曇天の秋の日に日本に舞い戻って...

2002/10/20 22:40

メッセージ: 689 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

皆様、お久し振りです。 本日(20日)、無事帰国いたしました。

 

約5週間強ほど日本を不在にし、仕事でヨーロッパから南米へと回り、ちょうど地球を一周して戻ってきたことになります。途中約2週間ほど現地で休暇を取り、主に南フランスとベルリンで美術館巡りとコンサート、オペラ通いに明け暮れていました。

 

過去に何度も観た絵画であっても、今回あらためて過去の体験を白紙にして新鮮な気持ちで接してみると、思いがけないような発見がありました。特に今度は「表現主義」というものとの関連性を念頭において鑑賞し、またコンサートでも同時代の音楽に触れることもでき、それなりに意義があったと思います。サー・サイモン・ラトルもベルリンフィルのシェフとなり、意欲的なプログラミングを行なっており、特にシェーンベルクとブルックナーとの組み合わせのコンサートは、なかなか興味深くもあり(前者は名演、後者は駄演)、そのうちに時間を見つけて色々と御報告させていただこうかな、と思っています。

 

ともあれ、非常に疲れました。ブラジルより日本まで、片道でヨーロッパを往復するようなものであり、疲労も極限まできたような感じです。

 

とりあえず本日は帰国の御報告まで。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ブーレーズ、ポリーニの演奏会を聴いて

2002/10/22 2:33

メッセージ: 690 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

長旅の疲れも抜けぬまま21日夜、上野の東京文化会館で行なわれたブーレーズ指揮のロンドン交響楽団(LSO)の演奏会に行ってきました。今回はそれをレポートしておきます。

 

世紀末芸術、表現主義......最近は自分なりにいろいろと考えており、今回の旅行では新たな視点で、こういう芸術と向き合ってみましたが、さらにもうひとつ先にあるモダニズムという視点から、逆に「世紀末芸術」「表現主義」を振り返ってみるとどういうことになるのか? そこで問題としたいのは、ストラヴィンスキーとバルトークという2人の作曲家です。21日夜の演奏会では、最初にブーレーズ自作の「弦楽のための本」、次にバルトークの「ピアノ協奏曲第 1番」(今夜のピアノ独奏は、マウリツィオ・ポリーニ)、最後にストラヴィンスキーの「バレエ音楽<火の鳥>全曲」というプログラムであり、昨今の私の問題意識にもうまく合致した曲目でした。本当はストラヴィンスキーとバルトークとの関係についていろいろと考えてみたいのですが、今回は単なる演奏会レポートにだけにいたしておき、機会を改めてまた書いてみたいと思います。

 

さて、注目のバルトークのピアノ協奏曲第1番を、あのポリーニとブーレーズがどう演奏するのかに興味が集まっていましたが、少々残念な点がいくつかありました。まず、ピアノの音がよく鳴りきっていなかったことです。音の抜けがよくなかったですね。今夜の会場の湿度の高さはかなりなもので(昼間はずっと雨)、それがピアノに影響していたようです。 またそれに加えて、オーケストラの音がかなりピアノにかぶってしまい、ピアノとオケとのバランスが非常に悪かったですね。そして今夜のLSOは、いつもと違ってやや響きが汚い箇所がいくつかありました。LSOはどうも状態が万全ではないようです。 ポリーニ自身といえば、昨年のソロリサイタルのような力みかえったとことは比較的少なく、指も最好調時を思わせるように回っていたように感じましたし、リズム感もなかなか冴えていたと思います。ただ非常に意外に感じたのは、全体として必要以上に抑制された音楽にしていた点です。通常言われるように、第1番を野趣を多く含んだ、荒削りで攻撃性が生の形で出てくる曲というような感じは、今夜はあまりしなかったですね。ブーレーズの指揮もやはり、比較的抑制的でした。ただし、ちょっと打楽器の音がバランス上、強すぎたような気もしましたが。

 

