追伸

2002/ 9/ 6 1:01

メッセージ: 658 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

http://www.momat.go.jp/H14.html

これは gur1zem2korn3 さんの 657 に対する返信です

 

105円で聴く、プフィツナー「2番」

2002/ 9/ 7 12:43

メッセージ: 659 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

100円ショップ最大手、D社の店で、フルトヴェングラー名演集が売られていることを知りましたが、その中のVol.2は、(一瞬、我が眼を疑いましたが)プフィツナー「交響曲2番ハ長調 作品46」とモーツァルト「交響曲第39番」のカップリング。このCDを聴いた感想を報告します。モーツァルトのほうは、以前、既存レーベルで聴いたこともあるまともな録音でしたが、プフィツナーは演奏会場で内緒に録音したものかな?って感じの音質でした。(フルトヴェングラーに詳しい方に解説をいただきたいものです)

 

プフィツナー「2番」の曲自体については・・・約15分間の単一楽章だが3つの部分に分かれ、(1)冒頭に俗謡的な(山の歌?)少々ダサい動機が現れ、ワーグナーとブラームスの織り交ざったようなドイツ的な楽想の中で展開されていきます(同時期のフランツ・シュミットの交響曲が「ウィーン的」であるのに対し、プフィツナーのこの部分はあくまでもドイツ的)。(2)中間部はこの曲の中では優れた部分で、シベリウスの後期の交響曲を連想させる(北欧的?な)乾いた叙情があります。(3)スケルツォを思い起こさせる出だしだが、スケルツォではない。行進曲風でもあり、いかにもダサい。結末に冒頭の俗謡風な動機が回帰し、締めくくることにはなるのですが・・・。フランツ・シュミットの「交響曲第4番」の第3部(スケルツォ)は、第1部冒頭のトランペット、第2部の情感豊かなチェロの音型と密接な連携を保って曲全体の調和を築き上げているのに比べ、このプフィツナー「2番」は残念ながらお粗末という印象は拭えませんでした。プフィツナーはやはり歌曲・オペラが得意な作曲家だったのかも?

 

(大味とも凡庸とも言われる)交響曲を3曲も作曲した名指揮者フルトヴェングラーが、同時代人の作曲家プフィツナーの、傑作とは言いがたい交響曲を指揮する時はどんな心境だったのかには興味があります。それにしても、「深遠な」とでも形容すべきプフィツナーの、秘境的作品のCDが「100円ショップ」で売られているとは、それだけでも事件!!

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re: 中欧的演奏

2002/ 9/ 7 13:46

メッセージ: 660 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

「中欧的」演奏の典型は?と聞かれたら、現役指揮者ではウェルザー=メストかな(中欧的というよりも、オーストリア的と言うべきかも知れません)と、私としては連想します。ムーティについては、今回の来日公演のチケットは購入しておりませんでしたので、今回のコンサートについては何も申し上げられませんが、少なくとも、(何年か前のFM番組からの印象ですが)スクリャービンの交響曲を的確に指揮したことは印象的でしたね。(スクリャービンはウィーンとの関わりは薄いかも知れませんが、印象的だったので触れておきます)

 

「中欧的」と「カトリック的」「イタリア的」は切り離すことができない。つまり、モーツァルトのオペラの多くがイタリア語の台本・歌詞によって成り立っており、モーツァルトがイタリア音楽から大きく影響を受けたことは否定できませんし、ベートーヴェンやマーラーの作品の中でもイタリア的な部分はとても美しい印象を与えます。

 

ハプスブルク領じたいが「ローマカトリック支配地域」と重なっていたわけで、新教徒の革命家ヤン・フスを様々な芸術によって称えているチェコでも、宗教的にはカトリック、従って、プラハの美しい建物群の多くがカトリック様式(バロック様式建築は、教会のもくろみを超えて美しくなりすぎたとのことですが)によって成り立っている(共産主義の時代の抑圧もはねのけて)のも皮肉とは言えます。今回、冠水によって大きな被害を出したマラー・ストラナ(小地区)の重要な建物のいくつかの建築を手がけたのもイタリア人のルラーゴでした。プロテスタントの支配地域に属したベルリンに美しい建物を建てたシンケルも、ローマをはじめとする美しいイタリアの街で感性・技能を磨きました。

 

音楽に話を戻しますと、例えば、(マジャールの血をひくオーストリア人である)フランツ・シュミットの歌劇「ノートルダム」は、ワーグナー風の音楽、イタリア音楽、東欧風音楽の融合といった感じがします。また、プッチーニ、ブゾーニ、さらに他の「19世紀末・20世紀初頭のウィーンにゆかりのある」イタリア人作曲家に対する研究を深めたいとは考えておりますが、まだ構想段階です。とても魅力的なテーマだとは思います。(ついでにこの時期のイタリアの鉄道事情を調べたい)

これは la_vera_storia さんの 649 に対する返信です

 

シマノフスキ 「ロジェ王」を聴いて...

