宣伝

2001/ 7/ 5 10:29

メッセージ: 231 / 1465

投稿者: gur1zem2korn3

 

今月の15日と16日

 

明治学院大学パレットゾーン白金アートホールで

 

国際シンポジウム「シェーンベルクと<さまざまな伝統>」というシンポジウムが行われます。入場無料です。詳細は明治学院大学のホームページをどうぞ。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

宣伝・補足

2001/ 7/ 8 10:16

メッセージ: 232 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

 アレクサンダー・ゲール氏に続き、ヌーリア・ノーノ=シェーンベルク氏が急病により、来日を見合わせることになりました。残念です。

これは gur1zem2korn3 さんの 231 に対する返信です

 

フランツ・シュミットの《第4番》

2001/ 7/ 8 10:19

メッセージ: 233 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

 昨日、アカデミア・ミュージックに出向いたら、フランツ・シュミットの《第4番》

のポケットスコアが、フィルハーモニア版(ウニヴェルザール)が店頭に並んでいました(新譜・最新入荷コーナー)。価格は、税抜き3700円ほどでした。

 《第2番》のポケットスコアも、早く出してほしいものです。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:フランツ・シュミットの《第4番》

2001/ 7/ 8 13:02

メッセージ: 234 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

どうも、どうも。

早速、「アカデミア・ミュージック」に出向いてみようと思います。

 

(小生のこれまでの「研究」について述べさせていただきますと)、《第4番》については、ペリカン・ブックスの、Robert Simpson編「The Symphony」に、(シュミット研究の権威である)Truscott氏の詳しい解説があり、楽譜もいくつか引用されていました。特に、第2楽章・中間部のクライマックスにおける書法には、ただただ圧倒されます。

 

「圧倒される」という点では、国立音大でコピーさせていただいた《第2番》の冒頭も、まさにそういった表現がぴったりです。この楽譜の解説を読むと、《第2番》のスコアは、初演者「フランツ・シャルク」(*)に献呈されており、同じ頃出版された「ピアノ4手用の楽譜」との間で若干の問題点が生じているようです(この曲は、もともとピアノソナタとして意図されたのでは?という疑問)。

 

このピアノ曲として意図されたことが、この第1楽章の冒頭部を、あらゆる管弦楽作品の中でも最も演奏困難な部類にしている(**)とのことです。そのことが、この曲の演奏機会を奪っているのかも知れません。「第4番」や「7つの封印の書」は既に日本初演が行われていますが、「第2番」が日本で演奏された話を聞いたことがありません。

 

(*)アルマ・マーラーの伝記にもたびたび登場し、リヒャルト・シュトラウスの「影のない女」も初演したフランツ・シャルクは、あまり目立ちませんが、本当は、「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」の影の主役だったりして?と思っております。

 

 

(**)解説の原文を示すと、"In fact, as concerns the demands made on the strings, this piece can be considered the most difficult work in the whole of the symphonic literature."。 「第2番」の各楽章のクライマックス(特に壮大な金管の咆哮)を聴くと、結局、オーケストレーションがなされたことに対して、作曲家(もしくは神)に対して感謝したい気持ちになります。

これは Bea_Smy さんの 233 に対する返信です

 

Re:フランツ・シュミットの《第2番》

2001/ 7/ 8 21:41

メッセージ: 235 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

>この曲は、もともとピアノソナタとして意図されたのでは?という疑問

 

 Truscott氏の研究でも、最初の構想では、ピアノ・ソナタになる予定だったと主張されていますね。

これは bernardsstar さんの 234 に対する返信です

 

お久し振りです

2001/ 7/ 9 14:29

メッセージ: 236 / 1465

投稿者: fricca1115 (女性/愛知県)

 

すっかり遅くなってしまい、トピの話題も変わっているので気が引けるのですが・・・

「グレの歌」を先ほどやっと聴き終わりました。

近くのCD店でなかなか推薦して頂いた盤が手に入らず、何度も注文し直しているうちに日が経ってしまいました。 日本語訳もついているものをと、インバル指揮ですがシュトゥットガルト放送管弦楽団ではなく、フランクフルト放送交響楽団の90年の録音です。 同じデンオンから出ているせいでしょうか、嬉しい事に大宅緒氏の解説がついていました。

 

シェーンベルクというと「無調性」という言葉がすぐに浮かび、ベルクの「ルル」も苦手な私は敬遠していましたが、この作品は楽しめました。 ここまでは調性音楽なのですね。 