このバルトークの1番というコンチェルトですが、やはりかなりストラヴィンスキーを意識したものでしょうね。というのも、バルトークのいくつかの作品は明らかにストラヴィンスキーの作曲のあとを同じジャンルで追っているように思うからです。たとえば、ピアノソナタでいえば、ストラヴィンスキーが1924年、バルトークが1926年。ピアノコンチェルトで言えば、ストラヴィンスキー(ピアノと木管)が1924年で、バルトークの1番が1926年(2番は 1931年)。バレエ音楽でいえば、ストラヴィンスキーの「ぺトルーシュカ」が1911年で、バルトークの「かかし王子」が1914年。 やはりバルトークはかなり意識して後追いしているような気がします。そうだとすると、第1番と第2番のピアノコンチェルトで、ストラヴィンスキーに対する向き合い方にこの2曲で、どう違いがあるのかも興味あるところですね。

 

さて、後半のストラヴィンスキーの「火の鳥」全曲(1910年版)ですが、さすがに私も疲れがひどいせいか、集中力に欠けた状態で演奏に接してしまい、今となってあまりうまく書けないのが残念ですが、しかしブーレーズの指揮でいえば、響きの変化とか、全/半音階のまぜあわせとか、楽器相互の音色の変化とか、そういう多彩な要素が、すべて音楽の演奏という額縁の内側にきれいに折り込まれている、とでもいったらいいでしょうか、いわゆる土俗的要素や、異教の臭いというものは感じさせません。音楽自体が集中力で熱をもつということは少なく、クライマックスも音の大きさに寄り添った姿以上のものではなく、馬鹿騒ぎにならないのはいいと思いましたが。 アンコールのストラヴィンスキーの「花火」も、そこに奇妙なエネルギーを感じさせるというのではないのがブーレーズらしいと思いました。いずれにしても、ブーレーズもポリーニも、いろいろ難しい条件に制約されたなかで、まあなんとか面目は保ったといっていいかもしれません。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

南米

2002/10/22 22:01

メッセージ: 691 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

お帰りなさい。

 

南米はいかがでしたか?小生、南米は行ったことがないんですが、このトピとの関連では、シュテファン・ツヴァイクが最後にブラジルを訪れ、大歓迎されたにもかかわらず、愛人とともに自殺した場所ということを思いだします。

 

当時、ユダヤ人にとって最も安全とも言える場所であったにもかかわらずです。一説には、日本の真珠湾攻撃により、北米・南米ともやがてはドイツ・日本に攻められ、結局、ユダヤ人は皆殺しという恐怖をいだいたとも言われます。

 

あと、南米と言えば、近年ブルックナーの指揮に力を入れているバレンボイム、それから、エーリヒ・クライバーですね。ヴィラ・ロボスの交響曲もぼちぼち聴いてみたいと思っています。

これは la_vera_storia さんの 689 に対する返信です

 

南米

2002/10/23 12:48

メッセージ: 692 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

シュレーカーの娘さんはアルゼンチンに住んでいたようです。http://www.comcen.com.au/~agfam/adriano/haidy.html

これは bernardsstar さんの 691 に対する返信です

 

ブーレーズ指揮のマーラーを聴いて...

2002/10/24 0:47

メッセージ: 693 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

「.....遠い地平線が消えて、ふかふかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただくはてしない光の海を、ゆたかに流れゆく風に心を開けば、きらめく星空の物語も聞えてくる夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょう! 光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります.....。」

 

演奏の終わったあと、思わず私の脳裏に浮かんだのは、この城達也氏のナレーションでした....。 23日夜、渋谷のオーチャードホールに行き、ピエール・ブーレーズ指揮のロンドン交響楽団(LSO)の演奏したマーラーの第5交響曲の演奏を聴きました。 冒頭から最後まで実に流麗で、よどみのない音の流れでしたね。特に第2、3,5楽章は胸のすくような速度で演奏されていましたし、有名な第4楽章などはまるでニコラ・ド・スタール(Nicolas de Stae"l)の描いた海の絵のように、青さと物憂さが同居していました。ブーレーズの指揮で聴くと、マーラーの音楽の多様な要素が、相互にほとんど衝突せずに、束ねられた一つの流れとして提示され、まるで流れ星の軌跡のごとく弧を描いて空中に発散していました。 部分部分の強調といったようなものはあまりなく、非常に端正でありながらも豊穣な音楽として提示されていました。 

