情報どうもありがとうございます

2001/ 1/11 23:17

メッセージ: 36 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

僕も「レーガ−のベックリン組曲」買いたいです。

小職

YAHOO掲示板に投稿を始めて以来、

買いたいCDが急増して困ってますよ。

(CD業界にとっては朗報かも知れませんが)

 

当面はF.シュミットに軸足を置いていきたいと思ってます。

「Franz Schmidt und Pre?burg」なんて本も書いたいし、書籍にも出費しそうですね。

 

「ドイツ文学」のほうも、もう少しマシなネタを提供できそうなんで、考えがまとまったら、また訪問いたします。

これは gur1zem2korn3 さんの 35 に対する返信です

 

私も若い頃は

2001/ 1/12 3:22

メッセージ: 37 / 1465

 

投稿者: nabetsuri

 

私も若い頃はこのあたりが好きで、よく漁ったものでしたが、レコードがなくて、FMの海外実況録音が頼りでした。

当時の思い出ですが、、、

 

たしか終楽章に男声合唱の入るブゾーニ(でも、ウィーンの音楽?)のP協奏曲は凄い曲でした。特に狂熱のスケルツォ?(2つあったような気がする)。鳥肌が立った。せっかくカセットに録音したのに、数日後に間違えて別の曲を録音してしまったのが惜しまれる。2度目に聴いたときは録音を失敗(泣)。CDが出ているなら是非買ってみたい。

Vn協奏曲というのもあったような気がするが、よく覚えてない。

 

レーガーのP協奏曲も違う意味で凄い(瀕死の絶叫という感じ)。四苦八苦して無理にまとめ上げたという感じが痛々しいが。

未完の「レクイエム」というのもあるが、これは本当に素晴らしい(CDが出ているようなら、イチオシでお奨めする)。

これは両曲ともよく聴いた。どちらも、レーガーの晦渋なイメージが一新されると思う(ただし、ヒジョーーーに暗い曲であることに変わりはない。救いがないんだよね)。

 

プフィッツナーも何か協奏曲を聴いたような気がする。他には「パレストリーナ」前奏曲だったかな?管弦楽曲は何度か聴いた。

 

フランツ・シュミットは、当時聴いた限りではピンとこなかった。同じF・シュミットでも、フローラン・シュミットの曲はしばらく愛聴したが(笑)。

 

シェーンベルクの「グレの歌」をFMで初めて聴いたときは狂喜した。

今は、ツェムリンスキーをはじめ、いろいろCDで聴ける時代になった。

どん欲で感性の鋭い若い頃に、もっと聴いておきたかったなあ・・・

今の若い人たちが羨ましい。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:私も若い頃は

2001/ 1/12 6:11

メッセージ: 38 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

投稿、どうもありがとうございます。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。

 

僕も、ずっと以前に、「パレストリーナ」前奏曲をエアチェックしたような気がします。

 

「ディオニソスの祭り」のおかげで、フランスのフロラン・シュミットなら聴いた(演奏した)ことがあるという方は多いですね。

 

ブゾーニはウィーンではないんですが、話題として盛り上がっていますし、同系列・同時代なので継続しております。

これは nabetsuri さんの 37 に対する返信です

 

Re:私も若い頃は

2001/ 1/12 20:32

メッセージ: 39 / 1465

 

投稿者: Hakodateyama_1013

 

nabetsuriさん、こんにちは。

件のブゾーニのP協は、ブゾーニの主要曲なのでCDは結構発売されています。私は持っていませんが、アムラン/エルダー盤が最近話題になっています。その他では、ポストニコワ/ロジェヴェン盤等が入手しやすいかと思います。また、国内盤では、オールソン/ドホナーニ、ライヴリー/ギーレン盤が発売されていました。

 

レーガーの曲は、Koch-Schwanレーベルから多数発売されています。P協は、オピッツ/シュタイン盤があります。

 

プフィッツナーは、cpoレーベルからP協とVn協が出ております。

 

おせっかいとは思いましたがよろしければ参考にしてください。

これは nabetsuri さんの 37 に対する返信です

 

>Re:私も若い頃は

2001/ 1/14 18:16

メッセージ: 40 / 1465

 

投稿者: nabetsuri

 

どうもありがとうございます。

最近の情報にはとんと疎いもので、参考になりました。

これは Hakodateyama_1013 さんの 39 に対する返信です

 

アーノンクールの「7つの封印の書」

2001/ 1/19 6:07

メッセージ: 41 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

2000年4月、楽友協会大ホールです。

http://www.osterklang.at/Homepage_OsterKlang2000neu/d/frameset.htm

 

Osterklangの別のページ:

http://www.osterklang.at/Homepage_OsterKlang2001/d/frameset.htm

 

では、ペーター・シュナイダー指揮のプフィッツナー:歌劇「パレストリーナ」など、面白いコンサート情報が掲載されていました。

 

この週末は不肖bernardsstar多忙のため、

さらなる展開の前に数日お待ちを。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ヤナーチェクの葬儀

2001/ 1/25 22:44

メッセージ: 42 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

http://homepage1.nifty.com/fieldvoy/18death.htm

というサイトに興味深い情報が載っていました。

 

ヤナーチェクの葬儀に、

マックス・ブロート、オスカル・ネドバルが参列していました。

 

マックス・ブロートは、カフカとの交遊が有名で、この「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」で一度紹介しております。

 

オスカル・ネドバルに関しては、不肖bernardsstar、マーラーのトピに「1000人の交響曲」の初演の件で投稿しています。この初演に立ち会った、多くの著名人のうちのひとりです。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シュミットのCDとベックリンの絵

2001/ 2/ 4 9:26

メッセージ: 43 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

アーノルト・ベックリンの絵画とラフマニノフ、レーガーの絵画の関係は既報の通り(gur1zem2korn3さんの情報に感謝)ですが、

既にレポートした、ヤルヴィ&シカゴ響のフランツ・シュミット:「交響曲2番」のCDジャケットもベックリン作の「Meeresbrandung(CD解説には、The Surging of the Oceanと記載)」でした。「海の波涛」とでも訳すべきでしょうか?古代ギリシャ美術的な感触のする、官能的な人魚の図柄です。

この絵の画像情報を検索してみたのですが、「死の島」のような有名絵画ではないせいか、見つからず。ベルリン国立美術館の収録絵画目録をようやく見つけただけでした。

http://www.canyonlights.com/museum/staatlichen/nationalgalerie.htm

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

今日買ったCD

2001/ 2/12 22:04

メッセージ: 44 / 1465

アバターとは?

 

投稿者: bernardsstar

 

都内の某CDショップにて

 

フランツ・シュミット:交響曲第1番、歌劇「ノートルダム」より前奏曲、間奏曲、カーニバルの音楽(第1幕)

ハラーシュ指揮ブダペスト交響楽団(MARCO PORO)

 

フランツ・シュミット:交響曲第3番、

ヒンデミット:管弦楽のための協奏曲

ヤルヴィ指揮シカゴ交響楽団(CHANDOS)

 

マックス・ブロート:室内作品集

クスニェル(バリトン)、カフリーコーヴァ(ソプラノ)、クーダ(ピアノ)、シュタミッツ弦楽四重奏団 (SUPRAPHON)

 

文学者として有名なマックス・ブロートの音楽作品、大変に興味があります。

本日は時間がなくて、シュミットの1番しか聴けませんでしたが、これら3枚についての感想を後日投稿いたします。

 

また、買わなかったCDの中に、レーガー「歌曲集」(フィッシャー・ディースカウ、指揮:ゲルト・アルブレヒト)というのがあり、作品・演奏もさることながら、ジャケット表紙(ベックリン:「Meeresbrandung」の一部分!)に興味を覚えました。シュミット、レーガー、ラフマニノフは、ベックリンと切っても切り離せない作曲家なのでしょうか?

