クラクフのKazimierz地区(少々休憩)

2002/ 5/28 1:05

メッセージ: 508 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

bernardsstar さま

 

ハウアーの音楽についてはちょっと休憩することにいたします。

さて、今年のカンヌ映画祭でMessage476で紹介させていただいた「ザ・ピアニスト」という映画が最高賞(la Palme d'or)を受賞したようですね。以下は28日付けのフィガロ紙の記事です。

http://www.lefigaro.fr/culture/20020527.FIG0142.html

ポランスキー監督の作品はワルシャワゲットーを描いても、やはりワイダ作品に少々欠けている、いい意味での娯楽性があるのでしょうね。この時代のポーランド関連の映画では、例のスピルバーグ監督の「シントラーのリスト」がありましたね。しかし私はこの「シントラーのリスト」という映画には少々抵抗がありました。まあ、映画のトピではありませんので、この映画について述べるのはやめておきます。ただ、この「シントラーのリスト」が撮影された場所、すなわちポーランドのクラクフ(Krakow)のカジミエシュ(Kazimierz)地区については触れておきたいと思います。

 

この地区は戦前は多くのユダヤ人が居住していましたが、例のナチスドイツのユダヤ人移送政策のためにアウシュヴィッツ絶滅収容所に送られましたね。ところが、蜂起のあったためにドイツ軍に徹底的に破壊されたワルシャワと異なり、この地区には昔ながらの建物が多く残存しており、スピルバーグが、ここを撮影の場所に選んだもの当然だと思われます。地図で示しますと以下です。

http://www.ibiblio.org/yiddish/Places/Krakow/kazimir.html

私もこのカジミエシュ地区には、かなりのこだわりがあり、社会主義時代から最近に至るまで数回ここを探索しています。以下に個人の方のHPがありますので、写真をご参照下さい。

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz01.html

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz05.html

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz03.html

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz04.html

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz07.html

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz06.html

化粧品で、Helena Rubenstein というブランドがありますが、その彼女の生家(らしきもの)すら現存しています。以下です。

http://www.scrapbookpages.com/Poland/Kazimierz/Kazimierz02.html

このトピを御覧の皆様で、クラクフを訪問される方がいらっしゃったら、是非このカジミエシュ地区散策を忘れずに、とお薦めいたしたいところです。

クラクフの路面電車も、けっこう近代的なものが運行されていますね。

http://www.komunikacja.krakow.pl/

 

東欧のユダヤ人に興味のある方は、以下にチェコ、ポーランド、ウクライナの関連サイトリンク先を紹介いたしておきます。

http://www.isjm.org/Links/czech.htm

http://www.isjm.org/country/poland.htm

http://www.isjm.org/Links/ukraine.htm

 

さて、数日しましたらまたハウアーの件を先に続けたいと存じます。その時までまた!

これは bernardsstar さんの 506 に対する返信です

 

クラクフ

2002/ 5/28 21:41

メッセージ: 509 / 1474

投稿者: bernardsstar

 

ポーランドの旧ハプスブルグ領の中心都市がクラクフですね!ユダヤ研究の面でも欠かせない場所です。

 

ご紹介いただいた交通局(電車、バス)のサイトは以前に見たことがあります。

クラクフ紹介のHPとして、

http://www.krakow.pl/

 

があり、このページの「fotogaleria」をクリックすると、最近の市内でのイベントの様子を写真で見ることができます。

 

小生、ポーランド映画には詳しくありません。

 

ウクライナ国境にあるポーランドの小都市プシェミスウは、ユダヤ人歌手ザビネ・カルター(コルンゴルトの歌劇にも出演)の生まれた街として興味をもっています。

これは la_vera_storia さんの 508 に対する返信です

 

Re:ハウアー、ツェラーン、ルジツカ

2002/ 5/28 21:45

メッセージ: 510 / 1474

投稿者: bernardsstar

 

この3人にこんな相関関係があろうとは!ご教示いただきありがとうございます。

 

ツァグローセクが指揮した「退廃音楽」のCDって結構出ていてレベルが高いですね!この人はドイツ生まれのドイツ人ですが、「ザ・グロシェック」からみて、先祖はチェコ系ではないかと想像しています(未確認)。

これは gur1zem2korn3 さんの 507 に対する返信です

 

ハウアーのデスマスク、MP3 etc.

2002/ 6/ 1 16:30

メッセージ: 511 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

ここ数日、公私とも多忙を極めていますので、ハウアーについての続投稿ができずにいます。一応、つなぎの意味で、ハウアーに関する興味深いwebページを御紹介しておきます。

 

以下はハウアーのデスマスクです。

http://www.stadtmuseum.wrn.at/objekte/stadt278.html

 

以下は、ハウアーのコード自動生成メカニズムについての個人の方のHPです。(内容は少々物足りない....)