 

今夜のLSOの演奏は、一昨日の演奏と比較してLSO本来の調子をかなり取り戻していました。特に弦楽器は見違えるほど好調でしたし、金管の音の冴えも復活してきた感じです。ついこの間ベルリンでラトルの指揮で聴いたベルリンフィルでは、ヴァイオリンがいわゆる左右対向配置になっていましたが(しかも、コントラバスまでが数を変えての対向配置!)、今夜のブーレーズ指揮のLSOのように、チェロ、コントラバスを全て舞台右側にまとめて配置した今夜のLSOの演奏では低域がすべてまとまって聴こえて、全体の響きに安定感がありました。ブーレーズの指揮に若干、年齢からくる翳りのようなものが感じられなくはなかったですが、しかし余計な思い入れのない、まるで英雄の叙事詩の朗読を聴いているような錯覚を抱かせるほど、爽快このうえないマーラーの演奏に、すっかり堪能いたしました。

 

プログラム前半のバルトークの「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」は、実にstatiqueな演奏であり、その凛とした音楽の厳しさそのものが実に美しかった! こういうバルトークと、そして精緻かつ豊穣なマーラーとの組み合わせ、なかなか見事であり、とても堪能できた夜でした。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

欧州とチリ、アルゼンチン、ブラジル

2002/10/24 1:39

メッセージ: 694 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

欧州のあとの南米出張、実は出発前から「ひょっとしたら行くことになるかな?」と心のどこかで準備はしていましたが、欧州での休暇中の最後に連絡が入り、結果としてやはり行かざるを得ない状況になってしまいました。そのせいで、ドレスデンとプラハへは今回は断念です。

 

ベルリンからロンドン経由でチリ(サンチアゴ)、アルゼンチン(ブエノス・アイレス)、ブラジル(リオ・デ・ジャネイロ、サン・パウロ)と4都市を約10日間でした。 この3カ国、いずれも過去一回訪問したことがあり、特にチリは前回はピノチェト政権下(82年)だったこともあり、今回は民主化後の変化を感じ取れれば、などとも期待しましたが、あまりに多忙で、1人でゆっくりと街を歩く時間はまったくなかったです。

 

ブラジルのリオやサンパウロは、地区によって非常に貧富の差が大きく、私が仕事上で訪問したのは全て中心のオフィス街でしたので、安全面ではさほどの心配はありませんでした。ただし、リオもサンパウロもとても暑かった! 確か最高気温が36度くらいあったと思います。湿度も結構なものでしょう。予想に反して、ブエノス・アイレスも気温が高かったです。とてもとてもBuenos Airesなどというものではなかったですよ(笑)。それに国家破産状態ですし、私は2度ほどデモ隊の行進で車が立往生しました。

 

私が東京に着いた日は確か最高気温が16度くらいでしたので、その前のサンパウロとの温度差が約20度。そのせいで、まだ疲れがとれません。

 

アルゼンチン、ブラジルについては戦後、ナチ残党や、SS隊員なども移り住んだようですね。あのアイヒマンも身分を隠してアルゼンチンに移住しましたが、イスラエル諜報部モサドによって「拉致」されてイスラエルに連れてこられ、裁判の被告席についたのですよね。

 

音楽家でいえば、チリのクラウディオ・アラウ、ブラジルのネルソン・フレーレ、アルゼンチンは何人もいますね。 録音では、あのエーリヒ・クライバーがブエノス・アイレスのコロン劇場で指揮した「トリスタンとイゾルデ」は大変な名演です。