2002/ 9/ 8 2:19

メッセージ: 661 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/瞬間覚醒中)

 

以前、ウィーン世紀末音楽とオリエンタリズムとの関係ということを話題にしましたが、昨日(7日)、NHK交響楽団の演奏するシマノフスキの歌劇「ロジェ王」(シャルル・デュトワ指揮、演奏会形式)をNHKホールで聴いてきましたので、ちょっと御報告させていただきます。トピずれではありますが、御容赦下さい。

 

さて一言で言えば、やはりこの作品は舞台上演で観てみたかったというのがやはり本音です。私は「ロジェ王」については、まだ舞台で上演したのを観たことがありません。過去2回(パリ、クラクフ)は、いずれも今回と同じ演奏会形式であり、その時に感じた印象がそのまま今回にも引きずられているように思います。この作品を舞台上演しにくい理由としてはおそらく、音楽が劇的に展開しないために全編を通して登場人物の劇的な動きが少なくならざるを得ない(特に第2幕)、という点にあると思います。 しかし私は今回感じたのですが、どうもこの作品の主題の取り扱い方、あるいは結末のつけ方が演出面で難しいのではないか、という点です。「ロジェ王 vs 羊飼い(&ロクサーナ)」という図式、すなわち「理性 vs 感性(&本能)」という図式の対立として理解するとすれば、シマノフスキは第3幕の最後では、一応は前者が後者の誘惑に打ち勝つという形の結末を用意したように思います。しかしそれは決定的な勝利などではありえず、この作品においては音色の多様な変化などの「音の織物」によって表現されている面が強いですね。 ですので、理解の仕方によっては別の解釈が出てくる可能性が非常に大きいように思います。もし仮に舞台上演するなれば、演出家(&舞台担当者)はこの結末について白黒含めての何らかの解答を出すことを迫られるように思います。そして、その結論を説得力のあるものにするためには、第1、2幕で何らかの伏線を地雷として埋め込んでおく必要があるような気がします。結論を正当化させるための一貫性が要求される....。しかし、それはシマノフスキの音楽語法とは相容れないかもしれません。非常に処理が難しいように思います。「ロジェ王」と似た作品を強いてあげるといえば.....さんざん考えたあげく、やはりラヴェルの「ダフニスとクロエ」をあげるかもしれませんが。

 

昨日(7日)の演奏は、かなり線のきつい演奏のような気がしましたね。加えて、合唱(二期会合唱団他)にもう少しserenityが欲しいようにも思いました。しかし、15年ほど前にクラクフで聴いたこの作品の演奏では、なんだか厚ぼったくて脂ぎった音がしたのにかなりの違和感があったことを思えば、今回のデュトワの指揮のほうが納得がいくように思います。歌手ではポーランド人歌手、特にロジェ王役のヴォイテック・ドラボヴィチの見事にコントロールされた声と表現には大変感心しました。羊飼い役のルドヴィト・ルドゥハというのもしっかりと歌ってはいましたが、第3幕ではもう少し踏み込んだ表現が欲しいようにも思いました。ただ、演奏全体としては今回のN響定期の演奏会は、相当高水準のものには違いなく、私もそれなりの満足感を得ることができましたね。

 

それにしても、この「ロジェ王」という作品、なかなか魅力的な作品であり、もっともっと演奏されておかしくはないように思います。ただ、やはり私たち日本人にはちょっと感覚的には馴染めない点がありますね。この作品自体の「色彩感」というのと、それからシチリア島のノルマン王朝時代が舞台であり、ビザンチンだのイスラムだのという世界も背景としているのに加えて、そこにギリシャ神話の世界すら重ね合わされる世界....。シマノフスキの「脱ドイツ音楽路線」も、この作品を聴く限りでは成功したように思えます。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

「ロジェ王」 vs 「Гамлет」...

2002/ 9/ 8 4:08

メッセージ: 662 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/瞬間覚醒中)

 

現在、相当アルコールが回っていますので、どこまでちゃんと書けるかわかりません。しかし、bernardsstarさんの「中欧的」「カトリック的」という話に関連してちょっとした話を。

 

実は、昨日(7日)の午後のN響定期の「スターバト・マーテル」「ロジェ王」という魅力的なシマノフスキ・プログラムのあと、新国立劇場での「Гамлет」の初日公演に行きました。「国際チェーホフ演劇祭inモスクワ」と銘うたれて公演で、俳優はすべてモスクワ芸術座を主体にしたロシア人、台詞はロシア語、ただし演出は、最近ザルツブルクなどでもオペラの演出をしているドイツ演劇界の重鎮(?)ペーター・シュタイン(Peter Stein)です。演出は非常に刺激的でもあり、なかなかおもしろかったです。悪趣味なところもいっぱいありましたが(例えば先王の亡霊の扱い方、 Гамлетにサックスを吹かせること、ヌードのギャルなどなど)、久し振りにロシア語を3時間以上にわたってシャワーのように浴びて、非常に心地良かったです。特にГамлет役のミローノフはなかなかの熱演であり、この役に対する思の深さが感じられました。ミローノフにサックスは不必要ですね。ミローノフなら台詞だけでもろもろが表現できるはず。この公演のプログラムに、演出家のシュタインがこう書いています。

「ハムレットの父親の幽霊は彼を政治的な行動に扇動し、このことで彼はありのままの、真の狂気に陥ります。この軋轢はハムレットが芸術に惹かれていたことを表します....」

それから、某評論家がこう書いています。

「ハッピーエンドの芝居は世の中にあふれているけれど、現実社会では愛が人間を救った数より不幸にした数のほうが多いのかもしれない....」

 

さて、午後のNHKホールのロジェ王は、結局のところかろうじて「理性」の領域に留まり得ることとなった。しかしハムレットの行動の多くは「愛憎」がバネとなっている。もちろんハムレットが理性的行動をする場面がある。それは、クローディアスが悩み1人で懺悔するシーンで、ハムレットは背後よりクローディアスを殺そうとするのを思い留まるシーン。(いや、これも別の解釈がありますね。あとから殺すほうが、もっと復讐心を満足できるという考え方.....。)  ロジェ王は死なないが、ハムレットは死んでしまう、クローディアス、ガートルード、レアティーズ達と共に。 そうならば、「理性(的行動)」は常に人間に幸福をもたらすか?