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

F・シュミット Sym1&3番

2001/ 2/18 21:32

メッセージ: 45 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

(1)第1番 ホ長調

http://www.naxos.co.jp/MARCOPOLO/schmidt.html

にある解説文に対して、私なりの感想を述べさせていただきます。

>作曲者が青年時代に作った張りと輝きに満ちた作品で、ギリシャ彫刻の青年像のような印象を聴く者に与えます。

全体的にシューベルトの後継者という印象です。シュミットの作品全体がそうなんですが、特にこの曲はそんな感じです。第1楽章の主題提示のところは、R= シュトラウス「ドン・ファン」の主題にちょっと似ていますが、ちょっとダサい感じ。第2楽章は、シューマン「交響曲第2番」の緩徐楽章を思わせる深い沈潜で、ブルックナー的な高まりもあります。

 

>全曲を聴いて最も耳に残る部分としては第3楽章の中間部(水あめのように粘りつく叙情、凄い!

第3・4楽章は、良い意味でのオーストリア音楽であり、好ましく感じました。第3楽章の中間部は確かに「水あめ」と表現できるかも知れません。この旋律、後世の曲に似ている?(例えば、キリンレモン飲料CM)

>終楽章の第2主題(フィンランディア風の壮大な旋律)

終楽章は形式的にロンドと言えるのかどうか分かりませんが、ロンド終楽章(例えば、マーラー:交響曲第5番)のような感触がします。第2主題は「フィンランディア風」というよりは、教会旋法に拠っていると言うべき。F・シュミットは第2交響曲もそうなのですが、この独特の効果によって、19世紀末・20世紀初頭の音楽要素を盛り込みながらも、中世的あるいはゴシック的とでも言うべき印象を聴衆に与えます。

 

(ついでながら、余白の歌劇「ノートルダム」からの3曲に対する解説文:

>非常にチャーミングであり、輝く甘美さにあふれています。

は、正鵠を得ています。まだ、「ノートルダム」全曲を聴いたことはありませんが、ドイツオペラとイタリアオペラの両方の良さが融合した作品のように思えます。「間奏曲」は、R. クレイダーマンのある曲にも影響を与えた?)

 

(2)第3番 イ長調

第1楽章は、Allegro molto moderatoですが、第1、2楽章続いてアダージョというような印象。第2番で見せた劇的要素がなくなり、東欧的な叙情(ラフマニノフ?)が支配します。この点が「交響曲」というにはやや物足りない感じを与えることは否めません。特に、終楽章は(ブラームス的な着実な足取りながらも)結尾に向っての盛り上がりに欠け、この楽章に関しては書き直しが必要だったのでは?といった気がしました。(ただし、色彩的な管弦楽法を駆使しているという意味では、第1交響曲に比べての熟達を感じさせました。)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

   

NHK・FMでツェムリンスキー

2001/ 2/19 21:21

メッセージ: 46 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

たった今、交響詩「人魚姫」、「叙情交響曲」を聴き終えたところです。

演奏は、ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送響、他。00年9月ベルリン芸術週間での録音でした。

 

両曲とも、耽美的な後期ロマン派そのものの濃厚な作風で、マーラーの作風が強く影響しています。「人魚姫」第1楽章の中間部で激しく盛り上がるところは、ラフマニノフの交響詩「死の島」や、ヨセフ・スーク:交響詩「真夏の御伽噺」(第1楽章)を思い起こさせました。「人魚姫」第2楽章の前半には、チャイコフスキーを彷彿とさせるメロディーすら挿入されておりました。

(F・シュミットの作品のように、バッハを思い起こさせるというようなことは全く考えられません。)

 

この「人魚姫」や、シェーンベルクの初期の作品を聴く時、常に考えることは、「確かに美しいが、この作風で何十年もずっと作曲し続けることはできない。」ということです。

 

その回答が、世紀末的音楽が途中で「現代音楽」へと変容していく「叙情交響曲」の中に示されているのではないでしょうか(「「真夏の御伽噺」にも、そういった評価ができそうです)。

 

それにしても、タゴールの詩と、ドイツ語と、後期ロマン派音楽・現代音楽の全てに明るい人間って、いったい何人いるでしょうか(少なくとも日本では非常に僅かな数と思われます)?そういった意味では、「叙情交響曲」の本質が多くの聴衆によって完璧に理解され、頻繁に演奏されるようになるには、まだまだ時間がかかるような気がします。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

F・シュミットの交響曲第3番 

2001/ 2/19 23:24

メッセージ: 47 / 1465

 

投稿者: Hakodateyama_1013

 

bernardsstarさん、こんにちは。

 

>第2番で見せた劇的要素がなくなり

この点は、この第3交響曲の成立事情を考えると致し方ないとも思います。

 

この曲は、1928年にコロンビアレコード社が主催したコンクールの応募曲ですね。

コンクールの内容は、「シューベルトを想起させる交響曲」でしたのでシュミットはその点を意識して、敢えて劇的要素を抑えた交響曲にしたのではないかと思います。

 

優勝は、アッテルベリの第6交響曲でシュミットの交響曲は第二位でした。アッテルベリの第6交響曲は、シューベルトとは程遠いカッコイイ曲なのです。シュミットは、アッテルベリのハッタリに負けたようなものですね。

ちなみにこのコンクールの審査員には、フランツ・シャルク、カール・ニールセン、ドナルド・トーヴェイ等が名を連ねていたようです。

 

それでも、このシュミットの第3交響曲の魅力は少しも減ずることはありませんね。深い抒情と穏やかな感情、長大なこの曲を支える構成力に脱帽します。

 

この曲のディスクは、ヤルヴィのほかロイテルの全集やペシェクのディスクもあります。ペシェクは、軽やかな響きでこの曲の長さを感じさせない演奏です。一聴の価値があります。

これは bernardsstar さんの 45 に対する返信です

 

アッターベルク

2001/ 2/20 22:33

メッセージ: 48 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

Hakodateyama_1013さま。

 

情報どうもありがとうございます。

小生は、アッターベルクの作品を聴いたことはないんですが、

「レコード芸術別冊 交響曲のすべて」(1980.5刊)の16ページ、「わたくしの≪交響曲≫体験」(柴田南雄氏の寄稿)に以下の記述があることを思い出しました。

 

“クルト・アッターベルクのハ長調の「交響曲第6番」というのも、1930年頃にポリドール盤でよくきかされた。これはもう電気吹込になってからだが、それはシューベルト100年祭、つまり、1928年に国際的なシンフォニーのコンペがあり、それに優勝した作品で、ホルンののんびりとしたソロではじまる曲だった。ポリドール盤は作曲者がベルリン・フィルを振ったもので、後に出たコロムビア盤はビーチャムとロイヤル・フィルだった。”

 

シュミット・第3交響曲の「ロイテルの全集」や「ペシェク」盤ですか?Hakodateyama_1013さまの達人ぶりには、本当に感服いたします。

 

ペリカン・ブックスの

"The Symphony 2: Elgar to the Present Day"(Robert Sympson編)を見ると、Harold Truscott氏の文章で、シュミットの第1、2、4交響曲に関する詳しい解説がありますが、

 

第3交響曲については、以下の短い(どちらかというとネガティヴな)文章しかありません。著者(もしくは出版社)に何か言ってやってください!

 

"The Third symphony, in A, is in some respects the most difficult of the four to grasp. Written in 1928, it won Schmidt the first prize in the Austrian zone of the Schubert Centenary competition organized in that year by the Columbia Gramophone Company. In some ways it leads to the Fourth; until one really knows it, it seems indeterminate, and perhaps it cannot be fully understood except in the light of its successor. There could scarsely be a more positive work than No.4, whose confidence is complete and without bombast."