これは bernardsstar さんの 691 に対する返信です

 

>ブーレーズ指揮のマーラーを聴いて

2002/10/24 16:41

メッセージ: 695 / 1477

投稿者: Rafite21 (106歳/男性/Universe)

 

私も24日のブーレーズ/LSOを聞いたものです。せっかくの余韻にひたっていらしゃるのに、辛口になりますが私の感想を一言。

 

前から2列目ほぼ中央の席が最悪であったとことは認めますが、それにしても弦の冴えのなさにがっかりしました。弦・チェレであんなにキレのない弦はちょっとめずらしいかと思いました。マーラー5番も同様、昨夜のアダージョからは何の感応も感じることができませんでした。

 

一方、管は素晴らしいく官能的な響きを出し、LSOの管はこれほどまでだったかとびっくりさせられました。

 

音楽の作りは5番がまるで9番かと思わされるほどがっちり構築され、スケルトン図をみるほど曲の構造が透けてみえるのはさすがブーレーズでした。そして最近のブーレーズはだんだんそうなっていた傾向ーー単に冷徹に曲の構造を解き明かすだけでなく、時には思い切りマーラーの情によるところは寄るというーーこのところの傾向が鮮明だったのが昨夜の演奏でなかったでしょうか。

 

最後に一つ。フィナーレの終曲で指揮者はまだタクトを振りきっていない(ブーレーズはタクトと使っていないが)段階で、音の余韻がまだあるときに大声でブラボーをだすやからが昨夜もいましたね。私はあれでほとんどブチ壊しに近い興ざめとなってしまいました。あれなんとかならないものでしょうか?

これは la_vera_storia さんの 693 に対する返信です

 

雑記

2002/10/24 21:52

メッセージ: 696 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

最近、南米と西洋知識人いついて語られていますが、スペインの作曲家ファリャも晩年アルゼンチンに亡命しましたね。

 

あと、昨日の朝日新聞の夕刊に、反戦愛唱歌「リリー・マルレーン」の作曲者ノルベルト・シュルツ氏が14日にミュンヘン近郊で死去したということが書かれていました。91歳という長寿です。第2次大戦を生き抜いたドイツの知識人には、結構長寿の人が多いですよね。政治哲学者のカール・シュミット、作家のエルンスト・ユンガ−、画家のココシュカ、カール・シュミット・ロットロフ、作曲家のベルトルト・ゴルトシュミット、クルシェネク、哲学者のハンス・ゲオルグ・ガーダマー等々。

 

また、今日の朝日の夕刊には、今年のノーベル文学賞受賞者のハンガリー人作家についての論説があったり、国際欄でのCIA元長官の死去の記事では、この人物が若い頃ドイツ、スイスに留学し、ベルリン特派員としてヒトラーと会っていたことなどが書いてありますね。

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

シュルツ、南米

2002/10/24 22:57

メッセージ: 697 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

シュルツというと、小生、ガリチアのほうの詩人で夭折した人を思い出してしまうのですが・・・

 

あと、

ヘルツルの「ガリチアの劫火」には、シオニズムとしてのユダヤ人の移住先としてパレスチナに加え、アルゼンチンも有力候補に挙げられていたことが書かれていました。

これは gur1zem2korn3 さんの 696 に対する返信です

 

ベルリンのユダヤ博物館を訪ねて

2002/10/26 15:20

メッセージ: 698 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

ヨーロッパのユダヤ博物館といえば、ウィーンのユダヤ博物館(Juedisches Museum Wien)が知られていますが、ベルリンのLindenstrasse 14に昨年完全な形でオープンしたユダヤ博物館(Juedisches Museum Berlin)もかなりの話題ので、幾度となくベルリンを訪れた私も今回初めてこの博物館を訪問してみて(2002年10月4日)非常に興味深いものを感じましたので、そのことを御報告いたします。

 