 

イギリスのカトリックの作家のグレアム・グリーンの原作で「第三の男」(The Third Man)という映画がありますね。ジョゼフ・コットンが演じたあの小説家(ホリー・マーティンスだったかな?)は、オーソン・ウェルズ演じる親友のハリー・ライムの闇取引を告発する....それは理性的行動であり正義でもある...。しかしハリーの恋人(だったか?)の女性からは一瞥もされない。 あの有名な最後の並木道のシーン....。(これは多分、原作にはなかったはずだが。)  グレアム・グリーンは後年、あのスパイ小説の The Human Factorという作品の中で、この問題をもっと深く追求していますね。あの小説は「冷戦」のもたらした文学の傑作でしょうね。そして、こういう主題設定は、カトリックの作家特有ものかもしれない。

 

「理性」の領域に留まることのできたロジェ王は幸福だろうか....?

(アルコールのせいで、支離滅裂な思考状態です。今夜はこれで失礼します。)

これは bernardsstar さんの 660 に対する返信です

 

リンツから来た男 (8)

2002/ 9/ 8 23:21

メッセージ: 663 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/瞬間覚醒中)

 

アドルフ・ヒトラーという男は、グスタフ・マーラーの名前をはっきりと認識していました。そして同時に、「指揮者マーラー」の熱心な崇拝者でもあったのです。この事実に関しては、ヒトラーのウィーン時代の最初に下宿を共にしていた友人のアウグスト・クビツェク(August Kubizek)の回想のなかで述べられているそうです。 このアドルフ青年の友人クビツェクの回想本(Adolf Hitler, Mein Jugendfreund Graz,1953)に関しては、その成立と出版に非常に複雑な問題があり、そのことを詳しくここで紹介するのは省略します。しかしごく簡単に書きますと、戦後に出版されたこの本の前に、実はクビツェクは1943年に、ヒトラーの秘書であったマルティン・ボルマン(Martin Bormann)の依頼を受けて、ヒトラー総統とのウィーン時代の思い出について150枚ほどの原稿を書いています。それには、ヒトラー礼賛の多くの記載と共に、意外にもウィーン時代にはヒトラーは指揮者マーラーを礼賛していたという記載が含まれているのです。この「第一稿」とも言える未発表原稿の記載に関して紹介している本がありますので、この記載を以下に紹介します。

「マーラーは多分ユダヤ人だったが、ヴァーグナーの音楽ドラマに深く関わり、そして輝くばかりの完成度で舞台化させていたことに対して、ヒトラーはマーラーに対して最高度の賞賛をしていた...」

 

アドルフ青年も相当なヴァグネリアンのようで、1908年だけでも「ローエングリン」と「マイスタージンガ−」をそれぞれ10回は観たそうです。いつも友人のクビツェクと一緒に立見席に陣取っていた、とのこと。(ちなみに、立見席で一晩ヴァーグナーを観るということがどれだけ疲れることか!)  立見席(平土間後方)のチケットは当時の金額で2クローネン(Kronen)、3階以上の立見席は1.2もしくは1.6クローネンとのこと。これがどのくらいの金額なのかはピンときませんが、ちなみにアドルフ青年のStumpergasseの下宿が一ヶ月に10クローネ、アドルフ青年が1ヶ月にリンツの法定後見人から送ってもらっていた孤児手当てが1ヶ月に25クローネでしたから、それと比較するとHofoperの立見席の料金はかなり高額だと思いますね。少なくとも当時のHofoperは貧乏人の行く場所ではなかったようです。(アドルフ青年には両親の遺産、約2000クローネンを得ており、妹と分かち合っていたそうですから、少なくともアドルフ青年の最初のウィーンの1年間は、金にはそれほど困っていなかったようです。これも最近になって研究者が発見した事実とのこと。)

 

Hofoper内において、アドルフ青年は、作品を観るためよりも社交のために来ているような紳士淑女を嫌悪していたようです。そして、すでにウィーンを去っていたマーラー自身もそういう客層を敵視しており、そういう客に対する断固とした態度が当時かなりの軋轢をよんでいたようです。しかし、そういうマーラーの姿勢を支持し彼を支えたファン層(多くは熱狂的ヴァグネリアン)はユダヤ人が圧倒的に多く、彼等はマーラーが去ったあとも一定の勢力を保っていました。そして、そういう「マーラー的姿勢」を彼等と共に立見席で支持していたのが、ウィーン時代のアドルフ・ヒトラーということなのです。これは彼がこの時代のウィーンでanti-Semiteではありえなかったことの一つの証でしょう。過去のヒトラー研究家の多くは音楽、特にマーラーなどには関心を抱いていないために、こういう事実を見逃しているのです....