これは Hakodateyama_1013 さんの 47 に対する返信です

 

ブルックナーとシュティフター

2001/ 2/25 18:52

メッセージ: 49 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

(ドイツ文学の広場にも投稿した内容と同じ内容です)

 

リンツ出身といっていい、この偉大な2人に接点がなかったか、検索しているのですが、「リンツでの出会い」は、今のところ発見できず。

 

ただ、チェコの

http://www.piscia.comp.cz/crs_jc/obce/frymb_an.htm

という英語で書かれたサイトに、

南ボヘミアのフリンブルク(フリートベルク)という小都市に、

 

ゼヒター(ウィーンのコンセルバトワールで、ブラームス、ブルックナー、ベラを教える)が滞在し、また、シュティフターがしばしば訪れていたことが書かれてありました。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

 

   

(^^;)

2001/ 3/ 3 12:57

メッセージ: 50 / 1465

アバターとは?

 

投稿者: bernardsstar

 

ほんとはやりたくないんだけど、UP。

 

不肖bernardsstar、工学>「JOB興し」、世界史>「ヤン・フス」(I love negitoroさんのトピ)への投稿に忙しく、「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」のほうの調査は、停滞中です。

 

(このまえ、FMでベルリン芸術週間での、ベルク作品演奏会の録音を聴きましたが、ケント・ナガノの指揮には感心したものの、それ以外には、さしたる感想はありませんでした。)

 

今、ヴァンハル(ボヘミア生まれ、ウィーンで活躍。1739−1813)の交響曲集のCD(コンチェルト・ケルン)を聴いております。こちらは、「ウィーン18世紀末、19世紀初頭の音楽」ですね!

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

うらやましいインディアナ大の音楽研究

2001/ 3/10 14:14

メッセージ: 52 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

http://www.music.indiana.edu/ddm/20th_Century.html

 

というサイトを見たら、

米国の底深さを感じました。

日本じゃ、音楽史の研究じゃ食っていけませんよねえ。

 

特に、

ノースウェスタン大、モリソン氏の、

Gustav Mahler at the Wiener Hofoper: A Study of Critical Reception in the Viennese Press (1897-1907).

 

(ウィーン宮廷歌劇場におけるマーラー。ウィーンのプレス(ジャーナリズム)における批判的受容の研究)

に興味を覚えました。

 

しばらく、モリソン氏の研究にも注目してみます。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

19世紀末、20世紀初頭の独語圏の音楽

2001/ 3/15 9:39

メッセージ: 53 / 1465

アバターとは?

 

投稿者: Roibos

 

bernardsstar様

 

トピ名いじってごめんなさい。でも、これだとシュルホフとかヒンデミットとかの話しも出来るんですが、、彼等は僕のお気に入りなんもんで。でもウィーンに限ってみても、まだあとクルシェネクとかコルンゴルトとか、話題性のある人達がいますよね。cdも楽に手に入るし。僕はここら辺の事情について、このトピで物を書けるほどの知識はありませんが、このトピがいま消えるには惜しい!まだ後があるような気がします。ということで、もう少し別の作曲家の名をあげてみませんか。ハウアー(Josef Matthias Hauer)なんて、もしcdがあれば聴きたいなと思っている方の一人で、本で名前はたまに見かけるんですが。十二音技法を開発した方ですね。シェーンベルク以前にといわれています。あと、是非聴いてみたい作曲家に、アロイス ハーバがいます。微分音作曲家のはしりですね。この人は確かシュレーカーのお弟子さんだったのではないかと思いますが。録音は、今のところ見つかりませんが、興味があります。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Roibosさま

2001/ 3/15 22:38

メッセージ: 54 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

どうも、どうも。

落っこちそうなところを救っていただいて、誠にありがとうございます。

 

ハーバって、名前はよく聞くけれども、本当に聞く機会のない作曲家ですね。

 

クルシェネク、コルンゴルト、・・・アイネムにまで来ると20世紀後半になりますが、いずれにせよ、このような系統の音楽に関して、19世紀末にこだわらずに、ご投稿いただけたらと思います。

 

従って、シュルホフとかヒンデミットとかの話しもOKです。「マーラー」「ブルックナー」とかいった超Big Nameの有名曲に関して議論するのは、他のトピにまかせて、このトピでは、通のための情報提供・交流の場を提供していけたらと、考えております。

 

難問もどしどし投げかけてください。

必ず回答するとは断言できませんが、小職といたしましても、質問に答えること自体が良い勉強になります。

これは Roibos さんの 53 に対する返信です

 

コルンゴルド:交響曲 嬰ヘ調

2001/ 3/18 21:42

メッセージ: 55 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

下記のサイトに、コルンゴルドの生涯と、彼の「交響曲嬰ヘ調」(1952)に関する記載があります。

 

http://www.musicalheritage.com/CLASSICAL/digsinfo.sp?RECORD_NUMBER=4429&CATEGORY =Liner%20notes

 

コルンゴルドは、わずか13歳の時に、歌劇「雪男」で衝撃的なデビューを果たしますが、それには彼自身の才能もさることながら、(ウィーンの音楽評論界で、ハンスリックの後継者であった)父、ユリウス・コルンゴルドの尽力もあったと書かれています。

 

ユダヤ人であったため、ナチスの台頭の際には米国に渡って「ロビンフッドの冒険」の映画音楽を作曲したことや、彼の作品の再演にはギル・シャハム、アンドレ・プレヴィンが貢献していること(ヴァイオリン協奏曲 作品35 など)などが、小生にとって、興味深い記載でした。

 

なお、「交響曲嬰ヘ調」は、01年1月に新日フィル(井上道義 指揮)が演奏しましたが、この機会は聴きのがしております。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

 

   

訂正:コルンゴルト

2001/ 3/23 16:12

メッセージ: 57 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

小生は、コルンゴルトには詳しくない者だった関係で、

本日、みすず書房の「コルンゴルトとその時代」(早崎隆志 著)という本を購入しまして、18日の記事に間違いあったことがわかりました。この件を報告し、訂正いたします。

 

「雪男」ではなく「雪だるま」です。

歌劇というよりも、バレー・パントマイムと呼ぶべき作品とのことで、天才コルンゴルトであっても、11歳ではオーケストレーションのほうはままならず、ツェムリンスキーがその役を買って出たとのことです。

 

なお、この本は大変に読みやすく、本日中に全261ページを読了しそうです。

コルンゴルトばかりでなく、「ウィーン19世紀末、20世紀初頭の音楽」自体の良い解説書と言えそうです。

 

この本を読んでいてひらめいたことがありますので、また後でご報告いたします。

これは bernardsstar さんの 55 に対する返信です

 

コルンゴルト協会

2001/ 3/23 16:32

メッセージ: 58 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

コルンゴルト協会のHP

 

http://korngold.freeyellow.com/

 

と、

交響曲嬰へ調の一部を聴けるサイト

 

http://www.music.mcgill.ca/resources/mcgillRecords/classical/twentiethCentury/ht ml/korngoldTrack.html

 

を紹介いたします。

これは bernardsstar さんの 57 に対する返信です

 

Josef Matthias Hauerどうですか?

2001/ 3/24 1:30

メッセージ: 59 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar様

 

シェーンベルクに先立って十二音音楽を書き始めたと言われる、ヨーゼフ・マティアス・ハウアーなど、どんなものでしょう?

この間、いろいろCDを漁っていましたら、ハウアーのピアノ曲だけのCDがあり、よっぽど買おうか、と思ったのですが....。  またかなり以前、「毒蜘蛛」とかいう彼のオペラのCDが出ていたのを(Preiser?)記憶しています。

 

くそおもしろくないとか、凡作だ、だとかクソミソに評価されているみたいですね。

本当なんでしょうね?もしお聴きになったことがあれば、印象を聴かせて下さい!

 

シェ−ンベルクが自分の技法を公表したのは、そうしなければ自分がハウアーの模倣者で十二音技法の創始者ではない、と思われる恐れがあったからだ、などという説もあるようですが、事実なんでしょうか?