 

以下は、私が「空中浮遊」(1)で話題に出したCDについて、感想を述べていられる個人の方のHPです。

http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/2001-4/2001100601.htm

 

理屈はともあれ、ハウアーを聴いてみたいという方のためには以下のサイトがいいですね。このページを開いていただいたあと、Unterschiede のところから、上から2つ目の Zwoelftonespieltechnik の Josef Matthias Hauer のところのHoerbeispiel をクリックして下さい。大変に美しい音楽が聴けます。ちなみにその上のシェーンベルク(幻想曲)と比較してみるのもおもしろいでしょう。まさに「違い」というのが実感できます。

http://www.musiker.at/sengstschmidjohann/twelvetoneschools.php3

(ただ、ここのシェーンベルクの曲というのは大傑作ですので、比較されるハウアーにはつらいところでしょうね!)

 

ではまた!

これは la_vera_storia さんの 501 に対する返信です

 

ハウアーのコード自動生成メカURL追加

2002/ 6/ 1 16:36

メッセージ: 512 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

さきほどの投稿で、ハウアーのコード自動生成メカニズムについての個人の方のHPアドレスを貼り付けるのを忘れていました。申し訳ありません。以下です。

http://www.asahi-net.or.jp/~HB9T-KTD/music/mus93j.html

これは la_vera_storia さんの 511 に対する返信です

 

Re:ハウアー

2002/ 6/ 1 18:46

メッセージ: 513 / 1474

投稿者: bernardsstar

 

la_vera_storiaさま。

 

小生も多忙さから中々抜けきれません。来週半ばから約1週間、海外出張も予定されていまして・・・

 

ハウアーとシェーンベルクの音源、興味深く聴かさせていただきました。ついでながら、シュタインバウアーの金管ファンファーレも中々良かった。

 

「神の意志にゆだねた12音音楽(サイコロ)」の妥当性については深く検討してみる必要がありますが、不協和音については、小生の最近の体験によりますと、不協和音は音楽の表現をするうえで不可欠です。それは、頭にうかんだ調性音楽と思われる旋律を記譜しようとしたら、12の音では表現しきれなかったからです。平均律は幅広い音楽の世界の一断面を表現しているにすぎません。その小生の脳裏にあらわれた旋律が4半音で表現できるのかも定かではありませんが、ある2つの音(不協和音)を鳴らしてみたら、イメージにかなり近くなったので、平均律で調律されているピアノ(や作曲ソフト)で、そのイメージを表現しようとするとき、唯一の解決策が不協和音になるのかと思いました。

これは la_vera_storia さんの 512 に対する返信です

 

僕の「世紀末・初頭人物評伝」読書状況

2002/ 6/ 2 7:02

メッセージ: 514 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近、ここのトピに関連する人物の伝記を読むことが多いですが、現在岩波新書緑版(親から借りましたが)の「ロマン・ロラン」を読んでいます。彼がリヒャルト・シュトラウスと親交があったのは知っていましたが、グルリットに興味がある僕にとって、ロランがフランス革命劇8つを書いていたのには驚きました。

 

今まで読んだ「世紀末・初頭人物評伝」は

 

大作曲家シリーズ リヒャルト・シュトラウス 音楽の友社

岩波新書 グスタフ・マーラー

中公新書 シュテファン・ツヴァイク

みすず書房 コルンゴルトとその時代

です。

 

次はプフィッツナーのや、みすず書房のブゾーニ論か、アドルノ−クルシェネク往復書簡を読もうと思います。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

   

J.M.ハウアーと「空中浮遊」 (4)

2002/ 6/ 5 3:03

メッセージ: 515 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

純粋器楽作品ではなく、舞台作品においてのハウアーについて、歌劇「サランボー」(Salambo-1929年作曲)を例にとって話を進めたいと思います。とはいっても、この作品は初演(1930年)では演奏会形式で行なわれ(クレンペラ−指揮)、しかも部分的にしか演奏されなかったようですし、そしてその後長い期間を経ての1983年の全曲上演も、やはり演奏会形式であり、舞台での上演がその後あったか否かも未確認です。

 

さて、この作品のCDで発売されているのは、この1983年の完全演奏の際の録音ですので、とりあえずここに紹介させていただくこととします。以下のページでは、実際にこの作品の一部が音で聴けますので、是非お試しになってみて下さい。

http://www.jpc.de/jpcdb/frames/jpcset.html?hnum=8734495&iampartner=pdm&maktion=a rtikel&msparte=klassik&language=de

ちなみに、演奏者、配役は以下のようになっています。

http://www.operissimo.com/operas/display.dxa?opera=0b3fc8738000638b

 