(続く)

これは la_vera_storia さんの 655 に対する返信です

 

   

リンツから来た男(終)

2002/ 9/ 9 1:18

メッセージ: 664 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/瞬間覚醒中)

 

アドルフ青年はウィーンのHofoperで、ヴァーグナー以外ではモーツァルト、ベートーヴェン、ドニゼッティ、ロッシーニ、ベルリーニ、ヴェルディ、プッチーニなどを観ているようです。しかしヴァーグナーほどの感銘は受けていないようで、以下のようなことを友人クビツェクに発言したそうです。

「ヴェルディの一級作品よりもヴァーグナーの二級作品のほうが百倍も素晴らしい。」

さて、この時代のウィーンの市長はanti-Semitism思想を持っていたカール・ルエガー(Karl Lueger)

http://www.aeiou.at/aeiou.encyclop.l/l936666.htm

であり、彼が市長職にあったのは1897年から1910年まで、ちょうどウィーンのマーラー時代と重なります。ウィーンにもanti-Semitismの内容の印刷物があふれていましたし、またアドルフ青年の下宿のあったStumpergasseにも2社、そういう小印刷物を発行している新聞社が存在していました。アドルフ青年がこの時代にそういうanti-Semitismに触れたのは間違いないでしょう。しかし以下のような事実があります。

 

アドルフ青年のウィーン時代後期の1912年に、浮浪者収容所で友人となったanti-Semiteのラインホルト・ハーニッシュ(Reinhold Hanisch)は、アドルフ青年の描いた絵を売る「セ−ルスマン」でしたが、トラブルのためにアドルフ青年と絶交状態となり、一方のアドルフ青年はユダヤ人ヨーゼフ・ノイマン(Josef Neumann)とジークフリート・レフナー(Siegfried Loeffner)との交友に走ります。後年1933年以降、ハーニッシュは、ヒトラーの「我が闘争」はデタラメ本であり自分が知っているウィーン時代のヒトラーは決してanti-Semiteではなかった、と主張しています。要するに、「政治家ヒトラー」は「我が闘争」に書かれているようなウィーン時代からの筋金入りのanti-Semiteではなかった、と述べているのです。「政治家ヒトラー」の政治家としての一貫性の無さという事実を暴露することにより、ヒトラーの信用失墜を狙ったものと思われます。さらに、ウィーン時代後期(浮浪者収容所時代)のアドルフ青年の親しい友人は、いずれもユダヤ人でした。かつ、ヒトラーの絵画を引き受けて売りさばいてくれた画商のサムエル・モルゲンシュテルン(Samuel Morgenstern)もユダヤ人、そして彼からアドルフ青年の絵画を買った顧客も、ほとんどはユダヤ人です。要するに、ヒトラーがウィーン時代にすでにanti-Semitismに染まっていた、という考え方は、すべてその根拠は「我が闘争」の記載以外はないということになります...。

 

あれほどanti-Semitismの充満していたウィーンにもかかわらず、アドルフ青年がそれに染まっていた事実はないようです。美術学校受験に2度も失敗した両親を亡くした青年が、anti-Semitismに染まっていなかったということはどういうことか? それはanti-Semitismとは逆のバイアスがヒトラーにかかっていた、という説明以外ありえないのではないか? 世紀末ウィーンのミステリーかもしれません。(完)

これは la_vera_storia さんの 663 に対する返信です

 

連載後記 & しばしのお別れ!

2002/ 9/ 9 2:21

メッセージ: 665 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/瞬間覚醒中)

 

......ということで、「リンツから来た男」も最後のほうは駆け足になってしまいました。この時代のウィーンにおけるanti-Semitismをもっと述べておきたいところですが、完全にトピずれになりますので別の機会がありましたら、その時に触れたいと思います。「リンツから来た男」に関して、以下の本を参考にさせていただきました。

・Hitler 1889-1936 : Hubris (by Ian Kershaw) London 1998

・Hitler's Vienna (原題 Hitlers Wien. Lehrjahre eines Diktators)

(by Brigitte Hamann) Munich 1996

・The Hitler of History (by John Lukacs) New York 1997

・Explaining Hitler - The Search for the Origins of His Evil (by Ron Rosenbaum) New York 1998

・The Mahler Companion (edited by Donaldd Mitchell & Andrew Nicholson) London 1999

 

上記の本はすべて90年代後半以降に出版された本であり、非常に新しい研究結果が満載されています。特にハマン(Hamann)女史の著作は、ウィーン時代のヒトラーに関して徹底的に調査し、事実を洗い出した本として名著と言えると思います。音楽に造詣の深いハマン女史だけあって、この時代のウィーンの音楽界の状況についても調査を怠っていない点が見事です。「ヒトラーのanti-Semitismはウィーン時代にまだ顕在化していなかった」というテーゼを説得力をもって展開しているように思います。イアン・カーショウ(Ian Kershaw)の本は、あそらくヒトラー伝記としては最新のものであり、その二分冊のうちの上巻にあたります。現在カーショウは、ヒトラー及びナチズム研究の第1人者になりつつあり、彼のヒトラー伝は邦訳されるのではないかと予想されます。とにかく非常におもしろい本ですが、あまりにページ数が多い!  このカーショウ及び、すでに大家といえるジョン・ルカーチ(John Lukacs)の両者とも、ハマン女史のテーゼを受け入れており、「ヒトラーのanti-Semitismが結晶化(Crystallization)したのは、そのあとのミュンヘン時代である」と結論しています。

 

19世紀末、20世紀初頭のウィーンの状況を描くのに、ヒトラーとマーラー(そしてヴァーグナー)をもってきたのは少々調味料が強すぎましたね。ちょっとやり過ぎでした。 さて私は数日後、会議および休暇のために日本より逃亡し、帰国はおそらく10月中旬になってしまいそうです。この期間中の2週間は休暇をとり、せっせとコンサートに行きたいと思っていますし、水害の被害状況の確認もしておきたいと思っています。現地では、おそらく掲示板に書き込むような余裕があるかどうかわかりませんが、帰国後しばらく時間をおいて再登場できればと願っています。

 

ひとまずここで、しばしのお別れとさせて下さい!