ウィーンのユダヤ博物館は、ホロコースト関連の展示はもとより、むしろ世界各国にちらばっているユダヤコミュニティーと、その独特の文化についての展示に重点がおかれているのですが、今回のこのベルリンのユダヤ博物館は、中世以来のドイツ人とユダヤ人との係わりの歴史に重点がおかれ、それも非常に充実した展示内容を誇っています。この博物館はDaniel Libeskind設計の金属壁の奇抜な建物ですが、実際の入口はその隣の旧ベルリン博物館の重厚な建物であり、その入口で金属探知機、ボディチェック、所持品検査などが行なわれ、空港のセキュリティーなみの厳重さでした。 そこから地下通路を通って最初の場所が<Axis of Exile - Axis of the Holocaust>という展示場所で、切り込んだように鋭い通路が交差し、そこにホロコースト犠牲者の所持品などが展示されていました。その中でも私が胸を打たれたのは、イギリスに行くことになった息子がタオルに不自由すると困るだろうと母親が息子に持たせたタオルが、その母親が当時折りたたんだままの姿で展示されていたことでした。これがこの親子の最後の別れとなってしまい、母親は絶滅収容所でガス殺されてしまうのです。この地下の展示場の床は水平ではなく若干傾いており、見学者の立場からすればひどく疲れてくるのですが、なんでもこれはユダヤ人の置かれた立場の不安定さを表しているそうです。そのあと、6人一組ほどでHolocaust Towerという場所に入れられ(勿論、希望者だけですが)、約1分間ほどドアを閉められてしまいます。中は何もない暗い空間ですが、上のほうからわずかばかりの光があるのみ。ガターンとドアが閉められると、それはまるでガス室に入れられてZyklon-Bが投げ入れられる直前の状態を彷彿とさせるような気分に私はなってしまいました。

 

この展示場から階段をかなり上って、それからは10世紀以降の中部ヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史を辿る展示があります。現在のドイツ領内の各都市においてユダヤ人がどのような生活をし、どのようにドイツ人と係わってきたかについて、当時のユダヤ人ゆかりの品々も多く展示され非常に充実した展示となっており、私も見学していて時間の経つのを忘れてしまったくらいでした。AV機器も導入され多面的な角度から、ユダヤ人とドイツ人の歴史上の係わり合いについて理解を深めてもらおうという趣旨だと思われますが、大変によく考え抜かれた展示のように思いました。 20世紀の両大戦間の時代における音楽家についても、シェーンベルク、ワルター、クレンペラ−、シュナーベルなどの展示もありましたね。このユダヤ博物館というのは全体の展示構成に、なにか独特の雰囲気がありますね。地下通路を歩いたり、いくつかの角度に少し傾斜した床を歩いて展示物を観たり、奇妙な角度を歩かされたり、長い階段を上ったり.......。 展示品を見るだけではなく、なにかを体で感じるような気がしました。歴史を見る、ある種独特の先鋭的意識が、このベルリンのユダヤ博物館にあるような気がしました。ウィーンにはなくベルリンには存在している、独特のピリッとした空気の反映でしょうか....? ベルリンに行かれる御予定の方で、少々真面目に歴史を考えみようという方々がいらっしゃいましたら、是非このベルリンのユダヤ博物館を訪問されることをお薦めいたします。

以下はベルリンのユダヤ博物館のサイトです。

http://www.jmberlin.de/

以下は東京新聞のサイト

http://www.tokyo-np.co.jp/toku/new_world/nw020112/nw5.html

以下、五十嵐太郎氏の写真サイトで、数ページあります。

http://tenplusone.inax.co.jp/archive/berlin/berlin001.html

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

アドルノ音楽論集新刊

2002/10/27 12:12

メッセージ: 699 / 1477

投稿者: gur1zem2korn3

 

http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31047845

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

Re: アドルノ音楽論集新刊

2002/10/27 19:41

メッセージ: 700 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

アルマはアドルノをかなり低く評価していましたが、一度は読んでみる必要がある本だと思います。情報ありがとう。

これは gur1zem2korn3 さんの 699 に対する返信です

 

Re:ベルリンのユダヤ博物館を訪ねて

2002/10/27 19:54

メッセージ: 701 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

ご紹介いただいたサイト、拝見しました。

シナゴーグのイメージをもつ建物と言えますでしょうか?