さて、この「サランボー」という作品ですが、確かにテキスト原作はフランスの小説家ギュスターヴ・フローベールです。(この作家については以下URLを参照下さい。また、フランスのルアン大学のHPも充実しています)この小説で描かれている時代は、何度かのポエニ戦争時代の、古代カルタゴです。

http://webperso.easyconnect.fr/almeida/html/flaubert2.htm

http://www.univ-rouen.fr/flaubert/

しかし、フランス文学からテキストを採った云々ということは確かに事実ですが、私に言わせればそれは上っ面の話であり、もっとハウアー作品を内容的に内側から探っていくと、フランス文学云々はあまり意味を持ちません。ではなぜ表面的だと言えるのか? そのことに触れるためには、この「サランボー」という作品の舞台になっている史実としてのカルタゴ(現在のチュニジアがある場所)、フローベールが作品で描いたカルタゴ、ハウアー作品におけるカルタゴ、この3つの相違点etcを「宗教観」というものをキーワードにして、少々つっこみたいと存じます。私の意見では、案外この視点に、ハウアーという作曲家を解くカギ(ハウアーに流れるウィーン世紀末の残照)があるのではないか、と考え始めているところです。以下は次回に.....

 

*フローベールの小説「サランボ」は、以下のフランス語原文を参照して下さい。

http://abu.cnam.fr/cgi-bin/donner_html?salammb1

以下は、短縮英訳版です。

http://www.classicbookshelf.com/library/gustave_flaubert/salammbo/

*カルタゴについての基本的知識には、

http://i-cias.com/e.o/carthage.htm

以下は、チュニジア観光案内

http://i-cias.com/tunisia/carthage.htm

http://www.tourismtunisia.com/togo/carthage/carthage.html

(次投稿に続く....)

これは la_vera_storia さんの 505 に対する返信です

 

このトピ関連小話1

2002/ 6/ 7 8:45

メッセージ: 517 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

W杯の日本−ベルギー戦の翌日の朝日新聞に、ベルギーのオステンドで、日本とベルギーの子供たちが仲良く行事を行っている写真がありましたが、オステンド(デ)というところは、長木先生の「第三帝国と音楽家たち」によれば、同時代作品上演を多く行った、ライプチヒの指揮者グスタフ・ブレッヒャ−がユダヤ人であるがゆえに、逃避行をしたあげく、妻と共に自害したところですね。

ライプチヒ時代には、「ジョニ−は演奏する」を初演していますね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

記事は

2002/ 6/ 7 10:12

メッセージ: 518 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

6月5日の夕刊の10面に載っていました。

これは gur1zem2korn3 さんの 517 に対する返信です

 

アップ

2002/ 6/12 9:35

メッセージ: 519 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

今年3月に初めてヒュ−ゴー・ヴォルフの歌曲を聞いて、リートの世界にさらに惹かれました。今、ロマン・ロランの本を読んでいますが、彼はヒュ−ゴー・ヴォルフの評伝を書いています。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Toblachと、死にひた走るマーラーetc.

2002/ 6/17 1:10

メッセージ: 520 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

マーラーは1908年から10年にかけての夏は、Toblach(Tobbiaco)に滞在していますが、以下にToblachの観光協会のページを御紹介しておきます。

http://www.drei-zinnen.com/

このサイトを入っていくと、マーラーのこともしっかりと紹介されていますね。

http://www.drei-zinnen.com/de/right/gustav_mahler_toblach_dobbiaco.htm

それにしても、この山々の風景には独特なものがありますね。

http://www.drei-zinnen.com/de/ambience/protrait_toblach_dobbiaco.htm

人によっては、ここの風景が「大地の歌」とか第9交響曲に影を落としているということを言う人がいますが、そう言われてみるとわからないでもないですね。うまく言えませんけれども.....。

http://www.difar.com/index.php?url=form.seriedisplay?=de&f_firmaid=2&f_album id=15&f_projektid=16&f_serieid=74

 

マーラーが滞在した場所は現在は Gustav Mahler Stube となっているようですね。

http://www.gustav-mahler-stube.dobbiaco.it/

彼が使用した部屋とか、cottageの写真があります。

http://www.gustav-mahler-stube.dobbiaco.it/en/e_gustav_mahler.htm

もともとこのToblachは夏の保養地として有名だったようですが、あきらかにシュタインバッハなどとは風景が大違いです。なにか、死に向かってひた走っていくマーラーが、ここの風景に惹かれたとしても不思議ではないように思います。

 

***********************************************************

さて、J.M.ハウアーについての研究ですが、少々停滞いたしております。ハウアーの歌劇「サランボ−」は、根本的なところで原作のフローベールの小説とは異質なのですが、そこいらあたりをちょっと調べているうちに時間が経ってしまいました。この「原作の世界との根本的相違」という点に注目しています。ハウアー作品にあっては、オリエンタリズムが希薄(というか、存在しない)であることは、あの時代にあってどういうことを意味するのか、なぜハウアーはフローベール作品をオペラ化しようとしたのか、などなど....。