 

敬具 

これは la_vera_storia さんの 664 に対する返信です

 

Re:Гамлет

2002/ 9/ 9 21:39

メッセージ: 666 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

Гはロシア誤ではふつう「グ」と発音しますが、его(彼の、彼を)は「イェヴォー」なので、Гамлетは「ガムリェット」ではなく、「ヴァムリェット」なのでしょうか?それとも、「ハムリェット」に近い発音なのでしょうか?

 

スラブ語の中で比較すると、チェコ語のHは、一般的に言って、ポーランド語、ロシア語ではGに変化します。

日本語ではチェコ語の発音通り「プラハ」と発音する街のことを、ポーランド語、ロシア語、ラテン語では「プラガ」と発音し、ドイツ語ではPrag、英語ではPragueです。

同様に、егоは、ポーランド語ではjego(イェゴ)、チェコ語ではjeho(イェホ)。

 

さらに、チェコ語で「ヴィーシェ・フラッド」と発音する「高い城」と同じ地名がハンガリーにあるそうですが、こちらは「ヴィーシェ・グラド」と発音するそうです。ということは、南スラブ語のことはよく知らないのですが、恐らく、こちらも、HがGに変化していると言えます。ベオグラード、レニングラードのように、セルビア語、ロシア語では、「城」という意味ではなく、「都市」という意味で使われています。

 

言語の話に偏ってしまいましたが、曲名を2つ盛り込んでいるのでお許しあれ。

 

中欧VS東欧 という切り口では、同じウクライナ国内でも、キエフは東欧の典型、リヴュー(リヴォフ)は、ハプスブルク支配下にあったカトリック建築の美しい都市と聞いています。

 

la_vera_storia さん、それでは、お気をつけて、ネットでまたお目にかかるのを楽しみにしております。再会の時までに「ウィーンから眺めたチェコ、ポーランド、ハンガリーの音楽」とは逆方向の「ロシアから眺めたチェコ、ポーランド、ハンガリー、オーストリアの音楽」の研究で少しは成果を出しておきたいと祈念しています。

これは la_vera_storia さんの 662 に対する返信です

 

ドイツ系名指揮者とプフィッツナー

2002/ 9/10 18:32

メッセージ: 667 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

以前持っていた、確か、音楽の友社刊のムック「クラシック名盤大全」交響曲編での、ハンス・クナッパーツブッシュの録音で、何かの録音のカップリングがプフィッツナーの「管弦楽のためのスケルツォ」だったような気がします。

これは bernardsstar さんの 659 に対する返信です

 

「中欧の崩壊」

2002/ 9/13 22:47

メッセージ: 668 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

昨日東京に行って、本屋で中公新書の「中欧の崩壊 ヴィーンとベルリン」(加藤雅彦著)という本を買いました。最近、大手書店の新書コーナーに行くのが楽しみとなっています。たくさんあるのでどこのを見ても、目を凝らして見れば興味深いものがあって興奮する時があります。上述の本もそんな本です。タイトルを一瞬見たときは「東欧の崩壊」のように見えて、ああ文字通り1990年のことを書いているのだなと思いましたが、それにしては順番通りに並んでいる中公新書コーナーの前の方なので、もう一度見たら「中欧の崩壊」であることに気がつきました。手にとって見ると、副題に「ヴィーンとベルリン」となっているのですぐに目次を見てみました。内容はヴィーンとベルリンの、誕生から第2次大戦終了までの歴史について書かれてあって、政治史、文化史、社会史と満遍なく書かれてあって、思った以上の文化史の比重に驚いてしまいました。ヴィーンについての本は結構いろいろな本が出ているので

気にしてはいないですが、ベルリンの歴史についてはあまりないので(過去に中公新書、講談社現代新書から、ベルリンに関する本は出ていますがすぐに絶版となっているようですし、せりか書房による平井正著「ベルリン 1918−1933」全3巻も部分的に絶版となっているので、ベルリン紹介というテーマは日本人には関心が薄いようです)この本にはとてもありがたく思っています。ヴィーンについては他のヴィーンに関する本とあまり変わりはないのですが、ベルリンの方はドイツ帝国成立から第1次大戦勃発までの歴史(もちろん文化についても述べられています。)にも割いてあります。ちょうどこの時期は、フランスの印象派絵画や象徴主義文学がさかんなころで、ドイツ音楽は別として、ドイツ文学やドイツ絵画は世界的に見れば関心が行き届きにくい分野であります。

 

最近、中公新書は「物語 ・・の歴史」シリーズを出していますが、最近刊行された「物語 ウクライナの歴史」は(東欧周辺に興味のある)トピ主様にとって嬉しいものでしょう。白水社のクセジュ文庫からはトルコ、近代ギリシア、バルト3国、ルーマニア(品切れ)、ハンガリー、スロヴェニア、クロアチアに関する本が出てますのでトピ主様にとっては嬉しいかぎりでしょう。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

アップ

2002/ 9/15 17:06

メッセージ: 669 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

僕が今後関心としたい作曲家12人

ブゾーニ

レーガ−

ヒンデミット

プフィッツナ−

グルリット

ヴァイル

クルシェネク

シェーンベルク

ベルク

シュレーカー

ツェムリンスキー

シェック

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シェーンベルク:室内楽作品集

2002/ 9/16 21:32

メッセージ: 670 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

gur1zem2korn3さんの、プフィッツナー論、楽しみにしております。

 