 

ちょっと話題はずれますが、ドイツでは敗戦後、継続してナチス&ヒトラー批判が行われてきましたが、国防軍(プロイセン軍の流れをくむ)に対する批判はタブーでした。ところが、最近、国防軍批判も行われるようになり、その結果、激しい論争が繰り広げられるようになったと聞きます。

これは la_vera_storia さんの 698 に対する返信です

 

   

ブーレーズ指揮のウェーベルンを聴いて..

2002/10/30 1:57

メッセージ: 702 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

今夜(29日夜)性懲りも無く、またブーレーズ指揮ロンドン交響楽団(以下LSOと略)のコンサートに行ってきました(於 初台東京オペラシティコンサートホール)。ブーレーズももうかなりの年齢(77歳だったか?)ですので、聴けるうちはみんな聴いておこうという私の魂胆からです。曲目は4曲、スクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番(Vn.はクリスティアン・テツラフ)、ヴェーベルンのオーケストラの6つの小品 op.6b、バルトークの「中国の不思議な役人」というなんとも魅力的な組み合わせでした。 結果としてどの曲も名演となり、大変に満足できました。

 

本トピに関係のあるヴェーベルンについて、今夜の印象を書いておきます。結論を先に書けば、まったく息をのむような演奏というに尽きます。この6曲の異なるそれぞれの性格が、精密で端正なブーレーズの指揮のもとで見事に描き出されていましたね。この6曲、もともとヴェーベルンは母の死(1906年、つまりアドルフ・ヒトラーが最初のウィーン訪問で、マーラー指揮の「トリスタン」を体験した年!)と深く関係している点、つまり彼にとって非常に個人的な体験がバックにある音楽である(そういう内容のことを後に手紙でシェーンベルクに書いています(ウィーンのシェーンベルクセンター他のサイトを参照願います)。そして、母の死の予感、現実の死と悲しみ、葬送行進曲、追憶、諦観、ということを、ヴェーベルンはこの作品に心情として埋め込んだとのことを、ヴェーベルンは後年シェーンベルクに書いています。 さて、もしこのヴェーベルンの母の死とこの作品との関係について何も知らないでこのop.6を聴いたとしたら果たしてこの作品から「死」というテーマを感じ取ることができるでしょうか.....?  やはりできるのではないか、と思います。というのも、第4曲目が葬送行進曲であるのは、大/小太鼓、タムタム、鐘の音が実に効果的であり、これが葬送行進曲だというのは実感するのは、そう難しくない。そして第2曲、第4曲の最後の凄まじいばかりのクレッシェンド! 第6曲の深い静けさ.....。 つまり、この第4曲を中心として、前後に何らかのドラマがあるらしい....というようなことは直感的に理解可能です。そうして前後の曲を振り返ってみれば、いったいそれはどういうドラマなのか? そうやって思いをめぐらせるとすれば、この作品には「何かの個人的体験が封印されている」というところまではわりと簡単に推察可能でしょうね。 でもそれ以上は無理かな?

 

ちなみに私は、今夜この作品を聴いていると、2日前に聴いたヴァーグナーの「パルジファル」の鐘の響き(あれは4つの音ですが)そして昨日ポリーニがテープをバックに弾いたノーノの曲を思い出してしまいました。 ヴァーグナーやノーノの作品の鐘の音が、「死」を直接的に想起させるものではないにしても、なにかウェーベルンと呼応するものがあるような気がします。やっぱりブーレーズの指揮で聴くと、こういうことを考えたくなるのかな?