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Roibosさん、ごめんなさい!

2001/ 3/24 1:42

メッセージ: 60 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

貴投稿に気が付かず、ハウアーの件、私も投稿しちゃいました。

 

「ハウアーは作曲家というより、理論家だ。」、というのは、貶し言葉のように聞こえますが、やっぱりそんなもんなんでしょうか?

 

写真を見ますと、板垣退助のような長いあごひげをはやした奇人みたいな容貌で、「これはいける!」と勝手に思ってしまうような感じでもありますが。 独特のカリスマ性のある感じでした。

これは Roibos さんの 53 に対する返信です

 

ハウアー

2001/ 3/24 7:28

メッセージ: 61 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

ここ数日、コルンゴルトに熱中してしまいまして、ハウアーのことを調べる余裕がありませんでした。どうもすいません。

 

ハウアーについては、Roibosさん、michael oskarさんにご指摘いただいたこと以外では、

 

ショーンバーグ著「大作曲家の生涯(下)」の「シェーンベルク」の項で以下の記述がされてあることしか知りません。

 

「シェーンベルクは1923年に、再び作曲を始め、音楽を有機的に組織する新しい方法を、全世界に示した。− 「私はこの方法を、"相互の間でのみ関連のある十二の音による作曲法"と呼ぶ。」 ヨゼフ・マティアス・ハウアー(1883〜1959)のような作曲家も、ほぼ同様なシステムを作り上げたが、世に受け入れられたのはシェーンベルクのものだった。」

 

今後、ネットサーチや、CD購入 等々の方法で、ハウアーについて調べてみたいと思っております。

 

さて、昨晩遅く読了した、「コルンゴルトとその時代」は、大変に面白く、ぜひ、「大作曲家の生涯」と同様、日本図書館協会選定図書にしてほしいところですが、

(その内容全体のフォローを後に回すとして)

今回の投稿に関連のある事項に関して、この本の内容をフォローします。

 

(保守派であった)コルンゴルトとシェーンベルクとの関係は、良好であったといえます。特に、現代音楽が大嫌いの父ユリウス、コルンゴルトの影響力が弱まった、米国亡命以降は、コルンゴルトとシェーンベルクは、家族どうしで親しく交際していました。

 

ところが、コルンゴルトは、ウェーベルン、ブーレーズ、シュトックハウゼンのような電子音楽・セリーは毛嫌いしていて、その感情の表明が交響曲 嬰ヘ調(1952)だったとのことです。新ウィーン楽派の3人組とはいっても、ベルク、シェーンベルクと、ウェーベルンとの間には溝があると考えてよさそうです。

 

そもそも、第2次大戦後の冷戦の中で、ソビエトでは社会主義リアリズム、西側では前衛音楽という対立が起こり、西側で保守的な作風をもっていたコルンゴルトが一時、忘れ去られてしまったという不幸な状況は、

ヒットラーがオーストリアに侵入し、ユダヤ人迫害を行ったことによって、ウィーンの音楽の伝統が引き裂かれてしまった影響も大きいという筆者(早崎氏)の見解に大いに賛同します。

 

20世紀末になって、ブーレーズがマーラー作品の指揮を開始したというのも、音楽家として食うためもあるでしょうが、冷戦が終了し、ヒットラーの破壊の傷も癒えてきたこと、また、芸術(建築も含む)に対する資本主義の影響の弊害がますます顕著になってきて、その反動として、20世紀初頭のウィーン音楽や、ネオ・ルネサンス&アール・ヌーボー建築に学ぼうという傾向が出てきたことも、この「回帰」の潮流になっているものと考えます。

これは michael_oskar さんの 60 に対する返信です

 

コルンゴルト交響曲ききくらべ

2001/ 3/25 1:43

メッセージ: 62 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

昨日(土曜日)、「コルンゴルトとその時代」があるかなあ、と思いながらぶらぶらと何軒かの書店(といっても横浜だから知れたもの)歩きましたが、やっぱりあのみすず書房の本ですから、見つかりませんでした。  こういうときの「最後の砦」のアマゾンでつい先程、注文しちゃいました。

 

以前よりコルンゴルトのことは気になってはいましたが、最近帰国したばかりですので、日本でそのような本が出ているとは知りませんでした。

 

ということで、気分転換に彼の交響曲のきき比べなんかどうですか? やっぱりプレヴィン(以下Pと略)とウェルザーメスト(以下WMと略)とのCD対比でしょうか? その他、ダウンズやケンペでもあるみたいですが、私は聴いていません。

 

私はWMを最初に買ったのですが、なんだかとでもあっさりと軽い演奏の印象だったのです。 ややものたりないかなあ、と思いつつ、所詮この交響曲は初体験でしたので、奇妙に納得して何度か聴いていました。 

 

しばらくして、プレヴィンのCDが出ていたのを出張先で見つけ、興味本位に購入しました。 自宅で聴いてみたら、WMの演奏とはかなり印象が違い、なんだか深刻そうな表情をした演奏にびっくり! 少しばかりネクラなコルンゴルトを聴いて、なんだかよくわからなくなりました、この曲が......。 特に第1楽章がなんだか、とでも影のある演奏なのです。

「録音の違いのせいかなあ?」と思ったこともありましたが.....。

要するに、Pの演奏のほうが内容が深い、とう思いがそのうち強くなり...云々、ということで、コルンゴルトからまた別の作曲家へ関心が移り、いつのまにか忘れてしまいました。

 

今回また、bernardsstarさんの紹介トピで、コルンゴルトを再び思い出し、ついでにこの2種類のCDを久し振り聴いてみましたが、WMの演奏もなかなかよい演奏で、あっさり味でも十分にこの曲の魅力を引き出している、と感じました。 一般的なのはPのほうかもしれませんが。

 

以上、私の交響曲印象記でした。

これは bernardsstar さんの 57 に対する返信です

 

コルンゴルト聴かず嫌いは何故?

2001/ 3/25 17:55

メッセージ: 63 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

コルンゴルトを聴かない人(あるいは聴かず嫌いの人)は、以下のように分類できるでしょう。

 

(パターン1)「コルンゴルトなんて作曲家は名前を聞いたことがない。 だから聴かない。」

こういう人が多いんじゃないでしょうか。 なにせ過去の巨匠指揮者が残した録音がないのですから、名前を知らなくても不思議でないかもしれません。 せめてカラヤンぐらいでも指揮してくれていたら、こんなことはなかったでしょうに。

 

(パターン2)「コルンゴルトの名前は知っているが、映画音楽を作曲した人でしょう? ちゃんとしたクラシックの作曲家じゃあないんじゃあないの?」

こういう人たちに聴いてもらうのは容易じゃあないですね。 もうアレルギーになっているみたいです。

 

(パターン3)「コルンゴルトの曲は彼があまりに若い時のものなので、成熟した一人の作曲家の曲として聴くことは難しい。せめて晩年に本格的な曲を作曲してくれていたら。」

ウーン.....こういう考え方、私もかつて持っていました。 まだ少しそういう考えも残っていなくはないです。

 

やっぱり、こうなったらかなりの名前のある指揮者がウィーンpoとでも録音しなければダメなのか?

これは michael_oskar さんの 62 に対する返信です

 

コルンゴルト支援ありがとうございます

2001/ 3/25 18:57

メッセージ: 64 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

このトピ、トピ主としては、これまで、フランツ・シュミットに最も力を入れてきましたが、今後はコルンゴルトにも十分に力をさいていきます。

 

私見ですが、日本のオペラハウスも、新作やスタンダードナンバーを上演することより、コルンゴルトの歌劇の再演に注力することのほうが、世界のオペラ界から注目されることにつながるのではないでしょうか?