小生は本日、アサートン指揮、ロンドン・シンフォニエッタのCDで、「シェーンベルク:室内楽作品集」を聴きました。核となるのはやはり、「浄夜」(1899.このCDでは弦楽六重奏版)でしょうが、他の作品も十分に楽しめました(弦楽四重奏曲は含まれていません)。このCDを聴くと、通常、「浄夜」か20音列かといったイメージがつきまとうシェーンベルクが、実は幅広い作風をもつ作曲家であったことがわかります。

 

例えば、「鉄の旅団」(1916)は、第1次世界大戦に従軍した時の機会音楽です(ブルック・アン・デア・ライタでの将校養成過程での「祭りの夜」のため)。

 

(P.S.)グルリットの「軍人たち」のCDを聴いた感想を、gur1zem2korn3さんのトピに投稿申し上げたいと考えておるのですが、ドイツの音楽史を調査したうえでにしたいので、今少しお待ちください。

これは gur1zem2korn3 さんの 669 に対する返信です

 

ロシア語で書かれたマーラー・サイト

2002/ 9/21 13:46

メッセージ: 671 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

本日は、見つけたサイトの紹介にとどめ、後程、内容の要約を報告します。2つめは一般的な生涯・業績の記載です。

 

 

http://if.russ.ru/issue/5/20010626_ros.html

 

http://violakey.narod.ru/Biography/Maler.html

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シェーンベルク

2002/ 9/22 20:49

メッセージ: 672 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

返信遅れて申し訳ありませんでした。

<小生は本日、アサートン指揮、ロンドン・シンフォニエッタのCDで、「シェーンベルク:室内楽作品集」

って、デッカの2CDシリーズのものですか。実は、このCD、僕の家の近くにある某大手レンタルショップで見たことがありました。僕の家の近くのところは、レンタルだけでなく、以前はCDの販売をしていたのですが、今思えば、いいのがそろっていたと思います。前記のCDの他に、デッカの頽廃音楽シリーズでは、シュレーカーの「烙印を押された人々」、「ダンス・グロテスク」の国内盤、EMIのラトルによるシェーンベルクの「期待」と「管弦楽のための変奏曲」、グラモフォンのメシアンのクロノクロミ−他のCDがありました。そのころ僕は、マーラーとシュトラウスに、グラモフォンの4D録音に興味がありまして、他のレーベル、作曲家にまで気が回りませんでした。邦楽・洋楽のコーナーは買うお客がいたようですが、クラシックはよく買いにきたのが僕だけだったようで、あまり採算が取れないためか、数年前にクラシックのCD販売のコーナーは亡くなってレンタルビデオのみになってしまいました。今思えば、あのときに買っておけばと思うことが何回もあります。

 

また、拙トピへの感想お待ちしています。

これは bernardsstar さんの 670 に対する返信です

 

美術展情報

2002/ 9/22 21:06

メッセージ: 673 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

朝日新聞9月19日の夕刊より

今年の秋は、西欧関連の美術展が目白押しです。

 

国立西洋美術館

ウィンスロップ・コレクション

12月8日まで

 

東京都現代美術館

QUOBO:ベルリンのアート

9・21−11・24

ベルリンの壁崩壊後の美術紹介

 

東京ステーションギャラリー

スカンディナビア風景画展

9・21−11・10

19世紀から20世紀初頭

 

神奈川県立近代美術館

チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド

9・21−11・24

書籍の装丁や版画

 

千葉県立美術館

英国ロマン主義絵画展

10・6まで

ブレイク、ターナーら18−20世紀

 

茨城県立近代美術館

ドイツ表現主義の美術

10・20まで

カンディンスキー、キルヒナー等

 

以上僕の興味のあり、ここにも関連のありそうなのを選んでみました。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

モーストリー10月号

2002/ 9/22 21:37

メッセージ: 674 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

を買いました。

特集は今年のザルツブルク音楽祭です。

音楽の友とどちらにしようか迷ったのですが、モーストリーにはツェムリンスキーの「カンダウレス王」について2ページも割かれ、シュトラウスの「ダナエの愛」にも1ページ割かれ、ペーター・ルジツカへのインタビューも載っていたので、こっちにしました。

 

さてここでは、モーストリー10月号の海外公演情報より、ここのトピ関連のをいくつかピックアップしようと思います。すでにご存知かとは思いますが、公演の情報は

「・・号」の翌月、つまり今月号は11月号を表しています。

 

ヤナーチェク

「イェヌーファ」

ヴィーン国立歌劇場

9・12・17・20

ベルリン・ドイツ・オペラ

プレミエ

24・26・30

「利口な牝狐の物語」

ベルリン・ドイツ・オペラ

28

 

シェーンベルク

すべてレヴァインとミュンヘン・フィル

会場ガスタイク

3・4

「浄夜」、ピアノ協奏曲

ピアノ バレンボイム

8・9

ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン テツラフ

29

「モーゼスとアロン」

演奏会形式

 

カール・アマデウス・ハルトマン

「葬送協奏曲」

8・9・10

ベルリン、フィルハーモニー

BPO

ヴァイオリン 安永徹

14

ベルリン、コンツェルトハウス

チューリヒ室内管

ヴァイオリン V・ハグナー

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

2002-2003シーズンの読響

2002/ 9/22 22:46

メッセージ: 675 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

トピずれで申し訳ないのですが、

2002-2003シーズンの読響も意欲的ですね。

 

ルジツカの自作自演とか、セーゲルスタムの78番交響曲の自作自演(その根性に脱帽!)とかが予定されています。

これは gur1zem2korn3 さんの 674 に対する返信です

 

