奏者(第2奏者の給料で、首席奏者の仕事をさせられた)をしていた時の作品。シュミットの第1交響曲(1899)と、第2交響曲(1911〜1913)の中間の時期で、これら2つの交響曲に登場する旋法・主題が、「ノートルダム」の中に含まれている。

 

(2)台本は、(ユーゴーの有名な「ノートルダムのせむし男」に基づき)シュミットとウィルク(Leopold Wilk。本職は化学者)の合作であり、台本の弱さなどを、ホーフマンスタールなどに指摘されながらも、シュミットの卓越した音楽語法が補って余りある作品に仕上がっている。

 

この歌劇では、せむし男「Quasimodo」は脇役に転じ、ジプシー女「エスメラルダ」が主役を受け持っている。この歌劇は、作曲主導、台本2の次で作られていった形跡があり、歌劇全体の完成の前に、有名な「間奏曲。カーニバルの場」が、管弦楽作品として発表されている(1903年)。間奏曲の流麗な旋律は、エスメラルダのライト・モティーフであり、この動機が何度も繰り返してこの歌劇の中に現れる際の、楽器法の巧みさは秀逸。

 

(3)ユーゴーの小説を基盤としながらも、作曲者の本当の意図は、エスメラルダと4人の男のSEX SCANDALにあるものと思われ、この点は、アルバン・ベルクのルルと共通する点(世紀末ウィーン的)。ただ、人間描写がエスメラルダと個々の男との関係に限定され、男どうしの軋轢にまで達していないことが、台本に対する低い評価となっているようだ。

 

痴情のもつれによる殺人(未遂?)、そして投獄により、終幕が「牢獄」からスタートするところは、プッチーニの「マノン・レスコー」や、ショスタコーヴィチの「マクベス夫人」に似ているが、第3・4の男が、(エスメラルダに対する)欲望に駆られて、彼女をいったん救出しようとするところが、この歌劇全体のテーマに直結するところ。

 

(4)このCDの解説書には、シュミットの生涯、一族や弟子について、第2次大戦後のシュミット復興運動についても書かれていますので、いずれ報告いたします。なお、シュミットは純粋ゲルマン系ではなく、ハンガリー民族の血も受け継いでいます。

 

なお、本日午前中は、シュミットの第2交響曲を、楽譜の一部(第1楽章冒頭)のコピーを見ながらCD(ヤルヴィ:シカゴ響)を聴きました。この入念に書きこまれた楽譜が生みだす崇高な音楽を聴くと、求道者シュミットの存在の大きさに感慨無量になったことを告白しておきます。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ユーゴーシンドローム

2001/ 7/ 1 21:15

メッセージ: 230 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

「ノートルダム」はユーゴーの小説に基いているのですね。グルリットはユーゴーの詩「スルタン・アフメット」に曲をつけています。ユーゴーがフランスの偉大な劇作家であると同時に、偉大な詩人であることも忘れてはならないでしょう。なおユーゴーについては清水書院の「人と思想 ビクトル・ユゴー」に簡潔にまとめられてます。

これは bernardsstar さんの 229 に対する返信です