 

とりあえず私のハウアーシリーズの予告として、以下のページに眼を通していただければ幸いです。

まず「オリエンタリズム」に関する、ある個人の方のまとめ。(こっそりと無断で紹介させてもらいます。ゴメンナサイ!)

http://www.geidai.ac.jp/labs/funazemi/2001pro.files/orientarism.htm

それから、フローベールの小説「サランボ−」でセンセーショナルに描かれたカルタゴにおける宗教儀式のこと。

http://pweb.sophia.ac.jp/~k-toyota/report_north_africa_1.html

http://pweb.sophia.ac.jp/~k-toyota/report_north_africa_3.html

それと比較してのハウアー作品の内容などを下敷きにして、ハウアーという人に迫ってみるのもおもしろいと思います。ハウアーというとすぐ、あの12音技法の話になりますが、私はまったく別のアプローチをしてみたいと思います。

ではまた!

これは bernardsstar さんの 490 に対する返信です

 

>Toblachと、死にひた走るマーラーetc

2002/ 6/17 4:23

メッセージ: 521 / 1474

投稿者: SPINATPOLKA2 (女性/オーストリー)

 

はじめまして。このトピには初めて投稿します。

 

このトピでマーラーとそのゆかりの地のことを知りました。

Toblachとその付近、ドロミテ地区はその異様な景色にひかれ、何度も訪れました。太陽の当たる場所によって顔を変えるドロミテの山々、その形といい、特に夕日に赤く映えるその雄大な景色は息をのむ美しさです。

その風景とマーラーの作品、また「死にひた走るマーラー」というタイトルがまさに納得いくように思えて、書き込みをしています。

 

シュタインバッハ…つい先日も通ったばかりです。初夏の緑とアッター湖のコバルトブルーが眩しいばかりでした。

去年もシュタインバッハの教会に演奏に行ったりしましたが、マーラーのことはla_vera_storiaさんの文を拝見するまで知りませんでした。(はるばる日本からその街にいらっしゃった方から観たら、何てこと!と思われることでしょう)

 

その時のGasthausでの一件を読んだ時、皆が不審な態度をしたのは、単に私と同じく”知らなかった”だけのことではないかとすぐ思いました。多分、マーラーというのを「ペンキ屋さん」と勘違いして、コソコソとやったのではないかというのが私の憶測ですが…。知っているけれど口に出さないなどというのは、とうてい考えられないからです。

 

私自身はブラームスやベートーヴェンの痕跡など、むきになって訪れたりするので、近くまで行って土地の住民が「知らない」等というと”全くもったいないな”と思いながらも、そういう事に興味ある自分のほうが特殊なのかも知れないな、と思ったりします。この国の人たち皆が、この国に生きた偉大な音楽家達に興味がある訳ではありませんし、むしろ少ないかもしれませんね。

 

音楽の内容とはかけ離れたレスで失礼いたしました。

これは la_vera_storia さんの 520 に対する返信です

 

ツェムリンスキーの「ザレマ」

2002/ 6/20 20:59

メッセージ: 523 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

のCDを昨日買いました。コッホ・シュヴァンからリリースされた輸入盤です。これは、彼の最初のオペラですが、前奏曲はブラームス的、オペラでの半ばではオーケストラ部分はヴェルディ風にも聞こえました。また、合唱部分はワーグナー的にも思えました。ツェムリンスキー関連書によれば、このころブラームス派からの離脱を考えていないようですが、のちの彼の曲に見られるような、独特の色彩的なオーケストレーションがあるけれども、全体としてまだ抜けきれていなかったのではという印象です。

指揮はイシュトヴァン・デーネス

演奏はトリーア市立歌劇場管弦楽団・合唱団です。

演奏・歌唱自体は、オケはやや硬めでしたが、とてもいい感じでした。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ウィーンのカフェでの追憶

2002/ 6/21 0:18

メッセージ: 524 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

bernardsstar さま

 

御無事の帰国でなによりでした。

私のハウアー研究も、少々停滞いたしており、なかなか投稿ができません。当初考えていたことと違う方向の内容になりそうで、なかなかもって難物な作曲家なのかもしれません。(少々甘かったかな、などとも思う次第です)

 