アンリ・ルイ・ドゥ・ラグランジェ

2002/ 9/22 22:48

メッセージ: 676 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

このロシア語で書かれた文章(一つめのサイト)の一部を拾い読みしました。マーラーと同時代人で彼に執心したアンリ・ルイ・ドゥ・ラグランジェが 1904〜1907年のマーラーを描いた本を書いているとのこと。この本の中では、マーラーのリヒャルト・シュトラウスに対する不平(宮廷歌劇場における「サロメ」の上演をめぐって帝国検閲官との間で起こったいざこざが原因)がマーラーの世界観にまで影響を及ぼしたことが書かれているとのこと。

 

しかし、一方で、リヒャルト・シュトラウスはマーラーに対して様々な支援を行った。特に、マーラーの交響曲1番、2番、4番の上演(ベルリン・フィル、ベルリン・トーンキュンストラー・オーケストラ)に関してマーラーを支援し、もてなしたことが書かれていました。(続く)

これは bernardsstar さんの 671 に対する返信です

 

マーラーとラフマニノフ

2002/ 9/25 21:57

メッセージ: 677 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

マーラーはニューヨークでラフマニノフと共演し(練習のみで終わったのか、演奏会が実際に開催されたのか定かではありませんが・・・)、ニューヨークフィルの楽員がラフマニノフ自作自演の「ピアノ協奏曲第3番」の伴奏に不承不承だったのを叱り、「なぜこのような素晴らしい音楽にひれ伏さないのか?」といった趣旨のことを発言しました。

 

この事実に加え、マーラーの「交響曲第9番」の緩徐楽章と、ラフマニノフの「交響曲2番」の緩徐楽章には和声的な共通点が見うけられ、2人の作曲家には結構、共通する部分があるのではないかと見ています。それから、ツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」と、ラフマニノフの(ベックリンの絵画による)交響詩「死の島」は、楽曲の構造が似ています。

 

今、音楽之社から出ている、ヴェスリング著:「アルマ・マーラー 華麗な生涯」という本を読んでいます。このトピで、かなり以前、小生は、ビヴァリーヒルズで脱ウィーン・グループとラフマニノフとの交流があったのでは?という私見を書きましたが、この本には、以下の事実が書かれていました。

 

「ゾフィ・サティンはセルゲイ・ラフマニノフの秘書で義妹でその上愛人でもあったのだが、アルマを「嘆きの名人芸をするめんどり」と名づけた。(中略)サティンは、アメリカに住んでいた大勢の作曲家の夫人連の多くと同様、「ヴェルフェル」夫人(アルマのこと)を軽蔑していた。そして彼女のことをマーラーの作品を「まるでキャベツか大根のように行商して歩き、作曲家の名声を高めるためにはどのオーケストラにもかまわず作品を売り渡してしまう人」と言って非難した。」

 

(ゾフィー・サティン = ロシア流の表記では、ソフィア・サティナ)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

返信

2002/ 9/25 23:09

メッセージ: 678 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

bernardsstar様

 

ご無沙汰しています。

 

<それから、ツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」と、ラフマニノフの(ベックリンの絵画による)交響詩「死の島」は、楽曲の構造が似ています。

 

ということは、僕は「人魚姫」しか聞いたことがないのですが、ラフマニノフの「死の島」も循環形式的なところがあるということですか。レーガ−の「ベックリン組曲」は聴いたことがあるのですが第3曲の「死の島」はヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の第1幕への前奏曲に雰囲気が似ていると思いました。

 

先日、わざわざ千葉まで行って、「英国ロマン主義絵画展」を見に行ってきました。イギリス人によるライン川の絵画を2つ見たとき、「ワイマール文化」のピーター・ゲイのことや、シュレーカー、コルンゴルト、ツェムリンスキー研究の第一人者がどれもイギリス人であるのを想起しました。

また、ブレイクの、19世紀初頭にもかかわらず、ゲオルグ・グロースの人物画を思わせるような、ありのままの写実的ではなく、軽い素描的で、見てるだけでメッセージが伝わるような独自の人物画にすごく惹かれました。

これは bernardsstar さんの 677 に対する返信です

 

「人魚姫」と「死の島」

2002/ 9/26 21:54

メッセージ: 679 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

循環形式についてはコメントできないんですが、「弓なり構造」と「世紀末的音色」という共通点は否定できないと思います。

 

僕が聴いたラフマニノフ「死の島」の名演は、(マーラー演奏でも名高い)ミヒャエル・ギーレン指揮、南西ドイツ放送響でした。

 

イギリス人の「オタク」度は、日本人と似ていて、レベル・歴史では日本人を凌駕しています。ただ、彼らは英語の言語的優位性から他言語の解釈は苦手なので、日本人としては英語以外の言語を深く研究して、イギリス人に対抗すべきと考えています。ターナーの絵は以前よく見にいきました。

これは gur1zem2korn3 さんの 678 に対する返信です

 

カンディンスキー

2002/ 9/30 16:14

メッセージ: 680 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

先日、千葉県立美術館に英国ロマン主義絵画を見に行った時、そこにある図書室を利用したのですが、岩波書店刊行の

 

「カンディンスキー 全油彩目録 1900−1944」全2巻

レーテル、ベンジャミン編

西田秀穂、有川治男訳

 

という本を見つけました。この本の巻末に、カンディンスキー絵画の全展覧会の年譜がありました。大型の本で、かつ小さい文字で書かれていて、8ページか、10ページもある本当に詳細な記録ですが、そこに、例によってグルリット画廊(戦前のベルリン、戦後のミュンヘン)における展覧会はないかと調べてみましたがありませんでした。