日頃ワグナーやR・シュトラウスに馴染んでいますので、難なく受け入れました。(^^)

 

で、シェーンベルクの階段をやっと一段登り始めた一年生の感想ですので、お笑いモノですが感想を・・・。

 

先ず編成がすごいですね。 びっくり致しました。 オケが150人ほどにコーラスと歌手ですか。  音楽はワグナーとR・シュトラウスとマーラーとショスタコーヴィチと・・・それから、最後にはブルックナーまで入っていたようで、音楽史の年表を見ているようでした。 

 

トーヴェがヴァルデマールに甘く密やかに語る「王様は悪い方と申しましょう。 あなたを想いながら薔薇にくちづけし、花をみな枯らしてしまったのですから」に表れた死の予感を受けて、ヴァルデマールは愛の幸せの後ろに潜む悲しみの「死」の世界をリアルに感じる。

反対にトーヴェは愛の「死」を祝福する。 

思い起こすのは「トリスタンとイゾルデ」やクリムトの絵でした。 

それから・・・詩をながめていると、いたるところで尾韻が使われているのですね。

 

このインバル盤ですが、録音の加減でしょうかオケの規模の割にはレンジの幅が小さいような・・。

音色も、もうすこし官能的に聴ける部分があると嬉しかったです。

それと、ヴァルデマールを歌ったポール・フレイには色々な意味で物足りなさを感じました。

 

また語り手のハンス・フランツェンですが、最後の「めざめよ、花たち、歓びにめざめよ!」の部分を歌い上げるか、しみじみと表すか、どちらにしてももう少し・何か・が欲しかったです。

素人考えですけど「パルシファル」のグルネマンツの「聖金曜日」のように、盛り上げても良いのではないかと思いますが、他の録音では如何でしょうか。 聴き比べてみたくなりました。

 

他の出演者は トーヴェ:エリザベス・コネル、 山鳩:ヤルド・ヴァン・ネス

農夫:ウォルトン・グレンロース、 道化のクラウス:フォルカー・フォーゲル です。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

fricca1115 さま

2001/ 7/ 9 23:08

メッセージ: 238 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

お帰りなさい。ウィーンはいかがでしたか。

 

「グレの歌」評、ワーグナーの楽劇にお詳しいfricca1115さんならではの文章だと思います。僕には中々書けません。

 

ところで、

ベルクやシェーンベルクの「12音」「無調」に議論を進めたくても、この分野、先達が多くて、生半可な気持ちではやれない!という辛さがありました。

 

きょう、会社からの帰り道、歩いていてふと思い浮かんだのですが、かつて、「構造主義(Structurism)」に関する書物を読んでいた時、人類学上の成果と並んで、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」が「構造主義の1分野の12音音楽として」引き合いに出されていました。

 

クラシック音楽の「工学的」研究手法としては、最近では「1/fゆらぎ」がしばしば引き合いに出されますが、懐かしい「構造主義」を再び俎上にあげて議論するのも面白い!と、考えたのでありました。ただし、小生の能力不足により、すぐに実現できるわけではありませんので、気長にお待ちください。

これは fricca1115 さんの 236 に対する返信です

 

Re:お久し振りです

2001/ 7/10 0:12

メッセージ: 239 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

>インバル指揮ですがシュトゥットガルト放送管弦楽団ではなく、フランクフルト放送交響楽団の90年の録音です。

 

 ご指摘の通りです。訂正せずに放置していて済みませんでした。

 

 感想文、楽しく拝見いたしました。録音の貧弱なところも、ご指摘の通りと思います(ライヴ録音なので致し方なかったのかもしれませんが)。それでも、《グレの歌》(ゆくゆくはシェーンベルク)入門編の一助としていただけたら、と思います。

 

 

>聴き比べてみたくなりました。

 

 ぜひぜひ!