 

プログラム最初のスクリャービン「法悦の詩」は、まるで白熱灯の光が明暗を繰り返しながら、段々と熱くなっていくかのような演奏。非常に見通しと分離のよい演奏にこの曲への認識を新たにしました。 シマノフスキのコンチェルトは、自信に溢れるテツラフのソロの背景で、ブーレーズ指揮のLSOの演奏の精妙さ! (アンコールでテツラフの弾いたバルトークの無伴奏ソナタの第4楽章、まったくもって凄いものでした!)  最後のバルトークの「中国の不思議な役人」は、これはひょっとして今回のLSOの演奏のなかで最高のものだったような気がします。ブーレーズの指揮で音がすべて抽出され、「精密に演奏された荒々しさ」というパラドックスが完成されていた! かつて80年代半ばにアッバードがベルリンフィルとこの曲を演奏したのを聴きましたが(その時は組曲でした)その演奏が、内側からの力感に満ちていた名演だったのと比較して、今回のブーレーズの指揮は、響きそのものが作り出す力感を感じさせました。こういうバルトークの後で、アンコールのラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、素晴らしいデザートだった!

(2002年10月30日 於 東京オペラシティコンサートホール)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

ユダヤ博物館, Wehrmacht etc.

2002/10/30 2:59

メッセージ: 703 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

bernardsstarさま

 

ベルリンのユダヤ博物館ですが、これはシナゴーグというよりも、ダヴィデの星をデフォルメしたような感じでした。この博物館、なかなか話題のようで、ドイツ人(地元の人)も非常に熱心に展示を見ていましたね。

 

国防軍(Wehrmacht)批判ですが、この議論は出るべくして出た、という感じだと思います。というのも、SSだけで戦争ができるわけではなく、実際の戦闘の前線にいたのは国防軍ですから、「ドイツ軍=国防軍」としか相手からは見られていませんしね。それに最前線で戦闘すれば、その流れの成り行きの中で残虐行為をした事実はかなりあると思います。bernardsstarさんのおっしゃられる「論争」というのは、いわゆるドイツ各地で90年代末から開催された、「国防軍の犯罪展」に対する論争のことでしょうか?

http://www.his-online.de/veranst/ausstell/vernicht.htm

議論はいろいろあるでしょうね...。

http://www.searchlightmagazine.com/stories/DefendingWehrmacht.htm

http://www.welt.de/daten/2002/01/16/0116de308207.htx

こればかりはよくわかりませんね。今更、という気もしますが....。

これは bernardsstar さんの 701 に対する返信です

 

シェーンベルク「詩篇130番-深き淵より」

2002/11/ 2 3:24

メッセージ: 704 / 1477

投稿者: la_vera_storia (男性/beati possidentes)

 

「....調性からひき離された音楽は、無機固有の響きの世界に一変した。感覚的興味の対象とはなったが、音楽的対象としての興味を喪失してしまうという現実に出会う。そのような状態における精密さというものは、一体音楽的感動とどのような関係にあるものか。」

「....この簡潔は、音列の工夫に終わったということで、十二音であるがゆえの欠陥を一段と際立たせることになった。(中略)...音列の性格によって、響きは個々に分裂し、刺戟的ではあるが非人間的な響きの羅列を印象づけるにとどまり、いわば純粋な器楽曲において、この技法が如何なる構成にも達し得ぬというのっぴきならぬ証拠を見せられた思いである。」 『現代音楽を語る』(第2章の記述より)(小倉 朗 著―岩波新書 1970)

 

この「現代音楽を語る」という本、私は中校生のころ何度も何度も読んだ本です。当時(ひょっとして現在も?)名著と言われていました。この本で小倉氏は、シェーンベルクとストラヴィンスキーについて非常に批判的に述べたあと、バルトーク作品についての「音楽固有の力」の存在に対して美しい文章で賞賛しています。私は高校生頃までこの本の記述の影響を受け、シェーンベルクの作品を軽視していた時期があります。しかし音楽的体験を積み重ねるに従って、私は小倉氏のシェーンベルク作品についての記述をまったく信じなくなってしまい、現在では「名著といわれていたこの本は、実はかなりの有害図書ではないか?」などとも思うことがあります。一つには、小倉氏が皮肉交じりに書いているシェーンベルク渡米後の調性への一部復帰と調性要素を加味した十二音技法について、やはりこれは調性の有無(そして十二音技法)の上に立って、そういうもの全体を統合総括した結論的作品ではないか、という意見に共感を持ち始めたことが原因です。