 

コルンゴルトの歌劇には、

「ポリュクラテスの指輪」

「ヴィオランタ」

「死の都」

「ヘリアーネの奇蹟」

があります。

 

コルンゴルトの生涯に関しては、

「コルンゴルトとその時代」の中で綿密にレポートされており、特に小生が開拓できる部分は残っていないように思われます。ただ、ひとつ考えているのは、コルンゴルト家のルーツである、モラビアの中心都市「ブルノ」を軸にした考察です。

 

>(パターン2)「コルンゴルトの名前は知っているが、映画音楽を作曲した人でしょう? ちゃんとしたクラシックの作曲家じゃあないんじゃあないの?」

 

に関しては、プロコフィエフを引き合いに出し、「優れた作曲家でなければ、優れた映画音楽を作曲することはできない」ということを、声を大にして言いたいところです。

これは michael_oskar さんの 63 に対する返信です

 

ブルノとの関係とは.....

2001/ 3/27 20:04

メッセージ: 65 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

ブルノとの関係の御指摘、大変興味があります。 ブルノといえばモラヴィアの都市だったったはず。 コルンゴルトの音楽との関係にも影響があるのでしょうか?

 

例えば、ヤナーチェクあたりの音楽とつながる要素があるのでしょうか?  ちょっとだけでよいですから、「種明かし」をして下さい。

 

旧ハプスブルク帝国には多種の民族、文化が存在していましたが、これらが20世紀のオーストリアを中心とした音楽文化にどのような影響を与えたか、は重要なテーマでしょう。

 

そういえば、フランツ・シュミットのルーツもスロヴァキアあたりにあったと記憶していますが....... 

これは bernardsstar さんの 64 に対する返信です

 

コルンゴルトとブルノ

2001/ 3/28 5:58

メッセージ: 66 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

コルンゴルト家がブルノ(ドイツ語では、ブリュン)の出なので、コルンゴルトもブルノで生まれ、まもなくウィーンに移住しました。そのへんの経緯は、「コルンゴルトとその時代」にも記述されています。

下記のサイトはチェコ語で書かれたブルノの紹介記事ですが、ブルノの生んだ偉人の中に、コルンゴルドのほか大勢(日本人にも知られているのは、「マッハ数」で知られた物理学者、マッハ)おります。こういった観点から、今後ともコルンゴルトとブルノについて調べていきます。

http://www.bruenn.osc.de/tschech/gang.htm

 

フランツ・シュミットが生まれたのは現在のスロバキアの首都、ブラチスラバですが、この街は、オーストリア・ハンガリー帝国の領土だった時は、プレスブルクと呼ばれ、それ以前は、ハンガリー語でポジョニと呼ばれていました。フランツ・シュミットもコルンゴルトと同様、一家でウィーンに移住しました。

 

(追伸)

Composerというリンクをクリックし、「Korngold」を選ぶと、ショット社(亡命前のコルンゴルトの作品を出版した、マインツの音楽出版社のサイトにある、コルンゴルト作品目録が出てきます。

http://www.schott-music.com/rep_fr_e.htm

これは michael_oskar さんの 65 に対する返信です

 

お久しぶりです。

2001/ 3/28 13:09

メッセージ: 67 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近、フランツ・シュレーカーにはまっています。特に「あるオペラのための前奏曲」は気にいっています。オリジナルのオペラ「烙印を押された人々」のCDが、僕の家の近くの店にあったのに、僕が買う前に閉店しました。トホホ・・・・

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

コルンゴルトにはDie Kathrinという歌劇も

2001/ 3/28 21:36

メッセージ: 68 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

ありました。

 

この歌劇についての情報が、

http://www.britannica.com/magazine?ebsco_id=70242&pager.offset=40

にあります。

BBC響が録音したCDですが、

 

アンドレ・プレヴィン氏によると、

この歌劇の再演はかなり難しいことのようです。

これは bernardsstar さんの 64 に対する返信です

 

Die Gezeichneten

2001/ 3/28 21:54

メッセージ: 69 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

何ヶ月か前に、秋葉原の石丸電気に「烙印を押された人々」と、プフィッツナーの「ドイツ精神のために」のCDがあるのを発見しました。

 

何日か後に同じ店に行ってみたところ、もう売り切れていました。

 

渋谷のタワーレコードは、作曲家のアルファベット順にきちんとCDが整理され、CDを見つけるのが楽(シュレーカーの交響曲のCDは何枚か置いてあります)ですが、石丸電気には掘り出し物を発見する妙味がありますね。

 

ところで、ナチスが猛威をふるった時期、ユダヤ系の音楽家はみな辛酸をなめていますが、「コルンゴルトとその時代」の136ページによれば、

 

「最も悲劇的だったのはシュレーカーだ。1932年にベルリン音楽大学の学長を辞任させられたばかりだというのに、33年にはプロイセン芸術アカデミーの作曲科教授の職まで奪われ、34年、とうとう失意から来る心臓発作で亡くなってしまう。」

 

とのことです。

これは gur1zem2korn3 さんの 67 に対する返信です

 

シュレーカーの生前の評価

2001/ 3/29 2:49

メッセージ: 70 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

シュレーカーの生前の、ウィーンでの評価は大変高かったようですね。

 

「烙印を押された人々」と「宝堀り」はフランクフルトでの初演の次のシーズンに、ウィーン国立歌劇場でとりあげられていることが、高い評価を証明している、と思います。

 

シュレーカーの悲惨な死は、本当に同情いします。 絶滅収容所で殺されてしまうより、まだましかもしれませんが、それにしても歴史は彼に残酷だった!

 

戦後のドイツ、オーストリアの非ナチ化の時代になっても、時計はもう彼をおいて、先に行ってしまったような感じを受けます。  ですから、本格的に彼のルネサンスが始まったのは90年代からでしょう。

 

こうしていくつかの彼の曲を聴いてみた印象ですと、繊細で淡い色調の中に、どこともなく、悲しみと不安感が漂っているのが印象的です。  やはり彼の未来を暗示していたのでしょうか?

 

P.S. bernardsstarさんはチェコに大変関心がおありのようですね。

 

以下、とてもおもしろい本があります。 私の大推薦本です。

 

「私はどこから来たのか」--母と娘のユダヤ物語 --

ヘレン・エプスタイン著 河出書房新社

(Where She Came From --A Daughter's Search for Her Mother's Histry)

 

この本はズバリ、19世紀末から今世紀前半のチェコの歴史の本です。 この時代のボヘミア、モラヴィアのチェコ人、ユダヤ人、ドイツ人の関係もよく描かれています。 あるアメリカ在住の女性が、自分の祖母、母親のルーツを求めて、チェコで調査をした結果、多くの事実がわかってくるのです。 推理小説のような面白ささえ感じるところもあります。 チェコの中小都市と、首都プラハとの関係、ウィーンとの関係。 そこに織りなされる人間のドラマ!  