これは fricca1115 さんの 236 に対する返信です

 

フロイト

2001/ 7/10 9:39

メッセージ: 240 / 1465

投稿者: gur1zem2korn3

 

昨日、ホルクハイマーに関する本を読み終え、フロイトの生涯と思想に関する本(人と思想シリーズ 清水書院)を読み始めました。冒頭の、フロイトの1歳年上の甥の存在には、驚いちゃいました。マーラー伝で、よく引用される下りはこの本にはありませんでした。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

LUCIAN FREUD

2001/ 7/10 22:04

メッセージ: 241 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

フロイトの甥とのことですが、素晴らしい絵の才能ですねえ。「叔父(伯父?)の七光り」といった世界とは無縁の人物のようです。情報どうもありがとうございます。

 

http://www2.odn.ne.jp/~cbh42180/artawa/fvrt/fvr.html

これは gur1zem2korn3 さんの 240 に対する返信です

 

訂正

2001/ 7/10 22:30

メッセージ: 242 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

「構造主義」は、「structuralism」でした。(^^;)

 

http://www.iram.rwth-aachen.de/~winkel/papers/19.pdf

というサイト(MATHEMATICS AND MUSIC)では、シェーンベルクを数学者のヒルベルトになぞらえていました。

これは bernardsstar さんの 238 に対する返信です

 

なんだか・・・

2001/ 7/13 19:26

メッセージ: 243 / 1465

投稿者: fricca1115 (女性/愛知県)

 

またまた割り込むような感じでごめんなさい!

Bea_Smyさま

何と申していいやら、あのインバル指揮の「グレの歌」はご推薦盤だったのですね。

二つの放送楽団でレコーデイングしたものだと思い込んでおりました。

いつも、近所のCD店のカタログで注文するのですが、そこに載っていなければ廃盤だと・・・。

それで、思いっきり感想をかいてしまいましたが、気を悪くなさらないで下さいね。

カタログには他にマッケラスのもありましたっけ・・・また聴き比べをしてみます。

 

bernardsstarさま

ウィーンですが、美術館ではベルヴェデーレ上宮のオーストリア・ギャラリーだけを見学しました。

お目当てのゲルステルですが数点が貸し出し中で、細縦長でバックの書き込みの殆ど無い自画像と、線路のある風景画の二点のみでした。 図録は重いので買わないのですが、絵葉書でみても「笑う自画像」は異様な雰囲気が漂っていますね。

他にはシーレで「死と乙女」、「ひまわり」(隣にクリムトのFarm Garden with Sunflowersが)は見られましたが、やはり他の作品は貸し出し中だったようです。 

クリムトはやはりあの美術館の目玉という感じですね。 実物の絵を見ると・・・すごいです。 

ここの美術館で見た作品は豪華な官能の世界のものが印象に残っていますが、帰ってからウェブサイトでみますと、クリムトとシーレはほとんど同じ世界を描いていたのに気付きました。

 

これらの絵を見ていて、「トリスタン」を思い出したのは、ワグネリアンの私にとって当たり前なのですが、他にも何となく R・シュトラウスの「薔薇の騎士」、元帥夫人の「片目で流す涙」にも結びつくような気がしました。

 

ミヒャエルさんおすすめのコース・・・下宮まで歩いていく時間もあったのですが、台風のような風の吹いている日で、庭園を楽しむ雰囲気ではありませんでしたので、美術館のカフェにもぐりこみ、コーヒーとケーキの方を楽しんでしまいました。(^^;)

これは bernardsstar さんの 242 に対する返信です

 

Re:宣伝・補足

2001/ 7/15 21:57

メッセージ: 244 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

Bea_Smyさま

 

本日の展示・シンポジウムに出席させていただきました。どうもありがとうございました。

シェーンベルク・センター(ウィーン)所長、マイヤー氏のご講演をはじめとして、大変に意義深く、「Schoenberg」の重要性を最認識いたしました。

小生、「シュミット命」は自負してきましたが、今後は、「シェーンベルクも命」になりそうです。

 

展示資料の多くの内容を収録した「カタログ」は、今後の小生の研究の手がかりとして、大いに活用させていただきます。

 

展示資料から得た感想を全て申し上げる余裕はありませんが、4点だけ申し上げます。

 

(1)アーノルト・ロゼーの写真を初めて見て感激した。

 

(2)「私的演奏協会」の演奏曲目の中に、フランツ・シュミット「交響曲第2番 変ホ長調」が含まれていたのが嬉しかった。

 

(3)第1次大戦 勃発時の兵士(騎乗)の出征の写真。

意気軒昂と旅だっていったようですが(「意気軒昂」の様子は、ツヴァイク「昨日の世界」にも描写されていました)、これが2度にわたるドイツ・オーストリー(および全世界)の辛酸の出発点となったわけですから、何とも皮肉なことです。

98年に、ウィーンに「シェーンベルク・センター」が設立された(遺品の里帰り)というのも、今後決して悲劇を繰り返さないことの決意の現れでもあるように、感じました。

 

(4)オットー・クレンペラーはなんと背の高い人物であったことか!