 

そして2日ほど前(10月31日)のコンサートで演奏されたシェーンベルク生涯最後の作品である「詩篇第130番<深き淵より>op.50b」(1950) を聴き、その力強さに圧倒的印象を持ち、シェーンベルクの達成したもう一つの「統合」について帰路に考えていました。この<深き淵より>という曲は十二音技法の「歌」とSprechgesang(語り)とが交差するのですが、しかしこうして聴いてみると、この「歌」の要素と「語り」の要素というものがいつしか一体となって、表現としての判別がつかなくなっている.....。 たとえばPierrot Lunaireですとこの二つは別のものとして互いにぶつかり合い、相互の緊張関係を生むことで絶大な効果をもたらしています。しかしやはりどこかにこの2つの要素の同時存在には違和感がありますね。 (ちなみに31日のコンサートの最後で演奏された「地には平和」op.13は無調期初期の作品であり、そこに調性と無調性の葛藤が色濃く反映されていました。) ところが<深き淵より>では、そういう違和感ななく、しかもこの2つの要素は表現として統合されてしまっている...。 晩年のシェーンベルクは、調性に対する統合と同時に、「語り」と「歌」の統合も成し遂げたのではないか.....そのようなことを考えながら家路につきました。ここにシェーンベルクの晩年の音楽の美しさ(そして、力強さの中にある静けさ)があると、あらためて実感した次第です。

 

ウィーンのアルノルト・シェーンベルク合唱団(指揮はエルヴィン・オルトナー)の確信に満ちた演奏は見事でした。当夜は前半にシューベルトの独唱付合唱曲(その印象は、シューベルトトピに投稿しました)、

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=MU&action=m&board=1834581&tid=a57a5ea1bca5ya 5ka5ha3fa3aa3na4a2a4da4dea4la1aa&sid=1834581&mid=618

後半はシェーンベルクの前に、リゲティ(「ルクス・エテルナ」 Lux aeterna)、クセナキスの作品(「夜」 Nuits)が演奏され、それらも実におもしろい演奏でした。 特にクセナキスについては私は一時期かなり凝った時期がありましたので、当夜もわくわくしながら聴いていました。この「夜」(Nuits と複数形になっているのが重要!)は、シェーンベルクの「歌」と語り」の統合などとはまた別の世界で、今度は声という要素を追求していますね。クセナキスについては、また別の機会にしたいと思います。

(2002年10月31日 ポリーニ・プロジェクト第4夜 於 東京 紀尾井ホール)

これは bernardsstar さんの 1 に対する返信です

 

小倉 朗、バルトーク、Wehrmacht

2002/11/ 2 14:12

メッセージ: 705 / 1477

投稿者: bernardsstar

 

小倉 朗の「交響曲」を1度、FMで聴いたことがあるのですが、どうも今ひとつでしたね。

バルトークは偉大な力強い作品を残した作曲家だと考えておりますし、特に弦楽四重奏曲は素晴らしい作品群ですが、シェーンベルクと比較するとチョイと「艶」というものに欠けますね。日本の現代作曲家の作品の多くも「艶」に欠けていると思うので、そこはシェーンベルクを参考にしてほしいですね。

 

シェーンベルクの作品は、後世の無調の作曲家だけでなく、ロマンチック指向の調性作曲家に対しても大いに示唆するところがあります。

 

Wehrmacht論争が盛り上がってきた背景には、ヒトラーだけではネタ切れしたジャーナリズムの次なるターゲットとなった側面もあるような気がします。

これは la_vera_storia さんの 704 に対する返信です