 

カンディンスキーは若い頃にヴァーグナーの「ローエングリン」を観劇して画家になることを決心し、シェーンベルクと親交があったということで、音楽との結びつきが強くありますが、上記の年譜をジーッと眺めていたら、興味深い展覧会を見つけました。

 

1974

ベルリン、ナツィオナルガレリー

タイトル シェーンベルク賛美

副題 青騎士と当時の絵画における音楽的なもの

 

ある流派の絵画展に、さらに視点を設けて行うところはいかにもドイツらしいです。

ちなみに、戦前のベルリンにおいては、カンディンスキー絵画については、グルリット画廊でも、カッシーラー画廊でもなく、デア・シュトルム画廊が主に取り上げていたようです。

これは gur1zem2korn3 さんの 678 に対する返信です

 

Re:カンディンスキー

2002/10/ 1 22:08

メッセージ: 681 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

今読んでいる、「アルマ・マーラー 華麗な生涯」(音楽之友社)第17章 カンディンスキーと反ユダヤ主義 からの受け売りですが、アルマは芸術家としてのカンディンスキーを評価していたものの、彼の「反ユダヤ主義」を批判し、このことが、カンディンスキーとシェーンベルクの友情の妨げともなったとのこと。

 

ただし、このアルマの独善的なカンディンスキー批判じたいが、アルマの敵の女性であった、クレール・ゴル、ニーナ・カンディンスキー、ロッテ・レーマンらによって誇張されて作り出されたものであることも否定できないとのことでした。

これは gur1zem2korn3 さんの 680 に対する返信です

 

アップ

2002/10/ 5 7:51

メッセージ: 682 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近は音楽を聞いておりません。

本では、ここのトピ関連では中公新書「中欧の崩壊」「ワイマール共和国」を読んでおります。いずれは同「近代絵画史上・下」も読んでみたいです。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

中公新書

2002/10/ 6 11:25

メッセージ: 683 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

僕は「中欧の分裂と統合」という本を持っています。この本の内容は実質的には、マサリクの伝記です。

 

政治学などの立場からは、マサリクに対する評価は高いですが、同時期の音楽家からはあまりマサリク評価の声が聞こえませんね。

これは gur1zem2korn3 さんの 682 に対する返信です

 

ブレヒトらの亡命

2002/10/ 6 11:28

メッセージ: 684 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

http://www.artists-in-residence.com/~ljlehrman/articles/aufbau70.html

 

というサイトに、ワイマール共和国から、ナチスの台頭を恐れて、北欧や米国に亡命した作家・音楽家の裏話が書かれていました。

 

ブレヒトは、スウェーデン、デンマーク、フィンランンド、ロシアを経て米国に亡命したとのこと。フィンランドでサウナを好み、フランスのヌーディスト島での滞在をクルト・ワイルらとともに楽しんだことも書かれています。(なお、最近読んだアルマ・マーラー=ヴェルフェルの伝記によれば、アルマのブレヒトに対する評価は最低で、クルト・ワイルは本来音楽的才能があったにもかかわらず、ブレヒトの「三文オペラ」に取り組んだために才能を台無しにしてしまったというのが彼女の意見でした。)

 

エマーリヒ・カルマンは、ユダヤ人であったにもかかわらず、ヒトラーお気に入りのオペレッタ「グレフィン・マリッツア」などのアリアを歌うために何度もベルリンに招待されたとのこと。

 

さらに、ソプラノのコンスタンス・ハウマン(この女性は現代の人で、夫がユダヤ人。ベルクの「ルル」の主役も演じた)が歌う、ビュヒナー原作に基づいたツァイスルのオペレッタ「レンスとレナ」(レンスが正しい表記であるか定かではありません)からの「ロゼッタの歌」や、コルンゴルトの「死の都」から「マリエッタの歌」が、この映画(ユッタ・ブリュックナー:「ベルトルト・ブレヒト 愛、革命、そして他の危険な出来事」)の前半を飾っているとのことです。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

あぷ

2002/10/12 8:51

メッセージ: 685 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近、オルフェオよりアルブレヒト指揮シュレーカー「烙印を押された人々」のCDが発売されましたね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re:あぷ

2002/10/14 22:27

メッセージ: 686 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

以前、ご紹介いただいた「チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド展」にもそのうち、行ってみようと思います。

 

宣伝ビラのReD3号(1927)の表紙写真には、ワルター・グロピウスの名前もありましたね。

これは gur1zem2korn3 さんの 685 に対する返信です

 

アップ

2002/10/19 22:32

メッセージ: 687 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近、クルト・ヴァイルについての本を買いました。ブレヒトとの共同活動があまりにも有名ですが、表現主義作家ゲオルグ・カイザーとの共同制作にも注目してみたいです。

 

あとは、最近マックス・ラインハルトについての資料を集めています。

中公新書「中欧の崩壊」を読み終え、同新書の「ワイマル共和国」を読んでいます。

 

今回下から3番目でしたので慌てて書き込みました。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

訂正:アンリ・ルイ・ドゥ・ラグランジェ

2002/10/19 22:56

メッセージ: 688 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

ナディア・ブーランジェに作曲を学んだほどの古い人ではありますが、2000年に講演をしているほどの長命。マーラー研究家として著名とのこと。

 

しかし、さすがにマーラーに直に接してはいないでしょう。ロシア語の文献は間違いか、小生の読解力不足と考えます。

これは bernardsstar さんの 676 に対する返信です