これは bernardsstar さんの 69 に対する返信です

 

Die Gezeichneten (2)

2001/ 3/31 10:33

メッセージ: 71 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

タワーレコード渋谷店に、

 

2種類のCD、(1)エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送響 (2)ザグロセック指揮 DSOベルリン

 

が在庫されてありました。

これは bernardsstar さんの 69 に対する返信です

 

コルンゴルト歌曲、室内楽集

2001/ 4/ 1 1:54

メッセージ: 72 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

昨日、コルンゴルトのCD(2枚組)を買いました。

 

RENDEZVOUS WITH KORNGOLD ---Songs & Chamber Music

Anne Sofie von Otter, Bengt Forsberg & Friends

 

です。 まだ聴いていませんが、中のleafletに、pianoを弾いている Bengt Forsberg が、Korngold in my heart を書いていますが、「ブルックナー、マーラー、 R.シュトラウスや新ウィーン楽派が好きだったり評価する人たちにとって、シュレーカー、ツェムリンスキー、フランツ・シュミット、コルンゴルトを同時に好きにならないことは考えにくい。」と言って」います。  本当に私もそう思います。

 

それにしてもDGレーベルでよく出たものですね、この2枚組みは!  「金のなる木(カラヤン/バーンスタイン?)」がなかったら、こんなCDは企画もされなかったかもしれません!(笑)

これは bernardsstar さんの 71 に対する返信です

 

母と娘のユダヤ物語

2001/ 4/ 1 8:17

メッセージ: 73 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

michael_oskarさま

 

「私はどこから来たのか―母と娘のユダヤ物語―(ヘレン・エプスタイン著)」を入手し、最初の100ページほどを読み終えました。

 

ツヴァイクの著作の引用に書かれてあること:「ヨーロッパやアメリカが今日、音楽、演劇、工芸において、新しく復活されたオーストリア文化の表現として賛美しているものすべての、大部分といわなくても相当部分は、ウィーンのユダヤ人によってつくられたものである」(p.66)と、ユダヤ人迫害の歴史が、この本を織り成す縦糸・横糸となっていますね。

 

細かい点には著者の誤解もあるようですが・・・例えば、25ページに、「(チェコでは) 1950年の初めになってもまだ国に残っていたさらにわずかのユダヤ人たちは、反ユダヤ政策を掲げたスターリニストたちによる裁判が続いたあと、完全に姿を消してしまった。」とありますが、「完全に」というのは間違いではないかと思います。なぜならば、第2次大戦後にチェコの著名な音楽家として活躍した人々の中に、ユダヤ人もいたからです。

 

あと、第2次大戦後にヘレンと再婚した、クルト・エプスタインの家系も気になるところですね。この本には、チェコで有名な水球選手であり、収容所を生きのびたことなどが記されてありますが、ヴィニャル著の「マーラー」(白水社)に拠れば、1875年(マーラーは14歳か15歳)に、ウィーン音楽院ピアノ教授ユーリウス・エプシュタイン(1832−1926)が、イラーヴァ(またの名を、イイフラヴァ、イグラフ)においてマーラーのピアノ演奏を聴き、彼のウィーン楽友協会への入学を許可することを決心することになるからです。(単なる姓の一致に過ぎないのかも知れませんが)

これは michael_oskar さんの 70 に対する返信です

 

コルンゴルト、シューベルト、ベーム

2001/ 4/ 1 11:30

メッセージ: 74 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

コルンゴルトの交響曲嬰ヘ調のCD(プレヴィン指揮LSO)を聴いていて、第2楽章の映画音楽「革命児ファレス」のテーマを転用した部分は、どこかで聴いたことがあるなあ、と考えてみた結論は、NHKの大河ドラマのテーマの一部として、某・日本人作曲家に真似されたのでは?ということになりました。

 

以前、フランス近代音楽のトピにも書いた、イベール「祝典序曲」の中間部から後半にかけて盛り上がっていく箇所も、夜10時台のドラマの背景音楽として、某・日本人作曲家に真似されたのでは?というような気がしています。

 

よく、コルンゴルトやラフマニノフの音楽が「ハリウッド的」と評されますが、彼らの良きウィーン音楽・ロシア音楽を真似したのがハリウッドの2流作曲家であり、さらにそれを真似たのが、日本の作曲家なのではないでしょうか?

 

そういった意味で隠れた名曲がどんどん発掘されてくると困る人もいると思います。(「ショスタコーヴィチの証言」の中に、ウィリアム・シューマンの交響曲をそっくりそのまま自作として発表し、バレてしまったソヴィエト時代の女流作曲家の話が出てきます)

 

ところで、

>金のなる木(カラヤン/バーンスタイン)

で思い浮かんだのですが、カール・ベームもDGの「金のなる木」でした。彼の晩年は(長岡鉄男氏の文章によると)馬鹿息子の俳優に貢ぐため、才能が枯れはててもドサ回りをするという悲劇でした。そして、日本では、どうしようもない彼の「ベト7」に対して「ブラボー」が捧げられるという喜劇が繰り広げられたのです。

 

でも、彼の若かりし頃の「ブラームス 交響曲1番」「シューベルト 大ハ長調交響曲(今は「8番」と呼んでいるようですが、「9番」と呼びたい!)」は、紛れもない名演です(ベームファンに言わせれば、他にもいっぱいあるでしょう)。

 

大ハ長調交響曲はかつて、この曲のみを収録したDGのLPを買ったわけですが、今は、「未完成」「ます」「軍隊行進曲」「楽興の時」とカップリングしたCD (UCCG3131/2)が出ています。このCDで、大ハ長調交響曲を聴いた感想は、第2楽章の断片がそっくりそのまま、フランツ・シュミットの交響曲第1番 第4楽章に使われているということでした。このことはシュミットの才能がないことを意味するのではなく、シュミットのシューベルトに対する尊敬の念を表していると思います。「大ハ長調交響曲」は決して過去の曲ではなく、「交響曲におけるロマンティシズム」の観点から未来に向けて規範としていくべき曲ではないかと考えております。

 

(追伸)ラフマニノフとコルンゴルトは、似通った境遇をもち、同じ時期にロサンゼルス、ビバリーヒルズに住んでいたのですが、彼らの間に交流があったという情報は今のところつかんでおりません。しかし、以下のサイトによると、共通の友人(Albrecht von Wallenstein)がいたそうで、今後とも調査をすすめてみます。

 

http://www.american-music.org/bulletn/Meckna.html

これは michael_oskar さんの 72 に対する返信です

 

「同化ユダヤ人」とオーストリア音楽

2001/ 4/ 1 23:01

メッセージ: 75 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

本トピのテーマを考えるにあたって、やっぱり「ユダヤ」というのが大きなキーワードになりますね。

 

「私はどこから....」の本では中心的なテーマなのですが、19世紀後半から社会的な意味での「市民権」を得たユダヤ人と、旧ハプスブルク帝国における文化(特に文学、哲学、音楽)との関係です。

 

その前に、ちょっとやっかいな問題を1つ。 

 

日本語で「ユダヤ人」というのと「ユダヤ系」というのとは、私たちはあんまり神経質でなく、かなり気軽に言っていますよね。 ここいらも、Jew というのとJewish American とは意味合いが違うのじゃあないか、ということにあんまりこだわらないわけです。 「ユダヤ」とはなんなのか、という定義に話が行けば、私には苦手なんです。

 

ともかく、世紀末から20世紀への文化でそれをとりわけ意識させられる国といったら、オーストリアとポーランドでしょう。

 

「私はどこから....」の本にもかなり触れられていたはずですが、「同化ユダヤ人」が文化、芸術に果たした役割は大きいわけで、たとえばある意味では、彼らは通常の「オーストリア人」以上に「オーストリア人」たらんとしたわけでしょう。

 

「ウィーン最後のワルツ」(新潮社)

Last Waltz in Vienna

by George Clare (1981)

 

という本など、私は何度か繰り返してめくっている本なのですが、面白い記述がありますね。 著者はヒトラーのウィーン入城の際にウィーンに在住していた同化ユダヤ人で、ウィーンに入ってきたドイツ国防軍を見て以下のように書いています。

 

「.......完璧な統制と堂々たる装備の誇示に、わたしは感銘を受けた。 兵士たちは長身で、若くて、ハンサムで、制服は整い、洗練されていた。 信じてもらえないかもしれないが、わたしはこの兵士たちの素晴らしさに息を呑んだし、彼らを誇りにさえ思ったのだった。 わたしは17歳のユダヤ人ではあったが、子供のころからオーストリア・ドイツ人としての教育や躾を受け、読んだものはすべてわたしのなかに深く染みこんでいたので、この均整のとれた若者たちが自分の敵だとは考えられなかった......」 

 

シェ−ンベルクなども、自分の十二音技法の確立が今後100年間(だったかな?)のドイツ音楽の優位性を確かなものにした、というようなことを言っており、そういうオーストリア(ドイツ)人である意識が強烈でしたね。  シュレーカーなんかはそのあたりはどうだったのか、興味深い問題といえましょう。