これは Bea_Smy さんの 232 に対する返信です

 

fricca1115さま!!

2001/ 7/16 0:53

メッセージ: 245 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

fricca1115さま!!

 

>思いっきり感想をかいてしまいましたが、気を悪くなさらないで下さいね。

 

 大事なことは、演奏ではなく、作品を好きになることです。例えば私はラヴェルやブラームスが好きだけれど、つまらない演奏家の手にかかった平凡な解釈だったら、聞く気は起きません。その意味でも、fricca1115さんが正直な感想や批評を書いたことは、決して無駄でも、まして私が「気を悪くする」ようなことでもありません。

 

 むしろ私は、『グレの歌』を通じて、世紀末音楽ファンがまた独り増えたことのほうを、素直に喜びたいと思う者です。

 

 トピ主様も、そう思われませんか?

これは fricca1115 さんの 243 に対する返信です

 

トピ主様(ようこそ明学へ・・・)

2001/ 7/16 1:02

メッセージ: 246 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

 ご出席とご報告、こちらこそ御礼申し上げたいと思います。また、カタログまで購入していただいて、有難うございます。スタッフに成り代わり、お礼申し上げます(なかなか売れないとの嘆き声も聞こえていたので)。

 

 それにしてもこの展覧会、「百聞は一見にしかず」の諺を、まざまざと重い知らせてくれる企画ですよね。いただいた感想のいずれも、その点を衝いたものだと思います。

 

>(2)「私的演奏協会」の演奏曲目の中に、フランツ・シュミット「交響曲第2番 変ホ長調」が含まれていたのが嬉しかった。

 

 フランツ・シュミットも、シェーンベルクの「ピエロ」が大好きだったようですね。同い年ですから、(マーラーに対するアンチかシンパかの違いはあれど)通い合うものがあったのかもしれませんね。

 

 交響曲はさすがに難しいでしょうが、ちなみに現在、どうせだったら、「私的音楽協会」のプログラムに乗った楽曲を再現するコンサートをやってみたら、と旧師をせっついているところです。(目下の反応は、「それに何の意味があるの?」と言われるぞ、との一言ですが。)

これは bernardsstar さんの 244 に対する返信です

 

僕も行ってきました。

2001/ 7/16 14:28

メッセージ: 247 / 1465

投稿者: gur1zem2korn3

 

どの講演も中身の濃い充実したものでしたね。ツェムリンスキー、グルリットに興味のある僕にとって、今回の講演の中で、一番興味を持って聞いたのは、クリストファー・ヘイリー博士の講演でした。しかし、その他の先生の講演もいいものばかりでした。後半の通訳がやや聞きずらい気はしましたが、全体としていい収穫でした。マイヤー氏が講演が終わった後、展示会に来て、自分でそれをビデオに写したり、いろいろとチェックしたりしてるのを見ると、感心しました。そういうのはアシスタントの人がやるのだと思っていたので、所長じきじきにやるのを見て、所長という仕事は意外と忙しいのだなあと思いました。マイヤー氏は、ずっと笑みを絶やさないいい人そうな感じでした。ヘイリー博士は、他の人の講演の時、進んでマイクを調節していました。指揮者アルブレヒト氏も、グルリットのトークの時、女性通訳のマイクの調節していましたね。アルブレヒト氏も、ヘイリー博士も、評価の進んでいない作曲家を進んで取り上げ、このやさしさは、実際に困った人にも向けられるということで共通するものがあります。

これは bernardsstar さんの 244 に対する返信です

 

シノーポリのマーラー

2001/ 7/19 0:43

メッセージ: 248 / 1465

投稿者: gur1zem2korn3

 

シノーポリが亡くなって、音楽現代に彼の追悼特集が載った時、僕は、彼のこの言葉が印象に残りました。

 

「マーラー理解には、アドルノ、シュニツラー、フロイト、ニーチェが不可欠である」

 