ちょっと気分転換の目的で、別カテに行きましたところ、ウィーンのカフェ談義、品定めというような話題になっていましたので若干の書き込みをしてきました。私の好きなカフェについて紹介しましたところ、私の書き込みを読んでそこに実際に行かれた方がいらっしゃいましたが、大変に失望された御様子で、私ももうなんと言っていいのやら.....というところです。やっぱり、各自の興味とか、そういうものが違いますから、まあいたしかたないのかもしれませんけれどね。ウィーンというところは、過去の栄光の芸術文化と、そして現在の観光地としての側面と、この2つの要素があまりに安易にダイレクトに結びついてしまいがちであるためか、日本人には大人気の旅行目的都市になっていますね。そういう「観光地ウィーン」というイメージの中で、したたかに人気を維持する有名カフェもあれば、そうでないところもあります......。

 

実際に行かれた方には、以下のような返事をしておきました。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834687&tid=adsa5a6a5a3a1b ca5sa4na4aaa49a49a4aa59a5dda5ca5ha4oa1a9&sid=1834687&mid=681

 

アメリカでの御滞在で、なにか音楽ネタになるような話がありましたら、是非聞かせて下さい。

 

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

コープランドのマーラー評

2002/ 6/22 7:51

メッセージ: 525 / 1474

投稿者: bernardsstar

 

帰国後もなかなか自由時間が取れないです・・・

アトランタ近郊の本屋で、コープランド著の「What to Listen for in music」という本(MENTOR。6.99ドル)を買いました。この本の中で、コープランドは、マーラーの第2、8交響曲、および全9曲(番号付き完成版交響曲)に対するコメントを行っています。

 

第2、8交響曲に関しては、「交響曲の規模を拡大し、ベートーヴェンを受け継いで交響曲に合唱を取り入れた」という月並みな評価。一方、全9曲のもつ「価値」に関しては、

 

「Mahler has been bitterly attacked as a poseur, as having been hopelessly misled in his pretensions. But if one can pick and choose among the separate movements of his nine symphonies, I for one am certain that his eventual position will be equivalent to that of Berlioz. At any rate, we can find the derivation of new contrapuntal textures and new orchestral colors in his work, without which the modern symphony would be inconceivable.」

 

と述べていて、「気取り屋・見せかけ」という点で攻撃を受けてきたマーラー(コープランドがこの本を著わした当時(1953年))に対して、「ベルリオーズ的だと確信させる楽章もあるものの、マーラーの新しい対位法テクスチュアや新しいオーケストラの音色は、それがなくては現代の交響曲というものを想像することもできないものである。」と、好意的な評価を行っています。

 

なお、アトランタよりもシカゴ、ボストン、ニューヨーク周辺のほうが、クラシック音楽研究に好適なことは言うまでもありません。アトランタ周辺は穏やかな起伏の緑地が延々と続く場所(山中湖の近くの高速道路を走るときの情景に似ています)で不思議なことに耕地を見かけません。(まだ行っていませんが、)アパラチア山脈のほうにドライブに行くのはきっとさらに楽しい体験になるものと思われます。アトランタ市街のグラント公園には、パンダが売り物の動物園と「サイクロラマ」という南北戦争歴史資料館があります。「サイクロラマ」は、360度のパノラマ画(アトランタが南北戦争の戦場となった時期の超写実的な描写)を軸回転する観客席から鑑賞するものです。解説の女性は「こういったパノラマ画は19世紀にははやっていた」と言っていましたが、これは恐らく、シンケルなどのパノラマ画のことを指しているのでしょう。この「サイクロラマ」の写実画(死亡した戦士の画をよく見ると「クラーク・ゲーブル」というユーモアも!)を描いたのは11人のドイツ人画家ということで、エンターテインメント大国のアメリカ合衆国もさすがにこういう分野となると、ドイツ人の助けが必要なのか?と感じました。

これは la_vera_storia さんの 524 に対する返信です

 

コープランドとマーラー

2002/ 6/23 1:16

メッセージ: 526 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

コープランドといえば、親しい友人にマーラー演奏では有名なバーンスタインがいて、バーンスタインとコープランドとの間のマーラー談義があったら教えてください。バーンスタインによるマーラーのVPOとの8番の録音は特に有名ですよね。僕はこの演奏気に入っています。あと、アバド盤やシャイー盤も聞いてみたいです。

これは bernardsstar さんの 525 に対する返信です

 

ヴェーベルンかな

2002/ 6/23 11:31

メッセージ: 527 / 1474

投稿者: contrapunctus_noir

 

 本当の意味での20世紀音楽の父はシェーンベルクではなくむしろヴェーベルンだとおもいます。あとちょっとはずれるけど変人E・サティ。

 根拠を述べるだけの知識と語彙を持ち合わせてないので、ちょっと主観的で説得力に欠ける投稿になってしまいましたが…。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

20世紀音楽におけるウェーベルン

2002/ 6/23 16:58

メッセージ: 528 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

contrapunctus_noirさん

 