これは bernardsstar さんの 73 に対する返信です

 

 

   

「借用」のこと、べームのこと

2001/ 4/ 1 23:35

メッセージ: 76 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstarさんのおっしゃる某・日本人作曲家など皮肉に言えば、非常にやりかたが巧みなんでしょうね?  問い詰めれば、「借用した」というくらいは認めるかもしれないけれど、「盗用した」などとは決して言わないでしょう。

 

べームの息子が放蕩息子であったのは本当のようです。 いろんな女性と問題をおこし、慰謝料の支払いに追われていたとか。

どこまで父親が息子に助け舟を出したかまでは知りませんが。

 

私も彼の指揮の大ハ長調交響曲は素晴らしい、と思っています。 第2楽章や第3楽章の中間部など特にそうです。 フランツ・シュミットの第1交響曲について触れていらっしゃいますが、全体にいって私も、フランツ・シュミットのこの曲には、シューベルトへのオマージュが聴いてとれるのです。

 

P.S. コルンゴルトの本、まだアマゾンより届きません。 気長に待つつもりです。

これは bernardsstar さんの 74 に対する返信です

 

フィレンツェの悲劇

2001/ 4/ 4 12:48

メッセージ: 77 / 1465

 

投稿者: gur1zem2korn3

 

を昨日買いました。これは僕にとって2種類目でしたが、聞いた感じで総合的にみると、2種類目のコンロン盤より、最初のシャイ―盤のほうがいいと思います。

 

シャイ―盤は、コンセルトへボウが、ツェムリンスキー特有の繊細で幅のある音楽を見事に表現してるし、どの歌手も迫真のある歌唱をしています。また、グイ―ド役をコンロン盤のデビット・クイブラーに変えれば、まさに理想的な歌手陣になったでしょう。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ムカァ〜!!

2001/ 4/ 5 7:40

メッセージ: 78 / 1465

 

投稿者: MasahideYoshida (34歳/男性/海のそば、もうたぶ?)

 

>日本では、どうしようもない彼の「ベト7」に対して「ブラボー」が捧げられるという喜劇が繰り広げられたのです。

 

あの演奏は、本当にすごい演奏だったと思いますけど! あのときのライヴ録音、今聞き直しても、重量感のある、他の指揮者では真似のできない演奏だと思います。もちろん、アンサンブルがほころびてるところもあるかと思いますが、晩年のベームならではのものだと思ってるんですが。僕はDGのスタジオ録音なんかより好きです!

 

本筋から離れましたけど。

これは bernardsstar さんの 74 に対する返信です

 

Re:ムカァ〜!!

2001/ 4/ 5 12:50

メッセージ: 79 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

トピ主です。

 

最近、多くの方々から投稿をいただき、感謝感激です。

 

熱烈なベームファンの方からお叱りを受けることも十分に予期しておりました。

 

私自身は、「どうしようもない」演奏のように感じたんですけども。あの、大拍手から想像すると、熱烈支持の方も多いのでしょうね。

 

これからも、よろしくお願い申し上げます。

 

(かの「ベト7」を抜きにすれば、小生はベームの演奏を高く評価しております。)

これは MasahideYoshida さんの 78 に対する返信です

 

ウィーン音楽の4度

2001/ 4/ 5 12:57

メッセージ: 80 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

コルンゴルト「交響曲」の第1楽章提示部のおわりにフルートなどが4度の進行を示し、第4楽章でも、この4度が復活します。

第4楽章の主テーマの諧謔的な進行にも、4度が多用されています。

 

この進行は、シューベルト「交響曲第3番(悲劇的)」の最終楽章にも似ており、

 

さらに、マーラーが交響曲1番などでカッコウのさえずりの表現に3度ではなく、4度を使用したことも考えあわせると、ウィーン音楽の「4度趣味」が明らかになると思います。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

コルンゴルトの管弦楽曲

2001/ 4/ 5 21:36

メッセージ: 81 / 1465

 

投稿者: Hakodateyama_1013

 

皆様、こんにちは。

昨日、本日とコルンゴルトの管弦楽曲を聴いております。

私、あまり抽象的な音楽は聴けないので、もっと耳に優しい曲を紹介させていただきます。

シンフォニエッタ、赤ちゃんのセレナード、シュトラウシアーナ等はいかがでしょう。そうそう、交響的セレナードも聴きやすいですね。

やはり、コルンゴルトの入門はVn協奏曲でしょうね。

コルンゴルトで、いきなり交響曲を聴いたら、コルンゴルトをこれから聴いて行こうと思う方にはいささか肩の荷が重いような気も致します。

上記、Vn協奏曲以外は、cpoレーベルのコルンゴルト管弦楽曲集で入手できます。皆様、よろしければ聴いて見てください。

 

ところで、件の交響曲なのですが、第1楽章を聴いていたところ、バーバーの第1交響曲と良く似たパッセージに出くわしました。コルンゴルトとバーバーにはなにか関係があるのでしょうか?

これは michael_oskar さんの 62 に対する返信です

 

 

   

RE) コルンゴルトの管弦楽曲

2001/ 4/ 5 21:55

メッセージ: 82 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

Hakodateyama 1013さん、 こんにちは!

 

そうですね。コルンゴルト入門には、交響曲はあんまり向いていないかもしれませんね!でも私が変な演奏比較なんかやったのは、そうでもしないとみんなが関心をもってくれないんじゃあないか、という気持ちだったのです。なにしろ昨今は、未知の作曲家の曲を聴こう、というよりは、ブラームスやブルックナーやマーラーの曲で何枚もCDを買って、いろいろな指揮者の品定めをする、というのが傾向ですから、「演奏聴き比べ」とでも書いて投稿しておけば、誰かが興味を持ってくれるんじゃあないか、という淡い希望であえて交響曲にしたのです。 (そう言っておいて、私もブルックナーやフルトヴェングラーのトピで誘惑に負けて、演奏比較なんかやっちゃいましたが.......)

 

それからバーバーとの関係ですが、これはもうトピ主さんのbernardsstarさんに一言お願いするしかないのではないでしょうか?

 

bernardsstarさん、どんなもんでしょうか? なにか関係があるのでしょうか?

これは Hakodateyama_1013 さんの 81 に対する返信です

 

バーバーの交響曲

2001/ 4/ 5 22:34

メッセージ: 83 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

バーバーの交響曲は、1935年から36年にかけて作曲され、42年に改訂されておりますので、バーバーの交響曲がコルンゴルトの交響曲(1949−52)を真似ているということは考えられないことではあります。(その逆の可能性には検証が必要です)

 

ただ、バーバーの創造力には若干疑問符もついているようで、

Joan Peyser著「バーンスタイン」(Ballantine Books 1988)の338ページに依れば、レナード・バーンスタインは、サミュエル・バーバーが作曲中のオーケストラ曲の動機(D、B、F#、G)が「ダフニスとクロエ」と同じだと、バーバーに対して指摘し、彼をがっかりさせ、その曲の作曲を破棄させたとのことです。 

 

バーバーとコルンゴルトの親近性は興味深いテーマですので、継続してサーチしてみます(今日はこのぐらいでご勘弁を!)