彼が死ぬ前に、偶然僕は清水書院の「人と思想」シリーズで、アドルノとシュニツラーを読んでいました。今フロイトを読んでいますが、グルリットの友人ゴットフリート・ベンがニーチェの影響が大きかったことは知られていますし、ツェムリンスキーもアルマへの手紙の中で「今ニーチェとショーペンハウアーの本を読んでいる」と書いていますので、ニーチェのも読もうと思います。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ヴェーベルンを射殺した米兵

2001/ 7/19 21:19

メッセージ: 249 / 1465

投稿者: gur1zem2korn3

 

前々から思っているのですが、アントン・ヴェーベルンを射殺した米兵がその後、どのような人生送ったのかご存知の方いらっしゃれば教えてください。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

コルンゴルト:歌劇「死の都」

2001/ 7/22 11:41

メッセージ: 250 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

セーゲルスタム指揮、スウェーデン王立オペラによるCD(NAXOS)で聴きました。2枚組で、たった2390円です。というのも、96年7月・8月の公演の実況録音のようで、観客の拍手や咳の音も入ります。歌手が舞台を動きながら歌う箇所のステレオ効果も、実況録音ならでは。

演奏の水準は極めて高く、オーケストラの響きは最後まで艶を失いません。歌手は大半がスウェーデン人と思われますが、そのため、かえってドイツ語の歌詞を聴き取りやすくしています。マリー(マリエッタ)役のカタリナ・ダレイマンはじめ、声楽陣も水準の高い歌唱を聴かせていると思います。

 

作品について:  言わずと知れた、作曲者23歳の作(1920年完成。その前に、コルンゴルトは、「ポリュクラテスの指輪」「ヴィオランタ」の2つの歌劇を作曲済み!)。曲調は、全体的に明るい色彩がみなぎっており「死の都」という表題とは、ちょっと違った印象。ワーグナー、プッチーニをベースに、ロシア歌劇の手法も一部取り入れられたような造り。マーラー風に始まったアリアが終わり近くになって、プッチーニ風に転化するような箇所もあります。歌唱と管弦楽伴奏の掛け合いの部分の細部の仕上げなど、まさに、天才作曲家コルンゴルトの職人芸を感じさせますが、「じゃ、この作曲家のオリジナリティは?」というのが率直な疑問でしょう。

 

それに対する小生の回答は以下のとおりです。この作品をよく聴いていると、ワーグナー、プッチーニだけでなく、彼の映画音楽(「ロビンフッドの冒険」など)を思わせる軽快な響きが聞こえてきて、彼の音楽が米国亡命後に変わったのではなく、ハリウッドの音楽の萌芽が既に20世紀初頭のウィーンで用意されていたのだという事を感じさせます。

 

米国亡命後のコルンゴルトは、コープランドなどのアメリカ音楽の影響ももちろん受けていますが(それも良い方向に)、基本はやはりウィーン音楽です。彼の音楽の真骨頂は「重々しい」音楽ではなく、「軽快な」音楽にあり、その軽快さはウィーンで育まれ、後年の作品にも顔を出しているのだと考えました。

 

(追伸)「死の都」が大きく盛り上がるのは終幕(第3幕)ではなく第2幕です。この幕は舞台装置・演出にも相当な工夫がなされているという様子が、このCDから感じられました。その点で、CDを聴いているだけでは不充分(オペラなので当然かも)という気がしました。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:シノーポリのマーラー

2001/ 7/22 12:28

メッセージ: 251 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

シノーポリの来日公演:マーラー「交響曲第2番 復活」は忘れ得ぬ圧倒的な印象を残しましたね。(彼の別の来日公演での「第8番」を高く評価する声も、「マーラー・トピ」で見かけましたが、残念ながら、小生、彼の指揮する「第8番」の演奏は聴いておりません。)

 

マーラーは、ニーチェを崇拝するとともに、ワーグナーも神のようにあがめていたわけですが、ニーチェ、ワーグナーの思想がナチスの「ユダヤ人殲滅」プロジェクトの精神的基盤に流用されたことはなんとも皮肉なことです。

 

アドルノも必読書ですが、小生、やっと、ブルーノ・ワルター「主題と変奏」を読み終えたところで、次は、フランツ・ヴェルフェルの大著「ムーザ・ダークの40日」に原書で挑もうとしているところで、アドルノに手をつけられるのはいつのことやらです。

 