ウェーベルンに関しては、このトピのMessage 488 でもちょっと触れた通り、「セリ−音楽技法の父」という点の意義は大きいでしすね。ですから、「20世紀後半の音楽の父」ということならそれほどの異議はないのですが、20世紀音楽全体の父ということならば、ちょっと違うように思います。20世紀音楽のエキスのようなものを抽出(こういう言い方は矛盾しているのは百も承知ですが)していくと、そこのところはやはりシェーンベルクとストラヴィンスキーの2人が非常に重要です。(別な観点からはバルトークも重要ですが、この論を展開していくと、非常に大変なことになりますが。)

 

20世紀の半ば(特に50年代、60年代)は、ブーレーズはウェーベルンがいわゆるセリ−技法の父である、という面を非常に重視したために、そういう見方でウェーベルンの音楽に接する傾向が強かったです。しかしその後、ウェーベルンという作曲家の気質(いわゆるオーストリア人としての特質、職人気質などに注目する傾向が出てきました。私などは、こういう70年代以降のウェーベルン理解で「育った」(といったら大げさですが)ので、ウェーベルンを「20世紀音楽の父」と考えることには抵抗があります。シェーンベルクの創始した(と一応は言っておきます)12音技法を使用したにも関わらず、重要なのはむしろ作曲家(ベルク、ウェーベルンetc)個人の「声」であり、少なくとも私はそういう観点から音楽を聴こうとしています。(そして確かに3人からは「声」は聴こえると思います。しかし聴こえない作曲家もいますね。例えばヒンデミットその他の、この時代のドイツの過大評価されている作曲家群)

 

技法的には、「無調音楽」から「12音技法」へと深化させたシェ−ンンベルクのほうが、パイオニア的精神に溢れていたというると思います。ですので、やはり枠組みを創始したシェーンベルクのほうが、「父」と呼ぶにはふさわしいと思うのですが.....。

 

以下、カナダの国立ライブラリーのサイトに掲載されているグレン・グールドのウェーベルン論ですが、12音技法というものに対して、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの3人を比較していろいろ書かれています。大変に内容のあるウェーベルン論だと思いますね。

http://www.gould.nlc-bnc.ca/exhi/iii11.htm

 

contrapunctus_noir さんのおっしゃる、「本当の意味」というのは「ロマン派よりの決別」ということなのでしょうか? それならば、確かにシェーンベルクよりもウェーベルンのほうが「父」と言えなくもないですが、しかしそう言ってしまうとストラヴィンスキーのほうがはるかに音楽的に「決別」しています。しかし、 Vaeterlichという面構えならばシェーンベルクの顔のほうが頑固親父に見えます(笑)。

 

このトピはいろいろと考える材料も多い時代の音楽を扱っていますので、ゆっくりと時間をかけて研究したいですね!

これは contrapunctus_noir さんの 527 に対する返信です

 

コープランド、バーンスタイン、マーラー

2002/ 6/23 21:38

メッセージ: 529 / 1474

投稿者: bernardsstar

 

このコープランド著の本には、バーンスタインに関する記述はありません。1953年という執筆時期を考慮すると不思議ではないと思います。

 

小生、Joan Peyser著の「BERNSTEIN A BIOGRAPHY」という本(BALLANTINE BOOKS)を持っていて、この本には、マーラーとバーンスタインの係わり合い、コープランドとバーンスタインの係わり合いに関する詳しい記述がありますが、「バーンスタインとコープランドとの間のマーラー談義」に関する記載はないようです。この本によると、コープランドはバーンスタインと同様、ロシア出身のユダヤ系移民の子孫であり、もともとの姓はカプランだったとのこと。コープランドに大きく影響を及ぼしたのは、ナディア・ブーランジェ、クーセヴィッツキー。バーンスタインがマーラー作品演奏に入れこんでいく際のきっかけとなったのは、ワルター、ミトロプーロスによるマーラー作品演奏だったとのことです。

これは gur1zem2korn3 さんの 526 に対する返信です

 

なるほど!

2002/ 6/25 21:16

メッセージ: 530 / 1474

投稿者: contrapunctus_noir

 

 とても丁寧にお返事いただいて嬉しいです。確かに20世紀音楽全体の父というのはおかしいですね…。

 根拠はないんですけど、聞いた感じで12音技法をもっとも上手く作曲技法として用いているのはヴェーベルンな気がします。

 僕自身曲を作っているのですが(系統は全然違うし、クラシックでもないのですが)極小主義の作品群などとても興味深くきいています。

 今、ヴェーベルンを持ち出す事の意義とかを考えていったわけではなく、ただ好きなので、ヴェーベルンを持ち出してしまったので、なんだか根拠とか説得力に欠ける文になってしまいました・・。

これは la_vera_storia さんの 528 に対する返信です

 

マズア指揮NYPのマーラー聴いて...