これは michael_oskar さんの 82 に対する返信です

 

No.80の訂正

2001/ 4/ 5 23:53

メッセージ: 84 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

シューベルトの「悲劇的」は「第4番」です。

m(_ _)m

 

「諧謔的な進行」に関しても、「嬉遊的な」と表現したほうが、ベターですね。

これは bernardsstar さんの 80 に対する返信です

 

再び、バーバー

2001/ 4/ 6 23:58

メッセージ: 85 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

コルンゴルトがアメリカで作曲した曲を「ウィーン音楽」の範疇で議論するのは特に問題にはならないと思いますが、バーバーの作風は、ピストンを思わせる米国風(交響曲1番)と、ヴォーン=ウィリアムズ的・北方風(交響曲2番)が基底を成しており、ウィーンとはちょっとかけ離れた世界と思えます。

 

交響曲1番は単一楽章ながら、4つの部分から成っており、第1部(アレグロ)と、第2部(ヴィヴァーチェ)とを区切る力強い音型は、確かに、コルンゴルトの交響曲の中でも聞こえていたような気がします。

ただ、それ以外では、バーバー、コルンゴルトの交響曲に共通性は見出せませんでした。

 

バーバーの音楽はイタリア仕込みの美しい和声、旋律美に特色がありますが、いかんせん、構成に弱さがあります。その点、コルンゴルトは自分の交響曲に対して、それなりにしっかりした骨格を与えているような気がします。

 

バーバーの交響曲2番を例に挙げれば、第2楽章(アンダンテ)の静謐な美しさは絶品ながら、全3楽章を通して、何を言いたいのかはっきりしません。作曲者が第2次大戦中に空軍に従軍して得た体験が音楽にどのように現れているのかも、よくわかりません。

 

その点、ヤルヴィ&デトロイト響のCDに2つの交響曲とともに収録されていた、序曲「悪口学校」と、「弦楽のためのアダージョ」は、曲にまとまりがありました。「悪口学校」は、N響定演で聴いて以来、久方ぶりに聴きましたが、デトロイト響の乾いた弦の響きで聴くと、その良さが引き立つようです。

 

それにしても、バーバーは、「苦労人」の生涯を送ったようで、バーンスタインにけなされたことは既に書きましたが、「弦楽のためのアダージョ」のもととなった「弦楽四重奏曲(作品11)」は、最初、トスカニーニから楽譜をつき返されました。

 

バーバーの不遇を決定的にしたのは、三浦淳史氏(音楽芸術 1981年4号)によれば、1966年に初演された歌劇「アントニーとクレオパトラ」の大失敗だったとのことです。バーバーの死(1981年)に際して、音楽評論家、バーナード・レヴィン氏は以下のコラム記事を書きました。

 

「建国いらい2世紀の間に、合衆国が第1級あるいは第2級の作曲家を1人も生むことがなくわずか第3級のオンリーワン(コープランド)しかいない理由はなんだろう?」(「音楽芸術」の記事より引用)

 

でも、アン・アキコ・マイヤーズの名を一気に高めた、バーバーの「ヴァイオリン協奏曲」を聴くと、ちょっと、言いすぎのような気もします。

 

米国音楽の中にウィーン風の味わいを導入したコルンゴルトと、北方風・イタリア風のバーバーを対比させながら、今後も(米国のクラシック音楽というものを)考えていきたいと思っております。

これは michael_oskar さんの 82 に対する返信です

 

   

痛快な表現

2001/ 4/ 7 1:05

メッセージ: 86 / 1465

 

投稿者: michael_oskar (男性/横浜市中区)

 

bernardsstar 様

 

やっと昨日(6日)、アマゾンより「コルンゴルトとその時代」届きました。 まだ本格的に読み始めていませんが、パラパラとめくってみたら、以下の記載ありました。

 

「第2次世界大戦後の冷戦構造は、音楽の世界にも厳しいイデオロギー対立を持ち込んだ。それがセリエリスムを中心とする前衛の嵐である。 これは、現代の作曲家に伝統的な音楽を書くことを許さない偏狭で激しいものであり、音楽におけるマッカーシズムにも例えられよう。」

 

マッカーシズムとは痛快な表現だと思いました。

 

p.s. バーバーの件、よくお調べいただき大変感謝いたします。  なるほど、異質な要素のほうが強いようですね。 Samuel という名前から、彼もユダヤ系なんじゃないか、と思いますが、そういうことで単純にコルンゴルトとの音楽的な共通性はないようで、これはむしろ育った文化的環境の違いに収斂されるようですね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

 

   

どうもありがとうございました

2001/ 4/ 7 6:49

メッセージ: 87 / 1465

 

投稿者: Hakodateyama_1013

 

bernardsstarさん、こんにちは。

バーバーの件は、どうもありがとうございました。他曲の空耳(他人の空似)だったわけですね。どうもご面倒をおかけ致しました。

「コルンゴルトとその時代」の著者の早崎さんとは、ネット上でお話をする機会がありました。コルンゴルトのCDの推薦盤についてお伺いしたのですが、流石に詳しくご存知でした。

私は、Vn協奏曲のお薦めに関して質問させていただいたわけですが、ハイフェッツ、パールマン、シャハムの中から選べばよろしいとのことでしたね。

 

コルンゴルトが一段落したら次は、レーガーについてお話を伺えたらなと思います。CDは結構発売されているのに、聴いている人が居るのかな?という作曲家の代表的な人ですので。

でもレーガーは余りウィーンとは関係無い人ですね。ちょっと残念。もし話題に登ることがあったら私も参加させていただきたく思います。

これは bernardsstar さんの 85 に対する返信です

 

サミュエル

2001/ 4/ 7 11:55

メッセージ: 88 / 1465

 

投稿者: bernardsstar

 

サミュエル・バーバーは、1910年にウェストチェスター(ペンシルベニア州)で生まれましたが、彼の祖先に関する情報は、まだ入手しておりません。

 

ユダヤ系、ユダヤ人を姓名から研究することには多くの困難が伴います。それは、結婚や自発的な理由に伴う改名があり、また、ユダヤ人そのものの定義にあいまいなところがあるからです。下記の参考文献にも、「クライン」を巡って意見の相違があります(「マイケル」が全員ユダヤ系であるとも思えません)。また、外見を一見金髪に繕っている非金髪白人の米国人もおり、外見による判断にも困難がつきまといます。

 

チャールズ・ブロンソンはユダヤ系ではないと思いますが、改名の例として挙げました。

 

・河出書房新社 「私はどこから来たのか ― 母と娘のユダヤ物語 ― 」(44、45ページ)(ご紹介いただいた本)より

“1788 年に、ヨーゼフ帝の「改名法」に従って、(中略)「ディアマント」(ダイアモンド)、「モルゲンシュテルン」(明けの明星)(中略)「ツィンメルマン」(大工)、「カウフマン」(商人)などなど。(中略)役人たちから腹いせに「クライン」(ちび)、「グロス」(巨大漢)、(中略)などの姓を強制された、”

 

・弘文堂 「アメリカの民族 ルツボからサラダボウルへ」(綾部恒雄 編)(51、52、214、215ページ)より

“「ハーパー」と「クライン」という、明らかにアングロサクソンの名”

“現在においても、多くのアメリカ人女性の間でブロンドへの染髪、目の色を青くするコンタクトレンズ、二重まぶたの整形手術などが広く行われているのは、アングロサクソン系の美の観念が支配的であることを反映するものである。”

“エイブラハム、ジェイコブ、ジョン、ジェイムズ、ジョゼフ、アイザック、ダニエル、サミュエル、ルース、マイケル、エリザベスなどの名前もユダヤ系である。

 

・インターネット情報より

映画俳優 チャールズ・ブロンソンは、父:ロシア系、母:リトアニア系。

もともとは、チャールズ・デニス・ブンチンスキーという名だったが、

チャールズ・ブロンソンに改名。

 

(追伸)

(1)バーバーの「ヴァイオリン協奏曲」を解説しているサイトを、紹介申し上げます。

http://www.ne.jp/asahi/orchestra.tachikawa/love.music/BarberVn.html

(2)コルンゴルトの「交響曲」第4楽章の主題によく似ているのは、シューベルト「交響曲3番」の終楽章・第1主題で、この主題の出だしは「5度」の進行でした。でも、ウィーン音楽の「4度趣味(選好)」という仮説を捨てきれず、小生、しばらく探求してみるつもりです。

これは michael_oskar さんの 86 に対する返信です