「母と娘のユダヤ人物語」、アルマ・マーラーの伝記、ワルターの自伝や、ツヴァイク「昨日の世界」、先日の明治学院大でのシェーンベルクの資料などにより、第1次世界大戦がどのようにして起こり、それが戦後ドイツにどのような影響を与え、そしてナチスの台頭、ユダヤ人迫害を招いていったか(そして、この過程で、米国はシェーンベルク、コルンゴルト、ワルターといったユダヤ系の天才達をどんどん自国に吸収していったか)というイメージは確立して参りました。

 

ところが、もうひとつの大事なテーマ:これだけの迷惑・大被害を周辺国に(「2度」も)もたらした大悪玉ドイツにおいて、第2次大戦後、どのような制裁・再教育・懺悔が行われたかという著作について、具体的なイメージが思い浮かばないのであります。WEB検索をすると、日本人学者の多くが、ドイツのほうが日本よりも戦犯追及がシビヤに行われたようなことを書いていたように見受けられました。しかし、八木あき子氏の著作によると、「アウシュヴィッツ」「ユダヤ人迫害」の歴史は、第2次大戦後のドイツの学校教育において、「タブー」として長い間触れられないままとなり、そのことが「ユダヤ人虐殺はなかった」というデマを発生させる背景となったようです。

 

(2つめの大戦に関しては日本にも責任があるわけですが、第2次大戦後の日本文学というものは、戦後の廃墟での生活の厳しさといった「私小説」的なものにとどまっています。日本人が戦後どのように反省し、今後自らは戦争を仕掛けないようにするためにどのようなことを行っていくべきかを「文学作品」によって示し、アジアの人々から賞賛を受けたといった例を、小生は聞いたことがありません)

 

・・・・といった以上の事柄、さらに、「戦線を拡大していけばいずれ行き詰まるのは誰の眼から見ても明らかなのに、それを敢行したヒトラーは狂人か??、狂人に支配されるほどドイツの社会はもろいものだったのか・・・」といった事柄に、今、小生の関心は向いていて、しばらくは、マーラーの作品の精神的基盤に対してコメントしにくい状況が続くかも知れません。

これは gur1zem2korn3 さんの 248 に対する返信です

 

ワルターのプフィッツナー評価

2001/ 7/25 22:13

メッセージ: 252 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

アルマ・マーラーの伝記によれば、アルマはプフィッツナーの才能を高く評価し想いを寄せていましたが、グスタフは、プフィッツナーを若干、懐疑的な眼で見ていました。

 

ブルーノ・ワルター「主題と変奏」の中で、ワルターはプフィッツナーを滅茶苦茶に誉めちぎっています(特に、「パレストリーナ」「愛の園のばら」「哀れなハインリヒ」などの歌劇に対して)。彼を賛美するくだりは随所に見受けられます。一方で、プフィッツナーは、ワルターの好意を逆手にとるように、ワルターに対して失礼な言動をとることがままあったようです(プフィッツナーの肖像写真を見ると、とても神経質という印象を受けますが、神経質さがもたらした無作法だったのかも)。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

浄められた夜

2001/ 8/ 1 11:41

メッセージ: 253 / 1465

投稿者: fricca1115 (女性/愛知県)

 

またまたお邪魔します。 昨日ですがシェーンベルクの「グレの歌」お薦め盤ではありませんが(注文できたのがこれだけでして)・・・85年、シャイー/ベルリン放送SOを入手しました。

歌手はジークフリート・イェルザレム、スーザン・ダン、ブリギッテ・ファスベンダー、

ハンス・ホッターです。 せっかく手に入れたのに、こちらは未聴なのですが・・・。

 

実は図書館で見つけたCDでメータ/L.A.Phの「浄められた夜」にはまって何度も聴いております。 お薦め盤ではないですが・・・色彩豊かで甘美、良い曲ですね。

でも、このメータ盤は同曲の数ある中で、手堅いと評される演奏のような気がします。

カラヤンの甘さとは、この辺りをもっと濃厚にしているのでは? とか、ブーレーズならここがもっと有機的なのでは? など想像して他の演奏も聴きたくなりました。 

 

カップリングされているのが、ヒンデミットの弦楽合奏のための5つの小品、

ウェーベルンの弦楽四重奏のための5つの楽章です。 どちらも未聴ですが後ほど。

これは bernardsstar さんの 252 に対する返信です

 

Re:浄められた夜

2001/ 8/ 1 23:01

メッセージ: 254 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

fricca1115 さま

 