2002/ 6/26 0:25

メッセージ: 531 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

今夜(6月25日夜)、赤坂のサントリーホールにてクルト・マズア(Kurt Masur)指揮のニューヨークフィル(NYP)の演奏会を聴きましたが、プログラムの後半でマーラーの第1交響曲が演奏され、なかなかと考えさせられる演奏でしたので、ちょっと感想を書き込みたいと思います。

 

私はマーラーの音楽というのは常日頃から、「5次元空間の音楽」というような理解をしています。通常の3次元空間に加えて4番目は時間軸であり、これはマーラーが作曲時点より前(たとえば数週間前であったり、あるいは過去の幼少の時代であったり)に聴いた音が作品にモティ−フとして引用されます。例えば今夜の第1番では、第3楽章でミニ軍楽隊めいた旋律の引用などがそうでしょう。5番目の軸は、私が思いますに、これは時間の流れとは別なところにある、マーラー自身の記憶(そこには願望が含まれる!)の深層に響く、なにがしかの音楽だと考えています。これはつまり、マーラーが体験したか否かとは別の世界のことになるでしょう。私はこういう5次元の世界に響いているのがマーラーの音楽だ、というように思っています。

 

ところがしかし今夜のマズア指揮の演奏では、見事なばかりに私の言う4,5次元目が欠落しています。非常に思弁的な話になってしまって恐縮ですが、今夜のマズアの指揮ほど、「時間軸」や「記憶軸」を消し去って、完全に平面的な3次元世界(なんという矛盾した言い方!)でマーラーを提示した演奏はそう多くないかもしれません。幼少の時代の思い出と昨日の思い出が同じに表現され(あるいは思い出など存在しない?)、実際に聴いた旋律なのか記憶に残っているだけの旋律なのかの区別をまったくつけない、つまりまるで3次元の壁(再度の矛盾を失礼!)に平面的に塗りたくった壁画のようなマーラーです。先週、実は私はやはりマズアとNYPの演奏会を聴きましたが、その印象についてはワーグナートピのMessage870(以下)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=MU&action=m&board=1834581&tid=a5oa1bca50a5ja 1bca4na5aaa5za5ia4kbedca47a4a4jfd&sid=1834581&mid=870

に書きましたが、マーラーでもこの「壁画的表現」というのがそのままあてはまるように思いました。どんなに各パートの音量に注意を払おうが、私の言う4、5次元については「平面」の音楽だ、という印象。ここに良くも悪くもマズアという指揮者の特徴があるように感じています。とはいうものの、終楽章などは押しの強さで、なかなかのクライマックスを聴かせていました。しかしどうも、私などが感じているマーラーを聴く楽しみからすれば、もっともっと細部を浮き立たせてほしいという強烈な不満がありましたね。もう少しNYPの特色を生かして欲しいというのが希望。

 

ああ、それからプログラムの前半はバーンスタインの「セレナード」が演奏されましたが、この曲は喜遊曲的ヴァイオリン協奏曲という感じの曲。NYPというオケは、音に硬い質感がありますが、それが生きていたように思います。アンコールはワーグナー1曲のあとにデキシーランドとは面白かった! 会場にいた皇后陛下も、びっくりだったかもしれません。随分と拍手していらっしゃった御様子でした。

これは bernardsstar さんの 529 に対する返信です

 

チェコとドイツですが・・・

2002/ 6/26 18:34

メッセージ: 532 / 1474

投稿者: nx_74205defiant

 

チェコの作曲家ですが,アウシュヴィッツで落命したハンス・クラーサがテレジンで作曲した子供の為のオペラ「ブルンジバール」が、横浜と東京で上演されます.わたしは東京公演に行きますが,歴史的敬意を極力頭から外して,音楽的にどうなのか聴いてきたいと思います.

また、オークションでウイーン育ちで東ドイツの国歌を作ったハンス・アイスラーの「ドイツ・シンフォニー」を入手しました.

(DECCA退廃音楽シリーズ ツァローセグ指揮)これからゆっくり聴きますが、感想はまた後ほど.

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:マズアのマーラー

2002/ 6/26 22:45

メッセージ: 533 / 1474

投稿者: bernardsstar

 

マズアのマーラーは、7番のCDを持っていて、これは結構いけると思っていましたが・・・

 

「5次元」というのは感覚的によくわかります。この「5次元」の遺産を受け継いだのが、コルンゴルドやフランツ・シュミットかな?と思っています。薄味のマーラーは、面白みに欠けますね。

 

マズアじたいは優秀な指揮者だと思っています。特に、チャイコフスキー交響曲1番が白眉と、考えます。

これは la_vera_storia さんの 531 に対する返信です

 

雑記

2002/ 6/27 19:56

メッセージ: 535 / 1474

投稿者: gur1zem2korn3

 

今日、八重洲ブックセンターに行ったら、大手8出版社による「書物復権」というのがありました。その中には、東京大学出版会によるウーティッツの「美学史」がありました。彼は美学思想家でしたが、やはりチェコの作曲家でクラーサのように収容所で亡くなったヴィクトール・ウルマンの友人であり、テレジンでのウルマンの作品は、ウルマンがアウシュヴィッツに送られる前にウーティッツに託されました。今日は自分には何も買わずに、6ヶ月になる甥のために絵本を買って帰りました。ちなみに、ウーティッツはチェコに共産主義政権が誕生後、マルクス主義美学に近づきます。そして東ドイツで客死します。ギムナジウムではカフカと同級だったようです。

 

あと、今月のレコ芸か音友で知ったのですが、読響音楽監督のゲルト・アルブレヒト氏がヴィーン市から勲章を受けましたね。めでたいことです。ヴィーンでは、アルブレヒト氏はヴィーン放送響と、ウルマン、シュールホフ、クルシェネク、シェック等を演奏していますね。

これは nx_74205defiant さんの 532 に対する返信です

 

マーラーの2つの顔という妄想 (1)

2002/ 6/30 2:57

メッセージ: 536 / 1474

投稿者: la_vera_storia (男性/休眠中)

 

今夜はマーラーをめぐって、ちょっと突っ込んだ内容を書きたいと思います。

 

マーラーという作曲家に関しては、現代では Classical Music と呼ばれるジャンルの音楽の世界ではコンサートになくてはならない重要な作曲家になっており、現代の指揮者の多くが、多かれ少なかれ彼の作品をレパートリーに入れています。そして、そうした指揮者の演奏解釈の幅も非常に大きいわけです。御存知の通り、マーラーの交響曲のスコアには表情記号、強弱記号の指示が非常に多く、Universal Edition のポケットスコアなど見ますと、これは本当に演奏する側にとっても大変な作業になることがよくわかります。では、それほどまでに微細にわたる指示を書き込まれ、一見すると演奏者側の自由な解釈を制限しているかのように見えるスコアを演奏して、なぜもってあれほどまでに多種多様な演奏が生じてくるのか.......?

 

私は以前からこの点に関して、ある種の妄想的仮説とでも言うべき考えを持ってきました。それは、「マーラーの交響曲のスコアは、2人の人間の創造の産物ではないか?」ということです。誤解されると困るのですが、ここで言う2人の人間というのは、マーラーと他の人間というのではなく、「マーラーというのが2人存在しているのではないか?」ということなのです。では2人のマーラーとはどういうことなのか? それは、「作曲家マーラー」と「指揮者マーラー」の2人、ということなのです。

 

この考え方はまったくもって矛盾しているかもしれません。というのも、あくまでも作曲したのはマーラーであり、自作を指揮したのもマーラー自身であり、すべて一人の仕事なのですから。しかし、仮にマーラーが2人存在したと仮定した場合、非常に細かい表情記号、強弱記号の類はすべて「指揮者マーラー」の(自作の)演奏解釈である、と考えてみたらどうでしょうか?

 

五線譜に向かって筆を走らせているマーラーが頭と心に浮かんだ音楽を記載している傍らで、ほぼ同時にもう一人のマーラー、すなわち「音楽解釈者としての指揮者マーラー」が存在し、あくまでも「解釈」としての「表情記号」「強弱記号」を追加すりように、筆を走らせているマーラーの意識に呼びかけを行なう.....私はこういう光景の存在の可能性を否定できずにいます。ただしかし、いくらこれが私の妄想だとは言っても、もうちょっと歴史的な背景を考えなくてはいけませんね。作曲家、演奏者、聴衆という3つの間の関係と役割の大小がどう変化してきたかについて...。

 

作曲家 vs 演奏家 vs 聴衆

 

この図式は、非常に大雑把で乱暴な言い方をしてしまえば、時代を下るに従って分離、独立してきたというのが傾向です。かつては作曲者と演奏者は同一人であり、そして聴衆と名のつくものが存在したとすれば、それはと一般大衆ではなく、非常に限られた身分上の特権階級だけでした。しかし次第に、この聴衆というのが特身分上の特権階級から、富裕市民層にまで拡大し、現代では最終的には一般大衆にまで拡がるわけです。作曲者=演奏者 という関係の最後の境界の Merkmal は、おそらくショパンだと思います。その後のフランツ・リストとなると、この両者の関係がかなり違ったものになり、同一視はできなくなります。このような変遷で作曲者と演奏者がいろいろな意味で分離し、互いに距離をおく関係となってきたのです。(繰り返しておきますが、これはあくまでも荒っぽい枠組みで考えての話です。)

 

- to be continued

これは bernardsstar さんの 533 に対する返信です