No. 186, 187に、Bea_Smyさん、michael_oskarさんの推薦盤がありましたね。メータ盤は未聴ですがいずれ聴いてみたいという気がいたします(メータは、F・シュミット:交響曲4番の録音も残しているとのことです。)

 

先日、明治学院大での「シェーンベルク」の催しで、マイヤー氏は、リヒャルト・シュトラウスの音楽と、シェーンベルクの音楽との親近性を示す例として、「死と変容」と「浄められた夜」のそれぞれの冒頭の聴き比べを行いました。「浄められた夜」はオザワ&サイトウキネンのCDでしたが、少なくとも、この冒頭だけを取ってみれば、ぞくぞくとする神秘感とでも言うべき印象をうまく表現して、秀逸な演奏のように思えました。(小生、オザワ&サイトウキネンの演奏一般に関しては、そんなに評価しておりませんが)

これは fricca1115 さんの 253 に対する返信です

 

オリジナル楽器で聴く《浄められた夜》

2001/ 8/ 1 23:42

メッセージ: 255 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

 ちょっと毛色の変わった演奏を紹介したいと思います。

 

 スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズが、DHMことドイツ・ハルモニア・ムンディ・レーベルに吹き込んだ演奏です。国内盤では、BMGビクターから発売されているアイテムです。

 

 この曲をオリジナル楽器で演奏するに先立ち、まず彼らは、マーラー《5番》のアダージェットを、ワルター指揮の解釈=演奏にはよらず、メンゲルベルク指揮の解釈=演奏に基づいて再現することを堂々と宣言しています。

 

 つまり、指揮者が、自らライナーノーツで主張しているところによれば、ワルターの演奏では、静々とした足取りで、まるで葬送行進曲のような楽曲として解釈されているのだが、マーラーと親交のあったメンゲルベルクは、この曲想を、ある的の幸せな新婚生活の記念として着想されたことを作曲者から直々に聞き出したことで、思い切りロマンティックな演奏を繰り広げている。メンゲルベルクの解釈は後世には受け継がれなかったが、作曲年代からすれば、ワルターの解釈よりも正統的なはずである。だから、新しい録音技術のもと、メンゲルベルクの解釈を再現したいと思うのだ、云々。

 

 マーラー作品の演奏から言えるのは、軽やかな足取りと情熱的な表現、ポルタメントやグリッサンドを明確に響かせること、ポリフォニーをはっきり浮き立たせていることです。同じことは《浄められた夜》の演奏にも当てはまります。

 このガット弦アンサンブルの演奏は、

金属弦の演奏に比べると、不思議なくらいねっとりとして、むせ返りそうなほど強烈な雰囲気を作り出していながら、それでいてもたれることなく、清々しささえ醸し出しているように感じられます。

 

 なお、スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズは、R.シュトラウスの《メタモルフォーゼン》とバーバーの《アダージョ》を吹き込んだCDも録音しています。

これは fricca1115 さんの 253 に対する返信です

 

↓訂正

2001/ 8/ 1 23:48

メッセージ: 256 / 1465

投稿者: Bea_Smy (28歳/jp)

 

>ある的の幸せな新婚生活の記念

 

「アルマとの幸せな新婚生活の記念」のミスタイプです。失礼しました。

 

追伸:

 

fricca1115 さま

 

 シェーンベルク・ファンがまた一人増えたことを、心より喜んでおります。

 

 メータは、ハリウッドの映画界ともつながりがあり、ジョン・ウィリアムス作品を録音しているほどですから、コルンゴルトの兄弟子シェーンベルクの、初期の濃厚な作品も、ツボを押さえた演奏によって、堪能されたのではないかと思います。

これは Bea_Smy さんの 255 に対する返信です

 

浄夜

2001/ 8/ 2 0:58

メッセージ: 257 / 1465

投稿者: gur1zem2korn3

 

僕も、CDでシェーンベルクの浄夜持っていますが、シノーポリ指揮フィルハーモ二ア管のです。このCDは、クリスティアン・マイヤー氏が先日のシェーンベルクシンポジウムで、「ペレアスとメリザンド」のところでかけていたのです。彼は、大地の歌でもシノーポリのを使っていて、このCDでは、アルトを僕の好きなイリス・フェアミリオンが歌っています。彼女は、ここのトピで扱われる音楽は得意分野でして、シャイ−の指揮によるツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」、プフィッツナ−の歌曲全集でも歌っています。どうやら、マイヤー氏と僕、波長が合うみたいです。

これは bernardsstar さんの 254 に対する返信です

 

ヒンデミット

2001/ 8/ 5 8:02

メッセージ: 259 / 1465

投稿者: fricca1115 (女性/愛知県)

 

弦楽合奏のための5つの小品(Op.44−4)

けだるい雰囲気で始まる一曲目から5曲通して3回ほど聴いて音楽がつかめたかんじです。 最初は「なに?これ!」(笑)

 

ちゃんとした四角形をおさえて平行四辺形にしたような音楽というか、ひずんだガラス越しに美しい景色を眺めているような、不思議な5曲でした。 今のところ特に好きな音楽とは言えないですが、昨日のようにヴォリュームを絞って夜中に聴くのが私に合っているような気がします。 

 

先日買ったシャイーの「グレの歌」も中々いいですよ。 オーケストラの魅力はたっぷりです。 歌手については、ヴァルデマルを歌ったイェルザレムの高音域に若干の不満がありましたが、トーヴェのスーザン・ダンも森鳩を歌ったファスベンダーが期待通りで、嬉しかったです。 実は前のインバル盤を聴いていて、すぐにファスベンダーでこの部分を聴きたいと思ったものですから・・・。 

それから、農夫はバイロイト「トリスタン」でクルヴェナール他で有名なヘルマン・ベヒト。

ハンス・ホッターの語り手もインバル盤とは全然趣が違いますが、味わいのあるものでした。

 

gur1zem2korn3さま: はじめまして。

シノーポリの「浄夜」は未聴ですが、是非ブーレーズ盤とともに聴いてみたいです。

これは gur1zem2korn3 さんの 257 に対する返信です

 

Re:ヒンデミット

2001/ 8/ 5 16:33

メッセージ: 260 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

なにせ多作家なので、全作品を聴いてはおりませんが・・・

 

交響曲「画家マチス」や「白鳥の肉を焼く男」は先鋭な響きを持ち、「画家マチス」はナチスによる迫害の対象となったりしたわけですが、これらの作品も、今日の感覚で言えば、新古典的な作品と言えると思います。

 

米国亡命後の作品(例えば、いくつかの交響曲)は、聴衆に分かりやすい、またアメリカ的なダイナミズムをもった作品と言えます(ディズニーランドのアトラクションの背景音楽に使われそうな!)。「コンサートバンドのための交響曲」は、吹奏楽のために作曲されたオリジナル作品の中では最高水準のレベルにある曲とされています。

 

1920年代のヒンデミットは、「退廃音楽」が一世を風靡する中で、意識的に、歪んだ万華鏡(ネオンサイン?)とでもいうべき、不気味で強烈・不思議な感触をもつ曲を作り上げていったような気がします。Op.44は、小生、未聴ですが、ネーメ・ヤルヴィ指揮のF・シュミット:交響曲第3番の余白に収録されていた、ヒンデミット:「管弦楽のための協奏曲」(Op.38、1925年)を聴いて、fricca1115さんと同じような印象を持ちました。とにかく、優れた作曲技法ではありますが、尋常ではないです。

これは fricca1115 さんの 259 に対する返信です

 

ツェムリンスキー

2001/ 8/ 5 17:03

メッセージ: 261 / 1465

投稿者: bernardsstar

 

下記サイトには、「醜悪な小男」との表現がされておりますし、タゴールの詩をもとに「叙情交響曲」を作曲した人物ともなると、怪物のような外見を想像してしまいそうですが、

 

http://www.music-vienna.com/essay/mfnews/1992.html

 

先日の明治学院大の企画展の記録写真で見たツェムリンスキーは、ヘルベルト・ブロムシュテット氏タイプの紳士でしたね。

 

それにしても、「1942年3月15日、ウィーン生まれのアレクサンダー・ツェムリンスキーがニューヨークの近郊で亡くなった時、音楽界はほとんど何の関心も示さなかった。」(上記サイト)とは寂しい話。ハリウッドに集まった面々・・・シェーンベルク、コルンゴルト、ワルター、クレンペラー、ヴェルフェル・・・が、それぞれ亡命後も成功を収め、米国への脱出譚が語られているのに対して、対照的な話です(ナチスに殺されなかっただけマシと言うべきなのか?)

これは gur1zem2korn3 さんの 258 に対する返信です